居眠り姫と王子様・22
アーダルベルトには『実家』という概念がない。王宮に生まれ育った者なのだから当然なのかもしれない。
けれど、久しぶりに来訪したシャファト家は、そんな雰囲気を持っていると感じた。
懐かしい香りのする屋敷は、記憶の中にある姿よりももっと綺麗で新鮮な印象をアーダルベルトへもたらした。
留学中に滞在していた国の海辺の町へ遊びに行ったけれど、そのときに逗留した領主家の邸宅を彷彿とさせる。
年季が入っていて、こじんまりとしていて、手入れされており、愛されている。
そんな空気感。
であれば、そこに所属する人々も牧歌的な性質なのだろうと思いきや、そうではない。トラウムヴェルト王国の王都邸なだけあり、使用人たちは皆洗練された所作でアーダルベルトたちを迎える。この様子なら、もしかしたら王宮出身の使用人もいるかもしれないと思えたくらいには。
事実、シャファト家の家令は王宮からの引き抜きだったはずだ。たしか昔そんな話を耳にした気がする。母に聞けばそこらへんは詳しいだろうが、きっと昔語りにつきあわされるだろうと思い、尋ねる気持ちはない。
昼食の後に通されたのは談話室。一通りの遊戯盤や玉突き台、それに壁には酒瓶の並んだ古い食器棚がある。
初めての感覚だが、アーダルベルトは、その部屋に入ったとき――「ただいま」という感覚を覚えた。
驚きと清々しさ……そしてそれに伴う、どこか泣きそうな気持ち。
「――……ダルベルト殿下は、玉突きを嗜まれますか?」
シャファト伯爵の声が急に現実感を伴って耳に届いた。多少驚いて、けれどそれをおくびにも出さずにアーダルベルトは笑顔を返す。
「留学先で、とても流行っていました。それなりに自信はありますよ」
「それはいい。ぜひ手合わせ願いたいです」
「はは、女性たちの前では負けられないな。手加減しませんよ?」
「もちろん」
母が「男性は、本当に勝負事がお好きね」と言いながら、長椅子に着いている。
それに向かい合って座りどこかそわそわとしたルドヴィカは、クッションで抱えるようにして紙束を持っていた。隠しているつもりらしい。それを見て思わずアーダルベルトが「それは、例の作品かい、ルイーゼ?」と尋ねると、目に見えて彼女は硬直した。
「やあ、それは僕も拝見したいなあ」
「あら、ルイーゼはわたくしにだけこっそりと見せてくれると約束してくれたのよ」
「それはずるい。いいじゃないか、僕だって役に立っていると思うんだけれど」
アーダルベルトがそう述べると、あからさまにルドヴィカは目を逸らした。先日、妹のメヒティルデが懐いているシャファト前伯爵から、伺いが来ていたのだ。
孫娘のルドヴィカが出版する絵本の、登場人物の手本になってはくれないか、と。
もちろん、そのつもりだった。先日、王宮の中庭でルドヴィカお抱えの女性絵描きに自分を描いてもらったのも、その気があったからだ。じゃなければわざわざ自分から近づいて、描いてくれなどと言うわけがない。
「あ、あの……ユーリア様が描かれた素晴らしい下絵でしたら、喜んで!」
「どうして? それもそうだけど、ルイーゼが書いた作品を読みたいんだ」
「むむむむむむむむ、むりですわ!」
明らかに挙動不審になり、かつ逃げ腰になったルドヴィカを見て、その父親であるシャファト伯爵が笑いながら援護した。
「ルイーゼは、私にでさえずっと見せてくれなかったんですよ。それを殿下に、やすやすと見せてほしくないなあ」
「なんだ、伯爵にも内緒で書いていたの? でももう、出版に動いているんでしょう。いいじゃない」
「じゃあ、こうしましょう」
にやり、とシャファト伯爵が人の悪い表情をする。そして「私から、殿下が九番を取ったら。それでどうだい、ルイーゼ?」と言う。
当のルドヴィカは目をいっぱいに見開いてこくこくと頷き、シャファト伯爵へ「ぜったいに、勝ってくださいましね!」と言った。
「……そりゃあいい。僕をなめないでくださいね、伯爵?」
「もちろん。全力でお相手を務めさせていただきますよ」
「あー、今回は手を抜いてほしいかなあ」
玉突き棒を互いに手を取り、台に向かったアーダルベルトたちを眺めながら、母がこっそりルドヴィカへ「……わたくしには読ませてね」と言っているのが聞こえた。
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「師団長」
呼びかけられて、エドゥアルトは足を止めた。自分の執務室から出て来たところだった。
振り返れば知己である第二騎士団のクリストフ・シーラッハが立っている。彼が――親友であり幼馴染でもある彼が、名ではなく役職名でエドゥアルトを呼んだことには意味がある。
彼はエドゥアルトへ向かって言った。
「イェルクを――イェルク・フォン・シャファトを、私に預けてください」
廊下には、他に人もいる。
それに、先日会ったばからなのだから、そのときに話すことも可能だったはずだ。
それでも、クリストフは、今このときを選んで、エドゥアルトに近づいた。
彼の声は廊下に響き渡り、そして道行く人々の足をも止めた。
エドゥアルトは、クリストフを見た。
その懐かしい面影を。
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エルヴィンは、寮の自室で手足を投げ出して床に転がっていた。
なにもやる気が起こらない。けれどなにかに焦っている。そんな気持ち。
ノックが鳴る。返事をしない。もう一度鳴る。黙っている。三度目にも応じなかったら、ガチャガチャと扉の鍵穴あたりに不穏な音があって、開けられた。
「……なに仕事サボってやがる。エルヴィン」
「……これは患者の立場になって考える試みだ。サボりではない」
「ウソつけ、行くぞ」
横になったエルヴィンを、先輩医師が引っ張り上げて起たせる。エルヴィンとそれほど変わらない体格だと思っていたのに、すごい腕力だ。鍛えているのだろうか。そんな気がする。
「いやだ、わたしは患者の心理を理解するために留まる」
「ふざけんな。仕事サボるだけじゃなくて、美人さんからの心遣いを無にする気か」
その言葉を聞いてエルヴィンの背に芯が入った。この先輩医師が述べる「美人さん」という言葉が誰を指すのか正確に理解したからだ。
「――彼女がどうしたって言うんです」
「本人が来たわけじゃない。……まあ、自分で確認しろよ」
そう言うと、先輩医師はエルヴィンの姿を上から下までじっとりと眺めた。
「この木偶の坊の、どこがいいんだろうなあ……」
「失礼すぎやしませんか、その言葉」
今年もなんとか更新しました
来年はちゃんと読み直して完結させるのが目標です
みなさま、いつもありがとう
良いお年を!!!!!!




