蒼い死神の来襲
「鬼ごっこしてるんでしょ。私も仲間に入れてほしいなー、なーんて」
目の前で立ち尽くすのは、黒髪黒目の、いかにも純日本人といった風貌の高校生。
蒼井千隼。彼こそが私たち、月読かざりとアーソルドの保護対象だ。
「……誰」
息も絶え絶えで、やっとのことで絞り出された声。私は笑みを湛えて応えた。
「愛と正義の味方、超絶キュートな死神ちゃん参上。キミの危機を救いに来た救世主様だよ」
戯けて見せると、蒼井千隼は訝しむような視線を送ってくる。どうやらあまり信用されていないようだ。
……ふむ。しかし、既に天使の襲撃を受けているようだし、もう少し早く到着していれば良かった。それもこれも、アーソルドが舟を漕ぐのを渋ったせいだ。アーソルドが全て悪い。
――と、その時、駄々漏れな狂おしい殺気を感じた。
「千隼クーン、こっちおいで」
手招きで誘うが、彼は棒立ちのまま動かない。仕方ないな。
「もうっ、鈍臭いなー」
「え、ちょっ、うわっ?」
私は蒼井千隼の隙を突き、腕を掴んでこちらに引き寄せた。よろめいて体勢を崩した彼を、そのまま抱き留めてやる。身長的には彼の方が上だが、もう何百年も死神をしている私の体力と筋力は伊達ではない。
丁度私の腕の中に蒼井千隼が収まったまさにその瞬間だった。耳を塞ぎたくなるような、金属と金属がぶつかる音が屋上に響いた。蒼井千隼は後ろを振り返り、みるみる顔を強張らせる。
さりとて無理もないことだ。蒼井千隼がつい先程まで立っていた屋上の入り口には、白塗りの斧が突き刺さっていたのだから。間違いなく、それは天使の使う武器である。人間の創造物など容易に破壊できる天使の斧は、屋上の床にぐっさりと根元まで突き刺さっており、彼の恐怖心を煽る要因の一つとなっている。
「……ほらね、こっちおいでって言ったでしょー?」
「………………」
取り敢えず声を掛けてみたが、彼の口はヒューヒューと空気を吐くだけだった。私の腕を服越しに掴む彼の手から、震えが伝わってきた。
「あーら、外れちゃったわぁ」
そして、斧に続くように現れるのはそれの持ち主。
趣味の悪い真っ赤なハイヒールをカツカツと鳴らすのは、これまた趣味の悪いどピンク髪の女だった。
「うっわー……天使がいるってのは知ってたけど、まさかあんたとは思わなかったわ」
『かざりちゃんの嫌いな天使悪魔ランキング』上位に食い込む奴で女の到来に眉を顰める。
人間擬態をやめ、本性を表した女の背中には、いかにも天使といったふうの、白い翼が生えていた。この女こそ、イカレ天使の異名をとる(私が勝手に命名)アリッサ。外見年齢三十歳。若作りの派手おばさんだ。
「あらあら、誰かと思えばかざりちゃんじゃないのぉ」
「誰かと思えばアリッサだなんて、私とことんついてないわー」
舐め回すような気色の悪い視線に対抗して睨みつける。しかし効果はないどころか逆効果で、アリッサはますます興奮して息を荒くした。気持ち悪い。
陛下はこいつが来ると知って、そして私がこいつを嫌っていることも分かった上で、嫌がらせにこの仕事につかせたのではないだろうか、なんて邪推をしてしまう。帰ったら文句を言ってやろう。
「もう、かざりちゃんったらぁ。アタシはアナタに会えてとぉっても嬉しいって言うのにぃ~」
「うっさいなー、それ以上こっちに寄らないでよね。変態が移る」
「くふっ、素直じゃない所も可愛いわねぇ」
ぱちん、とハートが飛んで来そうなウィンクをかましながら、刺さった斧を抜くアリッサ。止めてくれ、虫酸が走る。
「でも、折角会いに来てくれたのにごめんなさいねぇ? アタシ今仕事中なのよぉ」
「誰が誰に会いに来たって? 言っとくけどね、私も仕事で来てるから」
私は冷たく言い放ち、未だ固まったままの蒼井千隼の手首と腰に優しく手を添えて、アリッサに見せ付けてやった。
「死神番号玖、月読かざりは、蒼井千隼を保護し、直ちにヒュプノス・キャッスルへ連行する」
そのまま挑発的に微笑んでやると、アリッサも笑みを深めた。アリッサのあの表情は、苛立ったている証拠だ。
「……あら、奇遇ねぇ。アタシもカレに用があるのよ。だってカレ、とっても可愛いお顔でしょぉ? アタシ、カレとデートしたいわ、ねえ、譲ってくれるでしょ……?」
「斧投げつけておいて何を今更。千隼クンはあんたじゃなくて私とデートしたいってよ?」
「そう、なら良いわぁ。――略奪愛も、燃えてくるしぃっ!」
カッと瞳孔を見開いたアリッサは、手に持った斧をこちらに向かって投げつけてきた。蒼井千隼を抱き締めつつ、私は横に跳んでそれを避ける。――今こそ、我が後輩の出番だ。
「アーソルド!」
一言、彼の名を叫べば、夕空を裂くように黒衣の男が上から降ってくる。
「やっと出番っすね!」
楽しそうに落下してきたアーソルドの手に握られているのは、小振りな黒い二つの鎌。死神の鎌の変形型だ。
回転しながら落下してくるアーソルドの存在は想定外だったらしい。天使の翼を利用して、上手く後ろに避けたアリッサの頬には、一線の切り傷が刻まれた。貯水タンクの上に隠れさせていたのは吉と出たようだ。
「まさか仲間連れだったなんてぇ……予想してなかったわ」
「陛下のご命令なもんでね。アーソルド、私は千隼クンを連れて舟へ戻る。アーソルドもそいつを巻いて追ってきてくれる?」
まだまだ死神としては修行不足なアーソルドでは、アリッサの相手をするのは難しい。が、勝つことは難しくても巻くくらいは出来る筈だ。
アーソルドから「任せてください先輩!」という元気な返事が帰ってきたのを確認して、私は蒼井千隼を肩に担ぐように抱き上げた。
「え、え、なにこれ」
突然の展開に目をパチパチする蒼井千隼。
「何って、当たり前っしょ。逃げるの」
「それは分かってる。でも、」
「何さ?」
「何で階段の方向じゃなくて手摺の方に向かってるの」
「そりゃあ、飛び降りるからね」
「……は、」
再び顔を強張らせる蒼井千隼に、私は笑顔で告げる。
「喋んない方が良いと思うよ、舌噛むから」
「え、ちょ、ま、」
「そんじゃアーソルド、よろしくねー」
振り返ってアーソルドに声援を送ってから、私は勢い良く手摺を飛び越えた。
風圧を体中に感じる。真下はコンクリートの地面。ここは四階建て校舎の屋上。私達の身体は重力に従い落下していった。
「~~~~ッ!?!?」
平和ボケで有名な日本の一般人にしては、意外と理解力があるらしい。蒼井千隼はギュッと目を瞑ってはいるものの、私の助言通り声を上げることはなかった。
「“死神の鎌よ、我が手に”」
空中で呪文を詠唱し、空いている方の手に死神の鎌を喚ぶ。現れた蒼い鎌を掴み、校舎の窓枠に引っ掛けた。この間、約二秒。
ガツン、と大きな衝撃と共に、落下が停止する。上手く引っかかったようだ。
私はそのまま校舎の壁を蹴って勢いづけ、窓の中に侵入した。開いている窓があってラッキーだった、ガラスを割らずに済んだ。
廊下に降り立ち、蒼井千隼の手を引きながら走り出し、彼に声を掛けた。
「千隼クーン、大丈夫ー?」
「……うわ、俺、ちゃんと生きてる」
瞬きをしながら小さく呟いた。当たり前だ、私があのまま転落死するなんていうヘマをする訳がない。
と、そうこうしているうちに目的の教室に着いたので、蒼井千隼を降ろした。アリッサが人払いの暗示を掛けているらしく、ここに来るまでに校舎内に人の影はなかった。
「はい、とうちゃーく」
「ここは……美術室?」
「そっ。キミがここでアリッサと話してる時も、実は監視してたんだよ。アーソルド……今上で時間稼ぎしてるあいつがね。そんで、無事にキミが屋上に逃げて来たのを確認してから、窓の外から屋上の貯水タンクの上まで上がってきたって訳」
一応説明をするが、蒼井千隼は納得し難いといった表情だ。
「屋上まで外から上がってくる? それって、外から壁をよじ登ってきたってこと?」
「ん、そゆこと」
「そんなことが出来るって、あんた等はーー」
言及をしようとする彼を、「まあ、説明は後でね」と嗜める。
「取り敢えず、私達はキミの味方ってことだから。完全に信じられなくても、少なくともあのイカレ天使よりは信用できるでしょ」
蒼井千隼が渋々頷くのを確認して、次の行動に移る。舟の場所の目印は、大きな城の絵。その目の前に立ち、詠唱を開始する。
「よし。んじゃ、始めますか。――“玖の称号を以て命ずる。出でよ、死神の舟”」
私の呪文に反応して、空間が少しずつ歪み始める。壁部分がぐにゃりと歪曲し、ぽっかりと黒い穴ができた。その闇の中には、一隻の舟が停泊している。
「さってとー、これで良いね。千隼クン、乗って。あ、闇の中に落ちないようにね。落ちたら永遠に闇の中を迷子だから」
そう促すと、蒼井千隼は特に文句を言わず、床に落ちていたバッグと机上の絵を持って乗ってくれた。どうやら、不思議な現象に慣れつつあるらしい。
彼が乗ってから、私も舟に足を掛けた。後はアーソルドを待つのみとなる。
本当なら、蒼井千隼を無事保護した後、舟でアーソルドを迎えに来ても良いのだけれど、事前に打ち合わせしていないし、今の所アーソルドと連絡をする術はない。アホの子であるアーソルドは私が舟を出しなどすれば、置いてかれた、帰れない、と混乱するに違いないので、下手に動けないのだ。
もしこれがアーソルドではなく、陛下とのタッグなら、もっと意思の疎通が図れるのだけれど。
……いや、事実だけど、それもそれで嫌だな。何か、私が陛下と仲いいみたいじゃん。何それキモチワルイ。
陛下大好きー、ムカデの次ぐらいには好きー、と心の中で陛下を貶していると、ふと、蒼井千隼が持っていた絵が目に止まった。
「んー?それ、千隼クンが描いたの?」
「……そうだけど」
鉛筆の濃淡のみで描かれているのは、誰かの後ろ姿。いや、誰かというかこれは、
「うっわー……陛下に激似」
いっそ笑える程に陛下とそっくりだった。
「うーん、私、この絵好きじゃないかもなー」
上手だけれど、陛下に似てるし。
それにしても似ている、陛下をモデルにしたのでは、と考えていると、横からくすりと笑いが漏れた。
見ると、蒼井千隼は「好きじゃない」と言われてたというのに、やけに嬉しそうに笑んでいた。無表情と引き攣り強張った顔しか見ていなかったし、大人っぽい表情をする奴だと思っていたけれど、笑うと結構可愛い顔をしている。
「うん、俺もこの絵、好きじゃないんだ。というか、自分の描く絵が好きじゃない。いつも俺がこう言うとみんな、そんなことない、私は好きだって、上辺だけで褒めるんだ。貴女みたいにはっきり言ってくれた人、初めて」
「好きじゃないって言われて喜ぶの、キミ。変わってんねー」
まだ嬉しそうにしている蒼井千隼をしげしげと眺めていると、カタ、と小さな物音が聞こえた。
物音が聞こえた方向、入り口方向に視線をやると、そこには疲れ顔のアーソルドが立っている。
「お帰り、遅かったね、アーソルド。んじゃ、帰りますかー」
「お、遅かったって……アリッサさんてば超手強かったんすよお……」
「あは。冗談だって、ご苦労様。アリッサが強いのは知ってるよ。でも、二対一の戦いだったからね、最初から結果は分かってたようなもんでしょ。さっ、アリッサが来ないうちに舟出すよ。勿論、アーソルドが漕いでね」
笑顔でオールを差し出せば、「かざり先輩ってオレのこと虐めるの結構好きっすよね……」という返答が帰ってきた。
失礼な。人をサディストみたいに言うでない。どちらかと言うと、私がSなのではなく、アーソルドが『苛めるとイイ感じにキョドるけど天然入ってるから苛めても罪悪感を感じない』、という苛めやすい性格をしているのだ。
よって私に罪はない。私ジャスティス。




