03 煽られる
さきほどまで騒がしかった空気が嘘みたいに凍りつき、誰も彼も「今なんて言った?」という顔でこちらを見ている。
私はというと、突然現れた大型肉食獣系美形男子から「星が選んだ俺の伴侶」と宣言された現状を脳内で処理しきれず、とりあえず「今なんて言った?????」という極めて率直な感想だけを抱えて固まっていた。
少なくとも私は七年前、おばば様の厳粛極まりない星読みと両家の協議と各種手続きの果てに正式に婚約へ至ったはずであり、突然現れた他国の御曹司に「はい君俺の運命ね!」と指差される筋合いはない。ないのだが。
「えっ……? 伴侶って言った?」
「え、でも永露さんって水筑さまと婚約してるよね」
「いやいやいや……」
ざわざわと困惑が広がっていく。
そんな中、当の本人だけが驚くほど堂々と晴れやかな顔をしていた。
「えぇと……どちら様でしょうか……?」
一応、もしかしたら、灯賀の次期斎祀などというややこしい立場の人とは無関係かもしれない。まず確認だ。確認から始めよう。
恐る恐る尋ねると、目の前の男子生徒は衝撃を受けたような顔をした。
「覚えてないのか!?」
「えっ、顔見知り前提なんです!?」
会っていないはずだが。
彼は「なるほど、記憶が抜けているのか……」と妙に深刻そうな顔で顎へ手を当てている。
そうしてずい、と顔を近づけてきた。
髪は朝日みたいに鮮やかで、金の瞳は獲物を見つけた猛獣じみた熱を宿している。距離が近い。圧が強い。あと顔が良い。
いや顔が良いな!?
「灯賀の護家、火能家の煉弥だ。幼い頃、この国に訪問して、家に滞在した時に話をした」
「あ〜」
それは斎祀候補の挙動だな……。
斎祀候補や名家関係者は幼少期から交流があるし、各国の要人が滞在することも珍しくない。
幼い頃の私は今以上にぼんやりしていたので、記憶に残っていない可能性も十分ある。
納得しかけたところで、彼は真っ直ぐ私を見た。
「運命的な出会いだった」
「はぁ……」
「だからオレはお前をずっと探して──」
「失礼」
声と同時に、すっと誰かが私の背後に立つ。
触れそうなほど近い距離に、いつの間にか汐凪がいた。
右の肩にそっと手を置かれ、柔らかな体温が制服越しにじわりと伝わる。
私が顔を向けると、彼は私ではなく目の前の煉弥を静かに見ていた。穏やかな顔をしている。にこやかと言ってもいい。
ただし、目は笑っていない。
視線を向けられた煉弥も、怯む様子はなかった。「来たか」みたいな顔をして、汐凪を正面から見返している。
「次期水斎祀」
「灯賀の次期斎祀が、随分と大胆な挨拶をするんだね」
互いに值踏みするような間があって、それから口を開く。
「挨拶ではない。確認だ」
「確認?」
「オレの星は、彼女を伴侶だと示した」
ぴくりと汐凪の眉が動いた。
名家にはそれぞれ専属の占星術師がいる。家の繁栄に度々貢献してきた由緒ある務めだ。儀式の日程や縁談、岐路に立った時の方向性を、彼らの星読みによって決めることも多い。
確かに占星術はあくまで占いで、確実な未来を示すものではない。
とはいえ。
「……我が家の星読みが間違いで、国外である君の星が合っているとでも?」
「そ、そうだそうだー」
私は拳を上げて同意した。勢いだけの援護だったが、気持ちは込めた。
占星術とは、街角の占い師が曖昧な笑顔で「お二人は相性が良いですね」と告げるような類のものではない。
星の運行だけでなく、その土地に流れる地脈、積み重ねられた歴史や文化、そこに根付く血筋の変遷までも丹念に読み解きながら未来の可能性を探る、膨大な知識と経験を要する学問であり技術だった。
だからこそ名家専属の占星術師という人々は、遥か先祖の時代から代々その家に仕え続けてきた。
同じ水を飲み、同じ地を踏み、その家の栄華も衰退も見届けながら、長い時間をかけて“家そのもの”を知り尽くしていく。
どれほど優れた術士であっても遠国の事情を完全に把握することは難しく、逆に一つの家に長く仕え続けた者ほど、その家特有の流れや癖を深く理解できる。
つまり、遠く離れた隣国の占星術師が出した彼と私の縁よりも、うちのおばば様が出した私たちの結果の方がより近く、より確度が高いのだ。
「条件で言えば、我ら護家の祖先は原初の斎祀の五人の子どもたちだろう。血を辿れば道の始まりは同じだ。うちの占星術師も、当時から連なる一族だぞ」
煉弥の言葉に、私は脳裏へと遠い昔から語り継がれてきた神話めいた歴史を思い浮かべる。
今でこそ五つの国にそれぞれ斎祀が立ち、各々の神獣と契約して神域を守護しているが、神獣が初めてこの大陸へ降り立った時代、その役目を担った斎祀はただ一人だけだった。
そして原初の斎祀から生まれた五人の子どもがそれぞれ五行を宿し、後に五家へと分かれて各地の神獣を支える礎となった。
現在神獣と神域を管理している、護家の祖はその子ども達。
つまり、血を辿れば汐凪と煉弥、さらには水筑の分家に連なる私でさえ、遥かな過去の同じ一点へ辿り着くことになる。
その時代から火能に仕え、その道を辿ってきた占星術師にとっては、その先に連なる私のような枝葉の木の葉の一枚でも”縁”があるといえば、まあそうなのだが。
とはいえ。
「そんな遥か昔の条件だけ辿った星で納得させられるとでも?」
静かだった声音にわずかな熱が混じり、汐凪はすっと目を細めた。
その言葉に押されるようにして、私も慌てて思考を巡らせる。
「そ、そう、それに、私金気ですし、貴方は火でしょう? 相剋じゃないですか」
我ながら良い援護だと思った。
それぞれが持つ五行の気には相性というものがある。
互いを生かす相生と、互いを打ち消す相剋。
火と金は後者に当たる。付け加えるなら水と金は相生だ。
神獣を支える立場の斎祀の霊力を増幅させる気の相性は、斎祀の縁談において大事な要素だ。
しかし、相手は怯まなかった。
「そうだな。お前たちの言う通り、理屈の上ではそうだろう」
目を細め、獰猛さすら感じる笑みを浮かべる。
それからはっきりと言った。
「だがそんなものはどうでもいい」
その言い様に、周囲がざわりと波立つ。
「実際、星読みの結果など、家を納得させるために名指しで出させたものだ。最善でなくとも最良であれば充分」
先ほどまで揺るがぬ根拠のように扱ってきたものを、突然翻される。
つまり、『煉弥にとって最も善い伴侶』と占ったのではなく、最初から「彼女が良い」という前提が存在し、『煉弥と私の相性:わりとヨシ』という周囲を説得できる程度の結果を求めた、ということらしい。
答えを先に決め、その裏付けとして星読みを利用したと。
なんというか、豪快である。
「相性もそうだ。わざわざ相生でなくとも、オレの絶対的な実力を前に影響はない!」
胸を張って言い切る姿には謎の清々しさすらあった。
少なくとも自信だけは本物なのだろう。煉弥の声音にも態度にも一切の迷いがなく、長年強者として扱われてきた人間特有の、己の力量に対する絶対的な確信が滲み出ていた。
「オレはオレの力で火を御す。伴侶との相性で出力が変わる程度の未熟者ではない」
その瞬間、肌がひりつくような熱気が空気へ滲んだ気がした。
実際に術を発動したわけではない。それでも、周囲の者たちが無意識に息を詰めたあたり、煉弥の霊力がどれほど濃く荒々しいものかは明白だった。
あちち、と思ったら、ふと頬を撫でるような涼やかな気配が広がった。
汐凪の霊力だ。静かな水面を思わせる清冽な気配が穏やかに浸透していき、肌へ張り付いていた熱が少しずつ和らいでいく。
右肩に置かれた彼の手を見ると、霊力に反応して光る蒼い線が走っている。ちろりと煉弥の左手に視線をやると、彼のそこにも朱の光が。あれは斎祀に選ばれた際に神獣から与えられるといわれている聖紋だ。
煉弥と対峙する汐凪は、一歩も退かない。
その眼差しは静かに細められ、冷えた水底のような落ち着きを宿したまま、煉弥を見据えている。
「君がどれほど自信を持とうと、依玖には既に俺という婚約者がいる」
「知っている」
「なら諦めるべきだろう」
「なぜ?」
即答である。
「まだ"婚約"だろう。なら奪えばいい」
思考回路が肉食獣すぎる。
「君は随分と独善的だね」
「お前は随分と余裕ぶる」
ぴり、と空気が鳴る。
熱を孕んだ火気と、冷たく澄んだ水気が空間の中央でせめぎ合うたび、教室の空気が微かに揺らぎ、周囲にいた生徒たちも完全に巻き込まれ事故を警戒する顔になっていた。
「……あのー」
恐る恐る口を挟んでみる。
誰も聞いていなかった。知ってた。
「少なくともオレは、力もないくせに相性だけに縋るつもりはない」
煉弥の物言いに私は内心で顔を引き攣らせる。
「神獣を支えるのは結局、術者本人の力量だ。相性に頼らねば維持できない程度なら、その時点で未熟ということだろう」
「灯賀では随分と豪快な教育をするんだね。他者との調和を軽んじ、自分一人の力だけで全てを成立させる、と」
「誰と調和するかはオレが決める。その結果が彼女だ」
急に会話へ巻き込まないでほしい。
「君は、依玖の意思より自分の確信を優先するんだな」
「違うな。本人が理解していないだけだ」
「えぇ……」
あまりにも迷いのない返答に、思わず声が漏れた。
すると煉弥はそんな私の反応すら愉快そうに眺めながら、にっと口角を吊り上げる。
「安心しろ。すぐ思い出させ、オレに惚れさせてやる」
「えぇ……」
不意に、水気の圧力が増す。
澄み切った深水のような霊力が空間へ満ち、先ほどまで荒々しく揺らいでいた熱を押し返していく様子に、周囲の生徒たちも完全に息を呑んでいた。
「これ以上、俺の婚約者を困らせないでもらえるかな」
声の温度は穏やかなままだ。ただその穏やかさの底に、取りつく島もない冷たさが横たわっていた。深い水の底みたいな、光の届かない静けさ。
しかし煉弥はその冷えた威圧感すら真正面から受け止めると、むしろ嬉しそうに笑みを深める。
「なら証明しろ」
汐凪は一拍だけ間を置いた。
それから、ふ、と小さく息を吐く。呆れとも、決意ともつかない吐息。
「君がそこまで言うなら、少し確かめようか」
対する煉弥は待っていましたと言わんばかりに笑みを深めると、迷いなく言い放った。
「表に出ろ」




