第1話 夏休み開始、最悪な夢と最悪な現実
夏休みが始まったばかりの頃――。
田中ヒロトは、だらしなくベッドの上で眠りながら、愛してやまないゲーム兼ライトノベル作品の推しキャラクター、《シルヴィア・スターライト》の夢を見ていた。
『ひ、ヒロト様……そんなに見ないでください……』
身体のラインを強調するぴっちりとした衣装を身にまとい、胸元を片手で隠しながら恥ずかしそうに頬を赤らめるシルヴィア。
ヒロトはニヤけた顔で彼女を見つめながら、指を怪しく動かしていた。
「なんて可愛いんだ……シルヴィア……」
――ピピピピピッ!!
「ひぇっ!?」
突然鳴り響いた電子音に、ヒロトは肩を震わせる。
再びシルヴィアへ視線を向けると――そこには、なぜか醜悪なモンスターが立っていた。
『グォオオオオ!!』
「うわああああああっ!!」
悲鳴と同時にベッドから転げ落ち、ヒロトは勢いよく目を覚ました。
耳障りな目覚まし時計の音だけが部屋に響いている。
「……ちっ、夢かよ」
ヒロトの住む部屋は、二つの寝室と小さなリビング、キッチン、浴室だけの質素なアパートだった。
彼の部屋には、お気に入りのライトノベル全巻と、不人気でクソゲー扱いされている古いゲームソフトが山のように積まれている。
時計を見た瞬間、ヒロトは飛び上がった。
「やっべぇぇぇぇ!! バイト遅刻する!!」
そこからは地獄だった。
部屋中を走り回りながら、トーストをトースターに放り込み、顔を雑に洗い、ズボンとシャツを同時に着ようとして盛大にもつれる。
「いてっ!?」
スマホが床に落下した。
「さらに時間ロスしたぁぁ!」
半泣きになりながら服を着込み、焼けたトーストをくわえ、コートを羽織って部屋を飛び出す。
玄関を乱暴に閉め、エレベーターへ駆け込みながら髪を手ぐしで整えた。
そのまま自転車へ飛び乗り、全力疾走。
「また遅れたら今度こそクビだぁぁぁ!!」
十分後――。
息を切らしながら、なんとかバイト先へ到着する。
当然のように、店長の怒声が飛んできた。
「田中くん! また遅刻か!!」
「す、すみません!! 本当にすみません!!」
ヒロトは何度も頭を下げ続ける。
店長は額を押さえながら深いため息を吐いた。
「次はないからな。わかったか?」
「はいっ!!」
そうしてヒロトは急いで制服へ着替え、仕事に入った。
彼のバイト先はラーメン屋。
ホール担当として、客の注文を取ったり料理を運んだりしている。
昼時になり、店は徐々に混み始めていた。
そんな中――。
「よう、ヒロ」
軽い声と共に、一人の青年が店へ入ってきた。
白く輝く髪。
整った顔立ち。
まるでモデルのようなイケメンだった。
ヒロトは顔を上げる。
「あ……ユウト。お前、何してんだよ」
「何って、飯食いに来たに決まってんだろ?」
ユウトが笑うと、店内の女子客たちがざわつき始めた。
「え、なにあの人……超イケメンじゃない?」
「モデルさんとか?」
ヒロトは露骨に嫌そうな顔をする。
「ちっ……相変わらず目立つ奴だな、中学の頃から」
「おいおい、ひでぇなぁ。せっかく友達が会いに来たのに」
「はいはい。で、注文は?」
「普通のラーメン。辛めで、卵追加」
「了解」
注文を書きながら、ユウトは店内を見回した。
「へぇ、結構うまそうじゃん」
「当然。この辺じゃ一番だからな」
「へぇ〜」
ユウトはニヤニヤしながらヒロトを見る。
「なぁ、仕事終わった後ヒマ?」
「なんで?」
「卒業してから全然遊んでないだろ。ちょっと飲みに行こうぜ」
「無理。今日は大事な予定ある」
「デート?」
「違ぇよ。ゲーム進めるんだよ」
ユウトは呆れたように笑った。
「お前……あのゲームまだやってんのか? 三十周以上してるだろ」
「神ゲーだから問題ない」
「いや問題あるだろ……。頼むって、ちょっとだけ。飲み一杯だけでいいから」
「……はぁ。わかったよ。だから泣き真似すんな」
「よっしゃ!」
ラーメンを食べ終えたユウトは席を立つ。
「じゃ、外で待ってるわ。あとでな」
「おう」
ユウトが店を出ていくと、女子客や女性店員たちの視線が彼を追いかけていた。
すると、同僚の女性店員がヒロトへ近づいてくる。
「ねぇ、田中さん。あのイケメンの人と知り合いなんですか?」
「……は?」
「よかったら紹介してくれません?」
ヒロトは一歩後ずさった。
(くそっ……まただよ。あいつはすぐ女の注目集めやがる……。なんで俺には一人も寄ってこねぇんだよ……!)
そして彼は、真顔で嘘をついた。
「あー、ユウト? あいつ最低ですよ」
「えっ?」
「彼女七人いるし、浮気しまくりだし」
「えぇぇ……最低……。教えてくれてありがとうございます」
「どういたしまして」
ヒロトは心の中でガッツポーズを決めた。
(よし、任務完了)
だが次の瞬間――。
「田中くん!! サボってないで働けぇぇぇ!!」
店長の怒鳴り声が飛んできた。
「は、はいぃっ!!」
ヒロトは顔をしかめる。
「……ほんとウザいな、この店長」
そう呟きながら、再び仕事へ戻っていった。




