第65話後編 六大魔殿
「ーーーこの魔力は!!?」
セレノアは大声を出していた。
気を失っているカインを砦内に降ろした直後、唐突に感じた‥‥‥果てしない魔力。
(それにこの方角は‥‥‥っ!!!)
セレノアは勢いよく走り出した。周囲の兵士たちに止められようとも、振り払ってマルタ砦を出ていく。
(シレーナさんッ‥‥‥!!!)
セレノアは心の中で叫んでいた。
自分にいつも意地悪で‥‥‥気にかけてくれる先輩を。周囲の戦闘状況は、目に入らなかった。ただひたすら、最短距離で異質な魔力反応へと走る。
そして‥‥‥ついにその地点へ近づく。視界に広がる平原に、2人の姿。その内の1人は、セレノアが探していた相手。
「シレーナさんっ!!!!」
セレノアは大声で叫んでいた。微かに膝を曲げて、脱力しているような、黒髪の少女。セレノアの声が届いたのか、目が合う。そして、彼女の口が不自然に動いた。
『に‥‥‥げ‥‥‥て』
その直後ーーー夥しい量の血が身体から飛び散る。まるで身体から力が逃げたように、彼女はガクンと脱力して倒れ込む。昏倒した彼女を中心に、赤い血溜まりが平原に広がっていく。
「は‥‥‥??」
セレノアは素っ頓狂な声を漏らしていた。自分の目に映る光景を、無意識に拒絶する。夢なら覚めてくれと、突拍子もない事が頭をよぎるほど錯乱していた。
ーーージクっ。
ひどく、痛む。だが、その痛みはどこから来ているか分からない。いつものように左肩か、それとも精神的なものか。
ジクッ、ジクッ、ジクッ!!!
激しい痛みが、心臓のように鼓動する。
身体が何かを訴えているように、感じられる。
「人間の子供にしては、なかなかの魔力総量だな」
魔族の、いや大魔族の男が淡々と呟く。その声が、セレノアの心を刺激する。これが夢ではないと、当たり前の事を認識させる。
「ーーーお前が」
セレノアは目を迸らせながら突進し、無我夢中で右拳を振り抜く。大魔族グレイザーラは、わざとその一撃を頬で受けた。
「お前がッ!!」
セレノアは湧き上がる感情を全て拳に乗せ、全力で振り抜いた。だが、グレイザーラは微塵も動かない。
「ふむ。なかなか良い拳打だ。魔力総量からも頷ける魔力出力、それを活かした魔力による強化術。人間の子どもがここまで無属性を扱うとは」
彼は感心したように呟きながら、淡々と見下ろしている。その態度が、セレノアを奮起させる。
「ゔぁァァァァッ!!!」
セレノアは声を荒げながら左の拳を鳩尾に当てーーー右、左と全力の殴打を続けていく。
「お前はっ、いったい何なんだッ!!?」
まるで駄々を捏ねる子供のように、大声で感情ぶちまけて拳を振るう。
「何のために侵略してきたっ!?」
セレノアは無我夢中で叫び、乱打の手を止めない。抵抗せずに殴られ続けているグレイザーラは、無表情で口を開く。
「ただの暇つぶしだ」
それは、セレノアを戦慄させるには充分すぎる言葉だった。本当にそんな理由で、シレーナを傷付けたというのか。
セレノアは無意識に目を見開き、身体が硬直する。
「この状況で動揺するのは、死と同義だぞ」
グレイザーラが残念そうに息を吐き、右手を振り抜く。セレノアは反射的に、魔力で強化した両腕を交差する。真っ向から、グレイザーラの右拳を待ち構える。
「ーーーーーー」
すると、セレノアの両腕が強風に晒された紙切れのように、勢いよく後ろへ伸びた。
かろうじて両腕は千切れていないが、吹き飛んだと勘違いするほどの衝撃だった。両腕の大部分が瞬く間に鬱血し、脳が危険信号を発している。
当然、その衝撃を身体で受けたらどうなるか。まるで大砲のように吹き飛ばされ、地面を何度も横転する。
「ゔっ‥‥‥ぁ」
もはや、セレノアは碌に声を出す事もできなかった。あまりにも重い一撃に、全身の感覚が麻痺している。うつ伏せに倒れたまま、まるで四肢が全て無くなったのかと勘違いするほどだった。
「シレーナ、さん‥‥‥」
偶然にも‥‥‥ セレノアがうつ伏せに倒れた近くに、彼女がいる。横向きに寝転がり、血溜まりの中で眠っているように見える彼女が。
「っ‥‥‥」
そして何より、彼女の右腕が棒のように独立して落ちている。右肩の断面からは絞り出されるように、体内の血がチョロチョロと漏れ出ている。
「よく耐えた。さっきの気迫に咄嗟の反応。今殺してしまうのは惜しい気がするな」
グレイザーラは歩き出し、動けないセレノアへと近づいていく。もはや、倒れたシレーナの事は眼中に無いようだった。
「だからこそ、さっき動揺したのは勿体無い。暇を弄ぶことは誰にだってあるだろう」
グレイザーラが一方的に話を進める。セレノアは必死に立ちあがろうとするが、両腕は不自然に震えるだけ。両足にも碌に力が入らない。
「まあ、少しだけ待ってやる。どうやら少しは楽しめそうだからな」
グレイザーラはそう呟いた瞬間ーーー背後へ手を伸ばして何かを受け止める。
「っ!!!」
「良い剣筋だ。さっきまで子どもの相手ばかりで、少し飽きてきた所なんだ」
グレイザーラに奇襲をかけたのは‥‥‥茶髪の青年。
「‥‥‥ぁ」
セレノアは目を見開いて口をパクパクさせるが、碌に声も出せない。
ーーージクっ。
痛みが、体内から何かを訴えてくる。
「ーーーバンギネスっ!!」
「ウォォッッ!!!!」
するとグレイザーラの死角から迫った大男が、両手で持った盾で背中を押し飛ばす。グレイザーラは体勢を崩し、隙が生まれる。
「ッ!!」
その瞬間、茶髪の青年が剣で素早く切り付ける。だが薄皮1枚ほどしか切れていない。
「良い剣だ。咄嗟に魔力を纏わせてなければ、致命傷を受けてたかもな」
「〜〜〜ッ!!」
青年は歯を食いしばりながら、咄嗟にグレイザーラの脇腹を蹴飛ばした。
「「フィーア!!!」」
2人の声が同時に重なり、グレイザーラが後方に吹き飛んだ瞬間。
「【水槍】!!」
黒髪女性の杖から5本の水の槍が放出され、グレイザーラの身体に衝突して弾けた。魔術の余波で、周辺に土煙が上がる。
ーーージクッ、ジクッ!!
セレノアは体内の痛みに歯を食いしばりながら、彼らの戦闘を傍観する。
「2人とも大丈夫!?」
すると黒髪女性が足早に近づいてきて、しゃがみ込んだ。彼女は目を見開いて確認する。
満身創痍で動けないセレノアと、右腕が転げ落ちている血塗れのシレーナを。
「【治癒】!!」
女性は先に、重傷のシレーナへ杖をかざして魔術を発動させた。少しずつ、彼女の傷が癒えていく。
「‥‥‥ごめんなさい。私の治癒魔術は、誰でも使えるような初級で精一杯。でも、何もしないよりはマシだと思うから!」
黒髪女性はシレーナの右腕の断面を肩にくっつけ、集中的に「【ヒール】」と詠唱する。
『ーーー怪我には本当に気を付けてね。私の治癒魔術は、まだ重傷を癒すことはできない練度だから』
「っ‥‥‥」
今の彼女を見て、懐かしい記憶が蘇る。
ーーージクッ、ジクッ、ジクッ!!
だが体内の痛みに、思考を激しく乱される。
「フィーア‥‥‥さんっ」
セレノアは無意識に、黒髪女性の名前を呼んでいた。自分たちに寄り添ってくれる彼女に、感謝の気持ちが溢れ出す。
「! やっぱり‥‥‥あなたは」
フィーアは目を見開いた後、待ち焦がれた瞬間だったように微笑む。
セレノアも、懐かしむように穏やかに笑う。
「今日はーーーぶッッ」
フィーアの身体が、くの字に折れ曲がった。
「え‥‥‥?」
セレノアは限界まで目を見開く。その光景が、セレノアにとっては永遠に感じられた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
吹き飛ばされたフィーアは何度も横転し、やがて横向きに倒れる。セレノアと目が合った彼女は、一言も発さない。
光を失った虚な瞳は、まるで命が宿っていないように感じられる。
「フィーア、さん‥‥‥?」
セレノアは息をするのも忘れ、うつ伏せのまま顔を上げて声を漏らす。唇が震える。寒くも無いのに歯がガチガチと鳴る。今を受け入れたくなくて、視界が揺れる。
ーーージクッ、ジクジクジクッ!!!
痛みが激しさを増していく。
だがセレノアは意に介さず、動かない彼女を呆然と見つめ続ける。
「戦いの最中に隙を見せる奴が悪い。しかも和気藹々と会話を始めるとはな」
響いてくるのは、大魔族グレイザーラの声のみ。そして、彼の近くには2人が倒れている。
ーーージクジクジクジクッ!!!
「バンギネス、さん‥‥‥?」
坊主頭の大男は、まるでひれ伏したかのようにうつ伏せに倒れ込んでいる。血が身体を包み込むように、だらだらと流れる。
「ノール、さん」
茶髪の青年は、無造作に仰向けに倒れていた。右腕が横に伸び切っていて左膝を立てているのが、あまりにも不自然だった。
「連携は取れていたが、それだけだ」
ジクジクジクジクジクジクジクッ!!!!
体内の痛みが際限無く増えてーーー振り切れた。
まるで今だけは、時が止まったようだった。
「‥‥‥ふざけんな」
セレノアは立ち上がる。
これまでの疲労や鋭い痛みは、今の冷え切った身体には、不思議と何も感じられない。
ふらりと首を揺らすと、両目からは今までに無いほどの深淵を覗かせていた。
「! お前、その魔力はまさかーーー」
グレイザーラが目を見開いて声を漏らす。
そして、セレノアは全く話を聞いていなかった。
「‥‥‥殺すッ」
ただ湧き上がる衝動に身を委ね、魔力を溢れさせる。足元から地面に浸透するように‥‥‥黒い魔力が滲み出す。
「希少属性‥‥‥!! まさかこんな辺境で巡り逢えるとはーーー」
セレノアは間髪入れずに、何か呟く彼を勢いよく殴り付けていた。
今だけは‥‥‥なんでもできる気がした。




