勇者の隣
数日後、孤児院。
「よし、できたぁ!」
セリカが笑顔で‥‥‥本の栞を掲げる。
「綺麗‥‥‥」
それは‥‥‥青薔薇の押し花で作られた、本の栞。
「見て見てアベル〜!」
セリカが青薔薇の栞を持って、笑顔で駆け寄る。だが彼女はすぐに目を見開き、頬を膨らませていた。
「ーーー動いたらダメっ!! 安静にしてないと!」
「大丈夫だって。セリカがちゃんと手当してくれたからさ」
アベルは苦笑いを浮かべ、嗜めてくる彼女に言葉を返す。
数日前の怪我により、アベルの左腕は包帯でぐるぐる巻きに固定されている。それを考慮して、袖の短い服を着ているほどだった。
「跡が残らなければいいんだけど‥‥‥これ以上、傷跡が増えませんように」
セリカが視線を落とし、小声で呟く。彼女の視線は‥‥‥アベルの左肩に向けられていた。
「あ、これのこと?」
アベルの左肩には‥‥‥何かで切られたような傷痕が残っている。
「そんな気にしなくていいって。この肩の傷痕、いつ出来たか覚えてないんだし」
アベルは一切気にしていなかった。
覚えていないくらいの怪我なら、大した事はないと思っていた。
「‥‥‥覚えて、ないの?」
すると、セリカが小声で慎重に呟く。何かを探るような、視線を向けられる。
「? セリカ?」
「っ、ううん、何でもない。痛かった記憶なんて無い方がいいもんね!」
「うん、セリカの言う通りだね」
アベルは励ますように呟き、彼女の手のひらを優しく握った。
「‥‥‥セリカが傷付かなくて、本当によかった。女の子なんだから、もっと色んな服を着れないと勿体無いよね」
「私、別に服にこだわり無いよ‥‥‥?」
遠慮がちに話す彼女に対し、アベルは思わず苦笑いを浮かべる。
「ごめん、無理して着飾らなくてもいい。セリカはいつも可愛いから、つい色んな姿が見たかっただけ」
「アベル‥‥‥」
セリカが目を見開き、次第に頬が紅潮していく。
アベルは素直な気持ちを伝え、満足そうに彼女を見つめていた。
「‥‥‥責任取ってよ?」
「へ?」
だが、ここでアベルは素っ頓狂な声を漏らした。
頬を赤く染めて見つめてくるセリカ。
アベルは、理解が出来てない感情が昂っていく。
「大きくなって、自分の力で生活できるようになったら‥‥‥色んな服を着てあげる。アベルには、私に似合う素敵な服を選んでもらうから」
「‥‥‥うん。喜んで」
アベルは笑顔で即答する。むしろ、自分から頼みたいくらいだった。
それを見たセリカが少し息を詰まらせながら、上目遣いになる。
「‥‥‥絶対、だよ?」
「わかってるって」
「‥‥‥約束、だからね」
「うん」
アベルは即座に頷くと、セリカが小指を向けてくる。
「‥‥‥昨日もやったのに?」
「いいじゃんっ、何回やっても!」
彼女の笑顔に促され、アベルは小指を差し出す。
「ーーー何があっても」
「ーーー離れ離れになっても」
アベル、セリカと交互に呟き、そして小指を。
ーーーダン、ダン、ダン!!
すると突然、孤児院の扉に衝撃が走る。
外側から強く叩かれ、聞きなれない音が響く。
「な、なに急に」
「セリカっ」
アベルは咄嗟に、不安げに扉を見つめるセリカを背中に回し、少しずつ下がらせる。
ーーーダァンッ!!
やがて扉が勢いよく開かれると、中に入ってきたのは‥‥‥2人の男。どちらも、白を基調とした服を着ている。
(なんの服だ‥‥‥?)
だが世間を知らないアベルには、それが何を意味するか分からない。
「‥‥‥間違いない。あの子だ」
「すごい魔力。こりゃあ本物だなぁ」
男たちが、一点を見つめながら何かを話し合う。
アベルはその間も警戒を解かずに、後ろのセリカを守ろうと必死だった。
「ーーー驚かせてすまない。私たちは、アストリア王国騎士団の者だ。ここの経営者にも既に多額の金品を納めて、話は通している」
「金品‥‥‥? 納めた‥‥‥?」
男が淡々と話し始めると、アベルは更に警戒を強める。後ろのセリカを守るべく、無意識に。
騎士団という存在は分かっていないが、只事では無い事をアベルは本能で悟っていた。
「ーーーセリカ・アストリア様」
「‥‥‥ぇっ?」
「あなたはアストリア国王陛下の、側室の御子。更に勇者の血筋であると判明しました」
話されたのは、あまりにも突拍子の無い話。
「っ‥‥‥」
セリカが息を漏らし、アベルの背中に強く抱き着く。彼女の両手が、酷く震えている。
「よって、お迎えに上がりました。これからはこんな劣悪な環境ではなく、何一つ不自由なく幸せに暮らせるのです」
男の言葉は、アベルにとって‥‥‥あまりにも聞き入れ難いものだった。
「15歳になれば、アストリア王立学院に入学できます。多くの事を学び、セリカ様は幸せにーーー」
「っ!!」
するとセリカが、アベルの背中をいっそう強く抱きしめる。離れたくないと、態度で分かる。
「いやっ!! 絶対に行かない!!!」
やがてセリカが、大声を出していた。
そして縋り付くように、アベルの背中に頭をくっ付ける。
「王家の血なんて知らない!! 勇者なんて知らないッ!! 今の暮らしが私にとって、何よりも幸せなの!!」
セリカの言葉を聞き、アベルの気持ちは定まった。
「‥‥‥セリカはこう言ってる」
絶対に、セリカを守るという決意を固める。
「帰ってくれ。セリカは行きたくないそうだ」
アベルは右手で彼女の頭を優しく撫で、キッと男たちを睨み付ける。体格が二回りも違う大人に、少しも躊躇しない。
彼女を守るためなら、誰にだろうが噛み付いて見せる。
「‥‥‥なるほど。泣ける話だねぇ」
「ーーーお前、セリカ様から離れろ。さもないと、痛い目に遭うぞ」
すると、片方の男の態度が一変。
セリカに向けるものとは違う、冷たい視線。
「そんな事で引き下がるほど、ぼくの気持ちは軽くないッ!!」
「アベルっ‥‥‥!」
アベルは声を荒げて、2人の男を更に睨み付ける。
まるで、『セリカを怖がらせるな』と言わんばかりに。
「ーーー軽いよ。子供の我儘なんてものは、根拠も無く鬱陶しいだけだ」
「っ!?」
1人が床を蹴って突進し、アベルたちに近付く。その姿を、アベルは目で追えなかった。
「ーーーがっ!?」
「アベルっ!!」
突然、アベルの身体が宙に浮く。セリカの手が離れていき、視界の上下が反転していた。
アベルは、勢いよく蹴り上げられたのだ。
「気安く王女様に触れるな。孤児の分際で」
背後で男の声が聞こえた瞬間‥‥‥アベルは腹を蹴飛ばされていた。
「ぐぁっ!!?」
呻き声を漏らしながら扉の外まで吹き飛び、地面を何度も転がる。子供と大人‥‥‥まさに雲泥の差がある。
「く、そっ‥‥‥」
溢れる唾液と、零れる血。
アベルは必死に右手の力を振り絞り、うつ伏せの状態から立ちあがろうとする。
「魔力も碌に扱えない奴が、大口を叩くな」
扉から外へ出た男が、そんなことを呟く。
「ま、りょく‥‥‥?」
アベルは腹を押さえながら、男を睨み付ける。
「セリカ様を見てみろ。とんでもない魔力反応だ。まさに勇者の血筋。孤児のお前はもちろん、王国騎士の俺たちとも次元が違う」
男が淡々と話す。
アベルは家の中から駆け寄ってくる、セリカを見つめる。
(もしかして、セリカが化け物を倒した時から感じる‥‥‥あれのことか)
セリカの全身から湧き立つ、謎の気配。アベルが直感で怖いと感じてしまった、異質なもの。
「セリカ様が魔力で身体を強化したら、こんな孤児院はデコピンだけで破壊できるだろうな」
そして、それは自分を押さえ付ける男の全身からも感じられる。
「諦めろ。お前が何度生まれ変わっても、セリカ様とは釣り合わない」
「いや、だ‥‥‥!!」
そんな言葉に、アベルは反射的に首を横に振る。四つん這いの状態で、必死に両手足に力を込める。
「我儘な子どもは嫌われるぞ?」
「うぎッ‥‥‥!?」
するとアベルは右腕を掴まれ、そのまま地面にねじ伏せられてしまう。
「正直、無駄な殺しはしたくないが」
そして、アベルは首筋に剣を突き付けられた。
怪我をした左腕は今も布で固定しているため、アベルは身動きが取れない。
「くそっ、放せッ!!!」
アベルは怒りを込めて、右腕を掴んでくる男を睨み付ける。
「やめてっ!!!」
アベルの耳に、甲高い叫び声が届く。胸が張り裂けそうなほど苦しく、突き刺さるように痛かった。
「わたし、行くからっ‥‥‥」
セリカが涙を流し、小声で言い放っていた。
「まっ、て‥‥‥セリカっ」
アベルは必死に、縋り付くように話しかける。右腕を捻り上げられている事など、どうでも良かった。
「もう、潮時だったのね‥‥‥」
セリカの口から漏れ出た言葉。
アベルは息をするのも忘れ、絶句してしまう。何も出来ない、不甲斐ない自分に、嫌気が差す。
「やっぱり‥‥‥夢はね、いつか終わるって思ってた」
「っ、セリカっ」
アベルは不安に呑み込まれていた。必死に名前を呼び、彼女を見つめる。そして‥‥‥絶望した。
「アベルっ‥‥‥」
「ぁッ」
セリカが‥‥‥小指を向けている。アベルだけが、その意味に気付く。
『ーーー何があっても』
『ーーー離れ離れになっても』
「お前っ、何を!? 暴れるなっ!!」
「うぎっ、がぁっ、セリカっ!!!」
アベルは必死に男の腕を振り解き‥‥‥右手の小指を差し出す。限界まで伸ばし、必死に、必死に。
「‥‥‥‥‥‥」
セリカが、小指をギュッと握り締めた。
アベルの小指を無視した形で、無機質に。
まるで‥‥‥もう絡む事は無いと、言わんばかりに。
「ーーーセリカっ」
アベルは勝手に息が上がり、唇が震える。
儚い約束さえも、残してくれない。
「私のことは、忘れて‥‥‥それが、絶対にあなたのためだから」
「何言ってるんだッ!? セリカを忘れられるわけ無いだろっ!!!」
彼女の言葉を、アベルは到底受け入れられない。
無我夢中で叫び、視界が涙で滲んでいく。
セリカが顔を上げて、優しく微笑む。
「‥‥‥じゃあね、アベルっ。私がいない方が、あなたは絶対に幸せになれるから」
そう言った彼女は、止めどなく涙を流していた。
彼女の手には‥‥‥青薔薇の栞が握られている。
「待ってッ!! 待ってくれッ!!!?」
アベルの声は、彼女の歩みを止められない。
「元気でね‥‥‥アベルっ」
そう言って歩いていく、セリカ・アストリア。
彼女の後ろ姿を‥‥‥アベルは見届けることになる。
「セリカっ‥‥‥セリカぁぁぁぁッ!!!!!」
アベルは、自分の無力を呪った。
自分が弱いせいで、彼女が要求を受け入れるしかなかった。全て、自分自身が招いた最悪の運命だと。
連れて行かれるセリカは、どうなってしまうのか。
考えるだけで、吐きそうだった。
「ぅぐっ‥‥‥!?」
突然、左肩が激しく痛み出す。
それは思わず、歯を食いしばるほどの鈍痛。
アベルは声も出せず、身動きすら取れない。
「なん、なんだよッ‥‥‥!!?」
「ーーー辛いよな。到底、受け入れられないよな」
左腕を押さえて蹲っていたアベルは、前に立っていた男に話しかけられた。
さっきの2人と同じ隊服に、乱れた茶髪と顎の無精髭が印象に残る謎の男。
「っ‥‥‥!!!」
アベルは涙目で睨み付けながら、男を見上げる。乱れた茶髪の中にある、彼の目と合う。
「この世界は、強い奴が全てを奪っていく。それが真実だ、少年」
男が淡々と呟いた後、踵を返して歩いていく。
「セリカっ‥‥‥!!」
動けないアベルには、もうセリカの後ろ姿も見えない。幸せだった時間は、まるで嵐のように過ぎ去ってしまった。
「ぼくは絶対っ、君のもとまでッ‥‥‥!!」
涙を滲ませるアベルは、必死に右手を伸ばす。
「がッ‥‥‥!!?」
だが左肩の激痛が、遂に頭へと影響を及ぼす。
「絶対っ‥‥‥また、会いにっ‥‥‥‥‥‥」
瞼が、勝手に閉じていく。
だがアベルは、視界に映る最後の時まで‥‥‥彼女が去っていった方向を見つめていた。
「い、く‥‥‥‥‥‥」
これは、勇者の隣にいた少年の話。
「‥‥‥すまない、少年」
たとえ茨の道だろうと突き進む‥‥‥勇敢な少年の物語。




