絶対に倒す
脱力した魔術師フィーアに、覆い被さられるアベル。
「フィーアさんッ!!!」
アベルは必死に身体を動かし、彼女の身体を押し返して上体を起こし‥‥‥抱き締める。
「ああっ‥‥‥フィーアさんッ!!」
両手に付いた彼女の血を見て、アベルは無我夢中で叫ぶ。
「フィーアっ、しっかりしろ!!」
「そんな擦り傷で大袈裟だぜっ、早く起きろ!!」
そしてノールとバンギネスは、果敢にブラックベアへと立ち向かっていた。
「僕のせいっ‥‥‥僕のせいだッ!!!」
アベルは服の裾を破って、彼女の背中を押す。滲み出る血を、少しでも減らすために。
ーーーズキンッ!!
「っ‥‥‥今は関係無いだろうがッ!!!」
左肩に走る、鈍い痛み。
煽ってくるような痛みに、アベルは大声で叫ぶ。
「‥‥‥なに、叫んでるの」
するとフィーアが、薄く目を開けて微笑んだ。アベルは息をするのも忘れ、彼女に顔を近付ける。
「っ、フィーアさんッ!!!」
「だい、じょうぶ‥‥‥私は、魔術師よ?」
小声で呟いたフィーアが、右手に持った杖を器用に自分の背中に向ける。
「‥‥‥【ヒール】」
そして初級の治癒魔法を、自分の背中へ施し始めた。アベルは微かに息を漏らし、彼女の左手を握り締める。
「アベル‥‥‥お願いが、あるの」
彼女の言葉に、アベルは真っ直ぐ見つめる。
「ノールと、バンギネスを‥‥‥助けて、あげて。私は、しばらく、動けそうに、ないから」
「フィーアさんっ‥‥‥」
アベルは涙を流しながら、はっきりと頷く。フィーアが、どこか安心したように微笑む。
そんな彼女を見て、アベルは勢いよく頭を下げた。
「本当にごめんなさいッ!! 僕のせいで、こんな怪我をっ‥‥‥!!」
「‥‥‥馬鹿、ね。冒険者に、不測の事態は、つきもの‥‥‥誰だって怖い気持ちと、向き合うことから始めるの‥‥‥」
そう言ったフィーアが微笑む。
アベルは目を見開いて涙を落とし、彼女を見つめ続ける。
「だから、乗り越えたらいいの。乗り越えて、いける。あなたなら、乗り越えていける‥‥‥」
「フィーアさんっ‥‥‥」
「だから、2人を助けて‥‥‥アベル」
彼女の言葉に、アベルは涙を拭いて頷く。彼女の左手を強く握った後、勢いよく立ち上がる。
「本当に‥‥‥ありがとう。フィーアさん」
アベルは感謝を告げ、全力で走り出す。
「ーーー絶対倒す!!」
身体が、軽い。
鉛のような感覚は、もう無い。
もう、身体が震えることもない。
ただ‥‥‥大切な人たちを、守りたい。
(絶対倒すっ‥‥‥それが僕にできるっ、フィーアさんへの恩返しだッ!!!)
その決意一つで、アベルは全力で駆ける。
ブラックベアの猛攻を、必死に躱す2人が見える。
「ーーーアベルっ!!」
「もう怖がんじゃねえぞっ!!」
ノールが横へ飛び込む。
バンギネスが大盾を構えーーーブラックベアの一撃を受け流す。
「ーーー【魔力放出】!!」
そして、アベルは走りながら右手を突き出して詠唱する。
右手に魔術式が展開しーーー魔力の光線が飛び出す。
そして、ブラックベアの身体に衝突し‥‥‥爆ぜた。
「グオァッ!!」
呻くブラックベア。
アベルが発動したのは、無属性魔術。
フィーアから教わり、習得した初めての魔術。
「ッ!!!」
アベルは距離を詰め、大きく一歩を踏み込む。身体が流れるブラックベアの懐にーーー右手を潜り込ませる。
「はぁぁぁぁッッ!!!」
アベルは魔力で強化した右拳を、ブラックベアの腹に叩き込んだ。ズドンと、鈍い音が周囲に響く。
背中に差した剣では無く、最も魔力強化に慣れた素手を選んだ。
「グォァッ!!」
呻くブラックベア。
アベルはすかさず、魔力を集めていた左拳で薙ぎ払う。裏拳が、ブラックベアの頬を穿つ。
裏拳を受けたブラックベアの、身体が流れる。
「ーーーシッ!!!」
回り込んでいたノールが、剣を勢いよく振り下ろす。ブラックベアの首に、全力で叩き付ける。
「ヴァァァァァッッッ!!!!」
「っ、硬いっ!!」
勢いよく剣を押し込むが、首筋へ僅かに食い込むのみ。致命傷には、程遠い。
「ーーーウラァァァァッ!!!!」
するとバンギネスが、大声を張り上げて果敢に飛び掛かる。呻くブラックベアの、背中に飛び乗った。
「ぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
彼は大声で叫び、全力でブラックベアを押し込む。大柄な彼の体重と大盾の重量で、ブラックベアをうつ伏せに押さえ込む。
「長くは保たねえっ、そのまま切り落とせッ!!!」
バンギネスが唾を飛ばしながら叫ぶ。
「ラッ!!!」
「シッ!!!」
彼の言葉よりも早く、アベルとノールは剣を振り下ろしていた。ブラックベアの首に、僅かな切り込みが入る。黒い血が、ボタボタと滴り落ちる。
「グォァァァァァッ!!!!」
ブラックベアが絶叫し、必死に身体を動かし出す。
上に乗るバンギネスが歯を食いしばり、必死に押さえ込む。
「いっそ心臓を潰すのはっ!?」
「ダメだっ、こんな巨体の心臓を狙うのは不可能に近いッ!!!」
「でもっ、このままじゃっ!!」
もはや、一刻の猶予も無い。アベルに焦りが生まれ始める。
(今を逃したらっ、絶対に被害が大きくなるッ!!)
うつ伏せに倒れる、フィーアを思い出す。
あんな怪我を、もう負わせるわけにはいかない。
今のアベルはその一心で、巨大なブラックベアに挑んでいる。
(僕の剣が全然切れてないっ‥‥‥まだ力が足りないッ!!!)
剣術の未熟さ。アベルは舌打ちする。
毎日素振りをし、ノールに教えてもらっているが‥‥‥まだ足りない。
足りないせいで、ブラックベアを仕留める事ができない。
弱さは、心の呪い。
「グァァァァァァァァァッ!!!」
「うぉっ!!? も、もう保たねえぞッ!!!」
ブラックベアが暴れ出し、バンギネスが叫ぶ。
ノールが顔を真っ赤にして剣に力を込める。
アベルは、自分の剣を握りながら歯を噛み締める。
「くそっ、クソッ!!!!」
「ーーーアベルっ、あなたがっ、今できる事をっ‥‥‥!!」
背中に届いた、フィーアの声。
彼女の声に‥‥‥アベルは目を見開く。
(自分にできる事ーーー)
アベルはグッと歯に力を込めるとーーー自分の剣を手放した。
「アベルっ!?」
「おいッ!!?」
ノールとバンギネスの声が、同時に耳へ届く。
『だが、剣だけに囚われるな。選択肢を増やしても、それを有効に使えなかったら雑念になる』
脳裏に浮かぶ、ノールの言葉。
(今の僕なら、素手の方が戦えるっ‥‥‥!! 武器という殺傷性に囚われるなっ!!)
アベルは深くしゃがみ込み、ブラックベアの懐に潜り込む。
「【魔力放出】ッ!!!」
そして、至近距離で魔力の塊を放出した。
ブラックベアの腹に直撃し、爆ぜる。
「グォォァッ!!?」
ブラックベアが絶叫し、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。
アベルは、気付いた。最初に発動した無属性魔術が、ブラックベアに効いていた事に。それも、少し離れた場所からの一撃が。
(魔術は遠くから使うものだって思ってた‥‥‥でも、魔術に距離は関係ないんだッ!!)
アベルは今まで、魔術の先生であるフィーアの動きを真似していた。安全な位置から魔術を扱う、魔術師の彼女を。
『魔術はね、何を使えるかじゃない。どう使うか、それが大切よ』
(こういうことだったんだっ‥‥‥!!)
彼女の言葉を、アベルは完全に理解した。
ブラックベアの力が、弱まっていく。
「ゴァァァァッ!!!!」
だがブラックベアが雄叫びを上げながら、右手を振り下ろす。その行動を目前で見て、アベルの頭に閃光が走る。
「ーーーッ!!!」
アベルは身体を捻って僅かに横に逸れる。ブラックベアが振り下ろす右手を、紙一重で躱す。
「らッ!!!」
そして地面に両手を突いて勢いを付け、右足を繰り出す。右手を蹴飛ばしたことで、ブラックベアが勢いよくうつ伏せに倒れ込む。
『防御はな、逃げの姿勢じゃねえ。反撃の姿勢なんだ。相手の攻撃を捌き、自分が有利な状況を作り出すんだ』
その言葉が脳裏に浮かび、アベルは不敵に笑う。
「アベルっ」
「お前っ」
ノールとバンギネスが、目を見開きながら声を漏らしていた。
アベルは起き上がり、ブラックベアの横に立つ。
「ノールさんっ、いきますっ!!」
そして両手で‥‥‥ノールの剣先を掴んだ。
「アベルっ!?」
「僕の体重と魔力を込めますっ。その方が絶対に切れますッ!!!」
アベルは両手に魔力を集めると、全力で下へと押し込んでいく。親指と人差し指の間が切れ、血が溢れ出す。
「っ、ぁぁぁぁぁッ!!!」
「アベルっ‥‥‥よしっ、いくぞッ!!!」
その覚悟に、ノールが声を出して力を込める。
アベルと、ノール。
2人の力で、一本の剣を強引に押し込んでいく。
「グォァァァッッ!!?」
徐々に首が切れていき、ブラックベアが雄叫びを上げた。その声は、まるで悲鳴にも聞こえた。
「「ヴぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」」
アベルとノール。
2人の声と、力が重なり‥‥‥剣が勢いよく滑る。
ーーーズバンッ!!
剣の重みが、無くなった。
「うわっ!?」
剣先を両手で押し込んでいたアベルは、勢いよく地面に倒れ込む。
「いててっ‥‥‥」
両手に血を滲ませながら、アベルは四つん這いの状態で、足に当たる何かを一瞥する。
「あっ‥‥‥」
それは、恐怖の対象だった魔物の首。
4メートルを超えるブラックベアの‥‥‥首。
「やった‥‥‥やったぁッ‥‥‥!!!」
アベルは両手を握り締めながら、達成感と安堵に包まれる。
「やったぞアベルっ!!」
「ったく、お前の行動には肝が生えたぜ」
背後からノールが抱き着き、隣に座ったバンギネスが不敵に笑う。
「ちょっと‥‥‥私のこと、忘れてないでしょうね」
そして、ゆっくりと歩いてきたフィーア。彼女はアベルの正面に座り込む。
「フィーアさんっ!! 怪我はっ!?」
「完治はしてないけど、大丈夫。歩ける程度には、ね」
「よかった‥‥‥本当によかったッ!!」
アベルは顔を下げて、嗚咽を漏らす。罪悪感と、安心感が同時に襲う。
すると、フィーアが優しく頭を撫でてくる。
「だから、もう謝るのは無しだからね? 間違いなく、今回の最大功労者はアベルなんだから」
「っ‥‥‥うんッ!!」
アベルは涙を拭き、屈託のない笑顔を向けた。




