異形甲冑レギオ=エクウェス――の挿絵付きkindle化第2案――の後半_出版後は削除予定
***第四話 黄昏の対談!!
気が付くと、街中の喫茶店で――。
「あー、しくじったわ」
「何がだっ!?」
晶光は着席対面する金髪美少女アストリッドを糾弾していた。
今日の彼女は白いブラウスと霞色のスラックス&ジャケット
いわゆるビジネススーツ姿のようで、しかし、実はそうではない。
アストリッドの服装はまるで二次元だったのだ。
ビジネススーツ姿のはずが、何故か、体を締め付ける様にぴっちり(タイト)で、水着の様に薄い生地だったからだ。おかげで綺麗な形の胸のふくらみがはっきりわかる。腰のくびれから太股への引き締まった線も見せつけている。おまけにアンダーショーツラインもくっきり透けている。……わざと小さい服を着ているだけではあるまい。大概の社会人の正装とは良くも悪くも柔軟性に欠け、身体の形を隠す機能がある。しかし、このビジネススーツはその逆、身体の形をむしろ強調する意匠だ。それも魔法の様に薄く、皮膚へ張り付く素材。多分、先端科学の産物なのだろう。
――ツツジが言っていた『蜜罠』とはこういう事か……!
つまりは色仕掛けだ。アストリッドの魅力とは他者を惑乱し、利用するためのものだ。だから、この前はスリーサイズその他をあっさりと開陳したし、今もブラウスのボタンを大胆に外し、黒いハーフカップブラが包み切らない豊かな乳房の皓さを誇示している。
こんな露骨な手に引っかかっていた自分が腹立たしい。
一方で、アストリッドは意外と簡単に口を開く。
「ID帰巣性を舐めてたって事よ。あと、油断もしてた。こまめに周辺探査を繰り返していればね……。ろくにバックアップをとらずにプレステで遊んでいたら、OSそのものがいきなりクラッシュして、再インストールを要求された気分」
「意味が解らん!」
「うん。だから、説明するから、あまり声を大きくしないで」
アストリッドは困った顔で、晶光を宥めようとしていた。
実際、店員来客の別なく周囲の視線は集まっている。
しかし、晶光はそんなアストリッドの態度をもはや信用できない。
「なら、ここで怒鳴り散らしてやろうか? これまでの経緯の悉くを」
「それは困る。あたしは絶対困るし、あなたも多分困る」
「脅しか?」
「前にも言ったけど、単なる事実の指摘よ」
「信用できない」
「だから、今日は信用してもらえるだけの情報を提供するわ」
今日のアストリッドはやけに素直だった。
「……本当なんだな?」
「それを確かめたいなら早く質問して。これまでの言動だけで結構目立っているからね。急がないと本当に第三者の邪魔が入るかもしれない」
「……」
悔しいが、アストリッドの言う通りに思えた。ついでに言えば、実際、アストリッドはそこそこ焦っているように見える。
……もっとも、ここ数日で晶光は自身の眼力がまったく信用できなくなっていたが……。
それでだろうか?
「あの女子はなんだ?」
と、晶光の質問はどうしようもなく低俗なものだった。
しかし、それは低俗ながらも必要な質問でもあった。
アストリッドが声をかけていた女子――割と可愛いが、勿論、ツツジには及ばない――小学生は同じ喫茶店の別の席に座って、露骨にこちらの様子を窺っていたからだ。
すると、アストリッドはあっさり答える。
「あ、ナンパよ。ナンパ。君の時と同じ。悪の秘密結社と共に戦う仲間を探しているの」
「なん……だど……?」
「まさか、あたしの手駒が晶光クン一人だけなんて、思っていないでしょうね?」
晶光はあまりの展開に混乱した。
「ま、待て。そもそも俺はいつ貴様の手駒になった?」
「《荒夏》の方はそう思っているわ。実際問題、そちらのイマジナルディスクはあたしのイマジナルディスクの分枝体だしね」
「イマジナルディスク? 『幻想円盤(Imaginal_disc)』?」
「Imaginal_disc。直訳すると『幻想円盤』だけど、意訳すると『成虫原基』になるわ」
「!? あの『苗床』の事か!?」
「ナエドコ? ああ、日本人はよくそう呼ぶね。うん、発想としても間違いではないよ。ええ、甲冑式や自律式を構成する異形細胞の苗床になっているのが、イマジナルディスクこと成虫原基」
ちなみに『Imaginal_disc』の元ネタは完全変態昆虫だから、検索すれば、普通に出てくるわよ――と、アストリッドはペラペラ補足する。
店員がフルーツチョコレートDXパフェ大盛りを運んできたのは、ちょうどその頃だ。
「おー、来た来た」
喜ぶアストリッドの口調からして、予め注文していたのだろう。
「……いや、待て……」
この機会に、晶光は――晶光というよりもツツジが――気にしていた事を尋ねる。
「……『俺たち』がやたらと甘いものが欲しがるのは……?」
「もう感づいているでしょ? 体内の成虫原基へ糖分を与えるためよ。異形化結晶細胞も所詮は結晶細胞だからね。蛋白質は消化できないの」
アストリッドはフルーツチョコレートDXパフェを一人で貪りつつ返答する。
「……つまり、俺も……?」
「言っておくけど、あなたは一基だけだから、まだマシなんだよ。あたしなんて計七基も抱え込んでいるもん。維持するだけで一苦労なの」
「……今日はちゃんと説明してくれるんだな」
これは晶光の本音だった。
以前のアストリッドは、肝心な事に限って、まともに話さなかったのだ。
しかし、今日の彼女は違うらしい。
「言ったでしょう? 信用してもらえるだけの情報を提供するって。あなたは有力候補に育ったからね。この際だし、ちゃんと説明しようとは考えていたの」
ほら、何でも答えてあげるから――とアストリッドは言わんばかりだった。
だから、晶光は事態の根本を右の親指で示しながら尋ねる。
「やはり、貴様が俺の胸元に『苗床』――貴様の言う《成虫原基》とやらを埋め込んだな?」
すると、アストリッドが両上腕部で乳房を挟み寄せ、胸の谷間を強調しながら答える。
「ええ。あたしの胸元に一つ、背中に六つ植え付けられた《成虫原基》は、君の胸元にも埋め込んである」
「……」
これまた艶っぽい仕草だった。実際、周囲の目はアストリッドにチラチラ向いている。例の女子小学生の視線はもはや釘付けだった。
晶光はそんな現実に苛立ちながら質問を重ねる。
「で、結局なんなんだ? その《成虫原基》とやらは?」
「元々は完全変態昆虫の……」
「俺達の中にあるヤツの話だ……!」
「えーと……秩序的な創発現象を引き起こし、特定形質への自己組織化へ至るべく、調整圧縮された準異形化結晶細胞の塊……かな?」
「……」
アストリッドの自信なさげな台詞に、晶光は暗澹たる気分になった。
***
「詳細はあたしもわからないし、君はもっとわからないだろうから、大まかな流れだけ、時系列順に説明するわね」
その言い回しには、晶光への侮蔑が含まれていた気がするものの、もはや一々糾弾する暇はない。
「事の発端たる『それ』は、中華人民共和国の苗族自治区で見つかったと言われている」
――と言いながら、アストリッド自身、この発見場所については怪しんでいるらしい。彼女によると『それ』は深海、あるいは中東からアフリカ大陸で見つかって然るべきものだったという。
「『それ』はパッと見、泥のように見えたらしいわ」
「じゃ、泥じゃね?」晶光は半ば自棄で相槌を打つ。
「そう考えて、元素分析をしてみたんだけどね。珪素がほとんど見つからなかったのよ。珪素なしで、『泥』と言えるかしら?」
「『それ』は」晶光は半ば自棄で推測を口にする。「炭素と酸素と窒素と水素で出来ていた?」
「その通りよ。……なるほど、自力で調査もしていたという事ね」
「……ああ」
勝手に評価を上方修正するアストリッドに、晶光は曖昧な相槌で返すしかなかった。
しかし、アストリッドはそんな事情に気付かなかったのか、一方的に話を進める。
「泥のようで泥ではない『それ』を調べているうちにわかったの。――『それ』の中に、限定的な分子アセンブラとして機能する結晶性散逸構造がある事にね」
「……ほう……」
「物理学者はあのシュレーディンガーが提唱した非周期性結晶が発見されたと、大騒ぎ。生化学者も『それ』はLUCA――地球生命の最終普遍共通祖先(Last Universal Common Ancestor)かもれないと、大騒ぎ。皆で仲良くドッタンバッタン大騒ぎになったわ」
「…………ふむ……」
「実際に『それ』のおかげで、古典的な粘土説から、現代的な表面代謝説まで、かなりの修正が行われた。冥王代の地球では結晶系の疑似生命と核酸系の共通祖先が競合していたんじゃないのかとかね」
「………………へえ……」
「だから、『それ』は《女媧泥ユニット》と名付けられ、さらにその中にあった限定分子アセンブラとして機能する結晶構造は《結晶細胞》と呼ばれるよう……」アストリッドはそこで声音を変える。「って、ちゃんとついてきている? 相槌ばっかりだけど、あたし、結構重要な事を話しているんだよ」
晶光は図星を突かれたが、必死に平静を取り繕う。
「も、勿論だ。しかし、あまり聞いた事がない話ばかりでな」
「ああ、そういう事」アストリッドは勝手に解釈してくれた。「たしかにこの分野の話は一時期から、極端に停滞している風に見える。RNAワールド仮説なんかも数十年単位で停滞中に見えるでしょう?」
「……違うのか?」
「違う。その証拠があたしや《荒夏》の使う異形化結晶細胞よ。君も見たはず。あの尋常ならざる《異形》の力を」
「それは……その通りだな」
この相槌は誤魔化しではない。故に、晶光は思わず胸元に手をやる。そこに埋められた苗床=《成虫原基》とやらの力は疑う余地がない。それこそ神話の如き、《幻想円盤》の力である。
「陰謀論に思えるかもしれないけど、実用段階に入ったからこそ、その利益独占のために、機密として扱われるようになり、公の話題にはならなくなったのよ。一昔前の秘密都市(ЗАТО)みたいに研究員を丸ごと抱え込む形もとられた。《荒夏》やその前身組織の手によって」
「《荒夏》……」
「ええ、《荒夏(huāngxià)》――それがあたし達の敵よ。《女媧泥ユニット》を実効支配していた中国共産党若手エリートと、出資者たるロシアの新興財閥と、理論支給たるアメリカのシカゴ学派が悪魔合体した悪の秘密結社よ」
「悪の秘密結社……?」
晶光は意味がわからなくなってきた。
「考えてもみて」
と、アストリッドは言う。
「さすがにドレイクスラー=タイプのナノ=テクノロジーほど万能ではない、あくまでも限定的なもの――とは言っても、分子の組立機なの。構成元素は豊富だけど、化学構造の性質から、とてつもなく希少だった素材の幾つかを、条件次第とはいえ、ほとんど無限に量産できる。これが何を意味するか分かる?」
「えーと……。ああ、鉛筆の芯から、金剛石を作れるとか?」
「実際には希少な薬品や燃料の安価な量産、それと素材系の向上などに役立つらしいわ。具体的には六方晶金剛石、理論的には立方晶窒化炭素とかね。《荒夏(huāngxià)》が強大な組織力を誇るのは、それらによる潤沢な資金源を持つからとも言われている」
アストリッド曰く、《荒夏(huāngxià)》は意図的に供給量を絞っているだけで、連中が本気なら、いわゆる立方晶金剛石などは、既にプラスチック感覚で量産可能らしい。それどころか、そも近年の金剛石市場の価格破壊の一因も《荒夏(huāngxià)》なのだという。
「しかし、話が繋がらないぞ?」晶光は正直に訊ねてみた。「それとあの《異形》に何の関係がある?」
「潤沢な資金源に基づく強大な組織力って、多くの問題を解決するけどね」
「だから、それはあの《異形》のような化け物の説明にはならんだろう?」
「十二分な資金源と組織力で、限定的な分子組立機として機能する結晶細胞に既存生命の模倣をさせたとしたら?」
「悪いが、わからん」
「こう言えばいいのかしら? 限定的だけど、実用水準の分子組立機を手に入れた組織があった。その組織=《荒夏》はこれまで家畜や奴隷――近代以降は工業機械に任せていた役割も、その疑似分子組立機の被造物に任せようとした。とはいうものの、家畜や奴隷が動く仕組みは、厳密に言えば、よくわかっていない」
「……?」
「勿論、家畜や奴隷の筋肉収縮原理はいわゆる『滑り説』でほぼ合っているはず。必要な筋肉組織の分子性質自体もわかっている。だから、それを疑似分子組立機に模倣させることもできる。細かい過程は怪しいままだったけど、そんな経験則的手法で組み上げた準異形化結晶細胞の塊《成虫原基》は、秩序的創発現象を引き起こし、特定形質への自己組織化に至ってくれた。そして、発現した全細胞表現型は既知の高等動物に似通っていた」
晶光はそれこそ似た話を最近聞いた事を思い出した。
「もしかして……あの蜥蜴型やら、蝙蝠型やらの《異形》か?」
「わかっているじゃない」
……勿論、晶光は朧気にしかわかっていなかった。が、その思いつきにアストリッドは勢いよく食らいついた。ひょっとしたら、こういう話が元々好きなのかもしれない。
「あの蜥蜴型や蝙蝠型のような自律式に顕著で、あたしたち軍隊蟻型のような甲冑式にも共通するけど、何であんな形状になるのかというと、『収斂進化による相似器官』なんだと思う。そもそも細かい過程は人間の手で書き上げるには複雑過ぎるからね。どうしても、大まかなパラメータ設定で誘導する遺伝的アルゴリズムにならざるをえない。演算結晶によるマシンパワーは強力だから、専門家も依存しがちだし」
そこでアストリッドが一つ付け加える。
「あ、勿論、『現行人類の発想と語彙の限界』という可能性もあるわよ」
「……そうか」
勿論、晶光は話の半分も理解できていなかった。
しかし、アストリッドはペラペラと語り続ける。
晶光はアストリッドの言葉を追うだけで精一杯だった。いや、それでも話が自然科学や工学技術の領域にある間はまだましだった。これが政治経済の話になると、それすら危うかった。ベーシックインカムやらフラットタックスやら横文字が出て来るとなおの事だ。
ただ、二転三転する話の中で――。
「ちなみに甲冑式のメイン=インターフェイスは……」
「……『筋電制御』か?」
「わかっているじゃん」
――と、アストリッドがにやりと微笑む辺りで、俺は少しだけ話に追いつけたと思う。
実際には、ツツジの残してくれた知識のおかげだったのだが……。
「俺が手足を動かす過程を、大雑把に説明するなら、俺の脳から出た電気的信号が手足に伝わって、化学反応が始まり、筋肉収縮が起こるからだ。つまり、実際に手足が動くより先に手足を動かすための電気的信号は流れている。だから、その信号を拾って反応させる仕組みを異形細胞に組み込めば、原始的な設計でも、俺達が動く前に、俺達の動く意思で、先読みして、駆動する倍力装置ができる。……それが甲冑式異形の基本制御構造だろ?」
そんな晶光の晶光なりの必死な解釈に――
「ほぼ満点」
――と、アストリッドは口笛を吹く勢いで頷いた。
「その通り、甲冑式異形のメイン=インターフェイスは君の言う『筋電制御』の一種よ。ま、世間に出回っているものとはちょっと毛色が違うけどね」
アストリッドの言う通り、『筋電制御』とは実用化されている義手義足――つまりは【義体】に採用もされているインターフェイス・システムである。
……しかし、それだけだとわからないこともある。例えば、
「貴様の触手や、連中のレーザーやらミサイルやらは、それでどう制御しているんだ?」
というのが、その代表だろう。筋電制御だと、晶光のようにほぼ純粋に人体をなぞっている異形甲冑は(多少の慣らしが必要にはなったが)人体を動かす感覚の延長で動かせるはずだ。しかし、人体にない器官はどう操っているのか?
「それに、いや、これは主観的な話で、俺の気のせいかもしれないが」と、前置きして、晶光はあやふやな質問をする。「異形化している時、俺は妙にキレてなかったか? いや、これはいい意味でだ。こう、感覚が鋭くなるというか、認識が高まるというか。いわゆる『ゾーンに入った』というのはこういう事では?――と錯覚させられる……」
「錯覚とは言い難いわね。それ、あたしたちも同じだから」
「……単純な筋力強化装甲とはとても思えない時も多い。貴様らの動き方もそうだ。多分……」
「――異形化の際、感覚器が増設され、認識力も拡大している?」
「そう、そんな感じだ。そもそも、触手やらレーザーやらミサイルやらをまともに使おうと思ったら、ただ動けと命令するだけじゃ駄目なはずだ。生身の脚でも、土を踏みしめる感覚を認識し、はじめて歩ける。俺達は無自覚にやっているが、脚から受け取った情報を元に、常に筋肉の出力調整をやっているからこそ、二足歩行が可能なんだ」
「出力調整なしで脚部筋肉を一定稼動させるだけだと、すぐに転んじゃうだろうしね」
「それと同じ理屈だ。触手やらレーザーやらミサイルやらをまともに使おうと思ったら、何らかの情報還元が必要になるはずだ」
「本来の人体には存在しない【人外器官】を操作するためにも、対応する【超感覚】や【超認識】が、不可欠になると?」
「ああ。だが、そんなの単なる筋電制御では無理だろう?」
……この辺りは晶光の空手経験も活きていた。
例えば、空手の突きは型が生み出す力と重さを相手に伝え切る事を理想としている。そうすれば、一撃必倒も成し得るとされる。
とはいえ、言うは易しだ。
現実には、形稽古ですら、そんなキレのある動きは難しい。
(それに対して、体力と筋力は鍛えれば、万人が身に付け得る。だから、あの刑部先輩も『まずは体力と筋力。すべてはそれから』と語っていた。俺もまったく同意見である)
空手に限らず、技のキレ――力学的合理性の十分な実践には、己の躰の十全な統御が必要になる。己で動きながら、己を見るような矛盾すらも包摂せねばならない。あるいはそれらが出来た状態を競技者は『ゾーンに入った』と呼ぶのかもしれない。
しかし、晶光は凡愚だ。生身で『ゾーンに入った』事などなかった。
正拳、掌底、前蹴り……そんな空手の基本ですら、実のところ、満足にこなせた覚えはない。出来たと思っても、録画を見れば、やはり型が崩れていたものだ。だから、
――人間は自身の四肢すら、満足に扱えていない。
それは痛いほどわかっている。
――ましてや、【人外器官】ともなれば……、
というわけである。
そして、【人外器官】とは、狭義にはあの触手やレーザーやミサイルを指すのだろうが、広義には晶光を鎧った異形甲冑そのものも含むはずだ。何故なら、あの時の筋力も感覚も超人的なものだったからだ。なのに、晶光は不十分ながらもそれを統御できたのだ。
「つまり、筋電制御以外にも、おそらくは相互的なインターフェイスがあるんだろう?」
すると、アストリッドが晶光を素直に称賛し始めた。
「さすがねえ。その通りよ。これだから中学生はやりやすい」
「どういう意味だ?」
「女子小学生と違って、話を進めやすいって事」
馬鹿にしているのか?――と声を荒げる寸前で気付いた。
晶光は、露骨にこちらの様子を窺っている女子小学生を、視線で指す。
「あの娘にも同じ話をしたのか?」
「あの娘にはまだしていない。けれど、ナンパして引っ掛けた娘たちの内の何割かには、同じ話をした。でも、女子小学生だと、今の話もなかなか理解してもらえなかったのよ。まあ、例外もあったけど」
「???」
毎度ながら、アストリッドの言葉は晶光の理解を超えていた。が……、
「元々、あたし、いわゆる『百合営業』が得意だったし」
と、アストリッドがいきなりこちらへ顔を近づけてきた。
「な……!」
晶光が反応する前に、彼女は晶光の頤へ手をかけて上を向かせる。
「実際、こうやって迫ると、かなりの確率で女の子が落ちてくれるんだよ?」
「……っ!!」
距離を置いた時でも、中身はともかく、外面は綺麗だとは思っていた
しかし、間近で見るアストリッドの顔はもはや暴力的で犯罪的な美貌だった。
――こうやって、女子供を誑し込んできたというわけか……!!
現にこちらの様子を窺っていた女子小学生は、裏切られたという表情になっている。
が、アストリッドは嫣然と微笑み、その魔性の美貌を遠ざけた。
そして――、
「言っておくと、君に声をかけた時、あたし、君を女子小学生と勘違いしていたの」
「俺が女子に見えたと?」
「君、私服だったでしょう? それを後ろから見ただけだとわかんないって」
「……」
悔しいが、たしかに無理もない話だ。前にも述べたが、男子の発育は女子よりも遅い。アストリッド以外にも、小柄な日本人男子中学生を女子小学生と間違う者は、多い。……はいはい。148センチメートル39キログラムな俺の実体験ですよ。
「だが、話して、男子と気付いたろう?」
「うん。だから、内心驚いたんだけど、まあ、たまには男子中学生も試してみようかなと思ってさ」
「ていうか、何で女子狙いなんだ?」
「それは簡単。あたしが女子だからよ」とアストリッド。「普通に考えて、あたしの成虫原基は女性向け。で、そこから成虫原基を分け与えるのだから、適合率を上げようとすれば、自然と女子狙いになる。勿論、あたしが男子に不慣れで怖いというのもあった。とはいえ、実際は男女の適合率差はそれほど大きくないのかもしれない。それこそ、君は見事に適合しているでしょ?」
「じゃあ、なんで小学生みたいな子供に?」
「君だってまだ子供じゃん。というか、子供じゃないとダメなのよ。脳神経系の可塑性が残っていないと、甲冑式異形には適合しない」
「子供じゃないと駄目って……ロボットアニメかよ?」
「似たようなものよ。よく使われる例としては多指症みたいなものってこと」
「タシショウ?」
「『指が多い症状』と書いて多指症。この場合はね」
ツツジなら即座に理解したはず――だが、晶光にはわからなかった。
その一方でアストリッドはペラペラと語ってくれる。
「凄く簡単に言うと、ヒトの四肢の指が六本以上になる先天性の異常よ。でもね、異常と言いつつ、古来より片手で六本以上の指を自在に動かす者の記録も多いの。構造的・器質的な可動限界はあっても、生まれたばかりのヒトの脳神経系自体は『六本目の指のような《異形》』を動かせる可塑性を具えている傍証ね。ただ、成長過程で脳神経系は五本指の人体に『最適化』されていくから」
「仮に大人になってから、六本目の指を移植し、さらに神経を外科手術的に接続しても、中枢ソフトウェアとでも言うべき脳神経系が対応していない以上は動かせないと? それどころか、何かに触った時の感覚を認識する事すらできないと?」
「その通り」
「すると、大人はあの甲冑式異形を使いこなせない事になるな?」
「解決策は二つあるわ」
とアストリッド。
「一つはまだ可塑性の大きな子供の頃から異形細胞を使い続ける事。そうすれば、甲冑式異形の【超感覚】や【超認識】、あるいは【人外器官】に対応した脳神経系構造も育つ。可塑性の大きな子供の頃から六本の指を使い続けた多指症の人なら、大人になっても六本目の指を動かしうるのと同じで、あたしも六束の触手をちゃんと操れるわ。勿論、何かに触れた感覚も正しく認識できる。そうでないと、ああ自在には操れないし」
「……入力装置たる感覚神経。演算装置たる認識能力。出力装置たる運動神経。これらを、幼少期からの訓練で育てていれば、六本目の指や六束の触手のような【人外器官】をも、操れるし、対応する【超感覚】や【超認識】も自然と育つということか……」
「うん。いやまあ、正確に言えば、末端異形細胞にも節足動物の梯子状神経みたいな演算機能はあるの。だから、あたしも厳密な命令を個々の触手に与えているわけではなくて、いわゆる下流工程を異形細胞側に一任して、昆虫みたいに情報処理を全身で分散負担しているのが実態だけど」
「……つまり……」
実のところ、アストリッドの説明は半分ぐらいしかわからなかった。
それでも、薄っすらとわかった事もある。
「……貴様が小学生ばかりを狙うのは、脳神経系可塑性の問題で子供の方が甲冑式異形に対応し易いからなんだな?」
「ええ。まあ、個人的な嗜好もちょっとはあるかな? やっぱ、女の子は十代に限るよ。肌に触った時の、手に吸い付くようなすべすべしっとりがたまんない」
そして、アストリッドは両手をワシャワシャしたが、晶光はその下衆発言を無視した。こいつの本性はもうわかっている。引き出せる情報を引き出す事に専念せねばならない。
「……そして、俺もまた子供だから、甲冑式異形を使える――と?」
「ええ。広い意味では君もこちらに入るわ」
「広い意味では……とは?」
「君はもう十四歳よ。女子小学生に比べると、脳神経系可塑性がかなりすり減っている。このままだと、いくら努力しても、君はせいぜいヒト型しか操れないでしょうね」
「しかし、『解決策は二つ』あるのだろう?」と、晶光は指摘する。「それで、もう一つの解決策は?」
「ええ。それがIGFTELという薬」
「イグフテル……!?」
「IGFTEL――インシュリン類似(Insulin-like )成長因子(Growth Factor )三型内因性リガンド(Three Endogenous Ligand)」
「……???」
「『富山県』で起きた麻薬事件を知っているかしら?」
「『富山県』……だと?」
「北陸地方――つまり、『裏日本』にある地方都市よ」
「日本の裏側……?」
「『越中富山の薬売り』って聞いた事ないかしら? あそこは昔から製薬会社が強いの。だから、IGFTELみたいな特殊な薬品を大量生産する設備も整っているわ」
そして、アストリッドはせせら笑う。
「この日本という国にはね、君の様な東海岸のシティーボーイには想像もつかない辺境が存在するのよ」
総人口が約百万。一方、GDPが約五百億ドル。――ルクセンブルクの約二倍の人口を擁しながらも、GDPはほぼ同じという悲しい県――富山が存在するのだ。いわゆる都市国家であるルクセンブルクと富山を単純比較はできないという意見もある。だが、そうはいっても、ノーベル賞受賞者は強引に掻き集めてもわずか五人。著名漫画家は藤子不二雄コンビだけで、アニメ制作会社もピーエーワークスのみで、三ツ星レストランもただ一件。そんな文化不毛の地域が存在するのだとアストリッドは言った。
「それが裏日本。富山県……だと?」
「ええ。そして、数少ない名産の蜃気楼の如き低認識性の下、IGFTELは量産されていた」
「しかし、そのイグフテルとはそもそも何なんだ?」
「ある種の神経系初期化剤よ」
「な……!?」
「適切な誘導剤付きで定期的に摂取すれば、大人でも子供の頃の様な神経組織の可塑性を取り戻せる。つまり、異形の【統御】に不可欠な脳神経系領域の初期化ができるの」
「じゃあ、それを使えば、子供でなくとも……」
「訓練次第で異形甲冑の十全な統御が可能になるわ。というか、異形統御者はほとんどがこの類よ。だから、十代後半からでも凝集光砲のような『人外器官』を操れる」
「それって……」
「そう例えば、影山ほのか女史とか」
「……っ」
「ところで共犯者として教えて欲しいんだけど」
「共犯者って……俺は……!」
「ツツジさんはどうしたの?」
晶光は絶句した。
***
***
***
ツツジこと三葉ツツジ十三歳は同じ台詞を繰り返す。
「ですから、私と晶兄は、あの女に巻き込まれただけなんです」
しかし、それはツツジを拉致した男にとって、やはり、望ましい返答ではなかったらしい。
「……」
男は相変わらずの無表情を崩さない。
ツツジを拉致した組織――おそらく《荒夏》――は予想通りに洗練された集団だった。
窓もない一室に監禁した後、ツツジを放置したのだ。携帯端末こそ没収されたが、特に拘束はされず、市販の非常用保存食と水を十分に与えられ、排尿排泄はおろか入浴すらも認められた。が、それ以上の自由はない。話し相手や読み物はおろか、時計もない。
こうなると、今日が何日目かもわからなくなる。
一応『MASTERキートン』の『身代金のルール』のように新聞紙を持たされ、動画撮影されたから、その新聞の日付以降だとは思うが……。
「いずれにせよ、話せる事は全て話しました。それでも話せと言われれば、同じ事をもう一度話しますが、これ以上は私の理性と記憶が怪しくなるだけです」
ツツジの言葉に嘘はない。……というか、初日から特に包み隠さず、質問に答えてきたのだ。明らかに攪乱と思われる質問にも素直に答えてきた。訊かれれば「スリーサイズは計ってないから、わかりません。ブラはA65です」と答える所存だ。
それだけではない。
今のツツジは検診衣――健康診断とかで着るアレ――をあえて着崩している。さすがにいつまでも制服着た切り雀だと衛生上の問題があり、着替えとして提供されたのがコレだった――という事で着崩している。
あの女を見習って色仕掛けというやつだ。これでも第二次性徴済みだし、似た事をやった時、晶兄相手に抜群の効果があった。
が、眼前の男はむしろ苛立ちを増しているだけに見えた。
その上で、男は一枚のA4用紙を差し出す。
そこには初めて見る画像が印刷されていた。
理解が遅れる程にこま切れだったが、そこに写っているものを把握した。
男二人分の死体だ。そして、その二つの頭部に……。
「見覚えは?」
「……あります。我々は彼ら二人に襲われました。が、これは我々の仕業ではありません。話した通り、晶兄は、我々を殺そうとした彼らを、しかし、あえて無傷で見逃したのです」
「では、これは?」
差し出されるもう一枚のA4用紙、そこに印刷された写真画像。
……今度はわかり易かった。
若い女の死体だ。全裸で逆さ吊りにされているが、ズタズタにされた乳房の名残がある。なお、ツツジが股間で性別を確認しなかったのは、そこに切断された右腕が突き刺されていたからだ。引き抜かれた腸は屍に巻き付けられ、引き千切られた頭は隣に転がっている。暴虐の限りを尽くされたのは明らかだが、それでも、顔は元の形をとどめており、虫も集ってはいない。……見せ付けようという意思の介在だろう。
だから、三葉ツツジ十三歳はいつもの通り正直に答える。
「見覚えがありません」
「言っておくがな。それはまだマシな方だぞ。ほのかにいたっては……クソっ!!」
「……」
「ああ、認めるさ」男はとうとう感情をあらわにし始めた。「俺達も所詮は非合法組織だ。それでも、あんな……」
「……我々も残虐行為を薦められた事は認めます。これは既に述べた事の繰り返しですが」
ツツジは自分の馬鹿正直さがつくづく嫌になる。が、とっさに整合性のある嘘を思いつけるほど、大人でもない。だから、考えをそのまま口にする。
「おそらく、悪質な武装勢力が失敗国家の内戦地域などで、少年兵に薬物を使用し、判断力を低下させ、その上で身内への暴行強姦や四肢切断、親殺しを経験させるのと似たものかと」
「……そうすれば、その少年兵に『帰るところ』がなくなる。だから、生きるために武装勢力へ依存するしかなくなる――というやつか?」
「はい。おそらくこれは我々――私と晶兄――と、貴方達との分断工作です。実際、影山ほのか女史は当初我々に友好的でしたし、我々もまた平和的な状況説明を求めていました」
「じゃあ、なんで、あんな事になったんだ……!?」
「アストリッドの名前が出た瞬間に……その……突如、影山ほのか女史が感情的に……」
「感情的になったほのかが悪いというのかっ!? 実の姉が、女に生まれた事を後悔するような凌辱を受けたんだぞ! それをまざまざ見せつけられて、冷静沈着でいろと!? 彼女たちの両親だって、どんな思いで!!」
「す、すみませんっ」
ツツジは反射的に頭を下げた。その『姉』についてはまるで知らないのだから、そんな事を言われても困るのだが、ここは下手に出るしかない。
すると、興奮した男は、しかし、息を整え始めた。そして、
「……だが、君の主張は了解した。当面、君たちの家族には手を出さない」
「あ、ありがとうございます」
倒錯極まりない話だが、ツツジは安堵していた。
アストリッドさんの誘いを断っていて本当に良かったと思った。
同時に、アストリッドさんの狙いは明白になってきた。
――あそこで、もしも、影山ほのか女史への強姦輪姦に参加していれば、この人達との和解の道は完全に断たれ、私と晶兄は生き残るためだけに、アストリッドさんへ協力するしかなかった。
おそらく、影山ほのか女史はそのための生贄だったのだ。
「あの、それで、アストリッドさんって、何者なんですか?」
「……君には知る資格がない」
ツツジの質問を彼ははぐらかした。
***
***
***
「それで、アストリッド、貴様は何者なんだ?」
晶光は、ツツジの現状を「そんな事より」とはぐらかした上で、質問を続けた。
アストリッドがとぼけているのでなければ、こいつはツツジが行方不明である事自体を知らないはずだ。ならば、不要な情報を与える義理はない。少なくとも……、
――ツツジなら、そう判断するはずだ。
そんな晶光の質問に対し、アストリッドは自身の境遇を素直に開陳する。
「ああ、あたしは《荒夏》の実験動物(Experimental Animals)、いわゆるモルモットだったの。――生まれる前も、生まれた後も」
「……どういう意味だ?」
「先天的な実験としては――そうね、あたしのこの髪と眼、どう思う?」
「どうって……金髪碧眼?」
「……君、まさか、北欧美人は皆、天然の金髪碧眼とか思っていないでしょうね?」
「そこまで馬鹿じゃねえよ。なんか、欧米人っぽいなーとは思っていたが……」
「いや、それはもっと……。ていうか、筋電制御の話とかすぐ理解できるのに、どうして、あたしの金髪碧眼を自前ではない可能性を考慮しないの?」
「? じゃあ、それは染めたのか?」
「……あたしは生まれつきの金髪碧眼。それが問題だとは思わない?」
……そういえば、ツツジは何か言っていた気がしないでもない。
「地毛でこんな明るい山吹色の金髪って、白人の中でも希少なのよ。ましてや、あたしみたいに思春期以降も金髪のまま、碧眼まで兼ね備えている確率は極めて低い。だから、《荒夏》の一部は、その確率を引き上げるため、人為的な交配を始めた」
「交配って、稲じゃあるまいし」晶光は呆れた。「『コシヒカリ』と『初星』を交配させて『ひとめぼれ』を作るみたいな話か?」
「ええ、そういう話よ」
「……は?」
「あたしは《プレ=アーデルハイト》の一体。高貴なる形質のための実験型なのよ」
……金髪碧眼美少女は金髪碧眼美少女で色々抱えていたらしい。
「《荒夏》は技術的・経済的・政治的・倫理的に現行の国民国家とは一線を画す組織で、一般的な先進国ではとてもやれない人体実験を行っているというのはわかるわね?」
「ああ、それこそ《成虫原基》を人体に埋め込む――とかな」
「その他にも《アーデルハイト=プロジェクト》というのがあってね。これはヒト受精卵内遺伝子を全面調整する事で、多様な《高貴なる形質》を人工的に発現させようって計画」
「じゃあ、貴様は遺伝子操作されたから、そんな金髪碧眼に?」
「交配って言ったでしょう? あたしはそのための実験型――捨て石の一つだったの。『理屈で考えれば、この組み合わせの子は金髪碧眼になり易い』という男女に――多分、札束を渡して――交配させたのよ。標本記録採集のためにね」
「え……それって……?」
「そして、生まれた一体が、金髪碧眼美少女たるこのあたし。とはいえ、ここまでの成功例は珍しいみたい。だから、あたしに限っては《高貴なる形質の前身》というより、既に《高貴なる形質の原器》の段階にあるかもね」
「じゃあ……貴様の両親は?」
「さあ? 顔も見た事もないけど、多分、東欧系で、遺伝子と生殖能力が取り柄の貧乏人男女だと思う。そこに目を付けた《荒夏》が出した条件に目がくらんで――って、ところかな?」
「…………」
晶光が絶句していると、アストリッドはさらりと次の話題に移る。
「後天的な実験としては――まず、髪と肌と血液の標本を取られたわ。あたしが物心つく前から、しつこく何度も。さすがに目の方は非侵襲系の検査だけだったけどね」
おそらくは『金髪碧眼美少女』という表現型の確認だったのだとアストリッドは言う。
「状況が変わったのが、五歳の時。初めて成虫原基を埋め込まれた頃ね」
「どういう事だ?」
「言っておくけど、当時のあたしはまだ五歳よ。当然、状況認識はさっぱりだったわ。未成熟な技術ゆえに、苦痛を伴う手術や検査に泣き叫ぶだけ――ただ、後になってみれば、推測はできる。それでよければ、聞いてくれる?」
「……ああ、聞かせてくれ」
「あたしたち《プレ=アーデルハイト》の利用価値が薄れてきた結果だと思う。ま、所詮、原始的な交配頼りの実験型だからね。回収した標本記録を元に、遺伝情報を直接編集調整した工場生産型なんかを安定して造れるようになれば……」
「……用済みって事か?」
「そうなりかけた寸前で、別の用途が見つかったというところ。当時、実験段階にあった甲冑式異形の成虫原基の被験者は不足していたの。だから、あたしたち《プレ=アーデルハイト》が回された。だから、あたしたちって、これでも最古参の異形統御者なのよ」
「……さっきから、『あたしたち』と複数形を使っている理由は?」
「選ばれた《プレ=アーデルハイト》はあたしだけではなかったから。甲冑式異形の成虫原基はその性質上、最終的には人体実験するしかなかったから。……とはいっても、他の実験動物もとい被験者の末路はあんまり考えたくないけどね」
「……」
「それから、定期的に成虫原基を埋め込まれ続けた。そして、それが立て続けに成功した辺りで、あたしへの教育が問題になったわ」
それまでは実験動物の健康管理の延長でしかなかったからね――と語るアストリッドは皮肉げに笑った。が、晶光は笑えなかった。
「それで、本家【マリオンプラン】の育成課程の模倣が始まったの。具体的にはあたしにドライバーウェアの類を着せたり、読み書き算盤を教えたり、柔道を習わせたりね」
「……だから、あんなに柔道が強いのか?」
「それはむしろ古参異形統御者特有の余技もあるかな。あたし、まともな誘導剤もない頃から、神経系初期化剤を投与され続けていたから。おかげで当時の記憶は凄まじく曖昧だけど、その一方で脳神経系可塑性が著しく増大していたみたい」
アストリッドは毎度ながら平然ととんでもない事を言いやがった。
「おかげで稽古――技の力学的合理性を、頭で噛み砕いて、体にしみ込ませる反復作業――を大幅短縮できた。特に練習時間が技量に直結し易い柔道との相性は抜群だった」
「……試しに訊きたいんだが、仮に貴様がラッキーパンチを生身で食らったら?」
「一巻の終わりかな? あたしも異形化しない限り、筋肉量や耐久力は大した事ないから」
「……なるほど……」
――覚えておこう。
晶光はそう判断したが、その一方で
――こいつ、本当に柔道が、いや、何かを学び習う事が好きだったんじゃないのか?
という気もした。
努力に対して成果が出るというのは、人間にとって至上の悦びである。
理由はどうあれ、アストリッドは常人をはるかに上回る速さで学ぶ事ができたという。ならば、何かを習う喜びも人一倍だったはずだ。しかし……、
「あたしに埋め込まれた成虫原基が試作種もいいところ――それも『規格外品』だって、気付いたのも、その頃よ」
アストリッドの言葉は淡い期待を打ち砕くものだった。
「何故、あたしが影山ほのか女史と違って、すぐに再度の異形化が出来たかわかる?」
「……影山ほのか女史の異形組織の消耗が激しかったからか?」
何しろ、凝集光砲を生成発振までしているのだから。
「勿論、それもある。けど、より根本的な相違としては、あたしの成虫原基《女王級軍隊蟻型》がろくな機能分化もしていない――言わば『frameless_frame(フレームレス=フレーム)』だから、よ」
「形無しの形(フレームレス=フレーム)? 形無形?」
「どちらかと言えば、『型無き型』というべきからしね?」
「どちらにせよ、矛盾してないか?」
「そりゃそうよ。これは後付けの命名だもの」
「???」
「遺伝的アルゴリズムというのはわかっているわね?」
「何度か聞いたからな。概要だけならわかった……つもりだ」
遺伝的アルゴリズム(genetic algorithm、略称:GA)とは、その名の通り、生物発生起源的な解法だ。専門家は怒るだろうが、素人の晶光は『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』と解釈した。実際のところ、生物発生起源的な解法とはそういうモノだろう。親は一定の変異がある子を複数作る。実際のところ、進化の仕組みとはそれだけだ。それだけでも、莫大な試行回数を重ねれば、有益な変異の蓄積で、目に見える進化が顕現する。この時、試行回数≒演算処理能力が十分にあるならば、「こうすればいいんじゃないか?」という人間の浅智恵は不要だったりする。高等生物のような大規模プログラムは、人間が一から組み上げるには複雑すぎるからだ。そして、コンピューター性能が向上し、十分な試行回数≒演算処理能力が確保されながらも、書き上げるべきコードが膨大になってくると、この遺伝的アルゴニズムは有力な選択肢になってくる。
多分、《異形》開発はその典型だったのだろう。異形はその名の通り、異質な形質だ。人間の常識が通用しないところがある。そのくせ、高等動物のように複雑なところもある。つまり、異質で複雑で大規模なソースコード……そんなもの人間の手で書ききれるわけがない。一方、『彼ら』がコンピューター的な演算処理能力に不足していたとは考えにくい。『彼ら』が《異形》の具体的な開発段階に、遺伝的アルゴリズムに頼るのは自然に思える。
「じゃあ、聞くけど、正規採用型を量産する時も遺伝的アルゴリズムを直接使っていると思う?」
「いや、それはないだろう。俺が調べた限り、遺伝的アルゴリズムはあくまで研究開発のシロモノ。普通に考えれば、遺伝的アルゴリズムで一定の完成品が出来たら、後はそれをむしろ愚直に模倣する」
つまり『守破離』だと晶光は思う。一に【型】を守り、二に【型】を破り、三に【型】を離れる。何事も見本となる【型】を守る。これが効率的だ。少なくとも本来の【型】とはそれこそ、戦国乱世の最適解――遺伝的アルゴリズムの成果物だからだ。
「荒夏も似た結論に至ったわ。だから、正規採用型異形体には甲冑式・自律式を問わず、かなり強固な型が設定されているの」
「当然だな。型破りと型知らずは違う。先人たちの経験の蓄積たる型の遵守には相応の合理がある。だから、何事もまずは教科書通りにやるべきだ。型破りに挑むのはその後だ」
「うん。だから、言ったでしょう――正規採用型には強固なフレームが設定されている――と」
アストリッドは同じことを繰り返した。
だからこそ、晶光は気付いた。
「いや、待て。アストリッド、お前は……」
「試作もいいところの規格外(Non-standard)だもの、当然、フレームは緩々(ゆるゆる)。ラマルク的進化機能自体は既に標準搭載されていたけどね。その方向性はほぼ自由、つまり無制約であり、無軌道であり、無責任だった」
晶光はゾッとした。
「ま、待て。じゃあ、女王級軍隊蟻型というのは?」
「だから、後付けよ。たまたま生き残った解が軍隊蟻の女王に似ていただけ。おかげで、あたしは原始的な可動感覚突起である触手を何本も使えるようになったけど」
「き、貴様の成虫原基の方が原始的なんだな?」
「ええ。逆に影山ほのか女史の成虫原基は最先端だったわ。何しろ、凝集光砲装備よ。LASER――Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation/輻射誘導放出式光波増幅――なんて、そもそも異形細胞による発現自体が最近実用化されたばかりだったんだから」
アストリッドの触手と、影山ほのか女史の凝集光砲――どちらが困難なのか、正直よくわからない。が、触手を持った生物は無数にいるが、凝集光砲を持った生物は多分いない。疑似生命らしい《異形》においても、同じ理屈が通用するのかもしれない。
「つまり、貴様の異形甲冑の方が原始的で構造が単純だったから、再生も早かったと? というよりも複雑化・特殊化を重ねてしまった異形甲冑の方が再生が遅かっただけだと?」
「それもある。ただ、『枠組み(フレーム)』の差にはもう一つの要素があるわ」
「……」
「甲冑式の成虫原基は体内に適合し、一定の化学エネルギーを蓄積すると、あたしたちの細胞と同じように分裂増殖するの。そして、複数の予備胚核を作るわ」
「高等多細胞生物みたいに機能分化したり?」
「それもあるけど、もう一つ重要なのは単細胞生物が分裂するのと同じ理由、それ自体の複製を取る事」
「ああ、その成虫原基が壊れ……死ん……機能喪失した時の代わりか?」
「ええ、特にイマジナルディスク自体、本来は使い捨ての消耗品だから」
「使い捨て?」
「男子なら、カブトムシとか好きでしょう? ああいう完全変態昆虫は何度も変態する?」
「まさか。成虫原基は一度しか……って、いや、待てよ、じゃあ……」
「そういうこと。カブトムシなら、一度成虫になってしまえば、あとは死ぬまで硬い鎧を着込んだまま過ごせばいい。けど、人間はそうはいかない。特に異形統御者は《荒夏》の中でも選良者よ。必要を終えれば、その甲冑を脱ぎ捨ててもらいたいし、必要があれば、さらにまた甲冑を着込んでもらいたかった。可逆性の確保は必須事項だった」
「――そのための予備胚核か?」
アストリッドは「その通り」と頷いた。
「これは、君みたいに成虫原基が一つのみいう素組みの甲冑式異形統御者にこそ、顕著ね。それこそ、カブトムシは一度しか『成虫化』できないのに……」
「俺は異形化し、それを解除し、人間体に戻り、さらに再びの異形化もした。その過程を何度も繰り返した。これは俺の中の成虫原基が予備胚核を形成していたからだな。だから、一つの成虫原基を使い切っても、予備胚核が成長すれば、次世代成虫原基になり……」
「その次世代成虫原基もまた予備胚核を作る。この再帰性によって、多細胞生物のように、単独では使い捨ての成虫原基も、水と糖分と窒素と時間があれば、複数回使用もできるし、原理的には一生使い続ける事が可能になるわけ」
「じゃあ、何が問題だったんだ? ちゃんと増殖分裂しかなかったとか?」
「逆よ。初期の原始成虫原基は増殖分裂しすぎたの」
アストリッドの口調は淡々としていたが、晶光にはその内容が壮絶だった。
「成虫原基が増殖し過ぎて、人体を食らい尽くすとか!?」
「その前に原始成虫原基は周辺の糖分を食らい尽くして、勝手に飢餓融解するわよ。繰り返すけど、異形化しようがしまいが、結晶細胞は蛋白質の分解すらできないんだからね。せいぜい、巻き込まれて壊死した既存生体組織を取り除く簡単な外科手術が必要なくらい」
「そ、そうか……じゃあ、俺が内側から、異形に食い尽くされる事はないんだな?」
「ええ。あたしの知る限り、そんな前例はない。そも正規採用型の成虫原基に強めの『枠組み(フレーム)』が組み込まれたのはそういった『失敗作』の反省から。暴飲暴食を控えさせる事で、自滅的飢餓融解を回避させる仕組みなの。もっとも、副作用として成虫原基の分裂増殖は遅くなったわ。それが影山ほのか女史の即時の再度異形化を難しくした一因」
「待て。確認しておきたいが、貴様の成虫原基にはその『枠組み(フレーム)』は組み込まれていないのか? だから、『frameless_frame(フレームレス=フレーム)』と?」
「正確には『枠組み(フレーム)』が凄まじく緩いというべきかしら? あたしの成虫原基はその分、大食いというわけ」
「それで何故、自滅的飢餓融解とやらに陥らない?」
「多型現象かな? 甘いものを食べ過ぎると、すぐに血糖値が上がって、病気になる人もいれば、そうでない人もいるでしょう?」
「貴様と貴様の成虫原基は、食べ過ぎても平気な類だったというわけか?」
「多分ね。ただし、《荒夏》にとっては別の問題が起きたわ」
「別の問題?」
「ええ。あたしの成虫原基は大食いで、分裂増殖が盛ん。本来、それらを制限するはずの『枠組み(フレーム)』が緩い。複数の予備胚核も次々と造る。それこそ、他人に分け与えれる成虫原基をもガンガン生み出すほどにね」
「!? 俺の中の成虫原基の事かっ!?」
「正解。君の成虫原基はさしずめ歩兵級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=ペデス】。ただそのモトは、あたしの成虫原基の予備胚核分枝体よ」
「じゃあ、貴様は……!」
「聞き逃した? あたしの成虫原基は女王級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=レギーナ】。まあ、こんな風に次々と駒を生み出せる特性が明らかになったからこそ、あたしは『女王』と呼ばれるようになったんだけどね」
「つ、つまり……そういうことか?」
続く晶光の口を閉ざしたままの質問に……。
――「そういうことよ。今まで君へ与えられた助言も、今まで君が勝ちぬけた理由も、あたしの君への遠隔支援というわけ」
……アストリッドもまた口を閉ざしたまま返答した。
――「俺が貴様と同じ軍隊蟻型だから、通信が成立する。そして、女王級である貴様は、歩兵級である俺へ、一方的に命令できるというわけか!?」
「あら、やればできるじゃないの。でも、一方的というのは言い過ぎよ」
晶光の必死な無言の詰問にも、アストリッドは優雅な有言の応答をする。
「貧弱ながらも『広義の強制性』はあるみたいね。でも、あたしに主導権があるとは言い難いわ。今も、ID帰巣性――母体だった成虫原基(ImaginalDisc)への帰巣性で、君は物理的にあたしへたどり着いたけど、これはあたしの意思とは無関係だった」
「信用できない」
「似た事を《荒夏》もまた考えたみたい。少なくとも、あたしの担当者らは、ね」
アストリッドは角砂糖をつまんで、そのまま口に放り込み、言う。
「そもそも戦術上、甲冑式異形システムは《荒夏》にとっての切り札。――これは信用も理解も実感もできるでしょう?」
「それは、まあ……」
「だから、その成虫原基ともなれば、《荒夏》が独占しておかねばならなかった。あの影山ほのか女史のような荒夏の正規構成員――つまりは十分な忠誠も期待できる選良者にのみ、与えられるべきモノだった。それが試行錯誤の必要からとはいえ、あたしみたいな実験動物まがいの小娘に適合しちゃった。それ自体が厄介だったのに……」
「よりにもよって、その成虫原基は想定外の自己複製・自己増殖をする。結果的に単独で異形の軍隊を形成する危険を秘めていた。――だからこその『軍隊蟻型』というわけか?」
「口で言う程には簡単でもないけどね。いくらあたしが外部移植可能な水準な成虫原基を体内生産できると言っても、実際に他者に埋め込んだ成虫原基の適合率はそう高くない。仮に適合したとしても、今の君のように育成には手間暇がかかる。何より、あたしには『組織力』が致命的に欠落している。……とはいっても……」
「脅威だな」
「それで、あたし、処分されそうになったの」
「いきなりかよ。もっと穏当な手段だってあっただろう?」
「《荒夏》は『悪の秘密結社』なのだと言ったでしょう? ……ああ、信用できないなら、こう付け加えようか? ――その頃にはあたしもあたしで、《荒夏》の連中にいずれ一泡吹かせてやろうと既に考えていた。だから、それを見透かした《荒夏》側の予防措置でもあったのかもしれない」
「理解に苦しむ」
晶光は突き放すように言った。
アストリッドが自身の境遇に不満を持つのは無理もないと思う。しかし、話を聞く限り、《荒夏》はアストリッドの生みの親であり、育ての親である。どうしても、
――和解の道はなかったのか?
という思いが頭を離れない。
――それとも、これは俺が甘ちゃん坊やだからこその発想なのだろうか?
「あたし、連中に玩具にされるのが嫌になったのよ」
アストリッドは晶光の疑念を(成虫原基の介在の有無は不明だが)読み取ったらしい。
「生まれる前も生まれた後も、あたしはずっと実験動物。欲望の捌け口にもされて幾星霜。百合営業が得意になったのも、その方がはるかにマシだから」
「百合営業? いや、さっきも言っていた気がするが」
「初心な君にはわかんないかなー」
そう言って、アストリッドは一枚の写真を取り出した。
これまで見て来たA4用紙とは違う。アナログ写真――捏造改竄困難――規格のそれに移っていたソレは……。
「……っ!」
晶光が絶句するような光景が写っていた。
「ねえ、この写真が何を意味しているか、わかる?」
「い、嫌なら別に言わなくても……」と言う晶光の声の震えが増した事は否めない。
「理解が不十分だと困るから、明言しておく。あたしの初めては、遅くとも、九歳の時」
「……っ!」
「人間って、慣れには弱い生き物よ。新人の中には、あたしの扱いに疑問を抱く女もいたけど、差し出された欲望には正直だった。――影山の姉もその一人」
気が付くと、アストリッドの碧眼の双眸が晶光をまっすぐに見つめていた。
「さっきも言ったけど、《プレ=アーデルハイト》はあたしだけではない。あたしには【姉妹】が大勢いる。あたしと似た様な目に合っている【姉妹】が大勢いる。でも、秘密結社《荒夏》に抗える幸運に恵まれたのはあたしだけ」
そして、その真開かれた碧眼からは涙が流れていた。
「どう? 反逆を決意にするには十分な理由じゃない?」
晶光は何も言えなかった。
***
――って、マジで信じているの? アハハっ、童貞丸出し~。
アストリッド十五歳は涙を流しながら、笑いをこらえるのに必死だった。
どうも、この童貞坊やはツツジさんがいないとチョロさ倍増らしい。これなら、成虫原基なしでも誑し込めそうだ。
――というか、そのツツジさんはどうしたのかしら?
彼女なら、童貞もとい晶光クンを一人にしないはずである。
しかし、そんなアストリッドの内心の疑問に対し、晶光クンは無言かつ勝手に答えてくれた。
彼が差し出した携帯端末の動画を総括すると、
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
という心底ヌルいものだった。アストリッドなら、折るなり、犯すなりするところである。が、ここは悲壮な表情を作る。
そして、涙を拭って、アストリッドは言う。
「拉致された日時と、状況を教えてくれるかしら?」
「ああ……あれは……」
東方晶光クンはあっさりぺらぺらと情報提供してくれた。
アストリッドは自身の端末を取り出しては立ち上げる。続いて、独自構築した情報網に繋ぎ、条件に合う可能性を検索する。
そして――。
「うん。ツツジさんは《荒夏》東京支部に監禁されているわ」
「ほ、本当か?」
「ええ。間違いない」アストリッドは正直に話した。嘘偽りは一切ない。正確には必要ない。「だから、共同作戦と行きましょう」
「っ? どういう意味だ?」
「アストリッドは《荒夏》東京支部へ、正面から殴り込みをかける。君はその隙にツツジさんを救い出しなさいな。……今、ツツジさんの監禁場所を君の携帯へ送信するわね」
「な、何?」
「君は別に特別な事をしなくてもいい。ツツジさん救出に専念してくれればいい。あえて言えば、その過程で警備の自律式異形を無力化してくれると助かる。それだけで陽動にはなるからね」
「……何でそんなに親切なんだ?」
「《荒夏》は、あたしと君の共通の敵だから」
そして、晶光クンがこの共同作戦に参加すれば、《荒夏》は彼をアストリッドの一味とみなす。そうすれば、なし崩しに晶光クンを、ひいてはツツジさんも、傘下に収められるだろう。あの《荒夏》を本気で敵に回して、彼と彼女が生き残る道は他にない。
さらに言えば、アストリッドもアストリッドで、ツツジさん救出に向かおうとは考えている。まあ、危なくなったら、すぐ逃げるつもりだが。
すると、晶光クンは絞り出すように言う。
「助かる……っ!」
――男の子って、頭がおかしいんじゃないのかしら?
アストリッドは本気で首を傾げたくなった。
晶光クンは、アストリッドが影山の妹に何をしたか、もう忘れているらしい。
***第五話 突入! 《荒夏》東京支部!
晶光とアストリッドは東京都心部の高層建築物屋上に立っていた。
その上で、視線は隣に屹立する高層建築物へ向いている。
「あれが《荒夏》東京支部なんだな?」
「ええ、中は丸ごと《荒夏》のアジトになっているから、遠慮は無用。むしろ危険」
「わかっている。覚悟を決めるさ」
時刻は午前四時、アストリッドに指示され、晶光ものこのこやってきたが……、
「ところで何でこの時間なんだ?」
「ん? 人通りの多い昼間に突撃して、無関係な人間を巻き添えにしたいの?」
「い、いや、配慮に感謝する」
晶光が慌ててそう答えると、アストリッドは意味ありげに笑った。
アストリッドは今日も白いタンクトップと青いダメージスキニージーンズの組み合わせ、そして、その下のショーツの紐を相変わらず見せ付けている。
晶光はなんとなく視線を下げた。すると、アストリッドの足元に、彼女が担いできた背嚢が無造作に置いてあるのが目に入る。以前、晶光の部屋で見たものと同じだ。つまり、アストリッドはアストリッドなりに準備をしてきたというわけだ。
――『その身一つで来ればいい。それが異形統御者の強みだから』
と、アストリッドに言われて真に受けて、晶光はノコノコやってきた。
――しかし、俺も俺で準備をしてくるべきだったかもしれない。
しかし、アストリッドに晶光の後悔を気にする様子はない。
「それで、大まかな内部構造とツツジさんの監禁場所については暗記しているわね?」
「あ、ああ、覚えてきたさ。突入後はツツジへ向かって最短経路で走る自信がある。……とはいえ、これは貴様が提供した情報が事実ならば、の話だがな」
「だから、あたしが先に正面から突入すると言っているのよ。君はその後で好きな窓から突入しなさい。――できるわね?」
「ああ、当然だ」
高層建築物の屋上から、跳躍して、隣の高層建築物へ突入する――常人には非現実的な作戦に思えるだろう。
しかし、今や異形統御者の末席たる晶光にとっては、むしろ凡庸な作戦に思えた。
小学一年生の晶光が全力で打っても、母は平気だった。しかし、中学一年生の晶光が全力で殴れば、母は負傷する。それはやる前からわかる(だから、やらない)。
それと同じ次元の話だ。
今の晶光が異形甲冑を鎧えば、この程度の跳躍は容易い。それがやる前からわかる。
これは体感であって、錯覚ではない。実際、準備の一環として、久々に道場に行って、稽古をつけてもらいもした。当然だが、異形甲冑は隠したままだったので、体格差で押し切られもした。しかし、技のキレについては、以前よりも(ろくに稽古をしていないのに)大幅に上回っていると不思議がられた。かつての刑部先輩を髣髴とさせるという声すらもあったぐらいだ。
――あれが異形統御者の余技。アストリッドが生身で俺を圧倒した理由か。
どうやら、異形統御者になると生身のままでも、いわゆる『直感』が冴え渡るらしい。いや、埋め込まれた成虫原基を考えれば、『生身』の定義自体が怪しくなるが……。
晶光が神妙な顔をしていると、アストリッドは微笑を浮かべる。
「頼もしいわね。……じゃあ、あたしは着替えるから、ちょっと待っていて」
「ああ……え、着替え?」
そう言ってアストリッドはいきなりタンクトップを脱ぎ出した。と思ったら、ダメージスキニージーンズとサンダルもまとめて脱ぎ出す。
晶光が『待っていてね』という台詞を真に受けていると、アストリッドはあっという間に紫のブラ&ショーツのみの下着姿になっていた。
まだ日は出ていない。だから、東京都心部とはいえ、薄暗い。
それでも、アストリッドの半裸は皓かった。
「って、えっ? 着替えるって?」
晶光が混乱している間にも、アストリッドの着替えは続いていた。
何と、アストリッドはさらにブラを外し、ショーツも脱いだのだ!
思わず晶光は両手で顔を覆う。
「な、何で下着まで!?」
晶光は指の間から、金髪美少女アストリッドの全裸をガン見しながら、叫んだ。
……誤解のなきように言っておくが、晶光のガン見は必要あっての事だ。アストリッドは信頼も信用もできない。それはこれまでの経緯で明白だった。つまり、ツツジを救い出すためにもこの金髪美少女に気を許してはいけない。だから、晶光はアストリッドの凄まじい曲線を成す素晴らしい肉体から目を離せない……!
すると、アストリッドは一糸まとわぬ艶姿を見せ付けるように両腕を背中に回す。
「あら、説明不足だったかしら?」
「な、何がた!?」
「前にも言ったけど、異形甲冑は、原則的に、皮膚表面の電流を入力信号として動くの。だから、あまり厚着すると、異形細胞が人体組織からの電気信号を正確に拾えず、甲冑の統御に支障をきたしてしまうの。一応、異形細胞分泌の媒介粘液補助なんかもあるから、極端な誤作動は珍しいけどね」
「……だから、貴様はいつも薄着とでもいうのか?」
「ええ。羞恥に耐えつつ、必要ゆえに薄着なの」
と、語るアストリッドは全裸のままだった。
訂正する。見せ付けるようにではない。こいつは明らかに裸身を見せ付けていた。
「それに、今回はあたしも本気でいくつもりだから」
「……服を着ずに異形化すると?」
「いえ、甲冑統御用の装備を着るわ」
アストリッドはそう言って、全裸のまま、背嚢から、妙に薄い『装備』――ウェットスーツを思わせるSF的ぴっちりスーツを取り出す。
「それ、影山ほのか女史も着ていた……」
晶光の脳裏にあの恐怖と惨劇が甦った。
しかし、アストリッドは気に留めることなく、淡々と説明する。
「《ドライバーウェア》、文字通り異形統御者用の下着よ。《TAMAGOROMO》――『緊張分析・(Tension Analyzer/)運動分析・(Motion Analyzer/)成長観察・(Growth Observer/)相互有機(Reciprocal-Organic )メモリオブジェクト(Memory-Object)』で形成されているから、人間の生体信号を安定増幅させ、異形細胞が入力信号として受け取り易くできる。つまり、より円滑な甲冑統御ができるの」
「ああ、だから、統御者装束というわけか」
「他にも色々、例えば、ブラジャー機能なんかもあるし」
「誰もそこまで聞いていない……」
「あら、重要よ。あたしはEカップで、合わせて1キロ程度あるもの」
全裸のアストリッドはわざわざ己の乳房を持ち上げやがった。
「わかったから、早くそれを着ろ」
「本当にわかっているの? このドライバーウェアは皮膚表面の電流なんかを正確に拾うために肌へ密着する下着であり、生化学的な接続を妨げないために薄着なのよ」
ちなみにアストリッドはまだ全裸だ。謎ぴっちりスーツ改めドライバーウェアとやらを手にしながら、それを着ようとしない。
「君用のドライバーウェアはないし、男のぴっちりスーツ姿には需要もない。ツツジさん救出後に、人ごみに紛れて逃げ出す事を考えれば、君は異形化を解いた時に日常の衣服を着ていた方がいい」
それはわかっている。だから、晶光も普段着で来た。社会性を考えて、武器も防具も身に着けていない。
「ただ、異形統御者にはそういう性質や装備がある事は、ちゃんと理解しておいてね」
「わかった。わかったから、早くそれを着ろ」
「なんだか、ぞんざいね」
「ぞんざいに扱われたくなかったら、早く着ろ」
晶光はそう言って思い切って背を向けた。すると、アストリッドからは「わかったわよ、でもこれ、試作品もいいところで、潤滑剤なしで着るにはちょっと時間がかかるからね」という返答が来る。
ピチピチとかキュッキュッとか、およそ衣服を着ているだけとは思えない音が背中から聞こえる。時々聞こえるパンパンという音は、あのぴっちりスーツと肌の間の空気を抜くために手で叩いているためのものだろうか?
「んー、やっぱり無理かな? 潤滑剤を使うわね」
「どうでもいいから、早くしろ……!」
ビュビュとかピチャピチャとか、今度はそんな音が聞こえた気がする。これは幻聴か、あるいは異形統御者化の影響か?
晶光が想像の翼を必死に抑え込んでいると、アストリッドが静かに尋ねて来る。
「君さ、もしかして、女の裸を見るのは初めて?」
「それは……」
と、そこで晶光は口を閉ざす。
――小さい頃は、俺もツツジと一緒の風呂に入っていたが……。
さすがにそれは秘密だ。だから、緘黙を続けるしかない。
しかし、その静寂はアストリッドが先に破ってくれた。
「もういいわ。着替え終わったから」
そんなアストリッドの言葉を信じて振り返る。晶光が馬鹿だった。
金髪碧眼美少女の着替えはたしかに終わっていて、ドライバーウェアとかいうぴっちりスーツで全身を覆っていた。ぴっちりスーツは極薄で、その艶美極まる全身の線は丸出しだった。まあ、それはいい。煽情的だったが、覚悟はしていた。
が、アストリッドは全裸同然のその上に、モミモミと謎の粘液を擦り込んでいた!
「ああ、この粘液は着替え易くするための潤滑剤と言うだけなく……」
「言わなくてもいい……!」
晶光はまた両目を両手で顔を覆って、先に答える羽目になる。
「どうせ、超音波診断用ゼリーみたいな機能があると言うんだろう?」
「加えて、電気化学的にも調整されているから、その辺りの接続補助機能もあるわ。異形細胞が分泌する粘液と同類ね」
アストリッドは胡散臭くも納得はできる説明をする。乳房の間などでネバネバ糸を引く粘液を、ヌルヌルモミモミと全裸ぴっちりスーツ越しの全身に塗りたくりながら、だ。
「それにしても、君は随分と初心ね? 本当に童貞?」
「……」
「っていうか、この際、聞いておくけど、君、ツツジさんとは男女の仲じゃないの?」
「……」
「まさか、ただの幼馴染ってわけ? ツツジさんを女として見た事がないってわけ?」
「……いや、ツツジはただの幼馴染ではない」
晶光は本心を口にする勇気をかき集めるのに時間がかかった。
だから、その時、晶光は両手を下げ、まっすぐにアストリッドを見つめていた。
「ツツジは俺の想い人だ。俺の片思いなんだ」
「は……?」
「わかっている! 俺なんかがツツジとは釣り合わないという事は! 身の程知らずだという事も! 百も承知! だが、好きなんだ! どうしようもない!」
「いや、あの……」
「俺が初めて異形の甲冑をこの身に鎧った日は憶えているな?」
「ええ、君があたしの手紙に……」
「そもそも、俺が、何故、貴様の手紙にのこのこ従ったと思う?」
「あたしに魅了されたから……ではないの……ね?」
「ああ! ただの口実だ!」
気が付くと、晶光は拳を握り、叫んでいた。
「俺がツツジにベタ惚れだったからだ。ツツジにメロメロだからだ。ツツジと一緒にいる時間が欲しかった。一分一秒でもツツジと一緒にいたかったからだ……!!」
ツツジの制服スカート姿を毛嫌いしていたのも、ツツジの生足を人前にさらしたくなくかったからだ。だって、あいつの腿は白くて細くて、いやそういう事ではなく!!
「空手をやっていたのも、ツツジに肩稽古姿が綺麗と褒められたからだっ! 他に理由があるかっ!」
「…………そういえば、『女は黙っていろ……!』とツツジさんには言ったわよね?」
アストリッドがいきなり妙な事を言い出した。
「ん? ああ。それがどうした?」
「いや、あたしは言われなかったな――と思ってね?」
「だから、それがどうした?」
「……なんだか、本気で……」
「え? なんだって?」
「…………………………変身(Förvandlingen)」
アストリッドの相変わらず本格的な発音に、晶光は慌てて飛び退いた。
次の瞬間、ドライバーウェアの胸元と背中から、赤黒く生々しい数多の触手が飛び出す。そして、それらが金髪碧眼美少女の全身を覆い、蛹か繭を思わせる有様を経て、表面が結晶化する。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。
「……危ないな」
「今の君なら余裕で躱せるでしょう? 仮初にも異形統御者なんだから」
六群の触手を背負い、要所要所を結晶性の外殻装甲で覆われた異形細胞甲冑体――女王級軍隊蟻型甲冑式異形体=アストリッドは平然と語った。
「だからって……」
「ほら、君も早く早く」
アストリッドがそう言って指を鳴らす。すると、晶光の胸の奥に違和感が生まれる。
「き、貴様!」
晶光の中で蛇のような何かが蠢き出す。もう慣れてきてはいるが、ここまで露骨だと、さすがに衝撃だった。
「これが『女王級』というわけか……!」
「本気で抵抗すれば、君も拒めるわ。でも、無駄な手続きは省きたくない?」
「ちっ……」
晶光は舌打ちするしかない。
次の瞬間、晶光の胸元からも無数の触手が飛び出た。赤黒く生々しいそれらは正面に立つアストリッドへ直進し……
「嫌よ嫌よも好きの内ってね」
……接触する直前に制止し、方向転換する。
この間、アストリッドは一歩も動いていなかった。躱す素振りすらなかった。晶光よりもはるかに成熟した異形統御者であるにもかかわらずに、だ。
そして、晶光の全身を触手が覆い、蛹か繭かという有様を経て、その表面が結晶化し、その直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。
残るのは、異形細胞の全身甲冑に鎧われたほぼ忠実なヒト型の似姿。
だが、アストリッドはそれを見て少し驚く。
「あら、君の表現型、また変わったわね?」
「……それはこっちの台詞だよ」
たしかに晶光の異形甲冑は突起部分等が多少変化していた。……しかし、それだけだ。
が、アストリッドの異形甲冑には明らかに新たなスカート状器官が追加形成されていた。これは……
「いわゆる『最適化』よ」とアストリッド。「構成要素間の調和をとって、システムの状態や動作を最適に近づけるの」
「俺達の心身に合わせ、異形甲冑側もその性質を微調整してくれると?」
「ええ。さらにあたしの場合は作戦目的に合わせて、意図的に異形の側を調整しているの。今回は奇襲というよりも強襲になるなら、追加装甲を形成したというわけ」
「な、なるほど」
「やろうと思えば、この触手も硬質化表皮をなくし、生の異形細胞を剥き出しに出来るわ」
「……それ、どういう時に使うんだ?」
「ふふっ、知りたい?」
「……聞かない方がよさそうだな」
「あら、それは残念」アストリッドは邪さを隠そうともしない。「ただ、こういった最適化がありうるという事も覚えておいてね。脳神経側の可塑性が残り少ない君は微調整程度しか起きないだろうけど、イグフテルを使える連中はその限りではないから」
「ふん」
晶光は鼻で笑った。
「「……」」
これも異形統御者同士特有の間合いというものだろうか?
互いの大小様々な準備を整え終わった事を無言で確認し合う。
晶光とアストリッドはほぼ同時に跳躍突入した。
***
***
***
アストリッドは、十五年の人生の中で、一途な恋心なんて見た事がなかった。
庇護欲や保護欲というものを否定するつもりはない。それらは人間を形成するたしかな要素だと思う。しかし、それらは欲望の一種でしかないと思っていた。
それは必要な事だとも思っていた。
例えば、ある者がある女に惚れたとしよう。好意を口にすらしたとしよう。そこに別の、より若く美しい女がその者へ好意を示せばどうなるか?
――その者は若く美しい女へ乗り換えるに違いない。
我が子を死なせてしまった母が、新しく生んだ子へ愛を注ぐのと同じ、当然な事だ。
しかし、あの少年は違うのかもしれない。だからこそ、
――「……なんだか、寝取りたくなったわー……」
と、アストリッドは口にまでしたのだ。
「彼はあの娘の事は『女』と見ている。というか、あの娘こそを『女』と見ているの?」
考えてみれば――。
東方晶光は何かある度に、一々必ず三葉ツツジの指示を仰いでいた。限定的とはいえ、彼を監視していたアストリッドにはそれがわかる。彼の様な男子中学生が今回の様な異常事態に出くわした時、本来、相談相手となるのは両親か友人だ。とりわけ東方晶光のように家庭環境が(当人の自覚はともかく)極めて良好な場合、まず両親へ相談するものだ。
ところが、東方晶光はまず三葉ツツジの指示を仰いだ。これは異常だ。何といっても、当人にその異常さへの自覚がない。それが異常なのだ。たしかにアストリッドは脅迫もしたが、その前の段階で両親に相談することはできたのだ。何しろ、東方晶光はアストリッドと違って、『健全な家庭』に恵まれているのだから。
しかし、それでもなお東方晶光は三葉ツツジの指示を求めた。
加えて、成虫原基越しにも伝わってくる強力な依存心!
さらに、今後の社会生活をまるで考えていないとも思える行動力!
「……歩兵級と言うよりは奴隷級ね……」
そして、そんな彼の女主人は、しかし、女王級であるはずのアストリッドではない。
不愉快だった。
アストリッドの役割が陽動なのは僥倖だったのかもしれない。
目立つ振る舞いが必要とされるのだ。ならば、少々感情的になるのも悪くない。
だから、アストリッドは正面玄関の鎧戸を堂々と突き破った後も、《荒夏》東京支部の中枢へ一直線に駆け出す事にした。
勿論、屋内でも要所要所は鎧戸で閉鎖されているし、中枢への道筋は公開されていない。しかも、警報機がけたたましい音を鳴らし、警備員が警棒を片手に駆け寄ってくる。
――うんうん。予定通り。
異形甲冑の爪牙と筋力なら、鎧戸を引き裂く事も朝飯前。中枢への道筋も、異形器官の超感覚とアストリッドの超認識の組み合わせで割り出せるし、下調べとも矛盾していない。警報機の音も耳障りではあるが、陽動には役立つ。警備員はおっさんばかりだったので、目に付いた者から、触手で眼球を貫き、大脳を抉って、無力化していく。
――さて、どこで切り上げようかしら?
中枢付近には明らかに甲冑式異形体と思われる気配が複数ある。アストリッドが当初想定したよりも何故か少ないが、おそらく防備を固めているのだ。そんなところまで突入するのは自殺行為。引き際を見極める必要がある。
アストリッドは思案を重ねつつ、通路を進み、死体を積み上げていく。
すると、敵性異形の気配が急に迫り始めた。蜥蜴型と竜盤型が複数、つまりは自律式の群れである。
さらに、その後ろから新たな警備員が駆け付け始めた。しかも、彼らはこれまでと違い、露骨に銃器で武装している。しかも、アサルトカービンライフルやらソードオフショットガンやら、ここが日本だという事を忘れさせるような銃器ばかりだ。
そして、両者は明らかに連動している。陣形を組んでいると言ってもよい。
――さあて、《荒夏》の本性を現し始めてきたわね。
勿論、通常の自律式異形など、今更、物の数ではない。あの東方晶光ですらも、初陣で勝てた相手だ。アストリッドなら、触手の一刺しで無力化できる。
警備員の銃器も同じだ。甲冑式異形は拳銃弾程度ならば防いでくれるし、そもそもその超人的な運動能力で相手にまともな照準をさせない。
(さらに、異形統御者には特有の『直感』がある。勿論、人の身で銃弾を躱す事は不可能だが、予め銃弾が自分に命中しない位置に移動する事は出来るのだ)
それでもなお、アストリッドは一応、慎重策を取った。
まず、曲がり角に身を隠す。次に、触手で壁を少し抉る。この時の音で敵性自律式異形軍団はアストリッドへ注意を向け、警備員達もまたこちらへ銃口を向ける。予定通り。アストリッドは抉った壁の破片をそのまま触手で掴む。
そして、六群の触手を曲がり角の向こうに伸ばし、六個の破片を同時に投擲する。
相手は無警告で発砲してくるが、人体ならばともかく、細く伸ばした触手群に致命傷を与える事はできない。それどころから、発砲のために銃器を突き出す形になった事が仇になる。
触手に投擲させた破片は正確に銃器に命中したのだ。異形統御者の優位とはこういった軌道計算をも直感的に行える点にある。
そう、警備員達はそろって銃器を取りこぼしたのだ。
アストリッドのような甲冑式異形統御者にとって、その隙で十分だった。
――予め射刀を用意しておけば、触手の届かない距離でも一撃で仕留めれるかな?
そんな思いつきと共に、アストリッドは敵性防御陣形に突入する。
後は一瞬だった。両手両足を動かすまでもない。触手だけでも敵は等しく解体できる。
異形由来の粘液と人体由来の鮮血、そして共に等しき肉片を舞い散らかす。
赤と黒の驟雨の中、アストリッドはふと別種の気配に気づく。
「あ、女だ」
早朝出勤の受付嬢と思しき存在を察知する。
それも巨乳だった。恐怖に震える身体を縮め、物陰に隠れていたが、甲冑式異形で増設拡張されている感覚認識系で舐め回せば、彼女のGカップですら手に取るようにわかる。しかも、荒夏に採用されるだけあってか、彼女はそこそこの美人だった。巨乳であっても、腰回りが弛んでいない。
考えてみれば、今日はおっさんと異形の相手ばかりさせられていた。
だから、アストリッドは潤いを求め、彼女へ触手を伸ばす。
「い、いやあああああああああああああああ」
巨乳受付嬢の悲鳴にうっとりしながら、アストリッドは触手で彼女の衣類を剥ぎ取り、即行で全裸にする。男は殺し、女は犯す。世の理だ。
――でも、なんで、こんなところにこれだけの上玉がいたのかしら?
アストリッドの疑問は、しかし、すぐに解けた。
『女子更衣室』
その標識が目に入ったからだ。
***
女子更衣室に沢山隠れていたので、まずブスとババアから、順番に触手で殺していく。ブスの心臓を突き刺して抜いて、ババアの心臓を突き刺して抜いて。
数秒で目障りな連中を皆殺し完了。
そして、残ったのが甲乙つけがたい二人の若い女だった。ちなみに最初に全裸にして、触手で拘束したまま持ち歩いている女を含めれば三人。アストリッドも入れれば、四人。まあ、アストリッド以外は二十台だから、結局アストリッドが一番若くて美人なんだけど。
――さて、どうしよう?
アストリッドは少し考え込んだ。
最初に拘束したGカップ受付嬢は全裸に剥いた上で、触手で左右の足首を拘束し、大股開きの姿勢で逆さ吊りにしてある。両手はまだ使えるはずだが、もはや反抗の意思はないらしい。よく見れば、虚ろな顔で涙を流している。
残りの美人二人は着替えの最中だったのか、半裸でガタガタと震えている。
ふと『乳合わせ』をさせたくなった。最近女子小学生ばかりだったのでご無沙汰だったが、この二人に互いの乳房同士をこすり合いさせれば、さぞや絵になる事だろう。そして、嫌よ嫌よも好きの内。すぐに乳首は四つともギンギンに勃起して……。
……と、思ったが、今日はさすがにそんな時間の余裕はない。
アストリッドがそんな風に迷っていると――。
「と、投降します」
女の一人が両手をあげて、勇気を振り絞って、そんな風に言ってきた。
アストリッドの甲冑式異形体を見て、こういう台詞が出て来る辺り、彼女は《荒夏》の内情についても知っているらしい。
「ありがたい話だけど、アストリッドとしては情報漏洩が怖いから」
「だ、誰にも言いません。だから、殺さないで……!」
「そう。ありがとう」
次の瞬間、アストリッドは触手でその女の首をちょん切っていた。
沈黙していたもう一人の女は「え?」と事態を呑み込めずにいた。
だから、彼女――この場でアストリッドの次に美人――の隣に首を放り投げてやる。
「あ、あああああああああああああああ!!!!!」
そんな彼女の絶叫に、アストリッドは興奮した。
気が付いたら、触手で彼女の残り少ない着衣をも剥ぎ取っていた。
「い、いやっ。いやっ。いやぁああああっ!!!!」
そして、彼女も全裸にすると「ひっ……ひっ……」と実にそそる喘ぎ方をしてくれた。
「うんうん。やっぱり、あなたの方が美人だから」
「……あ、ありがとうございます」
彼女は裸に剥かれて、両手を触手で縛り上げられながら、アストリッドに感謝した。
同僚が無残に殺され、全裸で吊り下げられているにも関わらずに、だ。
――ほら、やっぱり、人間って、こんな生き物よ。
ツツジさんなら、予言の自己成就とでもいうだろうか?
しかし、その一方で晶光クンには是非とも見せ付けてヤリたい光景だった。
「あ、でも、武装していないかは心配なの。ほら、女の人って、隠し場所が色々あるしー」
「「……!」」
その台詞に彼女らは揃って顔色を変える。
「とりあえず、身体検査ね」
アストリッドの触手は蠢いた。
***
***
***
晶光は窓硝子を突き破った。
そして、高層建築物の五階に降り立つと、すぐにけたたましい警報音が鳴る。
しかし、晶光はまず周囲の気配を探った。異形化に伴う超感覚と超認識を全開にしたのだ。
――よし、ここは《荒夏》東京支部……少なくとも《荒夏》のアジトだな。
警備用らしき自律式異形の気配が複数かつ明確にある。つまり、この建物で《異形》が運用されている。そして、それができるのは《荒夏》のみだ。……アストリッドのまるで信用できない説明の裏付けがようやく取れた。
――というか、この『超感覚』と『超認識』は便利すぎないか?
大まかにとはいえ、これだけの広範囲を一気に探査可能とは驚異という他ない。……異形統御者の真価とは、異形細胞による筋力や装甲ではなく、展開能力ですらなく、この超感覚と超認識の複合によるこの『ちょっと異常なカンの良さ』なのかもしれない。
晶光は、そんな事を考えながら、ツツジに向かって走り続ける。
夜間という事もあってか、進路が鎧戸で塞がっている事もあったが、異形の筋力なら、容易に引き裂ける。
とはいえ、警報音にひかれた警備員が駆け付けるのは無理なからぬ話であった。
ただし、警備員のすべてが《荒夏》関係者というわけでもないらしい。
駆け付けた警備員は、まず異形甲冑に鎧われた晶光の姿に驚くのだ。というか、そもそも警備員の武装は警棒のみだったのだ。
――ならば、無益な殺生は不要!
晶光は異形の脚力で彼らの間を駆け抜ける。
警備員は反応すらできず、呆然と立ち尽くすのみだった。
***
***
***
アストリッドは絶好調だった。
殺して、殺して、殺しまくっていた。
警備員も、自律式異形も、見つけ次第に触手で殺す。何故か、物陰に隠れて震えていた幼い兄弟(おそらく《荒夏》関係者の子弟)も、とりあえず触手で縊り殺す。
――『女体の盾』は思った以上に有効ね。
これは先に囚えた上玉の女を二人、全裸のまま触手で吊るし、人間の盾としたものだ。……物理的な防御力には乏しいので、通用するか否かが不安だったが、その成果は如実にあらわれていた。
まず、自律式異形がこちらに襲い掛かる事をやめた。強力な保護設定がなされているのだろう。アストリッドごと彼女らに平伏する姿勢すらとったのだ。
警備員も同じだ。若くて小奇麗な裸の女二人を目にして、露骨に発砲を躊躇ったのだ。
――男って馬鹿ねー。さんざん玩具にしてあげたから、中古もいいところなのに。
アストリッドは、内心せせら笑いながら、またも触手を伸ばす。
元々、こちらは異形の速度と異形の筋力とを兼ね備えているのだ(『女体の盾』がまだ生きているにも関わらず無抵抗なのはその動きについてこられないからでもある)。
相手の攻撃はまず命中しないし、アストリッドの一撃はまず必殺となる。
だから、触手をヒュンヒュン伸ばすとすぐに鏖が終わった。
人体は悲鳴と共に屍体となり、異形は気泡を立てて分解される。
アストリッドは順調すぎて戸惑っていた。
――うーん、ほどほどでいいんだけどねー。
これでは無人の野を行くが如しである。このままだと《荒夏》東京支部の中枢へたどり着いてしまう。前述の通り、それは本意ではない。
しかし、次の瞬間――。
いきなり、複数の疑似生体誘導飛翔弾がアストリッドに目がけて飛んできた。
「ってえええええ……?!」
回避――は間に合わない。防御をするしかない。しかしどうやって?
間延びした一瞬の中、逡巡し、決断する。
アストリッドは触手を動かし、『女体の盾』を『物理的な盾』にした。
二重にした全裸の女へと誘導飛翔弾が着弾。猛烈な爆発で女体は四散。細切れになった女の血肉骨片を至近距離で被る羽目になったものの、アストリッド自身は感覚器系が一時障害になる程度の被害で済んだ。
「仲間の女ごとなんて、ひどいなあ。副次的被害とでも言うわけ?」
アストリッドは本気で怒っていた。せっかくの玩具を壊されたのだから、当然の話だ。
「……慈悲の一撃だよ。外道の嬲りものにされるよりはマシなのでな」
彼は嫌悪を隠さず、翅隠型甲冑越しにそう吐き捨てた。
――誘導弾砲搭載版翅隠型甲冑式異形体【スタフィリニデ=ミーシル】……!
晶光クンの報告にあった個体。影山ほのか女史と同じ、本物の異形統御者だ。
その堂々たる威容にアストリッドは正直焦った。
アストリッドは既に近縁種である翅隠型甲冑式異形統御体=影山ほのか女史を仕留めている。が、あれはあくまでも一方的な奇襲が成功したからの話だ。
眼前に立つ異形統御者は万全の状態、しかも油断の欠片もない。
実際、他の警備員たちが新たに駆け付けても、彼は微動だにしなかった。
それどころか、異形統御者を援護しようと、健気に隊列を組む《荒夏》警備員に対し、
「不要だ。下がれ」
と、彼は冷徹に言い放った。
「し、しかし……!」
「悪いが、今この場において、諸君らは足手まといだ。しかし、諸君らの役目は他にこそある。違うか?」
「りょ、了解……ご武運を」
そして、警備員たちもまた隙を見せずに撤退していった。
アストリッドはそのやりとりにクスクスと笑ってしまう。
「何がおかしい?」
「いや、上手いなあと思ってね。只人なんて、頭から見下している異形統御者なのにさ。さすがは《荒夏》のエリート様」
「貴様の凌辱暴虐を見過ごすよりはマシだ」
「ふーん。じゃあ、聞くけど、何で甲冑式異形統御者はあなた一人なのかしら? 戦力の逐次投入の愚かさを、知らないわけじゃないでしょう?」
「……」
「中枢を生かすため、末端を見殺しにした。違う?」
「答える義務はない。いずれにせよ、影山の仇、取らせてもらう」
――やれやれ、そこで影山姉妹か……。
アストリッドが殺した人間の数は覚えていないが、今日だけでも二桁は軽いはずだ。
なのに、口から出るのは影山姉妹の事……いや、これはもしかして……?
「もしかして、あなた、影山さんに惚れていたの?」
「下衆が!」
アストリッドの質問への返答は怒声と二発の誘導飛翔弾だった。
超感覚と超認識を全開。時空停滞現象――思考加速へを最大。……だが、まともな対応策がない。
そもそも、ここは屋内だ。
限定空間なので躱しようがない。
仕方がないので、アストリッドは伸ばした触手を盾にして誘導飛翔弾を防いだ。より正確には、六群しかない触手の二群を犠牲にして誘導飛翔弾を凌いだ。何せ、誘導飛翔弾自体は正常作動している。そして、アストリッドの増設腕部と言える触手がその化学爆発の直撃を食らった。いくら、強靭に鍛え上げた異形細胞と言っても、機能不全に陥ってしまう。
それでも、アストリッドは質問を続ける。
「ねえねえ。それで、お姉ちゃんと妹さん、どっちが好きだったの?」
「黙れ!」
さらに疑似生体誘導飛翔弾が二発放たれる。アストリッドは先程と同様に二群の触手を犠牲にどうにか凌ぐ。
「考えてみれば、妹さんは残念だったわね。【スタフィリニデ=ラーゼル】の凝集光砲、ここで使えば、回避も減衰も不可能だから、あたしは詰んでいたのに……」
「……挑発はそこまでか?」
彼は急に――あるいは演技をやめたかのように――冷静な口調で、さらに疑似生体誘導飛翔弾を二発放つ。アストリッドは三度、二群の触手を犠牲にどうにか凌ぐしかない。
同じ事の繰り返し……ではない。
アストリッドの触手は六群すべてがこれで機能不全である。これはアストリッドを鎧う女王級軍隊蟻型甲冑式異形体の主兵装が無力化されたに等しい。
逆に誘導弾砲搭載版翅隠型甲冑式異形体が内蔵生産する疑似生体誘導飛翔弾には、まだ明らかに残弾がある。
しかし、アストリッドはもう触手で誘導飛翔弾を防ぐ事ができない。
そして、彼は戦力の逐次投入を避ける。
「これで終わりだ……!」
翅隠型の体幹装甲が肩部方面に大きく『展開』した。その奥に無数残っていた疑似生体誘導飛翔弾が全弾発射体制に移行する。
だから、アストリッドは切詰式二連装散弾銃を二丁取り出した。
「なっ……!」
異形甲冑のスカートの下に隠し持っていたものだ。正確にはここの警備員が持っていたソードオフショットガンからちょろまかしたものだ。
「じゅ、銃火器だと……!?」
彼が驚愕したのも無理はない。
異形統御者には銃火器を軽視する傾向がある。
銃火器で武装しまくっていた警備員がアストリッドを仕留めれなかった事を考えれば、当然の傾向ともいえる。重要な事なので繰り返す。甲冑式異形を相手に個人用の携帯火器が有効打を与えるのは難しい。異形細胞は小口径弾を素で防ぐし、異形甲冑の運動能力は狙いを定めさせない。そも高品位成虫原基による【超認識】と【超感覚】の相乗効果はほとんど予知能力に近い――【疑似超反応】の領域にある。予め銃弾が中らない座標を把握し、常に危険個所を避け続ける事が出来る。極端な話、『なんとなくだけど、ここはヤバイ?』という直感?に基づき、被狙撃箇所に近寄らない事で、長距離狙撃をも無力化するのだ。
翅隠型の誘導飛翔弾が有効機能しているのも、【疑似超反応】同士の相互無力化現象によるものだ。これが単なるRPGなら、アストリッドを含む異形統御者は、そもそもその射角に入らない事で対応できる。
我ながら、インチキ極まりない。しかし、だからこそ、秘密結社《荒夏》は甲冑式異形システムを戦術上の切り札としたのである。
ただし、何事にも例外がある。
「くっ。死ねええええええ!!」
彼は躊躇せずに決断した。翅隠型異形甲冑は残った誘導飛翔弾を全弾発射する。
巧遅よりも拙速を選んだのは正しい判断だったと思う。
実際、アストリッドはギリギリだった。
散弾銃の二丁持ち。生身ではまず不可能な芸当だ。
しかし、今のアストリッドは異形化している。超人の怪力で正確な照準と発砲ができる。
後は、間に合うか、間に合わないかで――そうギリギリだった。
アストリッドは二丁持ち切詰式二連装散弾銃の引き金を一気に引いて、12番口径の粒状弾を四発ほぼ同時に打ち出す。
……ちなみに、異形統御者が銃火器を軽視する理由は先に述べた他にも多い。例えば、精密部品の塊である現代の銃器はその複雑さゆえに、甲冑式異形体の筋力と反応速度についてこられない。異形統御者が本気を出すと、かなりの確率でジャムってしまう。結局、現代の銃火器は生身のヒトの使用が前提になっているというわけだ。そのため、異形統御者の多くは複雑な銃火器よりも、むしろ単純な刀剣類を好む。
同様の理由で、アストリッドは精密なカービンライフルではなく堅牢なショットガンを選んだ。それも、オートマチックやポンプアクションよりも、構造の単純さゆえに誤作動が少なく、連射の利くダブルバレルをこそ選んだのだ(それこそ、取り回しを優先するなら、拳銃。とりわけ、誤作動し難いリボルバー、異形の装甲を抜けるマグナムを選ぶだろう)。
そして、二丁持ち切詰式二連装散弾銃はその信頼にこたえてくれた。
四発の原始的な12番口径粒状弾は、最先端技術の結晶である疑似生体誘導飛翔弾群と衝突。発生する誘爆現象は轟音衝撃を齎した。しかしやはり、その結果は感覚系が一時障害になる程度だった。
奇しくもこれで、甲冑式異形統御者は双方ともに主兵装を失った事になる。
「銃火器に頼らない姿勢。異形統御者の誇りと言えば、聞こえはいい。けれども、結局は下らない選民思想だったということね」
「……っ!」
アストリッドは切詰式二連装散弾銃を二丁ともに投げ捨て、異形のスカートの下に隠していた遠隔装置を起動させる。
次の瞬間、爆音と衝撃がこの区画に伝ってきた。
「い、今のは……!?」
「通りがけに設置していた爆薬の爆発。というか、この異形スカートも元々は爆薬運搬のためだったの」
「こ、この《荒夏》東京支部は近代高層建築物だ。ましてや、ここは世界屈指の地震大国日本だぞ。素人が仕掛けた爆薬で建築物全体が崩壊など、設計上あり得ない……!」
「ええ、同意するわ。アストリッドがこの《荒夏》東京支部を物理的に爆破するのは無理。でも、社会的に無力化するには十分じゃないかしら?」
「……っ!」
彼は翅隠型の肩部人外器官を全面物理排除した。先端技術かつ主力兵装である誘導飛翔弾発射部位を捨てたのだ。その上で即座に突貫、アストリッドへ近接戦闘を挑んできた。
――ここで死重量を切り離す決断力はやはり賞賛に値する。
だから、アストリッドは珍しく敬意を以って、彼を無力化する事にした。
***第六話 誕生! 鮮烈の騎士甲冑!
晶光は絶好調だった。
駆けて、駆けて、駆けぬけていた。
もう人間の警備員は近くにいない。どうもアストリッドが引き付けてくれているようだ。これがとてもありがたい。繰り返すが、人を傷付けずにすむなら、それに越した事はない。
勿論、《荒夏》の警戒が薄いというわけではない。
代わりに異形の群れが次々と来る。
少数の竜盤型と多数の蜥蜴型が陣形を成して迫り来る。
だが、それも、今の晶光にとっては『所詮は自律式』に過ぎなかった。それどころか
――「《荒夏》は人間の労働者を自律式異形などへ積極的に置き換えているわ」
――「連中の目的は一部の選良者とそれに奉仕する異形などによる楽園建設」
――「具体的には北海道にある行政特区【飛天市】みたいな城壁都市とかね」
――「逆に言えば、選良者以外の人間は切り捨てる組織なの」
――「つまり、『悪の秘密結社』というわけよ」
という以前のアストリッドの説明を思い出すゆとりすらあったぐらいだ。
もっとも、晶光は所詮中学生だ。そういう政治?の話?はよくわからない。
ツツジを取り戻す。ただ、それだけである。だから
「邪魔をするなああああああ!!」
晶光は異形の群れへと吶喊する。
当然、四方八方から、無数の異形が爪牙と共に晶光へと襲い掛かる。
しかし、それを晶光は受け。
または、それを晶光は払い。
そして、それを晶光は突く。
――よし、イケる!
晶光の技はキレまくっていた。
だから、目を向けなくてもわかる。
無数の自律式異形は損傷に耐えきれず、ブクブクと泡立ち、水と窒素と二酸化炭素へ次々と【融解】していく。
この鎧袖一触の秘密は結晶性の外殻装甲にある。
これまで何度か触れてきたが、異形細胞が展開した際、結晶細胞が副次的に鋭利強靭な爪牙盾角の類を形成する事がある。それこそ、本物の甲虫目が成虫原基を発現させた時と同じだ。アストリッドの女王級軍隊蟻型甲冑式異形体もほぼ全身が結晶外殻の二次装甲で覆われていた。
同様に、晶光の――おそらくは半端な――異形甲冑にも肘膝踵には突起が生えていた。
しかし、先刻アストリッドに指摘された通り、今回はその形状には変化があった。
具体的には肘膝踵の突起の内、両肘の突起が特に巨大化していたのだ。その結果、
――トンファー
に酷似した機能を担うようになったのである。
そして、このトンファー構造の結晶外殻が、晶光の技能と噛み合っているのだ。
形を考えれば、わかる。
空手家の『受け』『払い』『突き』といった基本動作は、トンファーを握った状態でも、そのまま機能する。これは偶然ではないはずだ。おそらく、空手の技はトンファーの様な武具を持った時のために調整されてきたのだろう。実際、刑部先輩は『手技は肘から先の小指側を使うように』と、繰り返し説いていた。
……いや、その理由を実感したのは今日が初めてだったが……。
いずれにせよ、そんな晶光の空手に合わせたかのように、晶光の異形甲冑はトンファー状の結晶外殻が都合よく形成したのだ。無双の敵中突破も無理なからぬ話である。
「いや、これもまた『最適化』か?」
晶光は自嘲しながら、両腕を振るう。
すると、肘先のトンファー状結晶で蜥蜴型の首が面白いように刎ね飛ぶ。
「なるほど、『肘は斬れる』な……!」
晶光にとっては最高の装備だった。
これは今の様に極近距離で機能する肘技が強化されてありがたいというだけではない。
晶光の本質は打撃屋なのだ。異形相手に取っ組み合いをする自信はない。打撃の間合いを堅持する必要がある。このトンファー状結晶はいざ間合いを詰められた時に、相手を突き放し、自分の間合いを取り戻す手段としても有効だろう。また、打撃部位が保護されれば、当然、攻撃力&防御力が有機的&相乗的に向上する。
そうすれば、巨大な相手にも落ち着いて対処できる。
つまり――しっかりと腰をキメて、中段突きを叩き込む事も出来る。
「……不思議だろう? 腹を撃たれて背中が痛いなんてな……!」
晶光が鳩尾へ綺麗に一撃を入れると、竜盤型はそのまま腰から崩れ落ちた。
それはまさに晶光と晶光を鎧う異形甲冑の『整合』が成功した証でもある。
この調子なら、刑部先輩のオカルト技だって再現できそうである。
しかも、ツツジの監禁場所まであと少しだ。一応、それを阻むかのような大型異形体の気配もあるが……。
「ふんっ、今更、竜盤型の一体や二体!?」
しかし、次の瞬間、通常の竜盤型ではありえない反応を感知する。
それは誘導飛翔弾だった
以前にも見た疑似生体誘導飛翔弾が再び晶光へ襲来したのだ。
――馬鹿なっ!
それでも晶光は誘導飛翔弾を何とか躱す。まさに異形の反応の賜だった。しかし、近接信管が作動したのか、誘導飛翔弾は結局炸裂する。
猛烈な衝撃。
異形甲冑ごと吹き飛ばされ、晶光の躰は壁に叩き付けられる。
だが、苦痛に悶えている暇はない。脅威の正体を正確に把握せねばならない。
晶光はそう考えて、複眼視線を含む超感覚を目標に向ける。
――やはり、自律式異形だ。しかし、あれは……。
一応、甲冑式ではない。晶光はその事に安堵しつつも戸惑った。ここにきて初めて見る『型』の異形だったからだ。
いや、あえて分類するなら、それはやはり竜盤型に似ていた。
ただ、それは既に竜盤型とは呼び難い形状だった。
そう、それこそ、暴竜型とも呼び得る形状だった。
だから……その異形の猛撃が周辺を圧倒するのも自然だった。
***
***
***
アストリッドは戦慄に震えていた。
問題の【スタフィリニデ=ミーシル】を無力化した後、「さて、彼と彼女はどこかな?」と探査系を全開にした。すると「んー? 晶光クンは苦戦中? なんで?」と首を傾げる羽目になった。あげく「え……この気配……!?」と心配になり、駆け出していた。
そして、現場に近づくと二つの異形体が相対している気配が濃厚になる。
一つはほぼ間違いなく
――消耗激しい歩兵級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=ペデス】、つまり、晶光クン
である。固有のID間共鳴もあり、こちらは確定といってよいだろう。
気になるのはもう一つの
――未知の強大な自律式異形体
である。それと似ている気配をあえてあげれば《竜盤型》系列の《重竜型》だが、その気配は《重竜型》よりも明らかに強大だった(気配やら強大やら観念的な表現が続くのは、異形甲冑により拡張された知覚に言語化能力が追い付いていない典型だった)。
とはいえ、後者についても心当たりがないわけではない。
「まさか《超竜型》……? 実用化されていたの?」
そう、噂では聞いた事があったのだ。
強大極まる《超竜型》――超越級竜盤型自律式異形体【サウリシア=スペリオール】については色々と予備知識があったのだ。
元々、《竜盤型》は、《蜥蜴型》などに比べ、汎用性においては明確に劣る。
竜盤型異形は、その名の通り、竜盤目獣脚類を参考に開発され、二足歩行する大型肉食恐竜……それこそ、昔の図鑑に描かれていたティラノサウルスに近い体型である。勿論、十メートルを超える体躯は再現困難なため、全長は約二メートルに抑えられている。腕は大きく、姿勢は直立に近く。故に前方投影面積が大きく、二足歩行のために、移動速度も犠牲にしている。
その分、攻撃力と防御力に優れるため、拠点防衛用としては重宝されていた。他の自律式異形に比べれば、ヒト型に近いという事もあり、警備員がわりにも多く使われている。
逆に言えば、それだけの自律式異形だった。基本的には、アストリッド達のように細胞段階で高品位な甲冑式を自在に操る異形統御者の敵ではない。
ただ、そんな竜盤型も設計上≒構造上の可搬性では突出していた。
考えてみればわかる。ヒト型に近いという事は、構造的にヒト=現行人類に近い、可搬性の豊富さを具えている。
だから、新たに成虫原基を増設して、装甲外殻をまとった《重竜型》――重量級竜盤型自律式異形体【サウリシア=グラヴィス】のような亜種も存在している。
その上で、超越級竜盤型自律式異形体《超竜型》はその《重竜型》も上回る、文字通り超越的存在として、噂されていた。――発想としては《重竜型》の延長だ。《竜盤型》の可搬性を装甲外殻だけでなく、各種兵装に用いるのだという。具体的には二基の成虫原基からなる《重竜型》の上へ、さらに複数の成虫原基を増設し、誘導弾砲と凝集光砲を装備するらしい。
当然ながら、竜盤型系列に共有する問題だった移動力等はさらに低下するが、その軍事的意義は単独でも【戦術級】とすら言われる。
細胞単位では低品位という自律式の限界を抱えつつ、強引な設計思想により、甲冑式を【超】える軍事的を実現する――故にこそ超重級の超竜型という訳である。
いずれにせよ、兵器としてのバランスが劣悪なはずだ。生産性以前の問題だ。おそらく継戦能力も低い。数キロメートル走っただけで、バテてしまうだろう。明らかに欠陥品だ。
「ギオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
さらに咆哮までも凄まじい。隠密性とはかけ離れている。これはやはり失敗作だ。が、技術上は十二分にあり得た超高脅威自律式異形体でもあった。
盗み聞きしていたツツジさんの台詞が思い出される。
『自律式の方が技術的制約の少ない分、強力になる』
――政治的・経済的要素を無視した見解ね。
と、あの時は思った。今もこの見解を撤回するつもりはない。将来的にも《超竜型》が大量生産される事はないだろう。対費用効率を考えれば、《超竜型》を一体造るより、《蜥蜴型》の複数体に誘導弾砲や凝集光砲を各種増設した方がはるかにマシだからだ。
それでも、なお一騎当千が求めるならば、甲冑式異形に任せればいい。
つまり、《超竜型》は工業製品としては明確な欠陥品・失敗作だ。
とはいえ、その純粋な戦闘能力を考えれば、脅威かもしれない
そして、現場にたどり着くと二つの異形体が相対していた。すなわち。
――満身創痍な歩兵級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=ペデス】、つまり、晶光クン
である。
――未見の強大な自律式異形体
だった。
「《超竜型》――ではない?」
既視異形の中で最も似ているのはやはりというべきか《重竜型》だった。【重竜型】の全身をほぼ覆う白色外殻。そこからさらに無数の結晶刀爪が生えている。とはいえ、そこまでは亜種の範疇だ。
明確な相違点は二つ。
一つは背部大規模異形塊群からなる無数の疑似生体誘導弾砲だ。あの【スタフィリニデ=ミーシル】の誘導弾砲はほぼ同一規格で2×2の正方行列が両肩左右一対で総計8門という工業的構造だった。それに対し、眼前の疑似生体誘導弾砲はかなり左右相称的ではあるものの、それこそ生物的な乱雑さが強く、形状も大小もさまざまで、規格どころではない。結果的&構造的に、同一方向への斉射は困難だろう。が、乱雑さもあって、無数≒数え切れ無い程の誘導弾砲は脅威である(ちなみに、凝集光砲の類は見当たらなかった。さすがに技術的に高度過ぎ、発現失敗したのだろうか?)。
もう一つは左右両肩を覆う謎の異形塊群だ。造形構造の点で似ているのは『蓮の果托』だろうか?(色彩質感の点では異形細胞らしい『赤い生肉』っぽいが)――蓮の花が散ると種子の入った果拓が肥大化し、まるで蜂の巣のような自己相似構造を成すが……。
「ていうか、相似増殖化核炉!?」
そこで気付いた。あの『蓮の果托』めいた自己相似構造の種子部分が悉く疑似眼球炉の表現型に至っている。
――あれらすべてがIDリアクターだとしたら、いや、そう考えれば、というか、そう考えないと、背部大規模異形塊群からなる無数の疑似生体誘導弾砲の説明がつかないけど……。
一方で、いくら【竜盤型】が可搬性に優れるとはいえ、たった一体の自律式異形にそこまで無数の成虫原基を詰め込まれるとは思えない。あらゆる意味で、だ。
「つまり、成虫原基そのものが自己増殖している――【暴竜型】……!?」
暴竜型。すなわち黙示録級竜盤型自律式異形体【サウリシア=メガセリオン】。
実のところ、そういった論文は読んだ事がある。いずれは必然的に発生する黙示録級だが、その最有力候補は、無責任な実験対象となりえる自律式な上に、可搬性にも優れる【竜盤型】系列であり、それはさしずめ【暴竜型】となるはず……と。
――なら、あれはあたしと同じ……さしずめ黙示録級第一号だとでも?
冗談ではない。仮にこちらが本調子であっても危うい相手。故に――
「アストリッドも、消耗が激しい」
これも事実だった。軍隊蟻型が結局は正式採用されなかった理由の一つだ。だから――。
「撤退するわ。いいわね?」
アストリッドは晶光クンに告げる。アレが《超竜型》だろうが【暴竜型】だろうが、現在の我々が挑むに危うい相手である事に変わりはない。が
「嫌だ」
と、彼はアストリッドの親切心を拒んだ。
「……戦力比を考えなさい」
「この先にツツジの気配がある」
「複数の固有で微弱な輻射・振動・排出はあたしも感知しているわ。それらを総合して、ツツジさんの『生体反応』はたしかにある。それはあたしも保障する。でも――」
「俺はツツジを助ける」
「チッ」アストリッドは異形越しに舌打ちした。「好きになさい。あたしは逃げるわ」
「ああ。貴様は好きにしろ。俺も好きにする」
すると、彼は異形化を解いた。
アストリッドは驚愕せざるをえない。
「ちょ、生身をさらしたりしたら……!」
次の瞬間、当然の様に【暴竜型】が彼に飛び掛かる。
異形基準ならば、なんて事ない動きだ。いや、肥大化した巨体もあってか、鈍い動きとすら言えた。
いずれにせよ、生身の彼にとっては、野生の猛獣に匹敵する――まさに死の宣告のはずだった。
しかし、生身の彼は予想に反して、【暴竜型】の結晶刀爪をゆらりと躱した。
続く【暴竜型】の牙もゆらりと躱す。さらに【暴竜型】はその特徴ともいえる全身の結晶刀爪を振るい始めるが、これも生身の彼はゆらりゆらりと動き、回避し続けた。
――正気の沙汰ではない。
と、アストリッドは思った。結晶刀爪の殺傷能力はまちまちだが、生身の人間を切り裂くのは容易い。また、巨大な四肢は仮に鋭利でなくとも、絶命必死な鈍器たりえるのだ。
そんな凶器が異形の速さで振るわれ続けている。
が、彼はゆらりゆらりと紙一重で回避を続けていた。
それはまるで刃が彼の身体をすり抜けているようだった。
「……真性の未来予知に基づく超反応――《交霊領域(エクスタシス=ゾーン)》とでもいうの?」
「ん? ああ、『領域』に入るというのはこういう事か?」
アストリッドの呟きに彼はポツリと答えた。
異様な彼に異形の獣も恐怖を覚えたのか?
強大な【暴竜型】も一度後方へ飛び跳ね、一旦距離を置く。
それは戦場に、時たまある静寂だった。
すると、彼はむしろ朦朧とした様子で、懐から錠剤を取り出す。
その複数の錠剤にはアストリッドも見覚えがあった。
IGFTEL――インシュリン類似(Insulin-like )成長因子(Growth Factor )三型内因性リガンド(Three Endogenous Ligand)。
実際には誘導剤付きで成形されている神経系初期化剤だった。
「……君、それをどこで?」
「影山ほのか女史の遺物だよ。貴様が派手に立ち去った時に落っことしていたろう?」
「……!」
落下物・残留物がある事には気付いていた。ただ、アストリッドもアストリッドで人体一つを抱えて、建築物から建築物へと触手で飛び移る事に処理能力の多くを割いていた。だから、落下物・残留物の詳細に気をとめる余裕はなかった。
迂闊だった。影山ほのか女史も異形統御者だったのだ。ならば、自身の脳神経系をより異形側へと適合させるべく、IGFTELのような神経系初期化剤を常備常用していてもおかしくない。
「ツツジの指示だったよ。異形化を解く前に、異形甲冑の超感覚と超認識で、周辺探査をしておくべき――とね。そして、見つけた」
彼はそれらをまとめて水もなしにボリボリと嚙み砕き飲み込んだ。
「……IGFTELはそんな急速には作用しないわよ」
「わかっている。実際、貴様から説明を受けて以来、用量用法に気を付けて、定期摂取を心掛けていた。が、どうせ、ここが正念場だ。残しておいても仕方がないだろう?」
そして、彼は両手を何故か臍元で交差させ、高らかに叫ぶ。
「【イクスプレッション】!」
その声に応える様に彼の中の異形が【発現】する。
勿論、彼の臍元には何も埋まってはいない。
当然、異形の触手は、あくまでも成虫原基が埋め込まれた胸元からこそ、飛び出る――はずだった。
しかし、現実の触手は体外には出なかった。
ただ、その夥しい数の触手は彼の体内こそを這い巡り廻り――臍元へとまた集う。
――わかる。新たな苗床が生まれるのが、アストリッドにはわかる。
これで彼は二つの成虫原基を宿す事になった。というだけではない。胸元のそれが既に疑似眼球炉として機能している事もあってか、臍元のそれも同様のリアクターフェイズにいきなり到達している。つまり、
「【二核炉】……!」
アストリッドの驚きの答える様に、彼は再び叫ぶ。
「【イクロージョン】!!」
その【羽化】はむしろ『最適化』の一つの完成形に思えた。
体内から飛び出た赤黒く生々しい数多の触手が全身を覆う。彼はそれに逆らわず、受け入れる。それどころか、自身の四肢に異形の触手が絡みやすいように、手足をその時々で大きく広げる程だ。
「この国に伝わる『変身ポーズ』って、こういう事なの?」
そして、蛹か繭を思わせる有様を経て、その表面がピキピキ結晶化する。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。残るのは、ほぼヒト型をなぞっている異形細胞の全身甲冑。
さらに結晶性外殻がその上のほぼ全身をくまなく包む。しかし、重量配分や関節構造において、明確な機能美がある。彼の動きを妨げないため――というより、彼の打撃部分を保護する事で、彼が動き易くなる事をこそ目的としているかのようだ。
おまけに彼の背部装甲が内側から弾け飛ぶ。
その奥からは膜翅とでも言うべき正体不明の器官が現れた。
「だから、『羽化』? たしかに元ネタの軍隊蟻でも雄は翅を持つけど……これも遺伝的アルゴリズムによる収斂進化? それとも、放熱器官の一種?」
少なくとも、あの翅隠型に共通する鞘翅状器官は放熱機関だった。凝集光砲にせよ、誘導弾砲にせよ、強力で特殊な器官の急速な形成や使用にはそれなりの化学反応が必要で、その際には排熱が問題になるからだ。
それらの上で、この異形甲冑には荘厳なまでの美しさがあった。
ついうっかり見惚れていた事は否めない。
そして――
「セイッ」
彼は雄々(おお)しく咆哮し、三戦の構えを取った。
アストリッドもまた講道館柔道――究極に近い完成度の近代格闘技を習った身である。三戦に限らず、あの手の『型』が実際に使えるはずがない事はわかっている。
実際、【暴竜型】はその隙を狙って、疑似生体誘導弾砲を一斉に『標準』する。というか、【暴竜型】は元々このために距離を置いたのかもしれない。
そう、【暴竜型】が生み出した無数の誘導飛翔弾が発射寸前の状態で震えていたのだ。
一方の東方晶光が鎧う異形甲冑は膜翅をブウウゥゥンと低い音を立てて振動させる。いや、さすがに飛行する事はあり得ない。異形もまた物理法則に縛られているのだ。あの形状で空を飛ぶなど、航空力学的に不可能だ。では、この膜翅の振動は?
「? 反響定位……?」
アストリッドの推察と共に、【暴竜型】の誘導飛翔弾が複数同時に発射される。
一応、言っておくが、この過程は異形化している故の時空停滞現象=思考加速があって初めて認識できたものだ。さもなくば、誘導飛翔弾の挙動など察知する事すら不可能だ。
しかし、その上で、さらに、信じられない光景をアストリッドは目にする。
鮮烈一閃。
彼が手刀足刀で誘導飛翔弾をすべて叩き斬ったのだ。
信管を破壊され、無力化された誘導飛翔弾の群れは彼のもとにゴロゴロと転がり落ちる。
「って、何で? 何で近接信管は作動しないの?」
「その前に叩き斬れば、済む話だ」
「いやっ! その理屈はおかしいっ!!!」
「貴様にはわからぬ『領域』の話だよ」
「なっ……!?」
意味不明な言動に戸惑ったのはアストリッドだけではない。
あの【暴竜型】にとっても想定外だったらしく、一瞬だが露骨に機能不全に陥る。
ただ、それも一瞬の事だった。
次の瞬間、【暴竜型】は強制再起動を行ったかのように、一転してさらに後方に下がり、――おそらくは出し惜しみなしで――疑似生体誘導飛翔弾全門展開一斉発射体制に入る。
しかし、彼は動じない。
いずれにせよ、【暴竜型】は誘導飛翔弾を放つ。一発二発ではない。巨体に蓄えている夥しい数の誘導飛翔弾を一斉発射する。
それでも、彼の対応は変わらない。
受け。
払い。
突き。
迫り来る誘導飛翔弾群の悉くをそうやって無力化していった。それもウィービングやダッキングをしない、近代格闘技ではありえない、体幹を崩さない《武》の動きのままだ。
彼の技能は異形の甲冑と完全に調和していた。
「疑似再現ではない? 真なる《光霊領域(エクスタシス=ゾーン)》!?」
その上で、一歩一歩、彼は確実に【暴竜型】に接近する。いや……
「ツツジを、返してもらう……!」
と、彼は改めて、自分の目的を口にする。
彼は【暴竜型】に近付いているのではない。
その後ろにいるツツジさんに近付いているのだ。
彼にとって、ツツジさん以外は障害物でしかない。誘導飛翔弾は羽虫であり、暴竜型は石ころである。邪魔だから、薙ぎ払っているだけで、目的はあくまでもツツジさんなのだ。
これではおとぎ話だ。
しかし、その近接格闘能力は凄まじい。あるいはあの『無支祈型一号』にも比肩しうるかもしれない。
もはや、彼は『歩兵級』と呼ぶ階級ではないだろう。
「……『昇格』と呼ぶべきかしら?」
それこそ、囚われの姫君を救うため、邪悪な暴竜を討つ騎士だ。
すなわち――。
「騎士級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=エクウェス】……!」
実際、それは【騎士】を髣髴とさせた。結晶装甲による荘厳な曲線美がそうさせるのだ。
そして、そんな彼はとうとう一足一刀の間合いにまで暴竜へ近づく。
だが、間合いを詰めた彼は、
すとん――と、むしろ穏やかに右手を【暴竜型】の胸部中枢に当てる。
その右手は『拳』ではなく、『掌』の形をとっていた。
アストリッドは絶句せざるを得ない。
そも、そこは、最も外殻結晶の分厚い場所だったからだ。
しかし、彼は迷わず有言実行する。
「打ち抜く……!」
数秒の後、【暴竜型】はその場で崩れ落ちた。
アストリッドは茫然とその名を口にする。
「ワン・インチ・パンチ……?」
寸勁――一寸の間合いでもなお機能する勁拳。胡散臭いと思っていた伝説。
相手に当てる前に、最大限、速度を高めておく西洋的な拳撃ではない。
相手に当てた後に、最大限、衝撃を伝えきる東洋的な拳撃である。
アストリッドが、実現不可能な幻想と諦めてきた《武》を見せ付けられた瞬間だった。
甲冑式異形の超感覚も教えてくれる。
暴竜の内部構造は既にズタズタだった。
どれだけ信じ難くとも、認めるしかなかった。
実際、【暴竜型】は、内側から、【融解】していたのだ。
***
***
***
そして――
ツツジこと三葉ツツジ十三歳は目を覚ました。
天井に見覚えはない。例の監禁場所からも移されたらしい。
シーツをかけられ、ベッドに寝かされていた。だから、起き上がろうとして――
「え、私、何で? 裸?」
である事に気付いた。
「どういう事?」
ツツジは、自身の一糸纏わぬ姿に驚きつつ、記憶を整理する。たしか監禁されて……。
「あたしが保護したの」
という声はアストリッドさんのものだった。
実際、振り向くと、何故か、半裸の金髪碧眼美少女がいた。正確には全裸の上に触手をまとった金髪碧眼美少女だ。
彼女は触手をビクンビクンと蠢動させながら、こちらを観察していた
ツツジは反射的に肌を隠した。
アストリッドさんは「言っておくけど」とケラケラ笑った上で説明する。
「何もしていないわよ。万が一にも、騎士の怒りを買いたくはないから」
「騎士? ……それ、晶兄の事ですか?」
「そうよ。彼はあなたへの絶対の服従を誓った忠勇なる僕でしょう?」
棘のある言い廻しだったが、確認すべきはそこではない。
「……その口ぶりからすると、晶兄は無事なんですね?」
「ええ、精神も肉体も成虫原基も極度に消耗しているけど、五体満足よ。今は疲労回復のために、薬で眠ってもらっているけどね」
「薬……?」
そこで思い出した。私も男の人が来て、「緊急事態だ。少し眠ってもらう」とか言って、無理やり何かの薬を打たれて……そこから先の記憶がなかった。
「彼は全力を出し切った直後に倒れたから、あたしが診断して投薬して安眠させたのよ。次に、あたしが監禁場所に突入すると、今度は薬で眠らされたあなたがいたの」
アストリッドさんは仕方なく、ツツジと晶兄を触手で確保し、現場から離脱したらしい。
「そして、あなたたち二人をこのセーフハウスに運び込んだというわけ」
「じゃあ、私が裸なのは……?」
「いわゆる『消毒』のため。異形統御者の感覚認識で精査したら、あなたの衣服は下着にいたるまで盗聴器や発信器がウジャウジャと埋め込まれていたの。まあ、体内への注射はされてなかったみたいだけどね」
「それで……あなたのその格好は?」
「このセーフハウスの主へのご機嫌取り」
と、アストリッドさん。
「一周りも年下のあたしにこんな格好をさせて、滅茶苦茶にされるのが大好きな変態さんだけどね。こういう時には役に立つから」
「……」
ツツジは念のために股間に手をやる。馬鹿馬鹿しい話ではある。処女を失う時に出血を伴うとは限らないし、破瓜の痕跡を誤魔化す手段は無数にある。それでもなお、ツツジはそこで一息をついた。
「ふ~ん? 初めては『晶兄』のためにってわけ?」
彼女がケラケラ笑う前に、ツツジは口を開いていた。
「はい。その通りです」
「え……?」
「来年には唇を許そうと思っていました。その頃には、晶兄も第二次性徴を終え、幼い頃とは違って、その意味がわかるでしょうし」
「……いや」
「初体験は高校入学時点を予定しています。私と同じ志望校に合格させるつもりなので、まあ、ご褒美ですね。万が一、しくじったら、慰めの意味で初体験」
「あの……」
「で、高校三年間は青春を謳歌し、大学の間に結婚式と初出産を済ませて、平凡と呼ばれながらも、実のところ、現実には困難で、至高の価値がある、幸せな家庭を築きます」
「……全部、計画の上という事?」
「まさか」ツツジは嘆息する。もしそうだったら、どれほどよかった事か。「これまでも危うい時はあったんですよ。例えば、思春期に入った頃には焦りましたね。晶兄が私を『女』と意識し始めたんです。いえ、勿論、それ自体は順当でしたが、同時に私を露骨に避け始めたので一苦労ですよ。今思えば、あれは思春期男子にありがちな通過儀礼に過ぎませんでしたが」
でも、幼い頃、言われたのだ。
『ツツジは将来きっと従兄弟のアキミツ君と結婚するね』――と。
ならば、晶兄にはツツジの夫に相応しくなってもらわねばならない。
だから、ツツジは晶兄をここまで育ててきたのだ。その結果、晶兄は中二男子にしては心身ともにかなりマシな方に仕上がったと自負している。というか、今の晶兄は、ラノベ主人公が務まるぐらいには有能な十四歳に仕上がったと思う(ついでに言えば、私は専業主婦志望で、守るよりも守られたい人間である。だから、なるべく家父長的に仕上げた)。
ただ、
「しかし、これは完全に想定の範囲外です。おかげで人生設計が大幅に狂い出しました」
「……あなた、彼の飼い主を気取っているの?」
何故かアストリッドさんの口調には非難めいたものがあった。
「? 私は晶兄の幸福を第一に考えているだけですよ。命がけの冒険譚なんて、空想で十分。現実なんて、テンプレなラブコメがちょうどいい。――違いますか?」
「そうやって、彼を枷で縛ろうとしている。だから、飼い主気取りと言っているの」
「互いに影響を与え合っているだけですよ」私はアストリッドさんの誤解を訂正する。「私もまた晶兄の影響を受けています。実際、今の私は刑部先輩――あの『刑部つぐみ』女史みたいに眼鏡かけて、百合趣味があって、見た目は『地味子』でしょう? これらは全て晶兄の好みに合わせた結果ですよ」
さすがに、刑部つぐみと違って、空手もやっていないし、胸も大きくないけど。
「それに後悔もしていているんです」
「……具体的には?」
「晶兄があなたのような女と手を組んだ事です。教育の失敗に他なりません」
「ふ~ん」
アストリッドさんは両足を組み替え、両手を伸ばした。胸と尻の膨らみとくびれを強調する姿勢だ。つまり――。
金髪碧眼美少女は私を挑発している。
「でも、実際にあなたの奪還に成功しているけど?」
「私の知る限りでも今の晶兄は、影山ほむらと影山ほのか、両名の生命と貞操を軽く見ています」
「あら、それは……」
「おそらくは恋の盲目、私を助けるための非常手段のつもりだったのでしょう」
「なら……」
「しかし、私への一途な想い故とはいえ、同じ人間たる他者の生命と尊厳を軽んじるとは重大な問題行為です。世界は私と晶兄だけでできているわけではありませんから。修正が必要ですね」
***
***
***
「な・る・ほ・ど」
その時、アストリッドの下腹はジュクジュクしていた。
それは、生まれて初めて、誰かを本気で寝取りたくなった瞬間だった。
[了]