第45話 殺し屋の祈り
「——よく来たな、小娘。いや、我が玉座を彩る最後の供物よ」
赤黒い瘴気が渦巻く、巨大な城塞の最上階。
無数の骨と肉が融合してできた悍ましい玉座に、皇帝ルドヴィークは深く腰を下ろしていた。
彼の姿は、すでに人間の形を保っていなかった。
数千の命を強引に魔力変換し、その肉体に取り込んだ結果、彼の体は元の倍以上に膨張し、皮膚の下ではどす黒い魔力回路が脈打っている。
「クロードとメルは、外の親衛隊を食い止めてくれていますわ。……ここには、私とあなただけです」
私は純白の法衣を翻し、玉座の間へ静かに足を踏み入れた。
「ほう。あの騎士どもを置いて、単騎で死にに来たか」
ルドヴィークが立ち上がると、玉座の間全体が地震のように大きく揺れた。
「貴様の持つオリジナルの『聖女の心臓』さえ手に入れば、余の肉体は完全なる不老不死となる。……来い! 余の一部となる栄誉を与えてやろう!」
咆哮と共に、皇帝が腕を振るった。
それだけで、暴風のような暗黒魔法の刃が私に向かって放たれる。
「大結界!」
私は即座に光の壁を展開したが、皇帝の一撃は結界ごと私を吹き飛ばした。
「くっ……!」
私は空中で姿勢を立て直し、壁を蹴って着地する。
凄まじい威力だ。数千人分の命を燃やしているだけあって、純粋な魔力量では私を遥かに凌駕している。
「どうした? 逃げ回るだけか!」
皇帝が次々と魔法の連撃を放ってくる。
私は暗殺者のステップを踏み、神速の動きでそれらを紙一重で躱し続けた。
(——やっぱり、ただの魔法戦じゃ押し切られるわね)
私は跳躍しながら、両手から無数の隠し針を投擲した。
光の魔力を纏った針は、皇帝の巨大な首筋や胸元に深々と突き刺さる。
常人なら即死の急所。
だが。
「……虫刺されにも劣るわ!」
皇帝が嗤うと、突き刺さった針が内側から押し出され、傷口が一瞬で塞がってしまった。
(——禁術による超回復力。細胞の再生速度が異常に早い。物理的な切断も、中途半端な魔法も、全て無効化される)
「無駄だ! 余は死を超越した! この体に傷をつけることなど、誰にもできはしない!」
ルドヴィークが両手を天に掲げると、玉座の間に充満していた瘴気が一箇所に収束し、巨大な黒い太陽のような質量兵器へと変わっていく。
「これで終わりだ、小娘! 灰となって余の糧となれ!!」
黒い太陽が、部屋の空気を軋ませながら私に向かって落ちてくる。
直撃すれば、城塞の最上階ごと消し飛ぶほどの威力。
だが、私は逃げなかった。
「……ええ。確かに、普通の切り傷ならすぐに治ってしまうでしょうね」
私は深く息を吸い込み、両目の前で静かに手を合わせた。
「でも、あなたは『命の仕組み』を勘違いしていますわ、皇帝陛下」
(——人間は、ただ細胞を増やせば生きられるわけじゃない。生命活動とは、絶妙なバランスで成り立つ奇跡。それを強引に暴走させた今のあなたの体は……ただの巨大な『病巣』よ)
私は、己の内に眠る全魔力と、暗殺者としての「闘気」を完全に融合させた。
回復魔法の極致と、急所を確実に穿つ殺しの技術。
前世と今世、二つの人生のすべてを掛け合わせた、私だけの刃。
「癒しの光よ」
私は黒い太陽に向かって、真っ直ぐに跳躍した。
「なっ……自ら死に飛び込むか!」
皇帝が驚愕の声を上げる。
私は迫り来る漆黒の魔力の塊を、右手に集中させた極大の光で真っ向から切り裂いた。
「——!?」
「私の"治療"は、病巣を根こそぎ切除することですの」
黒い太陽を両断し、私は皇帝の懐へと完全に潜り込んだ。
彼の驚愕に歪む隻眼が、スローモーションのように私の視界に映る。
私は、彼の胸の中央——数千の命が渦巻く魔力回路の最も深き「核」へと、光り輝く右手を深く、深く突き入れた。
「ガアアァァッ!?」
「あなたのその"病"は、この世界を蝕むことでしょう? ……だから、ここで完全に停止させます」
私は彼の中の暴走する生命力に向かって、究極の治癒魔法を流し込んだ。
それは傷を治す光ではない。
「聖裁」
過剰すぎる「治癒の光」は、ルドヴィークの体内で暴走していた細胞の再生能力に直接干渉し、その限界値を突破させた。
「ぐ、が、あああぁぁぁ……ッ!! な、なんだこれは!? 余の、体が……!!」
ルドヴィークの巨体が、内側から崩壊を始めた。
強引に繋ぎ止められていた数千の命の魔力が、私から流し込まれた純粋な光によって強制的に「浄化」され、天へと解放されていく。
「や、やめろ……! 余は、余は神になる男だぞォォォッ!!」
「おやすみなさい、陛下。……永遠に」
パキィィィンッ……!
皇帝の体を形作っていた黒い魔力の核が、ガラスのように砕け散った。
「おおおおおぉぉぉぉ——ッ!!」
断末魔の叫びとともに、皇帝ルドヴィークの肉体は眩い光の粒子となり、朝焼けの空へと溶けて消え去った。
主を失った赤黒い城塞が、ガラガラと音を立てて崩壊を始める。
私は崩れゆく床を蹴り、外の光が差し込むバルコニーへと飛び出した。
「リーゼ!!」
土煙の向こうから、傷だらけのクロードとメルが駆け寄ってくる。
彼らは私を見つけると、安堵のあまり膝から崩れ落ちた。
「……終わりましたわ、クロード。メル」
東の地平線から、眩しい朝日が昇り始める。
長く、暗い夜が、ようやく明けたのだ。
私は彼らに向かって、心からの、偽りのない笑顔を向けた。
* * *
それから、数ヶ月の月日が流れた。
皇帝を失ったカルバニア帝国は内乱状態に陥り、王国との戦争は終結した。
王都は活気を取り戻し、平和な日常が戻りつつある。
「聖女様! 今日の巡回任務、終わりました!」
王宮の庭園。
真新しい、聖女護衛騎士団の制服に身を包んだメルが、元気よく敬礼をしてきた。
彼女は侍女から正式に騎士団の新人騎士へと登用され、水を得た魚のように生き生きとしている。
「お疲れ様、メル。制服、とても似合っていますわよ」
「えへへ、ありがとうございます! クロード副団長のしごきは厳しいですけど、私、もっと強くなりますから!」
メルが笑顔で駆け出していくのを見送りながら、私はふふっと微笑んだ。
「聖女殿」
背後から、ガレノス様がゆっくりと歩いてくる。
「……また、お忍びで街の孤児院へ薬を届けてくださったそうですね。あなたの"啓示"は、相変わらず正確で、そしてお優しい」
「あら。お医者様の真似事をしただけですわ。それに、私はただの弱い聖女ですから」
私がとぼけてみせると、ガレノス様は「やれやれ」と白い髭を揺らして笑った。
夜。
自室のバルコニーに出ると、冷たい夜風が銀色の髪を揺らした。
「……また、薄着で外に出て」
背後から、温かい外套が私の肩に掛けられる。
振り返ると、私室の警護についていたクロードが、少し呆れたような、けれど限りなく優しい瞳で私を見下ろしていた。
「クロード。……今日も、一日ご苦労様でした」
「俺の仕事ですから。……それに、あなたの隣にいるのが、俺の居場所です」
彼は私の隣に立ち、同じように夜空の月を見上げた。
あれから、彼との関係は少しだけ変わった。
表向きは相変わらず「聖女と護衛騎士」のままだが、誰もいない場所では、私たちは対等のパートナーとして、互いの背中を預け合っている。
「……明日の夜は、忙しくなりますよ、リーゼ」
クロードが、周囲に誰もいないことを確認してから、声を潜めて言った。
「王都の裏街で、帝国軍の残党と結託して密輸を行っている貴族の拠点が判明しました。近衛騎士団が踏み込むには、政治的な証拠が足りません」
「なるほど。法の光が届かない病巣、というわけね」
私はバルコニーの手すりに寄りかかり、夜の闇に沈む王都の街並みを見下ろした。
前世で、私はただ命令のままに人を殺すだけの機械だった。
でも、今の私には選ぶことができる。
表の光で癒せない傷を、裏の闇で私が切除する。
この愛する居場所と、隣にいる不器用な騎士を守るために。
「クロード。明日の夜は、私の護衛をよろしくお願いできるかしら?」
「ええ。あなたの歩む道がどれほど暗くても、俺が必ず隣で剣を振るいます」
クロードの力強い言葉に、私の胸の奥が温かくなる。
私は彼の大きな手に自分の手を重ね、ふわりと微笑んだ。
「さて——」
私は、聖女としての慈愛の笑みを残したまま、暗殺者としての冷たい刃のような瞳で、夜の闇を見据えた。
「今日も、"治療"の時間ですわね」
微笑む私の両手は、胸の前で静かに祈りの形を作っている。
——けれど、その指先には、いつでも悪を刈り取るための見えない刃が隠されている。
殺し屋だった少女の、新しい祈りの物語は。
これからも、この光と闇の世界で続いていく。




