結
歴史書は語る――。
海に囲まれた四季の国が、最も豊かであった時代。
若くして帝の御位に就いた朱夏帝は、様々な政策を打ち立てた。
外国との交易を盛んにし、四季の国の特産品の開発に勤しんだ。
中でも力を入れたのが、亜伊夜の国との交流と、北領で採れる雪中果実を使った新たな菓子、四季餅の開発であったと言われている。
それまで国交のなかった亜伊夜の国と、新たに建造した大船、夏煌丸で密にやり取りし、四季の国を豊かに富ませたと現代まで伝わっている。
また扶養院の整備にも力を入れ、身寄りのない者や体を壊して働けない者たちが、安心して暮らせる国づくりに尽力したという。長く都の裏路地に存在した、違法な遊郭を摘発する代わりに、幼くとも働いて稼がなければならない者たちを、四季餅の作成工房や大港で積極的に雇用した記録も残されていた。
帝一族の高貴な姫君を正室に据え、海運を握っていた湊刃家から第二室を迎えた朱夏帝には、五人の御子が誕生した。
いずれも側室腹の御子たちではあったが、正室とも友好的な関係を築き、それまで奥宮の日常であった殺伐とした空気を霧散させた。
朱夏帝の一の親王春明は、十歳の年に正室の養子となり、成人とともに日嗣宮の御位に就いた。
春生まれの穏やかな気質で、宮中に仕える廷臣たちを掌握し、父帝が築いた外交の道を進んだと言われている。
朱夏帝には、末子に内親王も誕生した。
帝一族になかなか生まれないと言われる姫の誕生に、国中が歓喜に沸いた。
宮中で大切に慈しみ、奥宮の最奥で、正室と第二室に愛されて育った天真爛漫な姫君であったと伝わる。
後年、留学制度の整った亜伊夜の国から、王子殿下が来訪した際には、一目で恋に落ちた王子殿下から熱烈に妻問いをされたとの逸話も残っていた。
朱夏帝の左右には湊刃の大臣と輝山の大臣が並び、派閥争いも起こさせない盤石の体制で政を行った。
長い在位期間を誇った朱夏帝ではあったが、日嗣宮に御位を譲った後は、桜の離宮で正室と余生を過ごしたと言われている。
朱夏帝の御世には地方で一揆が起こることもなく、民のための施策を考え続ける朱夏帝に、深く感謝が捧げられた。
為政者に不満を抱く者が多いのが世の常であることを考えれば、これは驚異的なことである。
朱夏帝の御世が安泰であったのは、表立って支える正室と、陰から支え続けた第二室の存在が大きいと言われている。
多くの側室を持つ帝が多い歴史の中で、二人の妻だけを愛し、晩年まで睦まじく過ごした朱夏帝の夫婦としてのあり様に、幾つもの物語本が綴られた。
近代では演劇の題目にもなった人気の物語の題は、「四季帝、愛のゆくえ」である――。
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