序
桜の花が散り新緑の葉が揺れるさまを、巨木の根元に佇んだ青年がじっと見つめている。
春の終わりに、薄桃の花弁が風に乗ってひらひらと飛んでいった光景は、何度見ても美しく儚いものだった。
そっと胸元を押さえる。
「……親王さま」
密やかな声が背後から掛けられ、青年がゆっくりと振り返る。
「支度は整ったか?」
地に膝をつけ、頭を深く垂れていた黒髪の若者が静かに顔を上げ、小さく頷いた。
「すべては、親王さまの御心のままに」
「……じきに、あちらへ踏み込む」
温度を感じさせない冷たい声に命じられ、黒髪の従者は無言で首肯した。
「必ずや、お方さまをを正しき場所へ」
己に従う若者の言葉に頷き、青年は再び散りゆく桜へと目を向けた。
春の終わりに、この場所から見る桜の花が好きだった。
宮廷で気を張り詰め、疲れた己の心を癒してくれるようで、誰にも漏らせない不安さえも吸い取ってくれるような美しい花。青年にとって、心穏やかでいられる大切な場所だった。
胸に置いた手で、懐に隠し持った包みをそっと布越しに確かめる。
「其方の想いは、無駄にしない」
そして、もう一人、彼を癒してくれた存在――。
「……必ず、取り戻す」
己に言い聞かせるように呟き、青年は青灰色の瞳で空を睨んだ。
「……煌」
大切に、そっと愛しい名を呼び、思いを振り切るように踵を返した。




