↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
五の章 即位、外交への舵取り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

139/299

佰参拾漆

 

 宵闇に、櫻花楼の建物が明かりを受けて浮かび上がった。

 入口には、以前に朱夏が訪れた時と同じように、用心棒が立っている。

 花格子から、遊女たちの白い手首が差し出されていた。その前を、町の男たちが品定めするように通り過ぎていく。

 汐之がゆったりとした足取りで用心棒に近づいた。女連れで遊郭に来る者など、そうそういない。

 警戒した様子だった男の顔が、寄ってきたのが汐之であることに気づいて緩んだ。

「これは、海の旦那。ようこそおいでなさいまし」

「予約はしていないんだが、またしばらく港に戻ることになってな。夢のひとときを買いに来た」

「そうですかい。楼主は奥においでです。……そちらさんは」

 汐之から朱夏に視線を移した男の瞳が見開かれた。変装していても、以前に訪れた朱夏の顔を覚えていたのだろう。

「日の……」

「その名は呼ばずにいてくれぬか」

 唇に人差し指を立てた朱夏の言葉に、慌てたように男が頷く。通りを歩く町の男たちに、朱夏の素性に気づかれたくはなかった。

 楼内に入り廊下を進みながら、汐之が首を傾げた。

「まさか、常連とは仰せになりませんな?」

 朱夏が櫻花楼で過ごしたことがあると掴んではいても、用心棒と顔なじみであるほどとは思わなかったのである。苦笑して朱夏は答える。

「そのようなはずあるまい?さすがに客商売だな。用心棒の男でさえ、一度訪れただけの相手の顔を覚えているとは」

 実際、朱夏が舎利と夜を過ごしたのはたった一度のことである。それ以前に訪れた時には、琉兎の弔いと黄駕への尋問のためであった。色事になど無縁の、どちらかといえば血なまぐさい理由で訪れた。

 遊女を指名するための小部屋へと通される。座ってすぐに、扉が開かれ凛慈が入ってきた。

「これは、お珍しい組み合わせで」

 宮中に参内する時の袍とは違って、ゆったりとした衣を身に纏った凛慈が室内の二人に近寄る。

「凛慈。知らせを貰って来たのだが……後で烏が引き取りに来る」

 その言葉だけで朱夏の言いたいことを察し、凛慈は微笑んで頷いた。

「あの側近どのがおいでになりますか。では、それまでは地下に置いたままにしておきましょう」

 そして、凛慈が汐之に視線を向ける。

「この度は、高き御位に上られましたこと、お慶び申し上げます」

「耳が早いな?」

 朱夏の隣で汐之がくつくつと笑った。

「情報を早く正しく掴むことも、商人として必須の能力でございますよ。さて、今宵はどの花と、夜をお過ごしになりますか」

 腕を組んで考える汐之が、ちらりと朱夏に視線を投げる。

「貴方さまは、お決まりでございますか」

「だから、私は買わぬと……」

「ここまで来て、それはないですよ。女たちにも矜持というものがありますのに」

「それは……」

 小部屋の扉が叩かれ、凛慈が朱夏たちの側を離れた。耳元で、汐之が囁いてくる。

「懇意になさっているお相手がいるのなら、遠慮なくお過ごしになられればよい。金子の心配はご無用ですよ」

「そういう問題ではない」

「では、どういう問題で?」

 きょとん、と首を傾げる汐之に、朱夏が答えようと口を開きかけた時凛慈が戻ってきた。

「お話し中、失礼致しますよ。えぇっと……夏の君」

「私のことか?」

「以前の呼び名では、不都合がありそうですので。それで、夏の君。我が楼の花が、今宵貴方さまに夢のひとときを捧げたいと申し出ておりますが、いかがなさいますか」

 凛慈の言葉に、朱夏の隣に座る汐之がぴゅうっと口笛を鳴らした。他の重臣たちがいる前では、決して見せない姿である。

「汐之?」

「いや、失礼を。なかなか、櫻花楼で女からそう言ってもらえる男はおりませんからな。羨ましい限りです」

「そういうものか。だが私は……」

 眉間に皺を寄せた朱夏に、凛慈が困ったように微笑みかけた。

「何卒、花に恥をかかせないでやってくださいませ」

「恥?」

 首を傾げる朱夏に答えたのは汐之である。

「女の方から、貴方さまと過ごしたいと。もっと有り体に言ってしまえば、抱いてほしいと申し出るのは、相当の勇気がいることです。断られたりなどすれば、その女は明日から朋輩の笑い者です」

「……」

「ここは、貴方さまの懐の深さを見せてやるべきですな」

 朱夏の脳裏に浮かんでいるのは、舎利ただ一人であった。だが、一度はその肌に触れた身とはいえ、そう何度も煌姫を裏切ってもよいものか、朱夏にはわからなかった。

 ぽん、と朱夏の背が軽く叩かれた。

「……汐之?」

「申し上げましたでしょう?熱を、そのお身の内に溜めるのはよくない、と。ここでのひとときは、決して外には漏れないのです」

「其方は知っていたろう?」

 じっとりと隣を見上げると、汐之は豪快に笑いだした。

「櫻花楼近くの通りを、本宮に向けて戻られるお姿の目撃談を聞いただけでございますよ。あんなにあっさり、引っ掛かってはなりません」

 片目を瞑ってみせた汐之に溜息を吐いて、朱夏は立ち上がる。

 ここで押し問答を続ける気力が、すでになくなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。