↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
五の章 即位、外交への舵取り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

137/186

佰参拾伍


夜の帷が本宮を包んだ夜更け過ぎ。

籠宮の帝の寝所で、朱夏は一人目を閉じて座っていた。湯浴み前に届いた、櫻花楼からの文が目の前の卓に放られている。差出人は舎利であった。

仙螺の黄駕が地下室で息を引き取ったとの知らせである。何故凛慈ではなく舎利から知らせてきたのかと思い、最後まで書面に目を走らせると、結びに「お会いしたい」と書かれていた。

朱夏ももう一度舎利に会いたいとは思う。あの群青の瞳が、弱音を吐く朱夏を包んで甘やかしてくれるのはわかっている。だからこそ、縋ることはできなかった。

溜息を吐き出し、朱夏はゆっくりと目を開けた。こんな刻限から、市井に忍んでいくことはさすがに烏が許さないだろう。かと言って、櫻花楼の稼ぎ頭を本宮に呼びつけるわけにもいかない。

いや、違う。縋ることはしないと決意したのではなかったか。己はこれほど、心弱い男であったろうか。

自問を繰り返す朱夏の耳に、密やかに扉を叩く音が届いた。

「……誰か」

「汐之でございます。入ってもよろしゅうございますか」

とっくに湊刃の屋敷に帰ったと思っていた大臣の声に、朱夏の目が見開かれた。このような夜更けに、何か緊急の用事であろうか。

「入れ」

短く答えると、静かに扉が開かれた。外には護衛の武官も立っている。危険なことは何もないはずだ。

「どうした?」

「お寛ぎのところ、申し訳もございませぬ」

眉を下げた汐之が、扉を閉めてこちらへと歩んできた。

「何か急用か?」

「一度、大港へ戻ろうかと思います」

「大港へ?」

首を傾げた朱夏の前で跪き、汐之は深く笑んでみせた。

「清津とも、水軍の編成について打ち合わせたいと思っておりまして」

「そうか。どのくらいの期間だ?」

「七日ほどいただければ」

湊刃の本拠地、大港まで馬を飛ばして一日半。間の四日で、清津に指示を出してくるという。

「いつ発つ?」

「家の者に諸々引き継いで、明後日の朝に」

「そうか。また重臣たちが騒ぐであろうな」

帝の右の大臣が、その側を離れるなど何たることかと、朝議の場で騒ぐ重臣たちの姿が目に浮かぶようだった。

「必要なことですから、後で黙らせます」

その言葉に吹き出し、朱夏は頷いた。

「許そう。気をつけて行って参れ」

「はい。それでですね」

「何だ?」

にっこりと笑った汐之が、朱夏に向かってすっと手を差し出した。

「汐之?」

「明日の夜、私とお忍びで出かけませんか」

「は?」

何を言われたのかわからず、朱夏はぽかんと口を開ける。

「大港への往復の間、女っ気なしではちと寂しいですのでね」

「……汐之?」

「男が夢のひとときを過ごす場所へ、おつき合いいただけませんか」

悪戯そうな声で告げられた内容に、朱夏は目を剥いた。

「それ、は……」

「勿論、輝山の大臣には秘密ですよ」

唇の前に人差し指を立てた汐之が、さらに続ける。

「今上さまが煌姫さまに操を立てて、宮中の侍女たちにお手をつけないのはわかっております。ですが、お身の内に熱を溜めすぎるのはよくありません」

「……」

「私の大臣就任への祝いだとでも思って、おつき合いいただけると嬉しく思います」

口を閉じた汐之をまじまじと見つめて、朱夏は苦笑を浮かべた。

「昔、父上にも似たようなことを言われたな」

その言葉に、汐之が目を丸くする。

「おや。夏勢院さまが、市井に忍んで行くのにつき合えと?」

「ああ、いや。そちらではなく。適度に欲を発散させろと、親王時代に言われたものだ」

市井に忍んで妙な遊びを覚えずに、春香に夜の手ほどきをしてもらえと言っていた。あれはいつ頃のことであったか。

そうだ、琉兎を第六室として迎える日の朝だった。ああ、あの頃側にいた皆が、何故今側にいないのだろう。

朱夏の胸の内を黒いものが覆う前に、汐之の軽い笑い声が現実へと引き戻した。

「さすがは夏勢院さまですな。ご自身も大層華やかな女人遍歴でございましたが」

正室である美紘と、五人の側室を抱えていた。すでに奥宮は解体され、第三室から第五室までの側室たちは、それぞれ生家に戻っている。床に伏せったままの美紘は、夏勢院とともに藤の離宮へと移った。

「それと、汐之」

「はい?」

「朕は、遊女は買わないぞ」

朱夏の言葉に片眉を上げ、汐之が首を傾げてみせた。

「おやおや。私は行き先をお伝えしましたかな?」

「其方と言葉遊びをする気分ではないのだ。朕の私的な部分について、其方に筒抜けか?」

肩を竦めた汐之が、ちらりと扉に目を向けて声を潜めた。

「どこに目があるかわからぬもの。これまで以上に慎重に、行動なさるべきです」

つまり、即位前に朱夏が櫻花楼で夜を過ごしたことを、汐之は知っているということだ。

「助言をしに来たわけだな」

「いえ、本気でお誘いに来たのですが」

「其方……」

立ち上がり、汐之は片目を瞑って微笑む。

「男同士、何も恥じることはありませんよ。輝山の大臣は今上さまの祖父君。さすがに知られるのはお恥ずかしいかもしれませぬが、私とならば気楽に出かけられましょう」

「……」

「明日の夜、お迎えに参ります。勿論、その時になってお断りになってもようございます」

笑みを深くして、汐之は帝の寝所を出ていった。

残された朱夏は溜息を零す。折良く舎利から文が届いたところであるし、黄駕の遺骸も引き取らなければならない。

罪人として、仙螺代々の墓所に葬ることはできないが、それでもあの無縁廟に入れさせるわけにはいかなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。