22.シオン②
おしゃべり回
「姉さん!」
飛び起きた。
覚醒した意識が瞬時にここがどこかを探る。
――該当、シャルエン本邸の自室だ。ベッドの上に僕はいる。
部屋はぼんやりと明るいが、体内時計も窓の外も、時間は深夜と言っていた。
《今回の目覚めは覚醒度が高い。おはようございます、私の契約者》
声だ、妖霊。契約者と言われたことが理解出来ず固まってしまった。ふわりと感じた冷気に「あ!」と思い出す。
「……リューレ。そうだ、リューレ、僕の妖霊!」
《そうです、私があなたの妖霊です》
魔力が集まり、ベッドの側に少年の姿をした妖霊が現れる。
手には水差しとグラス。
慣れたように注ぎ、慣れたように僕にグラスを差し出した。僕も自然に受け取り――記憶より身体が覚えているようだ、
「――わかった、君が僕のお世話をしてくれていたんだね、ありがとう。……僕、どれぐらいの時間ふらふらしてた?一週間ぐらい?」
《どういたしまして。――あなたがふらふらしていたのは、私と契約してすぐ、一週間ほど、でしょうか。半覚醒状態か寝てるかだったのに、よくわかりましたね》
「君と契約した記憶から、一週間分の記憶が曖昧だったから、そうかなと思って」
《私の契約者は記憶力に特異性があるようだ。――それで、何か食べる余力はありますか。人の回復は飲食と睡眠が一番なので》
何か、食べる。と自分の身体に問いかけ、答えるようにぐぅとお腹がなった。
「僕、すごくお腹がすいてる気がする」
《良い傾向ですね。適当に調達してくるので、少しの間待っていてください》
頷けば、リューレは僕の部屋から出ていく。
目を閉じ、耳を澄ませ、屋敷の様子を探ってみた。
リューレの魔力が迷いなく厨房の方向へ動く。
この時間だから数は少ないとはいえ、屋敷には人や妖霊たちが働いている。
皆リューレとすれ違っているが、咎める気はないようだ。
契約して一週間。その一週間は、僕は記憶の維持も思考もままならなかった。
僕の契約妖霊だからといって、僕はほとんど何も出来なかったのに、ここまで信用されるものだろうか?
そもそも、部屋の外に僕専用として置かれていた使用人の気配もない。
ぱちりと目を開け、今度は目に魔力を灯す。
リューレの魔力の軌跡が四方八方、床や天井へと伸び、この部屋自体を包むように囲んでいた。
ベッドからおりると、少しふらついた。
走りでもしたら、足がもつれて転んでしまいそうだ。
受け身をとれそうにないし、そもそも立つだけでもバランスが取りにくく感じる。
思考に対し、全体的にからだの反応は鈍く感じていたが、――あれ?鈍いどころじゃない部位がある。
照明に魔力を飛ばし、部屋を明るくする。抑えたつもりだが、明るすぎたのか少し眩しい。
目を光に慣れさせること数秒。見間違わない明るさで、僕は有るか無いかを確認した。
「…………うーん、そっかぁ」
間違いなく軽くなっている右半身。生まれてから当たり前に存在していた右腕が消えていた。
目に異常があるのかと、とりあえず試しに左手で右腕があった場所に触れてみる。なにもない。
記憶に心当たりはあったから、事象の結果としては納得出来る。
僕は今冷静だと思う。
朧気な一週間の、直前の記憶の方が冷静ではなかった。人生初の、いわゆる修羅場だったのだから仕方ないと思うし、自分なりによくやったとは思っている。
目はどちらも問題なし、耳も同じく。手足の損失は右腕のだけで、完治していない傷はいくつか。
ふむふむ、右腕の他に大きな損失はなさそうだ。
僕の魔力はもりもりだし、リューレと魔力が繋がっているのもわかる。
リューレを待つ間暇なので、壁に触れてみた。
ひんやりしている。床も同じくひんやりだ。これは自然の温度を感じているのではなく、魔力に触れた感覚だと僕は考えている。
冷たくしろ、なんて指示をこの魔力は出していない。ゆえに、温度ではなく感覚がひんやり。
氷属性の妖霊は、皆ひんやりしているのかもしれない。リューレはアルドラさんと同じ、氷の妖霊だと思うから。
僕は、妖霊を使役する知識はあっても、妖霊についての知識は薄い。
気軽に話しかけられる妖霊はアルドラさんだけで、アルドラさんは姉さんと一緒だから、会う機会が少ない。
リューレが雑談を好んでくれるといいけど、なんて思う。
僕は、人をそうと分類するなら、お喋りな方になる。
いろんな事を知りたいと思うし、知らないことは一緒に考えてくれると嬉しい。
リューレには聞きたいことが沢山ある。
好きなものは何?とか、海を見たことある?とか。人の殻ではない方がみたい!とか。
けれど、優先順位は必要だ。考えをまとめておかないと。
なんせ僕は死にかけた、――殺されかけたのだから。
廊下から、リューレの魔力が近付く気配がした。
扉が開く音に振り返ると、まるで給仕の仕事でもしているように、食事が乗ったワゴンを押すリューレがいた。
部屋に飛び込んでくる美味しそうな匂いに、またお腹が鳴った。大きなお肉もある、魚もある、品目が多い!
「わぁ、ありがとうリューレ!」
《契約してから、あなたがまともに立っているのを初めて見ました》
「ふふ~、走ってるところも見る?」
《遠慮します。あなたの動きを見ることに、楽しみを見いだしているわけではないので》
「そっかぁ」
リューレと共にテーブルへ。食事が並べられる。
一脚しか無かった椅子は、知らぬ間にもう一脚増えていた。その一脚に、慣れたようにリューレが座ったのを見て、ふふ、と僕の口元は緩んでしまう。
座る僕の前にはスープリゾット。美味しそうだ。
リューレの前にあるお肉も美味しそうだ。
《先に言っておきますが、この肉は私のものです。病み上がりはおとなしく消化に良いものを食べなさい》
「僕のお腹は美味しそうだしいけるって言ってる」
《そうですか。ですが厨房で脅……脅して取得したこの肉は私のものです》
「言い直そうとして結局言い直さなかった……」
《脅したのは事実ですし、良いかなと》
「いいのかな……いいのかも……」
温かい食事が、何故だかすごく久しぶりに感じる。
スプーンを握る左手は利き腕だ。行動に大きな支障はない、けれど、いつも使っていた部位がないと、食べにくさは感じた。
《……両利きとききました》
「うん。その方がカッコいいと思って、右手も使えるようにしたんだ。練習した方が無くなるのは、ちょっと残念だけどね」
《人は妖霊と違い、殻の再生が出来ないのが難点です》
「僕もそう思う。今はある前提で考えて行動に誤差を出すから、無いことに慣れることから始めないと、って感じかな」
《………………、一口ならいいですよ、食べますか?お肉》
「たべたーい!」
そう返事をすれば、大皿お肉の上に、鋭いナイフのような氷の塊が現れた。
瞬き二つ、その見た目通りの役割を果たし、一口大の肉片と共に、氷は僕の口元へ。
ぱくりと氷ごと食いついたのに、肉汁が溢れる温かな肉の味だけだった。
考えていた冷たさはない、魔力に味はないようだ。
「こうやって僕のお世話してくれてたんだ」
《はい。……口を開けて待っても一口だけです。これは私の肉です》
美味しかったのにな、と諦めて口を閉じる。
リューレはお手本のような作法で、切り分けた肉を口に運んでいた。
妖霊の主食は魔力。シャルエンの妖霊が飲食をするのを、僕はあまり見たことがない。
――いや、サフが飴玉を持ち歩いていると考えると、見えないところで食べてるのだろうか。
「妖霊って、食事が出来る事は知っていたけど、リューレは食べることが好きなの?」
《はい。好んでいます。妖霊の主食は魔力ですが、人と同じものを好むかは個体による。飲食は娯楽、妖霊の趣味と言う方が妥当かと。食べなくても魔力さえあれば生存できるので》
「趣味かぁ。あ、そうだ、ねぇリューレ。さっき僕、”お肉をねだったけど、お行儀が悪かったかな?” 」
《……問題ありません。 “誰も見ていないし、誰も聞いていない” 》
『……そっか、良かった!』
アルドラさんが姉さんの部屋に使っていた魔法と似ていたから、そうだとは思っていた。やはり同種のものらしい。
僕らの会話が外にもれることはない、とリューレは答えてくれた。
「リューレ、どうやってシャルエンに取り入ったの?食事を取りに行った君の魔力を追っていたけど、誰からも怪しまれていないし、この部屋だって、魔法を使うことを許可されている。部屋の外にいつだっていた使用人もいない」
《威嚇して力を示した後、契約者から指示されたと言い、シャルエン家当主に名を教え、契約者以外の指示は当主しか受け付けないと宣言したからです》
「……意識の無い僕の身柄を引き取りに来たシャルエンに属する者に対して、“シャルエンの誰が契約者の敵であるかわからないから”、と威嚇した。であってる?」
《はい。しっかり暴れ散らかしました。殺してはいません、今はまだ誰であるかわからない、という体でいたので》
まだわからない、ということは、少なくとも威嚇の時点で誰それの予測がついている、ということか。
僕の知らない情報をリューレは持っている。少なくとも、一週間分は。
もしかして、契約後に現場の確認をしてくれたとか?おそらく、怪我は僕だけ、死体は馬ぐらいだったと思う。
「シャルエンは、強くて従順な妖霊を歓迎する。リューレは炎でもない。その後に、僕が当主を信じ、当主を立てるように妖霊に指示を出していた、とするならば――うん、当主の機嫌がすっごく良くなりそうだ。最適解だと思う」
でも。
僕を守るために最適解を取った対価は、リューレにとって不快なものだったと思う。
「……ごめんね、嫌な相手に名乗らせることになってしまった」
《私がシャルエンを支持するとは思わないんですか?今この時が、契約後初めて、まともに話す時間であるのに》
「うーん、それは、ほら。この部屋。僕をシャルエンに触れさせたくない、といった感じで囲われてるから。君がシャルエンを支持しているなら、目覚めて一番に話せるのは君じゃないし、僕の世話だって、当主が選んだシャルエンの者にさせた方が楽じゃないか」
言えば、リューレは否定しなかった。
《…………最適解を取れるなら、私は一つの我慢を選びます。当主からの指示云々も、ただ宣言しただけで縛りはない》
「こんな時は、ごめんねと言うより、ありがとう、が正しいか。ありがとう、リューレ」
リューレは何故だか眉を寄せ、顔は少しだけ機嫌が悪そうに見えたが、僕には柔らかな声音の方が本心に思えた。
《…………私、あなたのこと、ほんの少しだけ、好ましいと思ってしまいました。だからといって肉はあげませんけど》
「嬉しいけどお肉は残念~。沢山話したいことがあって、話せる程には元気なのに。……ねぇ、リューレ、聞いてくれる?僕の考えたこと」
《いいですよ、シオン。聞かせてください》
名前呼びは嬉しいな、と素直に思った。
リューレはあまり表情を変えない。少しだけ嫌そうな顔か、真顔で、口調は淡々と話す。
けれど、じっと見て聞いていると、滲むような変化があった。
基本は真顔だけれど、口元や目に少しだけ変化があったり、さっきの声音だってそうだ。
シオンと呼んだ声をつつけば、甘い雫が滴り落ちる。そんな想像をしてしまう声音だった。
これから沢山、リューレの変化を見ることになるのがまた嬉しい。そのために乗り越えるべきもの、前提条件が一つ。
僕が、死なないことだ。
「僕の考え。結論から言うと、僕を殺そうと手配したのは、僕の異母兄弟。兄のエリー・シャルエン」
「これまで明確に攻撃されたことはなかった。そもそも、シャルエン家で嫌がらせ行為を受けたことがない。僕の保有魔力が、シャルエンが僕を受け入れる絶対的な理由だ。もちろん兄も、シャルエンの思想が人格に深く関わっているから、僕を受け入れている」
「しかし兄は、当主と同じくシャルエンそのものの考え方でいて、シャルエン家の利を捨てるような、合理性に欠けた行動を選択する。当主も兄のその性質を知っていた」
「だから、姉さんに兄を近付けないようにしている」
「兄の異常性は主に姉さんに向いていた。姉さんは確かに、シャルエン家の者としては魔力が薄い。しかし、シャルエン家は魔力を抜きにしても、姉さんの価値を認めている」
「宝石は魔法を使えないが、その美しさは人を魅了するように。シャルエン家にとって姉さんの価値は、宝石の価値を認めるのと同じ」
「兄はそれを理解しているような口ぶりで、姉さんを排除しようとする。人ではないと言いながら、物に向けるはずのない感情を向けている」
「どろついた負の感情。それが何であるかを僕は知らない」
「これもまた、当主が“炎”を使う妖霊を嫌う理由に関係があるのか?姉さんの母君の妖霊がいないわけにも?」
「そもそも、姉さんは何故、養子に出されなかったのだろう。どうしてシャルエンなのだろう。情報が足りない」
「兄は僕を好ましく思っていた。僕に魔力があるからだ。僕を弟と認めていた。家族と認めていたあの目が変わったのは、いつだ?」
「入学した姉さんの様子を、兄は見に行きたがっていた。卒業生であるからと言うが、今さら何故だ?」
「姉さんの元へ行くのが僕に決まった時、一瞬向けられたあの視線。ただの不満、苛立ちから来るものだと思った。当主の意向が絶対であるのだから、この程度当たり前に流せるものだと思った」
「あの日、本邸から王都への馬車。送迎を担当したのは、父が用意するいつもの者達ではなかった。人も妖霊も、本邸で見ない顔だった。話を聞き出した、当主ではない、兄が手配した者達だった」
「僕は帰路、襲われた。馬車を外から脅し無理やり誘導するような、不自然な動きはなかったと思う。襲われたあの場所に向かう事は、最初から決まっていたかのような走りだった」
「馬車が止まった時、同乗していた者たちは、様子を見に行くと行って出ていった。そして、外には人も妖霊も沢山いたのに、同乗していた者達の姿はなく、攻撃的な魔法を感知したのは、馬車を爆発させたあの時が初めて」
「だから僕は、僕を殺そうとするのは兄だと思った」
リューレは《わかりました》と頷いた。そして、リューレの持つ情報が一つ、開示される。
僕の予想通り、契約後、現場を確認したリューレは、馬の死体しか無いことに気づく。馬車の残骸から、僕が貴族の家の子だとは察しがついたはずだ。
その後を知りたいと思った。時系列で言えば、僕が意識を失った直後のことから。
リューレは、情報を求める僕をなだめることはなく、静かに、《食事を終えたら、》と言った。
《私が持つ情報を、“全て”開示します。私の契約者はシオン、あなたですから》
その含みがある言い方に首を傾げる。
リューレに少し迷いが見えたが、開示すること自体は決めているようだ。
「君に不利益になることなら、開示しなくてもいいよ」
《私は知っているのに、私の契約者が知らないままでいるのは、私が嫌です》
リューレがそう言うのなら、僕が知るべき情報なのだろう。
食事は美味しいが、流し込むように食べることはリューレが許さない。
しっかり噛んで、飲み下して。こんな夜更けに飲食する特別感と、もう寝ろだなんて言われたらどうしようと言う思いもあり。
律儀に厨房まで皿を片付けに行ったリューレを待ちながら、どんな情報なんだろうと考えた。
それに、大事なことを、最初に聞くべき事を、僕はずっと聞けないでいる。
知るのが怖い、考えないようにしているのは、姉さんこと。
姉さんは、今、どうしているのだろう。




