20.シオン
ロートン魔法学園の制服に身を包む姉さんの姿が眩しく、目を細め、ているなんてだめだ!開け僕の目!!
この一瞬一瞬を記憶に保存するんだ。なんのための記憶容量、姉さんを記憶するために決まっている!
最後に姉さんに会い、言葉を交わせたのは、姉さんが入学前の別邸が最後。
そこからシャルエンとして会うことも無く、僕に残されていた姉さん残量は枯渇寸前だった。
それでも今日を、僕はついに勝ち取った。
名目上では、姉さんの学園生活を聞き、当主に伝えるいつもの伝書鳩。
姉さんのために従順なシャルエンをしていたのと、兄を名乗る者からの後押しもあって、今日にこぎ着けられた。
当主は僕の魔力保有量と顔を気に入っているようだ。
母君にそっくりだという姉さんや、母さんの姿を考えると、当主は金髪の美人が好きらしい。
貴族の不貞行為はありふれた話だときくが、どうも僕の道徳心には合わない。
その行為があって僕が存在する以上、当主に文句を言える立場にはない。姉さんと僕をこの世に誕生させたという点については、感謝している。
ところで僕の心は朝から盛大に踊っていた。
陽の光は、天が今日を祝福しているようにしか思えなかったし、風の方向は王都のロートン魔法学園へ向いていて、少しでも早くつくようにと応援していた。気がしている。陽の光よ、風よ、ありがとう。
さすがに一人で姉さんの元へ行けるわけではない。妖霊と使用人が数人、僕の送迎を任されていた。
シャルエン家は、魔力さえあれば年下相手にも、下手に出る者だらけだ。
年相応の扱いに憧れはあるが、シャルエン家で姉さんの側にいるためには仕方がない。
僕は記憶力に自身がある。
魔力がそのままなら、姿を変えた妖霊も判別出来た。人であるなら、顔と身体特徴、声を覚えた。
今日の送迎は初めて見る顔だった。当主が用意している者達とは違う。言葉を交わし言動を観察し、兄が用意した者だとわかった。
兄を名乗る者こと、兄。姉さんの兄であり、僕とも、異母兄弟にあたる。
兄の、姉さんを人と扱わない言動が嫌いだった。
僕の存在は認めているようだったが――よく思われていないとは感じる。
魔力ある者を好むシャルエンの兄が僕をよく思っていない理由も、おそらく、魔力だ。
年齢的にも、僕の魔力保有量はこれからも増える。
兄や当主を大きく越える保有魔力になるだろう。僕はアルドラさんと相談し、保有魔力を誤魔化す練習を始めていた。
シャルエン家の後継者は兄だ。僕はその座を奪おうなんてさらさら思っていない。
この先もそう思うことはないと断言できる。シャルエンの思想は僕には合わないからだ。
姉さんほどではないが、僕も演技力を身に付けている。シャルエンの子としての言動は板についてきたのではないだろうか。
早々とその板を割り捨て姉さんに飛び込みたいが、今回、兄が用意したこの者達はどこまで干渉してくるのだろう。
彼らが見ている前では、僕は姉さんの弟である僕に戻ることができない。
どうにか、僕と、姉さんとアルドラさんだけでいられる時間が多く取れるといいけれど。
――でないと、僕が狂ってしまう。狂いたくない。
そこで緊急事態を見越してぬかりない僕だ。
出来上がったのだ、通信用の魔道具。まだまだ傍受についての問題があるため、通信魔道具越しに姉さんの弟になることは出来ない。
ならば何が許されるのか?
――それは挨拶。おはようとおやすみだ。
姉さんのおはようで一日が始まり、姉さんのおやすみで一日が終わる。
なんて、なんて素晴らしい日々だ!想像するだけでときめいてしまう!
そんな日々、僕の魔力、いや命の質が上がることに違いない。
会いたい、早く姉さんに会いたい。
そう、顔には全く出さず思考を姉さんで埋めていると――ついに、ついにだ。僕は、姉さんと再会した。
制服姿の姉さんと、姉さんの足元にはアルドラさん。
心は姉さんと叫び、駆け寄りたいと言ったが、僕のことが好きな姉さんのために僕は理性が自制させる。
今まだ、僕たちはシャルエン。
ここには人や妖霊の目がある。
姉さんにシャルエンとして挨拶し、おや、と気付いた。
――姉さんの声音に申し訳なさがある。おまけにアルドラさんがやけに無口だ。……まさか、
「シオン。私たちが王都をよく知らないと知ったヴァニタス様が、直々に、案内を申し出てくれたの」
姉さんの、僕の心まで見透かしてしまうような紫色の瞳が、ごめんね、と確かに言っていた。
「やぁ、シオンくん。久しぶりだね」
覚えのある声、覚えのある歩調、覚えのある気配、そして覚えのある妖霊の魔力が二つ!!!!!!
ヴァニタス・アヴィール!!!!王族!第三王子!姉さんの婚約者!!
頑張れ僕の体!シャルエンとしての挨拶だ!さんはい!
「……ヴァニタス様。お久しぶりです、姉がお世話になっております」
ヴァニタス・アヴィール!その人懐っこい笑み!いつ見ても怪しい!心がそわつく!楽しみ喜びのそれではない!!警戒するようなそわつきが今日もある!
僕、僕!!!!思考が荒ぶっている僕!
表情選択に間違いはないか!?
現!時点!では姉さんの婚約者だ、礼儀正しくせねばならない。
声音は!恨みが混ざっていないか!?
「いいや、世話になっているのは僕の方さ。リトナには話し相手になってもらっている」
この僕でさえ!!!ろくに姉さんと話せず苦しんでいるのに!
姉さんと同い年だからと!姉さんの婚約者だからと!
「そんな、過言ですよ。ゆっくり話したのは数日前の一回で、」
過言じゃないかヴァニタス・アヴィールッ!!
「これから、卒業まで世話になる予定だ。過言にはならないさ」
ぐううう!!!!ヴァニタス・アヴィールッ!!!
《……シオン、ここまで来るのに疲れただろう、少し休むか?》
アルドラさんの気遣いが無ければ咆哮していたかもしれない。
僕はシオン・シャルエン。さすがに咆哮はまずい。
冷静になろう、思考を切り替えるんだ
「問題ありません。確かに姉と僕は、王都をよく知らない。ご厚意に感謝します、ヴァニタス様。本日はよろしくお願いします」
「ああ。……姉弟水入らずの間に入るんだ、最善を尽くし、君たちに楽しんでもらえるよう努力する」
にこりと微笑む姉さんと、姉さん直伝の微笑みを浮かべる僕。ヴァニタス・アヴィールは楽しげに笑い、
「ふ、ははっ……!シオン・シャルエン。君の姉想いな所、僕は面白くて好ましく思うよ」
と言った。
飛びかかってやろうかと思った。我慢した。
あとで姉さんに褒めてもらおう。
×××××
悔しいが、ヴァニタス・アヴィールの案内で歩いた王都は楽しかった。
僕より三年長く生きているだけで、こうも違うのかと愕然し、反省し、(エスコートの仕方を)目標とした。
ヴァニタス・アヴィールは、姉さんの素の表情を引き出していた。悔しい。
美味しいわね、と言う姉さんの微笑みは、姉さんの感情を起因としたものだった。
シャルエンとしての姉さんではなく、リトナ姉さんの微笑みだった。
それを!ヴァニタス・アヴィールは!見ている!!
姉さんの素晴らしさは世界中に知れ渡ってもいいが、ヴァニタス・アヴィールはだめだ!
何故駄目なのかと言語化出来ないのが歯がゆいが、だめだ!!
翌日、帰りの馬車に揺られながら、僕は記憶に焼き付けた、ヴァニタス・アヴィールが帰ったその後を思い出していた。
なんと僕は、姉さんやアルドラさんと、寝食を共にできたのだ!
外出許可は二日あると姉さんは言い、王都のシャルエン家別邸に、共に滞在してくれることになったのだ!
――あの日、リトナ・シャルエンが姉さんになった、あの時のことは、今でも鮮明に思い出せる。
あの頃通っていた部屋――姉さんとアルドラさんもいる部屋に入った僕は、扉が閉まったことを確認し、姉さんが頷くのを確認し、アルドラさんが《大丈夫だ》と言うのを確認し、
雄叫びに近い「姉さん!!!」と声をあげ、受け止める気で構えてくれる姉さんの胸に飛び込んだ。
「今日は付き合ってくれてありがとう」「会えて嬉しい」といった労いの言葉と親しみ溢れた言葉に、感極まってしまう。
僕こそ、僕が一番会いたかったのだ。
そして姉さんだけではない。
再会の度に涙が出そうになる僕は、すっと姉さんから離れ、身体をねじるように足元へ飛び込む。
《ひっ、》と何故だか毎回驚くアルドラさんをつかまえ、そのもちもちとした身体に顔ごと沈めた。
「アルドラさんっ!!!!!!」ともごもご叫べば、苦笑が返ってくるのだ。
《再会の儀の狂気度が段々上がってるんだよなあ》とこぼしながら。
アルドラさんは、嫌だと思ったのなら突撃を避けるタイプの妖霊だと思う。
姉さんと同じく、僕が甘えるのを受け入れてくれているのだ。人の姿をしたアルドラさんにも飛び込んでいるので、もう慣れてくれたと考えていた。
姉さんとアルドラさんには沢山話を聞いてもらった。
姉さんとアルドラさんの話を沢山聞かせてもらった。
同じ空間に姉さんとアルドラさんがいる中での就寝は、睡眠の質を大きく高め、目覚めはすっきりと清々しいものだった。
目覚めてすぐに、姉さんとアルドラさんを見ることができる。これが幸せという感情なのだろう。姉さんとアルドラさんの前ではずっと感じているが、いつだって素晴らしいと頷ける。
名残惜しいが、姉さんとアルドラさんは学園の寮へ、僕は本邸に戻らねばならない。
姉さんの側にいるために、シャルエンとしての教育を受けねばならない。
僕の見送りには、ヴァニタス・アヴィールもいた。
威嚇したい気持ちをぐっっっっっとこらえ、見送りに感謝した。
次会えるのはいつだろう。
この国の貴族は、十歳で守護召喚を行うというから、少なくとも王都に行ける理由は存在している。
長期の休みは別邸に戻るそうだから、その時に、僕も戻れるようシャルエンを演じ続けよう。
揺れる馬車で、僕は今後をどうするかと、考えを組み立てていた。
また馬車はがたりと揺れる。
……不思議だ。来た道はこんなに揺れなかった。
窓の外は大降りの雨だが――雨越しの景色に、違和感を感じた。
来た道ずっとら窓の外を見てきたわけではない。
気のせいか、とも思う。――がたん、とまた、舗装されていない道を進んでいるかのように、揺れた。
――違う、やっぱり、気のせいじゃない。
この道は来た道とは違う。シャルエン家本邸から王都への道ではない。
同乗している送迎の付き人に聞く、首を傾げていた。妖霊も反応は同じ。
胸騒ぎがする。雨音が大きく感じる。
無意識に、服越しに触れたのは指輪だ。
紐を通し首から下げているそれが、通信用の魔道具。
僕の日々を充実させるための、姉さんを寂しくさせないための、挨拶だけを取り交わす魔道具。
――大きく揺れて、ついに馬車が止まった。
付き人と妖霊が様子を見るためにと、外へ出ていく。
開かれた扉から、うるさいぐらいの雨音が侵入してくる。
ぞわりと、背筋が震えた。落ち着かない。
耳を澄ませても、聞こえるのは雨音ぐらいで。
目を閉じて感じるのは――ひりつくような魔力が複数!
アルドラさんに教わったことだ、思考と同時に身体は動いた。
馬車のキャビンから飛び出せば、雨、見知らぬ森林地帯、人影、妖霊、みな、みな、知らない!
痛いほど肌がひりつく、魔力が膨れ上がるのは背後、肩越しに振り返ったその瞬間に、馬車は爆発、
――意識、を、飛ばすな!
思考を止めるなシオン・シャルエン!
爆発した、爆発した、僕は吹き飛ばされた、ここは知らない、斜面を滑ったのか、痛い、集中しろ、僕が外に出たのは見られている、
「隠れる、隠れるんだ、」
声が出る、大丈夫、まだ大丈夫、アルドラさんと、サフの前でやった、気配を消す魔法、展開できた。
できたと思う、いたい、きっとできてる、
呼吸が苦しい、思考が鈍い、
あとは、あとは、こんな所じゃなく、物陰に行こう、
身体がおもい、痛い、這いずってでも、あの木の、影へ、もたれかかれば、少しは楽に、……ああ、なんで、こんなに痛いんだ、
このうるさい音は、雨音か、心臓の音かもしれない、どっちでもいい、次は、どうする、痛い、痛いのは、なぜ、
爆発したからだ、爆発は近かった、吹き飛んだ、
絨毯ではない地面を、土くれと木々の間を滑ったんだ、
そりゃあ、怪我もする、頬がひりひりする、いたい、一番痛いのはどこだろう、わからない、思考にもやがかかる、
ぼく!僕!!!!思考を止めるな!
おちつけ、シオン・シャルエン。
眠いのはわかる、けれど僕は、良質な睡眠をとったばかりだ。
思考のもやの原因はわかっている、出血だ。
僕は今血を流している。右腕の感覚がない気がする、
人は、人の身体は、確か、血液の二十%を失うと、出血性ショックおそれがあり、三十だと、――僕はこどもだ、これは大人の数値。僕には適用されない。
血を止めないと、でも、でも、どこの出血を止めればいいんだ?
わからない、わからない、こんなにも痛いのに、
思い出したように、左手が胸元に触れた。
そこには何もない、わかっていた。
首から下げたはずの魔道具は消えている。爆発でか、斜面を滑った時か、――首から下げるものは、何らかの事故に備え外れやすいものにしたのは僕だ、僕だけど、まだ一度も使っていないのに……!
通信手段はない、出血の止め方がわからない、応急処置について学ぶべきだった、後悔しても仕方がない、
まだ声は出るが、助けを呼ぶなんてこと、自らの位置を知らせるような行為はできない、――――、
――また、意識が落ちかけた、思考が止まりかけた。
明確に、死、が見えた気がした。
だめだ、だめだだめだ!
僕は母が死んだと聞いた時、あんなにも悲しかった。
姉さんもとても悲しかったと言っていた。
ここでもし、僕がしんでしまったら、姉さんはどう思うのか、
悲しむ、すごく悲しむ、
僕の死で、姉さんが悲しんでしまう、
絶対に嫌だ。
姉さんを、どの世界よりも一番大切な姉さんが悲しむことを、この僕が!姉さんが好いてくれるこの僕が!そんなことをするわけにはいかない!!
死ねない、生きる、生きる、死んではならない、
痛いか、僕、まだ痛いよな、シオン・シャルエン!
痛いのは生きているという証だ、だからまだ大丈夫、諦めるな、
意識を保て、僕は、僕こそは、大好きな姉さんの大好きな弟!!
まだ手はある、ここに僕だけの助けを呼べば良い。
指先に魔力をこめる、描くのは召喚魔法陣。
本来は十歳で行うという、妖霊の守護召喚。それを今、ここで!
煌めく魔力の粒、召喚魔法陣に、最後の魔力を込めた。
――来い、来い、来てくれ、助けてくれ、
お願いだ、助けてくれ、僕を死なせないでくれ、僕が死ねば、姉さんが、頼む、誰か、
「姉さんを、リトナ姉さんをっ……助けて……!」
――魔力は雨粒に押し流されていく、魔法陣が消滅したのを確認した、
でも、知らない魔力の気配はない、
目を閉じても、雨音だけが、頭にひびいて、
《…………その出血で、その小さな身体で、よく意識をたもっていられますね》
知らない声だ。
ふわりと感じるのは冷気。知らない魔力。
目を開けると、知らない妖霊が僕を見下ろしていた。
僕より少し年上で、けれど大人ではない、少年の姿をした、きっと――氷の、妖霊。
「妖、霊、……っ、妖霊さん、僕は生きたい、死にたくない、死んではならないんだ、僕が死ぬと、リトナ姉さんが悲しむ……!」
助けを求め伸ばした左手を、ひんやりとした手が力強く掴んでくれた。
《根性と保有魔力が魅力的な人の子。あなた、同担拒否だったりしますか?》
「……どう、たん、きょひ?」
《この人を好きなのは、僕私俺だけでいい、他に好きな者がいるとしても、認めたくない関わりたくない。そういった考えです》
「………………、」
何を言っているんだろうと思ったが、妖霊と契約するのは初めてだ。これは契約の上での、大事な問答かもしれない。真面目に考えようと鈍い思考を巡らせる。
僕が今一番好きなのは姉さんだ。
アルドラさんも姉さんが好きだ。
ヴァニタス・アヴィールも姉さんを気に入っているらしい。それは嫌だ。
僕とアルドラさんで二、僕だけとは思わない。僕はアルドラさんも好きだ。となると、
「僕は、好きな人のことを、好きな人がいるのを、嬉しく思う」
《……わかりました。私の名はリューレ。契約しましょう。私が、あなたを絶対に死なせない》
なにか、僕の内にある魔力が接続されたような。
そんな不思議な感覚が、あった。
「……リュー、レ……リューレ、ぼくの、妖霊、……これで、ぼくは……よか、った……」
死なせない、そう言いきった言葉に、緊張が途切れてしまった。
一度途切れたものを繋げるほど、僕に余裕はなく、
最後に感じたのは、心地のよい冷気、




