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第六話

 意外にもツィラローザは埃まみれでおんぼろな部屋に文句を言うことはなかった。

 小さなかまどに水がめ、テーブルセット。小さなベッドも一台ある。小さな窓は晴れれば柔らかく光が差し込みそうだ。雨音の響く屋根は雨漏りの心配はなさそうだ。


 エンドリッヒは水がめを外に出した。水は貴重だ。雨が降っているうちに少しでも溜めておかなければならない。


(水すらおいていかないなんて、本当に生かす気あったのかね、あの男は。あいつこそ呪われてしまえばいいのに)


 内心宰相への呪いを吐きながらエンドリッヒが室内を振り返ると、埃だらけのベッドの上でキョロキョロと忙しく視線を動かしているツィラローザの姿が目に入った。


(あの魔術師に呪いをかけられるくらいだから、よっぽどのことをしたんだろう。話を繋ぎ合わせれば、“美しさを鼻にかけた傲慢な姫”って思っていたが、これは……)


 先ほどエンドリッヒに手を差し出すツィラローザの様子を見て「まるで幼子(おさなご)のようだ」と思ったが、彼女は本当に「幼子」なのかもしれない。


(自分で考え、育つことを妨げられた可哀そうな王女様ってとこかな……)


 エンドリッヒはこれまでツィラローザについて「世界で一番美しく可憐な姫」という噂しか聞いたことがなかった。確かにツィラローザは美しかった。汚物にまみれ髪を振り乱していても、身に着いた気品みたいなものは残っていたし、やつれていてもハッと目を引く魅力があった。


(刃を向けられても怖がったり逃げようとする様子がなかった。気が触れているようでもなかったし、何かをあきらめているようでもあった。「もうこの世に未練はない」とでも言うように……)


 エンドリッヒの脳裏に戦場での記憶がよみがえる。

 死への恐怖を持たない兵士が一番の脅威だった。彼らの唯一の存在意義は「敵に立ち向かうこと」だったのだ。そういった兵士を作るために洗脳をする国もあったと聞いている。

 それを思えばツィラローザは、美しさ以外の判断力を奪われながら育ったのだろう。正直言ってそんな人間は人の上に立つべきではない。


 ツィラローザの首先できらめいた剣先の光が浮かぶ。剣先が触れ、何度も髪の毛を切り落とした。


(あの時、俺は確実にこの子の首を落とせていた。なぜ俺は迷った? この世に未練も無く、目先の判断しかできない奴なんか殺しちまえばよかったのに……。はーあ、どうしてここに来てこんな面倒くさいことになってしまったんだか)


エンドリッヒのため息に応えるように、不揃いになっている髪の毛がふわっと揺れた。


「ねえ」

「今度はなんですか? 不平不満は聞けませんよ」


 こちらを向いたツィラローザに、エンドリッヒは文句は言うなと先回りをして釘を刺した。そう言われたツィラローザはエンドリッヒに不服そうな顔を向けた。


「違うわ。私はここで生きていていいの?」

「は?」

「私はもう美しくないわ。生きている価値なんてないじゃない」

「自分の醜い姿を晒して生きていくなんて耐えられないわ」


自分を見るツィラローザの瞳は嘘を言っているようではなかった。心の底からそう信じているようだった。


(うわ、めんどくさ。こうなってる奴に何を言ってもどうしようもないんですよね。それもそうか。洗脳よりも根深いものがあるんでしょうし、適当に話合わせとけばいいですかね……)


「ああ~、そりゃ大変申し訳無いことをしましたね」


エンドリッヒは大仰に後悔するような仕草をして見せた。そのあまりにもわざとらしい様子にツィラローザが何か言い返そうとしていたが、エンドリッヒはその言葉を遮るように続けた。


「ああでも死にたいならどうぞご勝手にしてください。生きているのも大変ですからね。ただし俺はあんたを生かしちまったし、あの宰相様から言われた事もあるんで、死のうとするあんたをみすみす見逃すような真似はしないってことは知っといてくださいね」


ツィラローザはエンドリッヒのその言葉に愕然とした顔を見せた。


「こんなに醜い姿で、どうやって生きていけば良いの……?」

「はぁ……大丈夫ですよ。あんたは十分きれいです、王女殿下。まるでまっさら透明な水晶みたいな人だ」

「え……?」


エンドリッヒは言い終わってから慌てて口を閉じた。呆れながらちょっとした皮肉のつもりで放った言葉が、聞きようによっては口説き文句みたいになってしまったことに気づいたのだ。恐るおそるツィラローザを見れば、彼女は王女らしからぬぽかんとした表情でエンドリッヒを見ていた。


「『何言ってんだこいつ』みたいな目で見るの止めてくださいよ。ちょっとした皮肉だったんすけど……」


言い訳をしようと思ったが、エンドリッヒは止めることにした。彼女への言葉に嘘はなかったからだ。別に嘘を咎められているわけではないし、彼女には自覚してもらう必要がある――これからは自分で考え、判断しなければならないことばかりだ、ということに。


「あーまあいいや。掃除しますよ、殿下。周りが見えるうちに埃だけでも払っときましょうか」


エンドリッヒがふうっと勢いよくテーブルの上に息を吐くと、埃が勢いよく舞い上がり、埃の向こうでツィラローザが小さくくしゃみをした。


§


 エンドリッヒは固い床に横になり、真っ黒な天井を見上げた。

(固い、痛い……。こんなんで寝られるかクソ)


 雨はいつの間にか上がっていた。外に出した()()()にどのくらい水が溜まっているのか気になったが、見に行くのも億劫だった。


 雨水を使いながら、簡単な掃除を終える頃にはすっかり夜になっていた。


「目に見える範囲ですけど、まあ上出来でしょう」


 エンドリッヒはぐるりと室内を見回し、最後にベッドに腰掛けるツィラローザを見た。ツィラローザはごわごわのベッドに居心地悪そうな表情を見せた。


「これは何が入っているの?」

「多分、藁ですけど」

「藁……」


 眉間にしわを寄せるツィラローザにエンドリッヒは淡々と告げた。


「ここに羽根のベッドはありません。ベッドがあるだけ良しとしてくれなきゃ困りますよ。俺なんか床に寝るしかないんですからね」

「あなたもここで寝るのですか?」

「外で寝ろってことっすか? この雨の中?」

「……」


 ツィラローザもそのエンドリッヒの言葉には言い返すことはなかったが、気まずさを感じているようだった。


「大丈夫ですよ。心配するようなことは何にもしませんから」


 エンドリッヒは子どもをあやすように返し、ふとツィラローザに尋ねた。


「それで、殿下は何かお出来になります?」

「何、って何? 外国語? 楽器? 一通りできるわ」

「はあ、すごいっすね……」


 意図せずツィラローザの王族としての育ちを聞かされてしまったが、エンドリッヒが言いたかったのはそういうことではなかった。


「それはそれとして、いいですか。これからは身支度くらいは自分でしないといけないんですからね。飯も好きなもんは食べられません。飯の材料くらいは俺が何とかしますけど、森から出られないんじゃ大体木の実とか、上手くいきゃ肉が手に入るかもって感じですね。とりあえず殿下は最低限の自分の事だけでしてもらえばいいんで。動ける範囲で」

「またお説教ですか?」


ツィラローザがムッとした顔でうつむいた。


(これは骨が折れそうだぞ)


 エンドリッヒは心の中で苦笑いをした。とは言えこの王女はそんなこと言われたことも、考えたこともないのだろう。だが置かれた状況が変わった今、彼女には自分で自分の世話が出来るように育ち直してもらうしかない。


「お説教ではなく、それが生きる術です。それが嫌なら着替えも身体を拭くのもシモの世話も、俺が全部することになりますからね」

「……わかりました」


 エンドリッヒもさすがに大げさに言いすぎた気もしたが、当のツィラローザがうつむきながらも素直に答えたのでそれ以上は何も言わなかった。


 §


 固い床の感触に何度目かの寝返りを打った時、エンドリッヒは外の気配に気づいた。


(宰相の手の者か……)


 エンドリッヒは音を立てずに戸口に近づいた。ツィラローザからは規則正しい寝息が聞こえる。


(よく寝られるもんですこと……)


 少しだけ可笑しい気持ちになりながら、エンドリッヒは静かに外に出た。剣は奪われてしまっていたので、暖炉に残っていた火掻き棒を手にしていた。


「今、夜中なんですけどねぇ」


 エンドリッヒは家の前に立つ黒い影に声をかけた。雲が切れ月明りが影を照らすと、外套に身をすっぽりと隠した人物の姿が浮き上がった。


「夜分失礼いたしました、エンドリッヒ様」


 エンドリッヒの名を呼んだその人物は外套のフードを外した。


「あんた……」

「以前勅書をお持ちしました」


 見覚えのあるその人物は、あの晩王城からの勅書をエンドリッヒに届けた若い騎士だった。


「ああ、あん時の。で、こんなところになんの用だ?」


 警戒を完全に解いたわけではないエンドリッヒに、若い騎士はつらそうに唇を噛んだ。


「私は納得がいきません。あなたのしたことは間違いではありませんでした」

「なんのことだか」

「王女殿下の命を救ったあなた様は正しい事をしているのに、なぜこんな不遇な目に合わねばならないのか、私は納得いかないのです」


 そうエンドリッヒは(うそぶ)いてみせたが、若い騎士は真っ直ぐエンドリッヒを見つめながら告げた。


「私が手引きいたします。どうぞお逃げください」

「あんたにそれだけのことをしてもらう義理はないね。それならあのわがままな王女様だけ連れて行ってもらえればいいんだけど……」


 エンドリッヒの言葉に、若い騎士は一瞬言いよどんだ。


「それは……」

「はは、王女なのに嫌われすぎだろう」


 エンドリッヒはツィラローザがどれほど横暴な態度を取っていたのか知らなかったが、その騎士の反応で彼女の王城での暮らしが透けて見えるような気がした。きっと幼児のような残酷さをもって周りを振り回し、傷つけていたのだろう。

 だとしたら魔術師からの呪いも、足を失った事も、彼女が負うべき咎なのかもしれない。


「俺は王女殿下の足を斬り落とした。その事実は変わらない。やるからにはそれを背負わなければいけないことくらい理解している」

「しかし……」

「で? その荷物は?」


 話を変えるべくエンドリッヒが若い騎士に問いかけると、彼は大きな皮袋を二つ地面に降ろした。


「少しですが当面必要と思われるものを持って来ました。足りないと思いますし、また来ます」

「これはありがたいが、もう来なくていい。あんたの身が危うくなるだけだ」


 エンドリッヒはそう言って冷たく突き放したつもりだったが、若い騎士はどう解釈したのか堰を切ったように語りだした。そしてその内容にエンドリッヒは耳を傾けざるを得なかった。


「エンドリッヒ様……私の兄はあなたに救われました。兄は魔獣に下半身を食われ、しかしなかなか絶命出来ずに苦しんだと聞いています。兄の仲間からあなたが兄を地獄の苦しみから楽にしてくれたと聞きました。それを聞き、私はあなたに一言お礼がしたく……」

「俺がもっと出来る奴だったら死なせずに済んだ!」


 エンドリッヒは若い騎士の話が終わる前に耐えきれなくなった。手のひらに滲む汗が生々しくあの感触を思い出させる。ジクジクと焼け爛れた顔が痛む。


「……俺が代わりに死ねば良かったんだよ」

「エンドリッヒ様……」


 打ちひしがれたように重々しく口を開くエンドリッヒに若い騎士はそれ以上声をかけられなくなったらしい。


「君は帰った方がいい」

「……わかりました」


 若い騎士は今度はエンドリッヒの言葉に従った。


 荷物を置き、頭を下げた若い騎士はエンドリッヒに背を向けた。ふいに月に雲がかかり、その背が暗闇に覆われた。


「……昔、勇敢な騎士がいた。伯爵家の出身なのに、身寄りのない俺みたいなやつにも分け隔てなく接してくれる奴だった」

「――っ!」


 エンドリッヒがぽつりと落とした言葉を、若い騎士は即座に拾い上げた。彼は勢いよく振り返ったようだが、その姿はエンドリッヒには見えない。


「そいつはとても勇敢だった。誰よりも責任感の強い男だった。かわいい弟がいると、真面目過ぎて見ていて危なっかしいと笑っていた」


 彼の兄は勇敢だった。魔獣に半身を食い千切られても剣を離さなかった。魔獣の毒に血を固められ、失血で気を失うことも出来ずに苦しみ続けた。


 エンドリッヒが彼に剣を向けたとき、彼は苦しそうに笑って言ったのだ。すまない、と。


「本当に、すまなかった」


 自分が強ければ彼は死なずに済んだ。

 彼が自分だったら、彼の首を刎ねずに済んだ。


 エンドリッヒの懺悔のような謝罪の言葉に、若い騎士は一つ鼻をすすって答えた。


「……いえ。また、参ります」

「とりあえずこの荷物、ありがたくいただきます」


 エンドリッヒが頭を下げている間に、若い騎士は音もなく暗闇の中に消えていったようだった。雲が切れたとき、そこには二つの大きな皮袋とエンドリッヒしか残されていなかった。


 荷物を抱えたエンドリッヒが小屋に戻ると、ベッドの上が不自然にうごめいた。

 エンドリッヒが床に横たわると、どうしても我慢が出来なかったのかツィラローザが口を開いた。


「どこに行っていたの?」

「小便っすよ」

「嘘はよして。置いて行かれたかと思ったじゃない」

「大丈夫ですよ。あんたを生かした責任は果たしますよ」

「……ふん」


 エンドリッヒの答えに安心したのか、わざと拗ねたように答えたツィラローザの様子にエンドリッヒはようやく肩の力が抜け、軽く笑えたのだった。

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