第七話
◇◇◇
エンドリッヒとツィラローザ姫の暮らしは予想外にも穏やかなものでした。宰相は僅かな食料を持たせた使いを定期的に寄越しましたが、それ以上の干渉はありませんでした。
ツィラローザ姫は「自分が最も美しい」と言うことをぴたりと止め、あれほど美しさにこだわっていたのが嘘のようでした。怒ったり笑ったり、無邪気な子どものような日々を過ごしていました。
そして、時折何か考え込むような様子を見せるようになりました。
ツィラローザ姫は元より賢い姫でした。
自分があの魔術師に選ばれず、赤い靴を履かされた時から自分が世界で一番尊ばれる者ではなく、最も美しいものでなくなってしまったことは十分に理解していました。
しかし、美しくなければ生きている価値がないと思っていたのに、エンドリッヒは自分を生かしたのです。
エンドリッヒは醜い男でした。
ですが、ツィラローザ姫が癇癪を起こしても、失敗ばかりでも、決してツィラローザ姫を置いて去ることはありませんでした。殺そうとすることもありませんでした。
「美しくない私をどうして生かすの?」
疑問は深まるばかりでした。
そしてそんな事を考えた夜、ツィラローザ姫は決まって同じ夢を見たのです。
気づかぬうちにまた赤い靴を履いた足が生え、延々と踊り続ける夢です。
◇◇◇
エンドリッヒは夜は穏やかに過ごしたいと常々思っていた。
戦場ではひと時も気が休まらず、いつ敵が襲ってくるかもしれない中、張りつめた夜を過ごしていたのだ。もう争いに身を投じなくて良くなったのだから、寝るときくらいは穏やかな気持ちでいたかった。
はずなのだが……。
「ッいやああああぁぁっーーー!!! 止めてっ、止めてぇっ!!」
「またかよ……。ほんと勘弁してくださいよ。夜は寝たいんすよ」
今再びエンドリッヒは緊張しながら夜を過ごしていた。
最近、ツィラローザが悪夢に襲われ叫び声をあげるようになった。毎晩ではないが時たま悲鳴を上げては、夢と現実の境目がわからなくなった子どものようにバタバタと暴れるのだ。
そのたびにエンドリッヒは叩き起こされ、ツィラローザをなだめながらいつの間にか朝を迎えるのだ。
この日もツィラローザの絶叫に叩き起こされたエンドリッヒは暖炉の燃えさしから火種を取り、いまだにこっそりとやってくる若い騎士が置いていったランタンに火を入れた。
「殿下、ほらしっかり。起きてください」
「う、うぅ……エンドリッヒ?」
うつろな目がランタンの灯りを捕らえ、次にエンドリッヒを捕らえた。エンドリッヒは口の中でため息をつきながら、いつものセリフを口にする。
「あんたの足はもうない。俺が斬りました」
その言葉にツィラローザは一瞬身体を強張らせ、そして大きく息をつく。汗の滲んだ彼女の額には髪の毛が張り付いている。それを見ながらエンドリッヒは続けるのだ。
「大丈夫、夢は必ず覚めるんですよ」
そうするとツィラローザはまたゆるゆると瞳を閉ざし、静かに眠りに落ちていくのがいつもの流れだった。
しかしこの日は違った。
「生まれて初めて怖いと思ったの」
「――っわ、びっくりした! え、何がですか?」
突然パチリと目を開いたツィラローザからの問いかけに、エンドリッヒの心臓は飛び跳ねた。
「私は、私が美しいから全て望んだものが叶うのだと思っていたの。でも本当はそうではなくて、私はあの魔術師に選ばれなかったわ。どうして? 私の何かが間違っていたのだとしたら……もしそうなら今まで皆がしてくれたことは何だったの?」
ツィラローザの瞳にランタンの灯りが赤く映っていた。エンドリッヒの視線を捕らえた艷やかな唇は微かに震えていた。
「私は、何?」
エンドリッヒは無意識に唇を舐めた。かさついた感触に、次の言葉を探す。この少女がどんな答えを求めているのかはわからなかったが、エンドリッヒは素直に答えた。
「……あんたは、あんたですよ」
絞り出したような答えが震えなかったことにエンドリッヒはほっとした。ツィラローザはエンドリッヒの言葉を噛みしめるように繰り返した。
「私は、私……」
そう呟いてツィラローザは黙ってしまった。
それを良しとしてエンドリッヒはランタンの火を消した。もぞもぞと床に敷いた寝袋に入り込むと、再びツィラローザが暗闇から声をかけてきた。
「エンドリッヒは自分が何なのかわかる?」
「殿下、寝た方が良いですよ」
「ねえ」
「あー……さあ、わかんないですね」
投げやりなエンドリッヒの返事の「これ以上話を続ける気はない」という意図に気づいていないのか、ツィラローザはエンドリッヒの名を呼んだ。
「エンドリッヒ」
「はいはい。今度はなんですか」
折れたエンドリッヒがモゾっと身じろぎをすると、ベッドの上のツィラローザも同じようにモゾモゾと動いた。
「あなたはどうして一緒にいてくれるの? 同情? 私の醜い姿を見て、汚い姿を見て、皆離れていったわ。お父様もお母様も、私を見るのも嫌だと仰っていたのよ」
ツィラローザの声が横たわるエンドリッヒに落ちる。暗い天井は相変わらず遠い。ただ今夜は明るい。雨戸の隙間から月明りが差し込み、天に繋がる道のようだ。
「今日は妙に知りたがりなんすね」
暗がりの向こうでツィラローザが息を詰めているのがわかる。彼女の代わりにとばかりにエンドリッヒは大きな息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「生きてりゃみんな年取って醜くなるんじゃないんすか? シモの世話だって動けなくなりゃ誰かの世話になるしかないんすよ。それがいつのことかなんて誰もわかんないし、自分が少しでも関わってんのに見たくないなんて、ただの責任逃れっすね。まあ、それぞれ事情はあるでしょうし、俺には偉い人の考えることはよくわかんないっすけど」
戦場では動けなくなるものが多くいた。そうなってしまえば彼らはただの足手まとい。そのまま敵に命を奪われるか、苦しみながら死を待つかの違いだ。だからエンドリッヒは彼らの命を奪った。恨まれるのは自分だけで十分だった。
それにエンドリッヒだって自分の年取った姿は思い描けない。きっと同じように動けなくなるのかもしれない。その時は同じように自分で自分に始末をつけたいと思う。
(ああ、でも……)
エンドリッヒは思った。
この無垢すぎるゆえに残酷で傲慢な少女は、きっとこのまま生きたところで誰からも捨て置かれてしまうのだろう。
そうであれ、と生かされて来たのに。
(まあ、そんときは俺が……)
はた、と浮かんでしまった考えをエンドリッヒは鼻で笑った。
きっとこの気持ちを総称するなら、この一言に尽きるだろう。それ以外の言葉であっては困るのだ。
「殿下と一緒にいるのは……うーん、よくわかんないですね」
「また……もう、あなたそればっかり」
「はは」
ツィラローザの声は不満げだったが、きっともう彼女は問い返さないだろう。
エンドリッヒは何となく宙に手を伸ばした。
雨戸から入り込む月明かりに白く自分の手が浮かぶ。あの時、剣が伝えた感触を閉じ込めるようにエンドリッヒは固く手を握りしめた。
その晩、予想通りツィラローザから再び呼びかけられることはなく、エンドリッヒは静かに睡魔に飲まれていった。




