十九話 百五十何年か前の封印
十九話 百五十何年か前の封印
細く長い階段を下りて行った先にあったのは、凍てつく氷に囲まれた空間だった。
魔物もまた、その極寒の環境に適応することができる物しかいないらしく、階段を下りている時に出くわしたような魔物たちの姿は見られない。
「……フォール、大丈夫か?」
この空間において、一番辛そうなのはフォールだった。南に位置する水の島の、夏。フォールは涼しげな、しかし今この状況では見ているだけで寒くなりそうな半袖シャツに膝丈のカーゴパンツという出で立ちである。
「こ、こんなのなんてこと……やっぱ寒い……」
「だろうな」
強気なことを言ってみても、物事には限界と言うものがある。持っていた長袖のジャケットを着ているアルでさえ、肌寒く感じる空間なのだから。
「ここが……」
「ユリ、どうかしたか?」
「……いいえ。大したことじゃないわ」
しばらくこの空間の観察をしていたユリは、やっと満足したのか、寒さに震えるアルとフォールへと目を向けた。
「二人とも、辛そうね」
「そう言うユリは、平気そうだな」
ユリの格好は、けして露出が多いわけではないが、防寒と言う点ではアルの服装と大差ないはずである。
「えぇ。冷気には、氷魔法で慣れてるから。……それに、この寒さは、気温のせいだけではないわ」
「え?……氷があるから、視覚的にも寒いとか?でも、氷があるって時点で零度以下だろ?普通に寒いだろ」
「実際のここの気温は、10度を下回っているくらいよ。まぁ、それでも冬の寒さだけれど」
「どういうことだよ」
「封印されている魔物の、充満する魔力にあてられてしまっているの。……あれを見て」
怪訝そうな顔をするアルと、寒さでそれどころではないフォールも、ユリの指したものに目を向ける。
空間のほぼ中心に、大きな氷の塊があった。遠目の目算だが、おそらく人間の大人と同じくらいの高さである。
「あれは?」
「その昔、ここに封印された魔物よ。昔読んだ文献に載っていたわ」
「……で、それがなんで寒さに関係あるのさ」
「説明より先に、この寒さをどうにかしないとね。フォール君、いらっしゃい」
ユリの手招きに、フォールはあまり考えずに近づいていった。ユリは横に提げたポーチから手のひらサイズの水晶玉を取り出すと、何事かの呪文を紡ぐ。水晶玉を中心に閃光が走ったかと思うと、透明だったそれは、暖色の光を帯びていた。
「はい、これを持って」
フォールがそれを受け取ると、フォールのこわばっていた顔が和らいだ。
「どう?」
「何したんですか?寒かったのが、なくなりました」
「その水晶玉には、私の魔力を込めたの。それから、それ自体が周囲への発熱作用と魔力に対する防護作用を持つように魔法をかけたの」
「ぼうご作用?」
「魔法に耐性の無い人が充満する魔力の中にいるのは、とても厳しいことなの。それこそ、極寒の中にシャツ一枚で放り出されたみたいに」
「……寒くなくても、恐くても鳥肌立ったりするしな、そんな感じか?」
「そうね。後は、あの封印されている魔物が、氷の魔物らしいから。そのことも、ここの魔力に反映されていると思うの」
「あー……つまり?」
「本当の寒さと、恐怖の両方を感じて、『寒い』と思っているのよ。だから、アルも自分でできるはずよ?」
「え?その……防護……なんとかをか?」
「えぇ」
難しそうな顔でなるほどとうなずいているフォールの横で、アルもまた首をかしげていた。もっとも、フォールが本当にわかっているのか定かではないが。
「そんなに難しいことじゃないわ。アルが、自分自身の魔力を自覚すること。そうすれば、このくらいの魔力から自身を護る魔法なら、すぐにできるわ」
「魔力を意識……ねぇ」(また難しいことを……)
なんとなく目をつぶって、意識を研ぎ澄ませてみる。しかし、魔力を感じ取るなんてやったことがない。アルは、魔法を使ったことはある。しかし、それはいつの間にか身に着けていたもので、意識して習得したものではない。気が付いたら、風が意のままに操れたというだけ。
「あら、できたじゃない」
「え?」
いつの間にか魔法を使っていたため、今更「魔力」を意識しろと言われても、困難だった……はずだ。
「寒さが、和らいだでしょう?」
「…………言われてみれば」
やはり、魔法とはよくわからないものだ。
寒さも最低限に和らぎ、それにも体が慣れた三人は、また進み始めた。
「なぁ、ユリ。」
かかって来る魔物は撥ね退け、傍観する者には深追いせず、三人は危なげなく進んでいた。
「どうしたの?」
一通り処理を終えて、遠巻きにこちらを観察する気配しか感じなくなったとき、アルは先程からの疑問をユリへぶつけた。
「さっきの話だけど。魔力と魔法って、具体的に何が違うんだ?」
「今聞く?」
「……だめだったら、後でいい」
今は、魔物の巣窟の中にいるのだ。言われてみれば、のんきに話している場合ではない。
「でも、なんか……拍子抜けというか。あっさりここまで来れちゃったし……」
「魔物だって、無差別に人を殺してるわけじゃないのよ。捕食目的とか、人間への恨みだとか、侵入者を排除しようとか、何かしらの意味があっての行動がほとんどよ」
「そうなんだ……」
「簡単に言うとね、魔力は……生き物が持つ力そのもの……の中の一つとでも言うのかな。気力とか、精神力とかと近いのかな」
「近い?」
「えぇ。厳密には違うのよ。魔力は大気中にも存在しているし……」
「大気中に……?」
「そう。ここにも……町の中にだって、魔力はある。ただそこにあるだけの力に、何らかの作用を持たせることを魔法と呼んで、それができる人を、人は『魔法使い』と呼ぶの。魔法を使うのには、強靭な精神が要るから、努力によって魔法の威力を上げることもできる。でも、どの程度の魔法を使えるようになるのかは、努力だけじゃなくて素質が占める割合が高いかな。どれだけ精神を鍛えても、そもそも素質がなければ魔法を使うことはできないし」
「えっと……」
「じゃあ、オレはどんだけ鍛えても、魔法は使えねェのか?」
「…………そうなるわね」
「へぇ、つまんねーの」
アルが説明の意味を咀嚼している間に、フォールは興味津津ユリに尋ね、撃沈する。しかし、それほどショックを受けた様子は無い。彼にとっては、元々なじみのないものだったのだろう。
「つまり、魔力はそこにある力そのもの。魔法は、魔力に何らかの作用を持たせたもの……ってことか?」
「その通り。……魔力だけでは、たいてい何の脅威にもならないのだけど…さっきみたいな例外もあるわ。明らかに格上の物の魔力に中てられれば、戦意喪失とか、気を失ってしまう人もいる。より濃厚な魔力を受ければ、弱者は消滅してしまうことさえある」
「じゃあ、さっきの魔物は……強いってことか?」
「少なくとも、さっきまで私たち群がってきていた子たちよりはね」
「へぇ……」
「何と言っても、あの伝説の勇者が、封印したという話だからね」
少々入り組んだ氷の迷路を進む中、あの大きな氷はこの階のどこにいても見える場所にある。ユリの最後の小さなつぶやきは耳に入らなかったが、アルは、氷像と化した魔物の姿を感慨深く見つめ、また先へと足を進めた。