(六)
大殿は気長に御待ち為されたとは思います。父が決意を固めるまで、季節が三度変わるまでの時間が必要でありましたから。
そもそも父が己が眼で見つめた事をそのままに映す等、誰しもが知っておりました。大振りの地獄変屏風を心行くまで描き尽くすには、その目で地獄を見るしか無かったのです。
地獄とは血の火焔の紅に彩られ、呻き苦しむ亡者の声と姿が陰惨に満ちた世界だと云われています。それを現の世で見ようと思えば、生きたままの人間を焼き殺すより有りません。
悩みぬいた父が人の死にゆくさまを直に見たいと言い出すこと等、御聡明な大殿には容易く分かりながらも、あの御方は父に地獄絵を描くよう申し付けたのです。
世の方々が大殿の行いを称えられるのはその寛容さと剛毅さでありましたが、わたしは何より非道を行う時でさえ器量が大きいと思わせる威風にあるのではないかと思います。
かの長良橋の人柱に御寵愛の童を立てた時もその惨さを問われる事もなく、むしろ民のために己の大切な愛し子を捧げた御嘆きを偲ばれる――大義の前に些末な罪は赦されると感じさせる御方でございました。
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まるで宮中に上がる女御の如く飾り立てられ、わたしは渡殿をしずしずと進みました。今この御邸の内で、わたし程輝く存在は居ないでしょう。北の方や姫君でさえ、これ程の装いを赦された事はなかったと聞いております。庭に控える雑色や小者たちが呆けたような眼でわたしの装いを眺めてゐました。
常ならば近づくことも赦されてゐない寝殿の南庇へと手を向けられ、これはいよいよ大殿はわたしを生かしておく御気持ちはないと感じました。せめてもの餞に浄土を見せてやろうという御心を有難いと思うべきか怖ろしいと感じるべきかわたしには分かりません。いずれにしてもこの夢のような時間も、あと数刻ですべて終わるということです。
貴き御方にしか通るを許されぬ中門廊に、それは立派な牡牛が引く檳榔毛の車が用意されていました。袖や棟に飾られた金物や庇を彩る紫のふさが揺れています。今宵は風が強い日のようでした。ならば火も善く燃えましょう――車の中に居るわたし毎。