閑話 アルバート~私が救い出してやる
ハムナ公国の首都アムナート。
貴族の邸宅が並ぶ大通りに立つ、一際大きな屋敷がアルブレヒト公爵家。
実質の王を持たない公国であるハムナ。
その中でも、名門であるアルブレヒト家は代々内政を司る名家の一つに数えられていた。
「戻ったぞ」
馬車から降りて帰宅した一人の男。
髪は薄く禿げ上がり、少し突き出たお腹。
しかし整った顔は未だ一部の者達から羨望の眼差しを集めていた。
彼こそがアルブレヒト公爵家当主アルバート・アルブレヒト55歳。
ノスカラ帝国によって滅ぼされたナシス王国の元貴族だった男。
「...おかえりなさいませ、アルバート様」
当主たるアルバートを迎える使用人は、若いメイドのヴィシーだけだった。
「アブラムは?」
「奥様は王宮のパーティーに」
「...またか」
姿を現さない妻のアブラムに溜め息を吐くアルバート。
子育てが落ち着くと、アブラムは王宮が主催するパーティーへ頻繁に出席するようになった。
昔は違った、アルバートの姿に一目惚れをしたのはアブラムの方だった。
ノスカラ帝国によってナシス王国は滅ぼされ、アルバートは部下と共に、ハムナ公国へ亡命した。
『逃げるのでは無い、いつかナシス王国を我が手に取り戻す為だ』
そう部下に檄を飛ばしたが、元来臆病で、武勇にも乏しいアルバートの姿を部下達は冷めた目で見ていた。
アルブレヒト公爵家の一人娘、アブラムに気に入られたアルバート。
必死で公爵家に取り入り、見事当主の座を射止めた。
彼の心に、マリアンヌの姿は無かった。
以来37年、ハムナ公国で能士として振る舞い、ここまでやって来たと自負していた。
「お食事は?」
「後で執務室まで運んでくれ、酒も頼む」
「畏まりました」
アルバートがヴィシーに命じる。
ヴィシーの後ろ姿に、空しさがアルバートの心を襲った。
自室に籠り、我慢できないアルバートは戸棚からウイスキーを取り出し、ストレートで呷る。
焼ける様な強いアルコールがアルバートの心を満たした。
「どうにかせねば」
口を袖で拭いながらアルバートは呟く。
三人の息子達は既に成人した。
彼に残された最後の仕事は、息子に家督を相続させる事。
誰を相続させても結果は一緒。
息子達は誰一人、父のアルバートを尊敬していなかった。
「...畜生」
焦りが口に出る。
家督を譲ってしまえば、アルバートは隠居するしかない。
所詮は他国の人間、妻であるアブラムの後ろ楯が期待出来ない以上、一人地方の山荘で寂しく生涯を終える未来しか見えなかった。
「...マリアンヌ」
数十年振りに婚約者だった女の名を口にする。
それは先日、王宮内で聞いた。
ヘルマン王国にある都市で、孤児院に多額の寄附を続けている女がいる。
その名前がマリアンヌ・アンローダだと。
偶然の一致だと思った。
マリアンヌの生家、アンローダ侯爵家は37年前ノスカラ帝国によって皆殺しとなったと聞いていた。
悲劇の令嬢マリアンヌの名前は、滅ぼされたナシス王国と共に未だに語り継がれているからだ。
「だがもし、本当にマリアンヌが生きていたとしたなら?」
誰もマリアンヌの死体を確認した者はいない。
聞いた所によれば、貞淑の誓いをマリアンヌは行ったという。
一緒に行った令嬢達は呪いを受け、皆非業の死を遂げたそうだ。
「もしかしたらマリアンヌは貞淑の誓いをしてなかったのでは?」
だとしたら辻褄が合う。
貞淑の呪いを受けた人間が生きていられた試しが無い。
マリアンヌは友人想いの心優しい人間だったから、仲間を見捨てられず、共に逃げたのだ。
しかし敵兵に辱しめを受け、傷心のマリアンヌは我に会わす顔が無いと姿を消した。
アルバートはそう考えた。
「間違い無い。
孤児院にマリアンヌの名前で寄付しているのは、私に見つけて欲しいからだ。
だとしたら、一刻も早くマリアンヌを救い出さなくては」
冷静な判断が出来ないアルバート。
孤独な老後を当てにならない妻より、マリアンヌと共に過ごすと妄想していた。
「早速ハムナ公国からヘルマン王国にマリアンヌの身柄引き渡しを要求せねば」
アルバートは執務机の引き出しからアルブレヒト公爵家の封筒と便箋を取り出す。
中にはハムナ公国として、マリアンヌの身柄引き渡しと、マリアンヌが寄付したとされる金銭の返還。
少しばかりの脅し言葉を手紙にしたためた。
「出来たぞ」
封書に蝋を滴し、公爵家の印を押す。
小国であるヘルマン王国が大国であるハムナ公国に逆らう事などあり得ない。
酩酊した頭でアルバートはそう考えた。
「食事のご用意が...」
「来い!」
「キャア!」
食事を運んで来たヴィシーの腕を乱暴に掴むアルバート。
血走った目でヴィシーの服を脱がし、ソファに突き飛ばした。
「...お止め下さい」
「やかましい!」
怯えた目でアルバートを見るヴィシー。
これがアルバートに誰も近づかない真相。
疑心暗鬼の生活を送るアルバート、いつしか酒乱となり、使用人は誰も近づかなくなっていた。
平民のヴィシーは逆らう事も出来ず、今夜もアルバートの餌食となるのだった。
愚かな手紙がアルバートの破滅を招く事になるとも知らず...




