第二話 呪われた訳 前編
今日から5日間、娼館は臨時休業に入る。
突然決まった訳では無い、それは半年前から決まっていた。
数日前から娼婦達は落ち着き無く、彼女達の部屋からは楽しそうな声が聞こえていた。
さすがにプロの娼婦である彼女達。
普段の業務に支障は無かったが、心ここに在らずなのは私の目に明らかだった。
その訳は休みの間、娼婦達は交代で外出を許され、束の間の自由を満喫出来るのだ。
もっとも娼婦が逃げ出したりしないか、男達から厳重な監視を受ける事になる。
それでも普段は籠の鳥である彼女達にとって、興奮するのは止むを得ない事だった。
「用意できましたか?」
いよいよ休業日を迎えた。
娼館の正門前に停められた一台の馬車の前で、娼館長のキラムが一人の女性に尋ねた。
「はい!」
興奮が堪えきれない様子で返事をしたのはミオン。
彼女は5年を掛け、ようやく借金を返し終えた。
この娼館を去る日が来たのだ。
「乗りなさい」
「ありがとうございます」
仲間の娼婦達に見送られ、馬車に乗り込むミオン。
みんな口々に『おめでとう』と言うが、本音は妬みや嫉妬の気持ちが渦巻いているのだろう。
私も遠い昔に経験がある。
どれだけ親しい友であっても、ここが他の娼館より待遇が良かったとしても、所詮私達は苦界の住民なのだから。
「ごめんねベニー」
「良いのよ」
見送る娼婦の一人が私に言った。
私はキラムのお世話係として同行する。
自由な外出が出来ないのを気の毒に思ったのだろう。
「お願いします」
「畏まりました」
荷物を積み終え、キラムが馭者に出発するように命じる。
やがて馬車は動き出す。
娼館の前を抜け、街道へと馬車は進んだ。
これから馬車は1日を掛け、隣国ナイム王国の国境へと向かう。
更に1日を掛けて大きな街でミオンを降ろすのだ。
そこで知り合いの人間にミオンを引き渡す。
普通の娼婦は年季が明けたら、その場でお別れ。
こんな面倒くさい事はしない。
しかし、中には自由になった彼女達を再び娼婦として売り飛ばす奴も居る。
家族や、恋人の情に訴えるのだ。
彼女達が抵抗したなら暴力に出る奴も居る、それを防ぐ為だった。
ナイム王国は私達が暮らすヘルマン王国と交流は殆ど無い。
数年前まで戦争をしていたから当然。
休戦中の現在、行き来する事が出来るのは特殊な事情がある人間。
幸いにも私は孤児院への支援で、隣国の教会と強いコネがあるから実現出来た。
「ミオン、良かったね」
「これでやっと娼館とはオサラバか」
心ここに在らずのミオンは窓の外を見ながら呟く。
本当なら幼い弟妹達と再会したいのだろう。
だが、それは許可出来ない。
なぜならミオンの家族は更に借金を重ね、また彼女を売り飛ばそうと画策している事が分かったからだ。
「新天地でやり直すのよ、貴女はまだ若いから」
「...そうですね」
キラムの言葉が重い。
2年前に子供を堕ろしてしまったミオン。
幸いにも処置が良かったので、彼女はまた妊娠出来る可能性が残された。
しかし、元娼婦だったキラムが年季を明けた時、彼女は既に30歳を過ぎていた。
10年近く酷使した身体は、女としての機能を奪われ、絶望の門出だった。
2日後、馬車は教会の前に到着する。
いよいよミオンとお別れだ。
馬車から荷物を降ろし、待っていた人間と簡単な引き継ぎを済ませた。
「ベニー」
「はいキラム様」
キラムに言われ、私は用意していた麻袋を取り出し、ミオンに手渡した。
「...これは?」
中に入っていたのは一枚の紙。
隣国の文字が読めないミオンは首を捻った。
「それを街の役場に出しなさい。
貴女の身元保証と当面の住居、新しい仕事の斡旋をしてくれるでしょう」
「...そんな...何から何まで」
ミオンの目に涙が浮かぶ。
安易にお金を彼女へ渡す訳に行かない。
世間知らずの元娼婦等、悪人にとって格好の餌食。
だから街の保護で、しばらく暮らすのだ。
役場の人間も裏切ったりはしないだろう、お忍びで私の娼館に来た彼等に、色々とお世話したから...ね。
「さて、行きましょうかキラム」
「そうですねマリアンヌ、宿は向こうに」
涙を流すミオンと別れ、ようやく仕事が終わった。
別れはあっさりと済ますに限る。
私達は本来の関係に戻り、笑顔を交わす。
ここに私達の事を知る者は居ない、気軽な会話が嬉しい。
一旦馬車に戻り、キラムに化粧を落として貰う。
カツラも外し、地毛で髪をセット、衣服も歳相応の(本当は50過ぎだか)若い娘風に。
キラムも自分に化粧を施す。
忽ち娼館長から貞淑な婦人の姿になる、その美しさに息を飲んだ。
「相変わらず凄いわね」
「マリアンヌも可愛らしいですよ」
「妖艶な美女に言われてもね」
思わずこぼした言葉に笑いが込み上げる。
やはり旅は良いものだ、並んだ私達は親子に見えるだろう。
馬車を別に取った宿屋に向かわせる。
馭者には口止めの金貨を握らせたから秘密は漏れまい。
翌朝までの自由行動、気の置けぬ友人に戻り、街を散策した。
「あれは?」
「どうやら他国の使者みたいですね」
旗を掲げ、街の中心を行く一団が見える。
馬に跨がった数人が先頭を行き、後ろには豪華な馬車も。
約20名程で隊列に乱れは無く、統率された物を感じた。
「あの人達は?」
キラムが隊列を見ていた街の人間に尋ねる。
年を経たとはいえ、まだまだ美しいキラムに尋ねられたら、普通の人間ではひとたまりも無いだろう。
「あ...あの方達はハムナ公国の使者です」
「ハムナ公国ですか」
ハムナ公国は知っている。
この近隣では一番の大国だ。
現在、この世界で一番力を持っていると言っても過言では無いだろう。
「どうしてハムナの使者がこの街に?」
「ヘルマン王国と戦争しないか見張る為です」
「見張る?」
「はい...それ以上は」
男が口ごもる、どうやらまだ知っている情報があるみたいだ
「...キラム」
私の囁きにキラムが頷く。
「ありがとうございます、貴方様はとても良く事情をご存知の様ですね。
知らない事ばかりで、お恥ずかしいです」
「あ...ああ、そうですか、あとね...」
上目遣いのキラムに男は再び口を開く。
全く口が軽い、いや抗う事なんか出来まい。
大人の魅力、呪いによって18歳の小娘で止まった私には無理な芸当だ。
にしても、ハムナ公国とは懐かしい名前。
私の故国ナシス王国を滅ぼした憎きノスカラ帝国を滅ぼし、完全な根絶やしにしてくれたのがハムナ公国。
間接的だが、私にとって恩人と言っても良い国だった。
「ありがとう、良く分かりましたわ」
話を聞き終えたキラムが戻って来た。
「どうやらナシス王国はハムナ公国に飲み込まれそうです」
「飲み込まれる?」
「はい、ナシス王国は先の戦争で弱体化が進み、内乱が頻発しております、ですのでハムナ公国に...」
「助けを頼んだ」
「そうです、兵と食料の援助を要請し、ハムナ側からは中枢部に役人を」
「なるほど」
またハムナ公国が強大化する事になるのか。
ヘルマン王国は面白く無い話だろう。
「...戦争」
「それは...嫌ですね」
戦争は懲り懲りだ。
いつも苦しみを背負うのは弱者なのだ。
なにより、子供達を助けたい。
力の無い私達には何も出来ないのが歯痒かった。
「...え?」
ハムナ公国の一団から一人の男が馬を降り、頭の甲冑外す。
精悍な顔をした男性に既視感を覚えた。
「どうかしました?」
「いえ...ちょっと見覚えが」
「見覚え?」
キラムは気づかない、でもどこかで...
「失礼ですが」
その男性は私の前にやって来た。
間近で見る、やはりどこか...で
歳の頃は私と変わらない、おそらく20前後位。
しかし、そんな男性に...は...
「まさか?」
「私も毎回変装してました、貴女もだったんですね?」
男性の身体から立ち上る汗の臭い、忘れる筈が無い。
来る度に染み着く程嗅がされたんだから。
「一体どうしたの?」
「ごめん...キラム、後で説明するから」
頭がクラクラし、身体が疼き始めた。
「貴女もやはり...」
「やはりとは...ダイム」
男性は私の耳元で囁く。
「私の名前はダイムではありません。
今はハムナ公国に仕えてますが、本当の名前は
アウグスト・ベック、元ナシス王国男爵です」
「え?」
ダイムは元ナシス王国のベック男爵?
ベック男爵は聞いた事が無い。
地方貴族だったなら、当然だけど。
「貴女はマリアンヌ・アンローダ様ですね?」
「ああ...」
言葉が出ない。
どうして私の名前を?
私は死んだ事に...それに35年も前の事なのよ?
「簡単な事です、私も呪われてますから」
呪い...もしかして?
「まさか貴方も...」
「はいナシス王国の秘術...貞淑の呪いです」
その言葉に意識が遠退く。
[貞淑の呪い]
本来は愛する人に操を立てる誓い。
離れていても、決して愛する人を裏切らない。
破った者には呪いが下る。
女は淫靡に耽る衝動が続き、生涯淫蕩から逃れられなくなる。
男は女を抱く事でしか自分を保てなくなる。
それは果てる事の無い性的衝動。
そして男女共に不老となる。
『どうして私と彼が性的衝動を抑えられているのか?
同じく貞淑の呪いに掛かった仲間はみんな狂死したのに』
遠退く意識の下、そんな事を考えていた。




