マーガレットとフランは新婚生活を送る4
「マーガレットは、爬虫類は苦手ですか?」
唐突なフランの質問に私は首を傾げた。
爬虫類。それは蛇とか、蜥蜴とか、そういうぬるぬるしたアレよね。見たら悲鳴を上げて逃げる程度には得意ではないわ。得意な令嬢の方が少ないとは思うのだけど……
「得意ではないわね。フランも知っているでしょう? 寮にいる時、貴方に追い払ってもらったもの」
そう、寮の部屋に蜥蜴が出た時。私は大きな悲鳴を上げてフランにすがってしまった。そのことはフランも覚えているはずだ。
フランのお気に入りの場所には爬虫類がたくさん出るのかしら。それは少し困ってしまうわ……
「そう、でしたよね」
私の返事を聞いてフランは困った顔になり、少し肩を落とした。
それを見て私は申し訳ない気持ちになってしまう。
「……私は貴女の苦手なものさえちゃんと覚えていられなくて。本当に気が利かない男ですね」
「フランはいつも私を気遣ってくれているじゃない。それが本当の意味での気が利く、というものなのよ。王都にいる変なところにだけ気の利く優男のことなんて、私ちっとも好きじゃなかったの!」
社交の時に上っ面の言葉をかけてくるきらびやかな男たちよりも、フランの方が断然素敵だ。それに気づくまでに、かなりの年数を費やしてしまったけれど。
フランの行動や言葉は上っ面じゃくて、本当の愛情を感じる素敵なものだ。
「マーガレット……」
「フラン! 大きな蜥蜴くらいなら我慢するわ。ええ、きっと我慢できるから! だから、貴方の好きな場所に連れて行くのを止めるなんて嫌よ?」
拳を握りしめて気合いを入れる私に、フランは微笑ましいという気持ちと心配だという気持ちが綯い交ぜになった視線を向ける。そしてしばらく私を見つめた後に、優しく目元をゆるませた。
「マーガレットは、王都を離れて元気になりましたね」
フランからかけられた言葉に私は首を傾げた。
王都にいる時よりも……体は弱くなったと思うのだけれど。
「私、昔よりも虚弱になったわ」
「そうではなくて。所作や言葉遣いが十八歳の女性らしくなったと、いうか」
「……だって王都にいる時は『ただの女』でいることは、禁じられていたから。上品な王妃候補ではない、ただの女の私は嫌いかしら?」
フランの白い頬をそっと撫でて、顔を近づけると優しく唇を塞がれた。
「……嫌いなわけがない」
唇を離したフランは赤くなった顔で私を見つめ、口を開いた。
「ふふ、嬉しい」
嬉しくなってフランの胸に頬を擦り寄せる。わずかな汗の香りが鼻をかすめて、私はスンスンとそれを嗅いだ。ああ、フランの香りだ。
「汗臭いですし、あまり嗅がないでください」
フランは恥ずかしそうに私に言う。……いい匂いなのにな。
「では、行きましょうか」
フランはそう言って登山を再開した。
……そうだ、爬虫類がいるところへ行くのよね。気を引きしめないといけないわ。
到着したのは山頂付近だった。その場所だけ木々がなく広場のように開けていて、見上げると青空が丸く切り取られたように見えた。
「ここ?」
「ここです。少し離れて待っていてもらっていいですか?」
フランは私を地面に下ろしながらそう言った。私はうなずいてフランがいいと言ってくれる場所まで後退する。一体、なにをするのかしら。
フランは空を見上げると指笛を数度鳴らす。……最初は、なにも起こらなかった。
空を私もじっと見つめる。すると小さな点が、空に生まれた。それはどんどんこちらに近づいてきて、広場に大きな影が差した。
激しい風圧を感じる羽音、美しく煌めく白い鱗。十メートル以上はあろうかという巨体。
――これは、竜だわ!
フラン、蜥蜴どころの騒ぎじゃないのだけど。
竜は一頭で小さな街程度なら壊滅できるような生き物だ。どうしてそれを呼び寄せたの……
私は恐怖で気絶しそうになりながら、竜が広場に降下するのを見守った。
フランは、広場から離れようとしない。そのことに私は恐怖を覚えた。
今度は竜への恐れではない。フランを失うことへの恐怖だ。
「ダメ!」
私はよろめく足でフランに向かうと、竜から庇うように抱きついた。
「マーガレット!?」
「ダメ、フランを食べないで!」
「マーガレット、落ち着いて」
フランが囁いて優しく髪を撫でる。私は涙目になりながらフランを見上げた。
「コイツは、怖くないので。私を信じて」
フランは零れ落ちる私の涙を何度も唇で拭う。私は目を閉じ、その優しい感触に身を任せた。
背後で竜が降り立つ地響きのような気配がした。けれどフランの体温を感じていると恐怖は徐々に薄れていった。
「ちゃんと、説明すればよかったですね」
仕上げとばかりに数度口づけしてから、フランは私から身を離す。
そして大人しく広場に収まっている竜の方へと近づいていった。
「ハドルストーン家の者たちが、竜殺し、と呼ばれているのをご存知ですか?」
フランは淡々と言葉を口にする。
「……知らない」
「私の家系のことはまたお話しますが。ハドルストーン家の血を引く者たちは、竜を単騎で屠るような異能を持っているのです。私の領地での仕事は、辺境を警備することと……竜を狩ることになります」
――竜を狩る。
竜は騎士団総出でも、倒せるか倒せないかという生き物だ。
それを、単騎で狩る……?
それは現実的ではない話のように思える。だけど今目の前で……白く美しい竜は、フランに頭を垂れた。
ああ、だから。フランは私の警護に就くことになったのだと。ストンと腑に落ちる。
「村に被害を出していたコイツの母親も、私が狩りました。その時まだ幼竜だったコイツに懐かれてしまって」
フランは手を伸ばして竜の鱗を撫でた。すると竜はゴロゴロと猫のように喉を鳴らす。
鱗の上からでも見て取れるしなやかな筋肉、私なんてすぐに引き裂いてしまえる大きな牙。紅い燃えるような瞳。恐ろしいのに……なんて美しい生き物なのだろう。
「綺麗ね」
私は、思わずその言葉を口にしていた。
「はい、竜は綺麗な生き物です。コイツのように皆温厚ならば、私の仕事も減るんですけどね。遠出がない時は餌を毎日やって、人家を襲わないように躾もしているんです」
竜の鼻先に頬を擦り寄せ、フランは笑う。
ハドルストーン家の領地には竜が数多く棲まう、ということは聞いていた。
彼らが水際で危険な竜を退治をしているから竜は王都まで流れずに済んでいるのだろう。
「……貴女は私の妻なので。私の仕事のことを知って欲しかったのと、単純にコイツに会わせたかったんです。蜥蜴が苦手なのを、忘れていたのはうっかりでした」
フランはそう言うと、申し訳なさそうな顔をした。
「その子は蜥蜴よりも綺麗だから、大丈夫」
「触れてみますか?」
「私が触れても怒らないかしら?」
フランはともかく、私なんかは丸呑みにされてしまうだろう。
「平気です。私が保証します」
恐る恐る近寄ると、竜は大きな鼻先を寄せてきた。そしてスンスンと私の匂いを嗅ぐ。心臓が破裂しそうに大きな音を鳴らし、汗が滝のように流れる。私は深呼吸をして心を落ち着かせると、竜にそっと手を伸ばした。
「……冷たい。すべすべしてるわ」
鼻の周りの鱗を撫でると、竜は赤い目を細めてグルルと喉を鳴らす。
その様子はとても愛らしく、私の恐怖心を少しずつ溶かしていった。
「可愛い、貴方可愛いわね。お名前はあるの?」
「シロと呼んでいます」
「ふふ。犬みたいなお名前ねぇ。シロ、可愛いわ」
シロにたっぷりと頬ずりをして、その鱗の感触を堪能する。するとシロはまた喉を鳴らす。
フランはそんな私とシロを、嬉しそうに眺めていた。
私の知らなかったフランのこと。
それが少しずつ知れるのが、とても嬉しい。
「フラン、ありがとう。フランのことまた教えてね」
「はい、マーガレット。ゆっくり、色々な話を聞いてください」
しばらくシロと遊んで、お別れをして。
私とフランはハドルストーン家のお屋敷への帰途へと就いた。
フランさんはやろうと思えば竜騎士的なこともできなくもないのです。




