マーガレットとフランは新婚生活を送る3
私はフランに抱えられたまま、ハドルストーン家の屋敷を出た。
外は快晴で雲一つなく、新緑が瑞々しい輝きを放っている。王都では見たことのない鳥たちが、大きな翼を広げながら空を飛んでいく。その動きを目で追うと、眩しい太陽が視界に入った。
――ああ、もうすぐ夏になるのね。
しんみりと、そんなことを考えてしまう。
王都を出た頃は、季節はまだ春だった。季節は……ちゃんと巡っていくのだ。
そしてあの頃の思い出は、過去のものとなっていく。
「マーガレット。暑くはありませんか?」
フランが気遣うように訊ねてくるので私は首を横に振った。
陽は照っているけれど風が爽やかで、空気は乾燥していて肌に心地いい。
「風が涼しいし、ちょうどいいわ」
「それは、よかったです」
私の返事を聞いて安堵したように言うと、フランは軽快に歩みを進めた。もちろん、私を抱えたままで。
臥せってばかりで痩せてしまったとはいえ、人間なのだからそれなりの重さはあるはずなのに。フランはまるでなにも持っていないかのように軽やかに歩く。
騎士ってすごいのね。それともフランがすごいのかしら。
私はそんなことを思いながら、フランの少し地味なお顔に見惚れた。旦那様はとても頼りになる。
しばらく進むと屋敷から少し歩いたところにあるハドルストーン家の訓練場で、数十人の兵士たちが訓練をしている光景が目に入った。
はじめて見る激しい剣戟の訓練に、私は思わず見入ってしまう。
王都にいる時は王妃教育で忙しく、乙女たちが心を騒がせる武闘大会や騎士の訓練を見る時間なんてなかったのだ。
私が訓練に見入っているのに気づいたフランは、訓練場の前で立ち止まってくれた。
「興味が、ありますか?」
「ええ! 訓練を見るのは初めてなの!」
「ハドルストーン家の軍隊は王国一のものです。見応えはあると思いますよ」
そう言うフランは少し誇らしげだ。辺境を守るハドルストーン家の軍隊は、国の要で国の盾だ。戦争が近年起きておらず軍部が軽視される世の中でなければ、ハドルストーン家はもっと脚光を浴びていたのだろう。
「あれ、若様?」
「若様が連れてるのって……」
私たちに気づいた兵士たちは、なぜかぽかんとした表情になって訓練の動きを止めてしまう。
……もしかして、私に気兼ねしているのかしら。
『訓練を続けても大丈夫ですよ』という意味を込めて、私は彼らに笑顔で手を振ってみせた。すると兵士たちは、なぜかにわかにざわめいた。
「嘘だろ! まさかあの方が、若様の奥方!? 絶世の美女なんだけど……」
「なぜだ! 顔だけなら俺の方がいいよな!?」
「中身のよさをきちんと見ることができる奥方様なんだよ、素晴らしいじゃないか!」
……ああ、なんだかフランに失礼な会話が聞こえるわ。
それに私は全然、絶世の美女じゃない。過剰な評価は、恥ずかしいわね。
フランの方をちらりと見るとそのお顔は苦虫を噛み潰したような表情になっている。『帰ったら、たっぷりしごきますか……』と小さくつぶやく声音は、少し怖い。
なだめるように頬を撫でると、フランはハッとした顔でこちらに目を向ける。白い頬にそっと口づけをして『落ち着いて?』と囁くと、彼はふにゃりと表情をゆるめた。
「えっと。悪いヤツらじゃないんです。……少し下世話なところもありますが」
「ふふ。フランがそう言うのなら、悪い人たちじゃないのね」
ハドルストーン家の領地に来てから、悪い人になんか会ったことがない。だからきっと、フランの言う通りなのだ。
「少し挨拶を……」
「マーガレット、それは体調が戻ってからでいいじゃないですか。行きましょう」
挨拶をしようと地面に下りようとすると、フランにそっと止められてしまった。
背後から刺さる視線を残して、私たちは訓練場を後にした。
「どこに連れて行ってくれるの?」
「王都と違ってここには自然しかないので。マーガレットに満足していただける場所があるか……」
フランはそう言って困ったような顔をする。
「王都なんかと比べなくていいの! フランが好きな場所に連れて行って?」
「私の、好きな場所……わかりました。揺らさないようにはしますけど、舌を噛まないように気をつけてくださいね」
フランはそう言うと早足になり、いつしか駆け足になっていた。
彼の足はとても早く常人の脚力とは思えない。この身体能力がフランが、王子の婚約者の護衛となった理由なのだろうか。だけど出会った時、彼は十二歳だったわよね。その頃からこの身体能力が発露していたのだとしたら、それはとんでもないことだ。
そんなことを考えているうちに、私たちは小さな山の前にたどり着いていた。フランは私に枝が当たらないように気をつけながら、ザクザクと山に分け入って行く。
「山に入ったのは、はじめて」
私はキョロキョロと周囲を見回した。周囲は一面の緑だけれど、よくよく見ると木々は微妙に異なる色合いを宿している。その隙間から差し込む光がキラキラと輝いてとても綺麗だ。空気の匂いが王都よりも濃密で、だけど清涼だ。これは木々や土の香りが、空気に混じっているせいなのだろうか。
「虫が出たりするかもしれませんが……」
「ふふ、平気だから」
フランは本当に心配性だ。王都にだって虫はいたのに。
……もしかすると王都の虫より大きかったり凶暴だったりするのかしら。それはちょっと怖い気がする。
それはともかく、この山の中にフランの好きな場所があるのね。
「ねぇ、フラン。向かっているのはどんな場所なの?」
「まだ内緒です、マーガレット」
質問をすると悪戯っぽい笑顔を浮かべて躱されてしまった。
……一体、どんな場所なのかしら。
ハドルストーン家は広い訓練場をいくつか持っているのです。




