第四十一話 風の戯れ
煌々と瞳を赤く滾らせながら、レオナールは頭上を仰ぎ、木上へと取り逃がしたミシェルを睨み付けた。
まるで血に飢えた獣と化したレオナールの形相に、ミシェルの背中にゾッと悪寒が走る。
先程背後から感じた殺気と同じものだ。
ミシェルにとって、それはとても心地よく、正に至福と言わんばかりの笑みを口元に浮かべて身震いした。
「いい。いいよ、レオナール君。……あー。でも今日はダメなんだよね、どうしたものかな……風の精霊よ……」
ミシェルは至極残念そうに呪文を唱えた。
すると、ミシェルを中心に大気が揺らめき、精霊が集う。それは緑色の光を帯びた鋭い風となってレオナール目掛けて放たれた。
風は葉や枝を切り裂き、それを巻き込みながらレオナールに襲いかかる。
ミシェルが呪文を口にしてから、それはたった数秒の出来事である。戦闘馴れしていないレオナールにそれを回避することは不可能だった。
防御する暇もなく全身で風を受け引き裂かれる。
しかしそれは、レオナールの髪を散らし、浅い傷を体のあちこちに数十ヶ所作る程度だった。
「くっ……そぉ……なめやがって……」
レオナールは風で視界を奪われながらもミシェルの気配を探るように辺りを見回した。
ミシェルはレオナールが風に囚われている内に、ディーン達と合流した。
二人も異変に気づき、こちらへ走ってきていたので、川の中洲に転がった大岩の上ですぐに落ち合うことが出来た。
「この子、よろしく!」
「おっおい!」
ミシェルはディーンに向かってミィシアを投げつけた。ディーンはそれを受けとると後方へ飛び退く。
オウグとミシェルもそれぞれ違う方向へと飛び上がった。
三人が散り、それから一呼吸置く間もなく、先程まで彼らが立っていた、二メートルはあった大岩はその姿を一瞬で粉砕された。
開いた中州に一人佇むのは、レオナールだった。
大岩を砕いたその拳は血で染まり、肩で大きく呼吸しながら飛び散った三人の位置を確認する。
そして一番飛距離の短かったミシェルへ向きを変えると、両手の爪をさらに肥大させ、地面を蹴りあげ一気に距離を詰めた。
ミシェルの口元が自然と緩む。その顔を見てオウグが叫んだ。
「ミシェル! 殺るなよ!!」
「きゃはっ。りょーかい」
ミシェルが冷静なことを確認すると、オウグは拳を擦り合わせ呪文を唱えようとしたが、
「あっダメ! レオナール君は私の獲物だよ! 風よーー舞え!」
ミシェルはオウグの行動を言葉で制止させ、自身とレオナールの間に小さな渦の様な風を発生させた。
これも致命傷を与えるような魔法ではない。
ミシェルは、遊んでいるのだ。大切な玩具を、壊さないように優しく、愛しそうに……痛ぶる。
「気持ちいいね! レオナール君!?」
ミシェルは風の渦を利用して体を浮かせ、一本の大木の上に身を寄せた。レオナールはその木の根本で風の渦から脱したところだ。
「ぐっ……ぁぁああああ!!」
レオナールはその場で空を仰ぎ、ミシェルを視界に捉えると咆哮を放った。
そしてミシェルがいる大木を銀色の爪で幹を抉るように拳を突き立てた。何度も何度も殴り付け、大木に亀裂が入る。
ミシェルはその様子を指を加えながら物欲しそうな目で見守った。
「わぁぁっと。すごいなぁ……ミシェルも、こんなお兄ちゃんが欲しかったなぁ……」
「グルラァァァ!」
まるで獣の様に唸るレオナール。
全身の毛が逆立ち、狩猟本能のみで生きる動物。
まるで、自分を見ている様だとミシェルは感じた。
ミシェルのいた大木は、レオナールの最後の一撃で幹を真っ二つに引き裂かれ、木はメキメキと音を鳴らして双方に倒れる。
ミシェルは幹から手を離し、その身を宙に投げ出した。
そして真っ逆さまにレオナールに向かって飛び降りる。
レオナールはそれを迎え撃ち、倒れ行く幹に足をかけ、空中でミシェルを捉えようと試みた。
しかしミシェルはそれを鼻で笑い、風を使って周囲の葉を散らしレオナールに差し向ける。
そしてレオナールの視界を一瞬だけ奪うと、ミシェルは自分に向かって突き出されたレオナールの右腕にぶら下がり、落下の勢いを利用して、レオナールの肘を本来曲がらない方向へと捻じ曲げた。
「がぁっぐっ……」
レオナールはくぐもった呻き声を漏らした。
ゴキュっと骨が折れる音が右腕から全身に響き、それと同時に耐え難い痛みがレオナールの意識を貫いた。
レオナールの瞳から光が消え、肥大した爪も縮み耳も尾も項垂れた。そしてミシェルもろとも川へ向かって落ちていく。
「何だよぉ。腕一本でだらしないなぁ~」
「……ミィ…………シア」
ミシェルが耳元で囁くと、レオナールは瞳に光を呼び戻し、掠れた声で妹の名を発した。
「きゃはは。そうだよ……その目だよ……」
「ミ……シェルっ」
空中で二人は睨み合った。
お互いの呼吸を肌で感じるほどの距離で。
そして川に着水する寸前、ミシェルは空中で体を捻り足を振り上げ、レオナールの側頭部に力一杯蹴りを入れた。
「!!!」
レオナールは声にならない嗚咽を吐き、川の中洲に叩きつけられた。
右腕は間接とは反対の方向へと曲がり、身体中は切り傷だらけで、額からダラダラと血を流し、倒れたままピクリとも動かなくなった。
ミシェルはレオナールの横に降り立つと、鼻先に手を当て呼吸を確認した。
「生きてるよー」
「……おいおい。お手柔らかに頼むぜ? ミシェル」
「はーい。あー。たのしかったぁ!……ディーン、ミィちゃんは?」
ディーンの腕の中で、ミィシアはぐったりと頭を垂れ、意識を失っている。
「ああ。ぐっすり眠っているよ。アルビノだね。……この子なら、いい餌になるよ。さあ、二人とも、軽く仕上げといこうじゃないか……くれぐれも軽くだぞ」
「ほーい」「へいへい」
ミシェルとオウグは二人同時に詠唱を始めた。
オウグは地の精霊を用いて里に地震を起こし、地割れをいくつも作り上げた。
ルナールが割れ目に落ちて死なないように、控えめに。
ミシェルは風の精霊を用いて里に風を送り、竜巻をいくつも作り上げた。
ルナールが吹き飛ばされて死なないように、控えめに。
「里の者が慌てて逃げ出したな……あれで魔獣最強? 笑わせるな…」
「ディーン。この糞ガキはどうすんだ?」
「放っておけ。もう出発する」
三人は並んで上流へ向かって歩き出した。
明るい内に仕事をするのは久しぶりだ。
陽の光に目を細目ながら、ディーンは誰に言うとでもなく呟いた。
「蜥蜴の尻尾、第二特攻部隊。第三回ルナール奇襲作戦……完遂」




