第三十九話 人間の少女
ミィシアと一緒にいるのは人間だ。後ろ姿で顔は見えないが、小柄でほっそりとした体つき、ミィシアと同い年位の人間の子供と思われる。
その人間は、レオナールに背を向けていたのにも関わらず、木の影に隠れるレオナールの方へと振り向いた。
そしてレオナールを見つけるとにっこりと微笑んだ。
長い金色の睫毛に、蒼い大きな瞳が印象的な、美少女だった。その美少女は、優しくミィシアに尋ねた。
「あの子は? お友達?」
「え? あっ。レオ兄っ!」
ミィシアはレオナールに気がつくと両手で大きく手を振った。
レオナールもぎこちなく手を振り返す。
ミィシアの隣の美少女も、あどけなくこちらに手を振っている。しかし、どうも胸がざわつく。
初めて人間を見たからか。その人間が美少女だからか。
レオナールの警戒心が伝わったのか、ミィシアはレオナールの方へと駆け寄りながら言葉を続けた。
「あのね。私、この子とお友達になったの! 川に落ちて、ここまで流されちゃったんだって!」
川に落ちた?
確かに美少女の服はびしょびしょで、水が滴り落ちていた。
服装は安っぽい麻の普段着だ。どこかの村の子供だろうか。
しかし村は何十キロも先の筈だ。
ミィシアと一緒に、その美少女もレオナールの傍までやって来た。近くで見ると益々可愛い。
「お兄さんなの? でも、あんまり似てないね」
「うん! 私はお母さん似何だって!」
「何だってって……知らないの?」
「うん……。もう、死んじゃったから」
「そっか。残念だな……」
レオナールの目の前で二人は親密な様子で会話をしている。
出会ったばかりなのに、もうこんなに打ち解けているとは……。
いや。今は二人の会話をボーッと聞いている場合ではない。
レオナールは自分がここに来た理由を思い出し、ミィシアの手を握りしめた。
「ミィシア。水汲みはもういいんだ。その子とお別れして、早く行くぞ!」
「レオ兄っ!? 引っ張らないでっ。私、まだミシェルちゃんとお話したいのっ」
ミィシアは駄々をこねる子供の様に口を尖らせ、レオナールの手を振りほどこうとした。
ミシェルはそれを聞くと嬉しそうに微笑む。
しかしレオナールはその笑顔を見て気付いた。
目が、全く笑っていない。まるで死人の様な眼だ。
それにこのミシェルと呼ばれた美少女からは、レオナールの嫌いな匂いがした。
獣狩りに行った兄達が帰って来た時と同じ……死臭がした。
身体中の血が、コイツは危険だと騒いでいる。
自分とさして変わらぬ、人間の美少女を。
レオナールの焦りと恐怖心を見透かすように、ミシェルはゆっくりと、でも確実にミィシアの腕を掴み、自身に引き寄せた。
「ミシェルも、まだミィちゃんと、お話したいな。ダメかな? レオナール君……」
「ダ……ダメだ。ミィシア、行くぞっ」
「どうして? また移動するの? じぃちゃんは、まだ誰の死も見えてないっーー」
「ミィシア!!」
レオナールは、ミィシアの言葉をかき消すように大声で怒鳴りつけた。じぃちゃんの事を……里の秘密を、目の前のミシェルに知られたくなかったからだ。
ミシェルの方へ目を向けると、蒼い瞳が一瞬光を帯びたように見えた。
ミシェルは右手でミィシアの腕を掴み、左手をレオナールの手に乗せた。冷たくて小さな手が、レオナールの腕を這う様に撫でる。
そして不思議そうに首を傾げながら、小さな唇を開いた。
「どうして? 何で移動するの? 誰の死も見えなかったのに?」
「えっ? ミシェルちゃん?」
「毎回さ。誰か殺しちゃうから、バレるのかなって思ってさ……。今回は我慢してるのに……。結局バレちゃうの?」
ミィシアの顔からみるみる血の気が引いていく。やっと、ミシェルがいかに危険な存在か気付いたのだ。
一方ミシェルは、先程までの愛らしい顔立ちのまま、光の無い瞳でミィシアに微笑みかけていた。
レオナールは放心状態のミィシアの手を引くが、その体はピクリとも動かなかった。ミシェルがミィシアの腕を掴んでいたからだ。
「レオナール君。ミィちゃんから、手、放してよ」
「おっお前が放せ! お前……何しにここに来た!?」
「……いい質問だね。今日は、ミィちゃんみたいに可愛いルナールの子と、お友達になるために来たの……手、放さないなら……ミィちゃんの腕、切り落とすよ?」
ミシェルの目は本気だった。口元にうっすらと笑みを浮かべ、何の躊躇もなく腕でも足でも切り落としそうな顔をしている。
先程まで隠していた殺気、そして狂気が、ミシェルの全身から滲み出ている。
ミィシアは震え、今にも泣き出しそうな顔で、レオナールの手を強く握り返した。
この手を放しちゃ駄目だ。レオナールは強くそう思った。
ミシェルはそんなレオナールの心を感じ取り、ミィシアの腕を力強く握り締めた。
「いっ痛いよぉ……ミシェルちゃん。やめ……て」
「私じゃなくてお兄ちゃんにお願いして。……ミィを見捨てて、自分だけ尻尾巻いて逃げてって……」
ミィシアは全身を小刻みに震わせながら、ボロボロと涙を流した。
そして真っ直ぐにレオナールを見て言った。
「は……放して…………レオ兄……逃げて……」
目の前で怯えながらも兄の身を案じるミィシアを見て、レオナールは全身の毛が逆立つのを感じた。身体中から湯気が吹き出しているかのように、熱い。
ミィシアは自分が守るんだ。
腕を切り落とす?
そんなの、やられる前にやってやる!!
ミシェルを睨み付け、臨戦態勢に入ろうとした……その時。
「いやぁぁぁぁ」
ミィシアの叫び声が森に響いた。
その腕には、ミシェルの指が食い込んでいる。白い肌は肉を抉られ赤い血が地面に垂れる。
レオナールは傷ついたミィシアを目にし、戦意を失った。
そして顔を歪めて苦しむ妹から、震える自分の手を引いた。
「わぁ。お利口さん。初めからそうしてたら、ミィちゃん、怪我しなかったのに。……もう、戦意喪失って感じだね。きゃははっ。この子、貰ってくね」
レオナールはまるで金縛りにあったかのように動けなかった。ミィシアの啜り泣く声と、ミシェルの笑い声が耳の奥で木霊する。
自分がすぐに引かなかったから、ミィシアは傷ついた?
それとも、もっと早く、ミシェルをやっていれば……。
「きゃはは。安心してよ。ミィちゃんのこと……今日は殺さないよ。じゃあね、レオナール君」
「……っ!!」
ミィシアは最後に何か言おうとしていたが、ミシェルが上へ飛び上がり、呻き声だけが耳に残った。ものの数秒で、ミシェルとミィシアは川の向こう側へ消えていく。
レオナールは、怖くて足がすくんで動けなかった。足も手もガクガクと震え、心臓の音が大きく頭の中にまで響いてくる。
ミィシアの怯えた顔が、レオナールの名を呼ぶ震えた唇が、何度も何度も瞼の裏に甦った。
今すぐミシェルを追いかけるべきなのに。
ミィシアを助けたい。この気持ちは本物のはずなのに。
兄や姉達だったら追いかけただろう。
自分と同じ、まだ子供の時でさえ、人間の襲撃から里を守ったんだ。
それなのに自分は……妹すら守れないのか。
傷つく妹を、ただただ見ているだけの自分。
悔しさの余り、レオナールは歯を食い縛り涙を溢した。
それでも足は言うことを聞かず、レオナールはその場に立ち尽くすことしか出来なかった。




