第二十四話 窮地に舞い降りたるは……
テツは落下していた。
このまま行けば数十秒後には凍った湖に叩きつけられる。
しかしこの湖の水は全て水の精霊が作り出したものだろう。
よって剣圧で消し飛ばし、その衝撃を使えば着地できる。
そして直ぐに二人を助けて……と試算していたのだが。
オンディーヌは悪戯に何度も大蛇を空中でけしかけてくる。
こんな事を繰り返していたら、二人が危ない……そう思った時。
「オンディーヌ!!!」
そこへ、空を絶ち切る程に研ぎ澄まされた女性の声が響いた。
その女性は、銀色の髪を逆立て、黒いローブを揺らし、黄色い赤みがかった瞳を煌々と輝かせ、湖上に足を踏み入れた。
オンディーヌの真っ黒な瞳に、淡く青い光が甦る。
そして怯えきった声で女性の名を呼んだ。
女性と言っても、その威圧的な声とは対照的に、その見た目は少女に分類される。
「ルミエル……様……」
「光の精霊よ。我が名はルミエル。我が思うままにその力を示せーー。オンディーヌ、随分な姿ね……その子達、私の連れなの……返してくれる?」
ルミエルは右手の指輪に口づけをし、前方に巨大な魔方陣を形成した。
そしてそこから無数の光の鎖を顕現する。
オンディーヌはそれを見て震え上がり、湖の底に身を隠した。
ルミエルの鎖は、大蛇の腹を引き裂き、気絶したラルムとシエルを鎖で縛り上げ救出した。
そして二人は柔らかい土の上にゆっくりと寝かされる。
光の鎖は勢いを止めることなく、残った大蛇の塊も縛り上げ、引き絞りバラバラに散らせた。
そしてルミエルは、上空のテツも鎖で助けようとしたのだが、テツは鎖を弾き、より空高く飛ばされていった。
「なっ何してますの!? 大人しく私の鎖に縛られなさい!……え? 鎖が反発してる? いえ、相殺されている?」
鎖はテツに向かうが、テツに触れる度にその力を失い、反発し合い、テツの体を弾き飛ばしている。
そのうちの一つが、テツの額を掠めると、テツは体勢を崩して頭から落ちていった。
手に持っていた剣も、その手から離れる。
「レーゼラ!! あの人……おっ落ちたら大変よ! 受け止めて!」
「へ? あ、はい!!」
ルミエルは何とか衝撃を和らげようと、気を失ったテツにもう一度鎖を飛ばした。
やはり気絶していても鎖は弾かれた。
テツの体は宙を跳ね、頭から落ちることは避けられそうだが、鬱蒼と葉が生い茂る巨木へと落下していった。
「レーゼラ! もう鎖は届かないわ……お願い!」
「はい!」
レーゼラは木の下で待ち構えた。
枝がバキバキと折れる音がどんどん下へと近づいてくる。
こういう力仕事はあまり得意ではない。
レーゼルだったら良かったのに……。
焦るレーゼラの視界に、テツの背中が見えた。
レーゼラは、両手を広げ落下点を予測し……。
そして、怖くて目を閉じた。
「……ラ……レーゼラ……」
レーゼラはルミエルの声で目を覚ました。
体を起こそうとすると、右手に激痛が走る。
「……っぅ」
ルミエルがそっとレーゼラの腕を押さえた。
「折れているわ。……枝で固定したから。数時間もすれば治るわ」
「すみません。ありがとうございます。……他の者は……?」
周りを見回すと、もうオンディーヌの姿はなかった。
木々の隙間から朝陽が差し込み、清々しい朝の森だ。
「皆無事よ。シエルとラルムも外傷はないし、……テツは、擦り傷、切り傷、後は打撲程度かしら。レーゼラより酷くないわ。良く受け止めたわね。……ごめんね。レーゼラ、体は大きいけど、こういう事、慣れてないのに……」
ルミエルが心配そうにレーゼラの頬に触れた。
「大丈夫です。ご心配には及びません」
レーゼラはそう言って微笑んだ。
ルミエルが自分を大切に思ってくれていることを肌で感じ、嬉しかった。
「シエルとラルムは、すぐに目を覚ますと思うわ。そして、オンディーヌだけど……私の光で、穢れ? と言ったかしら、あの黒くてモヤモヤした闇は追いやったわ。……でも、私に出来るのは、闇を光で照らして追い込むだけ。だから闇は凝縮され、力を増してしまう。いずれ光を貫くでしょうね……あれは、闇に近い命の精霊の力でないと取り除けないの……」
ルミエルは湖を眺め、しょんぼりと肩を落とした。
自分も彼と同じ、命の精霊を従えることが出来たら、どんなに役に立てただろう。
そう思うと胸が苦しい。
「ゲホッゴホッ……ラルム!?」
シエルは咳き込み、勢い良く体を起こしてラルムを探した。
そして隣に眠るラルムを見てホッと息をつく。
しかし、またハッと顔を上げ騒ぎ出す。
「テツ様は!?」
「大丈夫ですの。テツもそこの木の根で寝ているわ。怪我も大したことないわ」
「良かった……ルミエル。さっきの悪魔は?」
「は? 悪魔?……違うわよ。あれは穢れた気に当てられて自我を失った精霊よ」
「精霊? あれが?」
シエルは信じられない様子で、眠るラルムを見つめた。
ラルムはあれを見てどう思ったのだろう。
何よりも憧れ、愛していた存在に、殺されかけたというのか……。
「今はいいから、早くリリィの家に戻りなさい。レーゼ、案内してあげて」
「はい。シエル、ラルムを背負えるか? 無理なら私が背負っていくが……」
シエルはレーゼを見て驚いた。
右手に枝が蔦でくくりつけられ、血が滲んだ跡がある。
「レーゼさん。腕……」
「問題ない。直ぐに治る掠り傷だ。それより、ラルムを家で休ませてやろう。濡れたままは体に良くない」
シエルはそれを聞いて、自分もずぶ濡れであることに気がついた。急に体が寒く感じる。
ルミエルはその場に腰かけてレーゼに声をかけた。
「じゃあ気を付けるんですのよ」
「え? ルミエルは行かないのか?」
「私は……あの人が起きたら一緒に戻るわ」
ルミエルは木の下で眠るテツを見て言った。
シエルもテツが心配であるが、テツの顔色は悪くない。
怪我も擦り傷程度、それに濡れてもいない。
大事はなさそうだ。
しかし、シエルはラルムを背負おうと立ち上がろうとするが、足は震え、オンディーヌの顔が脳裏を過り上手く立てなかった。
「くそっ!」
シエルは、恐怖と寒さで震える足を何度も殴り付けて立ち上がる。
そして濡れて冷えきったラルムを背負い、レーゼの案内でリリィの家へ向かった。
ルミエルは、眠るテツの隣に腰掛け、ぼんやりとその寝顔を眺めていた。
自分の魔法が、この男に弾かれた。
いや、自分だけではない。
オンディーヌの水も彼には無意味の様だ。
だって彼は、少しも濡れていないのだから。
「んっ……」
テツが寝苦しそうに顔を反らし、唸り声を上げた。
木の根の枕では痛いのかもしれない。
何度も自分の鎖で彼を弾いてしまった。
自分が駆けつけた時は、彼の意識はしっかりしていたのだ。
という事は、彼が気を失っているのは、鎖で何度も宙を飛ばされたせいだろう。
「……何かしら、この罪悪感……」
テツがまた、寝苦しそうに眉間に皺を寄せた。
せめてぐっすり休んで欲しい。
ルミエルはそう思い、テツの頭を自分の膝の上に寝かせてやった。




