第二十二話 探究心
空がほんのり明るくなろうとしていた。
陽が昇るまで、まだ少し時間がある。
そんな時刻に、ベッドでコソコソと身仕度を済ませ、水晶とにらめっこをしている少女がいた。
ラルム=フォンテーヌだ。
他の皆はまだ眠っている。窓際のベッドで、カシミルドもぐっすり寝ていた。
メイ子はカシミルドを抱き枕の様にして熟睡しているが、癒しの魔獣だそうだから、治療の一環なのかもしれない。
ラルムはその様子をじっくり観察し、手帳に書き込んだ。
昨夜、話し合いの結果、カシミルドが眠る部屋に、女子も泊まる事になった。彼を心配するカンナとスピラルの意向だ。
部屋の者達は、シエルやテツと違い皆鈍感そうだ。ラルムはこれを好機と思い、足音を忍ばせ、ひっそりと部屋を出ていった。
外はまだ薄暗かった。肌に触れる空気は何処か冷たく、身が引き締まる。
どこから先が精霊の森なのか分からないが、来た道と反対方向、恐らく森の中心へ向かってラルムは歩きだした。
◇◇
シエルが言っていたような、入っても入っても入れずの森……という事は無いようだ。同じ様な巨木が続くが、少し違って見える。ラルムは迷子にならない様に木にナイフで印を付け、先へ進んだ。
しばらくすると、辺りが明るくなって見えた。
しかしそれは朝陽ではない。
ラルムはそれが何か気付くと、目の前の光景に息を飲んだ。どこもかしこも、木々が輝いて見える。
上空には風の精霊が、地表には地の精霊。
風の精霊は、ラルムの周りを悪戯に舞い、離れていく。触れると仄かに温かく感じた。
しかし、火や水の精霊は少ない。水の精霊の気配は森の奥からした。
ラルムは胸の高鳴りとともに自然と足も速くなった。
憧れの精霊が沢山いる。
こんなに沢山見るのは初めてだった。
さすが精霊の森。夢にまで見た精霊の森は、夢と違って生きている温もりを感じた。
自分もリリィのように森に住みたい……そう思っているといつの間にか開けた場所に出た。
そこには、広く美しい湖があった。
「綺麗……水の精霊がこんなに……」
ラルムが湖を見渡すと水面は緑色の木々を映し出し、宙を舞う精霊の光を反射し青くキラキラと輝いている。
しかし水面を覗き混むと、そこの方は暗く、真っ黒に淀んで見えた。本能的に近づく事を避けたくなる様な、そんな色をしている。
こんな美しい森に似合わない色だ。
水面に映ったラルムの顔が不安な色を見せると同時に、水紋で顔が崩れた。どうやら水の精霊が悪戯をしている様だ。
風の精霊は悪戯好きと聞くが、水の精霊もそうだったとは。ラルムは意外な発見に口元が緩んだ。
「フフッ。来て良かった。よぉし。ーー水の精霊よ。我が名はラルム=フォンテーヌ……えっと」
ラルムはふと、カシミルドの詠唱を思い出した。
確かカシミルドはこう言っていた……。
「我が思うままに、その力を示せーー」
ラルムは心の中である事を強く祈った。
すると、ラルムが持つ水晶が青く輝き、その光は徐々に精霊を呼び込み大きくなる。
ラルムはその光に全身を包まれた。
柔らかい光の中に精霊を感じる。
こんなに強い輝きを生み出したことは今までなかった。
自分にもこんな魔法が使えたなんて……。
そう期待したのも束の間。
水晶の輝きは虚しくも収まり消えていった。そして辺りには、先ほどと変わらぬ静かな森が広がるだけであった。
「あれ? 何だ……でも、あんな事祈っても、私じゃ無理だよね……」
カシミルドの様に自分の言葉で、自由に精霊と通じ合えたらいいのに。それが少しでも出来たと思ったけれど、気のせいだった様だ。
湖の周りを飛び交う精霊の姿が、いつの間にか消えていた。ラルムは揺れる湖の水面を、虚ろな瞳で眺めていた。
「あら? 精霊がいなくなっちゃった。でも、水面が揺れて……」
ふと、肌を刺すような張りつめた空気を頬に感じた。
ラルムが顔を上げると、湖の中心から、光を帯びた女性がラルムに向かって歩いてきていた。
一歩踏み出す毎に、湖は揺れて煌めく。
女性は人間でない事が見てすぐに分かった。
半透明の肌、長い絹の様な水色の髪、水をドレスの様に纏い、水の上を裸足で歩いている。この気配は精霊だ。
しかし、人型の精霊は初めて見た。今までは小さな光として見えていたのに、こんなにはっきりと見えるなんて。
ラルムは瞬きも呼吸も忘れ、目の前の精霊を、その全てを見逃さないように、食い入るように見つめた。
その精霊は、ラルムの五メートル程前で立ち止まった。
湖の上に。
よく見ると足は水面についておらず、浮いている。
近くで見ると神々しくて、周りの空気が張りつめていく。
ああ。美しい。
精霊は真っ直ぐラルムを見て言った。
その声は空気ではなく、ラルムの中に響いて聞こえる。
「我を呼んだのは……お前か?」
精霊の瞳が淡く青く光り、ラルムの驚いた表情が映り込んだ。
ラルムはカシミルドの真似をして詠唱した時、たった一つのことだけを祈っていた。
文献で見た、憧れの大精霊。
……水の大精霊オンディーヌに会いたいと。
◇◇◇◇
スピラルは明け方目を覚ました。
王都を出てから、この時間に目覚めるようになった。
教会のベッドは柔らかく、つい寝すぎてしまったが、宿のベッドは大抵固い。子供の頃から使ってきたベッドに似ているからか、屋敷で飼われていた頃の習慣が甦ったかの様に早起きになった。
アヴリルはまだベッドでスヤスヤと眠っている。
他の皆も……。
しかし、一つだけベッドが空だ。
スピラルは順にベッドを見ていく。
カシミルドとメイ子、そしてぬいぐるみを抱き締めたカンナ、……そうか、眼鏡っ娘がいない。
スピラルは急に不安になった。
ラルムは精霊の森の話ばかりしていた。
多分、あの性格なら……。
スピラルはカンナを揺り起こそうとした。
「カンナっカンナってば! 起きて……ラルムがいないよっ」
「うん。……起きた……すぅ」
「えっ!?」
カンナは一瞬しか起きなかった。
スピラルは頭を抱えた。しかしカシミルドは病気だし。
……でも、ラルムはまだ近くにいるかもしれない。
そう思い部屋を飛び出すと、隣の部屋からテツが出てきた。
「お。おはよう。スピラル君も早いな……?」
スピラルはテツの裾を掴み、部屋にテツを引っ張って行く。そして、空になったラルムのベッドを見せた。
「ラルムがいない!」
「本当だ。制服もないな……スピラル。シエルを起こしてきておくれ」
「はいっ」
スピラルは返事とともに部屋を出ていく。
テツはカンナに目を向けた。枕元の短刀が光っている。
テツはそれを手に取ると腰に差した。
「少し……借りるぞ……」
テツが部屋を出ると、着替えも中途半端に慌ただしくシエルが飛び出してきた。ベルトを締めつつ、ボタンは一つも留まっていない。
「テツ様。ラルムがいないって……」
「シエル。そんなに慌てて……。服を整えなさい。ーースピラルはここで待っているんだぞ。もし、長く戻らなかったら。カシミルド君達を起こしてくれ」
スピラルは小さく頷いた。
そして二人は階段を駆け降りて行った。
スピラルは二人の背を不安げに見送った。もし、戻らなければと言われたが、やはり今すぐカシミルドを起こした方がいいだろうか……。
誰か他に、頼れる人は……スピラルはふとレーゼの顔を思い浮かべた。レーゼは教官だし、強そうだ。スピラルは居ても立ってもいられず、レーゼを探し始めた。
◇◇◇◇
リリィの家の前でシエルは杖を構えていた。
意識を集中させ詠唱を始める。
「風の精霊よ。我が呼び声に応えよ。我が名はシエル=ミストラル。我が魔力を捧げよう。故にその力を委ねたまえ……さあ。自由に放たれよ。我が魔力と共に静かなる風となりて……」
魔力探知の魔法だ。ラルムの気配だけに集中し、探る。
ラルムの気配ならすぐに分かる。昔からよく一緒に魔法で遊んでいたから。
「テツ様。あっちです! 水辺の近く……です。俊足の魔法をかけますね! 風の精霊よーー」
シエルは森の奥を指差すと、また詠唱を始めた。
「あ……私は……」
テツの声など耳を掠めることもなく、シエルは足に風を纏うと、森の奥へと走り出した。テツにも風の精霊が加護を与えに来るが、それは光を発することなく消えていく。
「私に魔法は……効かないんだよ……」
テツは悔しそうに呟き、シエルの進む方へ駆けていくが、シエルはもう見えなかった。途中まで木に印があったが、この辺りには見当たらない。
テツは立ち止まり腕を組んだ。
「ラルム君といえば、水。シエルも水辺の近くと言っていたが……この近くに川はない。……ならば、転生の樹があった場所か? たしかあそこは湖になった筈だ……」
精霊の森には他を圧倒するほどの巨大樹があった。
それは、天使がまだこの地にいた頃の話ではあるが。
テツは朝陽の位置から自分の場所を計算する。
「森の中心は。あっちだな……」




