第二十一話 銀髪の姉妹とクロゥ
リリィの自室にて。
ルミエルそしてレーゼラは、リリィにお茶を出されテーブルを囲んでいた。テーブルの上には紅茶が四つ。ルミエルは紅茶の数を確認すると、眉を潜めてリリィを見た。
「リリエル? 私とレーゼラ。もう一つは誰の?」
「ああ。クロゥの分だよ」
「? 知り合いなの?」
「一度だけ会ったのだよ。まだクロゥが生まれたばかりの頃だな。……彼の兄がこっちに来ただろう? あの時……噂をすれば。クロゥ。そこに座りたまえ」
「失礼します。リリィさん、呼びましたか?」
いつの間にか部屋の隅にいたクロゥは、リリィに挨拶をすると静かに空いている席に腰かけた。その従順な様子にルミエルは目を見張る。
「ビックリしたわ。クロゥ? あなた、ちゃんと目上の者への話し方を知っているじゃない……何でいつもはあんななのよ!?」
クロゥはピーピー喚くルミエルから顔を背けた。リリィは目を瞑りため息を漏らす。
「ルミエルがそういう態度だから。クロゥも反発するのだろう? それに百年前……」
「そっその話はいいじゃない!! ずっと顔も出さなかった事は反省するわ!」
ルミエルは血相を変えてリリィの言葉を遮った。リリィはそれでも構わず話を続ける。
「しかし。百年前からなのだぞ。この世界の均衡が崩れ始めたのは……その影響といえばそうなのだろうが、ここ数年は精霊の減少が著しいのだ。見過ごせないほどに……」
リリィは悲しげに視線を落とし、紅茶を啜る。リリィがここにいるのは、何よりも精霊を愛しているから。だから仲間と別れ、自分だけひっそりとこの地に残ったのだ。
クロゥはリリィの話に胸が痛み、緊張のせいか、やけに喉が渇いた。目の前の紅茶に手を伸ばす。そして一気に紅茶を飲み干し……派手に噴き出した。
「ブホッ! 苦っ……何だよこのお茶!?」
クロゥの目の前に座っていたレーゼラは、リリィが差し出した布で顔を拭き、クロゥを睨み付けた。リリィはクロゥに新しい紅茶を入れ直し、ハチミツを添える。
「すまないな。甘くない紅茶は苦手だったか……お前の兄にそっくりだな。フフフ」
「……」
リリィは優しく微笑みクロゥの頭を撫でた。兄に似ていると言われたからか、それともリリィに頭を撫でられたからか、クロゥは恥ずかしそうに顔を赤くして俯いた。ルミエルは、そんなクロゥの態度が気に入らなかった。
「クロゥはあの方に似てませんわ。フンっ。ーーリリエル。話というのは精霊の減少についてかしら? 原因は分かっているの?」
「それがだな。恐らく人間が何か良からぬ事をしているようなのだ。……長命である筈の精霊が、若くしてその身を消滅し、魂だけでさ迷っている。それに、命の大天使が不在の今、転生の輪廻が滞っておるだろう。溢れた魂は、一つ穢れると、悪いことに連鎖するものでな……森が淀み困っているのだ」
ルミエルもクロゥも瞳を曇らせた。レーゼラだけは、リリィの話の意味が分からずきょとんとしている。
「命の大天使? 転生の輪廻? とは……?」
「ああ、そうか。片割れは知らないのか……。まだ生まれたばかりだものな……」
リリィはレーゼラを、まるで赤子のように愛おしいそうに見つめた。ルミエルはレーゼラに説明するでもなく、テーブルの下でクロゥを足でつついていた。
「クロゥ。どうにかできないの?」
「どうにもできねぇからここにいんだろ……クソババァが……」
「はぁ? またそんな口を聞きますの?」
ルミエルが顔に青筋を立て拳を握りしめる。リリィがそれを制した。
「ルミエル、止めなさい。クロゥも睨むでない。話が進まないだろう?ーーなあ、クロゥ。あの少年……回復したら貸してくれないか? 少しで良いのだ」
「……やっぱり、リリィさんも……カシミルドなら出来ると思いますか?」
「……さあ? 少年には、黒の一族として手伝って欲しいことがある。でもあの少年となら、空かない扉が開くかも知れないな……クロゥ、協力しておくれ。精霊の為に。延いてはクロゥ、お前自身の為にも」
リリィの真剣な瞳から目をそらし、思い悩むクロゥ。そんなクロゥにルミエルは軽口を叩く。
「いつもの威勢の良さはどこにいったのかしら? そんなだから、自分の使命も果たせないのよ」
「……っ」
クロゥは何か言おうとしたが言葉を詰まらせる。そして椅子から勢いよく立ち上がると、窓から部屋を飛び出していった。ルミエルにリリィが冷たい視線を送る。
「ルミエル……。大人げないな……可哀想なクロゥ」
ルミエルは気まずそうに顔を背ける。姉妹というより、母子のようだ。
「あの……お二人は本当に姉妹なのですか?」
「そうよ。リリエルは私の姉。双子じゃないわよ? 精霊が好きすぎて、この地に……精霊の森に留まった変わり者よ」
「別に良いではないか。ルミエルの方こそ変わり者であろう。この地を棄てたくせに、また戻ってきて……。クロゥを責めるでないぞ? たった百年じゃないか……ちょっと欠伸をしていたら、過ぎてしまう。私達にとって、百年なんて、そんなものだろう?」
リリィはそう言うと、椅子から勢い良く立ち上がり窓辺に立つ。
「ルミエル。今日は私の部屋に泊まりなさい。クロゥと話してくるから、いい子で部屋で待っているのだよ? 後で積もる話でもしようじゃないか……」
「…………」
リリィは窓からスルッと外へ出ると、クロゥを追いかけ闇夜に消えていった。ルミエルは扉から部屋を出ていく。
「ルミエル様? 待たないのですか?」
「待たないわよ。私、リリエルと話すことが無いんですもの。昔からそう。リリエルが何を考えているのか、私には理解できない。いつも私達は平行線。生き方も考え方も、交じり合うことがないの。私は精霊の森に行くわ。木の上で寝た方が休めそう。レーゼラはリリエルの相手をしてあげてね。付いてこなくていいから」
「ルミエル様っ……」
ルミエルはレーゼラに軽く手を振り出て行った。付いてこなくていいとは言われたものの、レーゼラはこっそりルミエルの後を追う。ルミエルが寂しがりやなことは、誰よりも知っていたから。
精霊の森には樹齢数千年といわれる巨木が何本もある。その内の一本の木の上で、クロゥは小さく丸くなって踞っていた。ふと、木々がざわめいたかと思うと、隣に寄り添うようにリリィが腰掛けている。リリィは何も言わず、クロゥの背中をゆっくりと擦ってくれた。
「リリィさん。色々……その。俺のせいですよね」
「何がだ? 精霊の減少は、どちらかと言えば人間の傲りのせいだと思う」
「でも。俺、海で聞いたんです。王都に行く途中で、人間の死者の声を。もがき苦しむ数千の声を……。あれはやっぱり、転生の扉が閉まっているからですよね。たった百年でこんなことになるなんて……」
「人は、長くても六十年ほどしか生きられないからな……。クロゥはあの少年をどうするつもりなのだ? ずっと待っていたのであろう?」
リリィの言う少年。クロゥはカシミルドの事を思い浮かべる。八年前からずっと傍で成長を見守ってきた。クロゥが待ち望んでいた力を有する少年、カシミルドを。
「俺。分からないんです。あいつは、甘党で優しくて鈍感で努力家で、真っ直ぐでマイペースで、まだまだ自分の魔力も扱いきれない癖に、何でも出来て……でも、すぐ今日みたいにぶっ倒れたりして、危なっかしくて、目……離せなくて」
「好きなんだな。あの少年が……その気持ちを大切になさい。誰かを思う気持ちは、己の強い力になる。ーー百年前に何があったかは知らないが。クロゥ、お前は一人じゃないよ。自分を信じなさい」
リリィの優しい言葉に、クロゥの胸の奥底に仕舞い込んでいた感情が溢れだした。無力で弱虫な自分は誰にも受け入れてもらえないと思っていた。唯一の友にも見放され、自分はこれから先ずっと孤独なのだと、そう思っていた。そして、同族に会わす顔など無いと思っていた。でも、リリィに会えて良かった。
リリィは今にも泣き出しそうな顔をしたクロゥを優しく包み込んだ。そしてリリィの胸に抱かれ、クロゥは子供のように泣きじゃくった。
ルミエルはそれを木の影から眺めていた。
「何よ。クロゥはいつもいつもズルイんですの。あの方にも大切にされていた癖に……リリエルまで……」
自分だって姉に甘えてみたかった。
そんな言葉を今さら口にできる筈もなく、ルミエルはその場から立ち去った。




