第十九話 きっとこれは必然
王都を出て街道を暫く走ると、街道の左側は平野から森へと景色が変わる。右側は崖で、その下に森が広がり、その先は海となっている。
大陸の南側の海は一見平穏だが、沖の方は海流が早く船は出せない程だ。
そしてこの辺りは、川まで距離があり、村すらない。次の村までは遠く、今夜は街道脇に野営することが決まっていた。
途中雨に降られるも、一行は順調に足を進めていた。
夕暮れ前、陽が僅かに落ちかけた頃。テツはそろそろ野営の場所を探そうと森の様子を窺っていた。
その時、カシミルドはシエルを掴む手に、急に力を込めた。馬に慣れた頃かと思っていたシエルは、カシミルドの行動に違和感を覚え、尋ねる。
「ん? どうかしたか?」
「ーー風の精霊よ……」
シエルの背中からカシミルドの詠唱が微かに聞こえた。
「ちょっと待て! 魔法は無しだって言っただろ!?」
「あ。そっか……でも……」
カシミルドは息苦しそうにそう言うと、シエルの背にもたれ掛かり、力んでいた手を離した。
「おい。手、離したら危なっ……」
シエルが振り向くと同時に、カシミルドの体が横へずれ落ちていく姿が見えた。
このままでは……落馬する。
「おい!!」
シエルは咄嗟に手を伸ばすが、後少しの所で掴みきれなかった。カシミルドは瞳を固く閉じたまま、地面へ向かって落ちていく。
カシミルドが地面へ叩きつけられる瞬間、カシミルドから白い光が放たれたように見えた。
しかしそれは砂ぼこりに包まれシエルの視界から消えた。
シエルは馬を強引に止めて直ぐに引き返した。
テツ達も後方の異変に気付き馬を止める。
そしてシエルは慌てて馬を降り、倒れ込むカシミルドに駆け寄った。
「大丈夫かって……あれ?」
そこにはカシミルドが二人いた。黒髪の少年が、焦茶色の髪の少年を庇うようにして抱きしめ、街道に倒れていた。
まさか、分裂した?
シエルはカシミルドなら何をしでかしてもおかしくないと思い咄嗟にそう思った……が、首を横に振る。
落ち着け自分。先ずは怪我の確認をしなくては……。
シエルが倒れる二人に手を伸ばした時、黒髪の少年が体を起こし、金色の瞳をパチパチと瞬きさせ、腕の中のもう一人に怒鳴り始めた。
「カシミルド? おい! 大丈夫か? なぁ……って熱いな……」
黒髪の少年は額から血をダラダラと流しながらカシミルドの心配をしている。カシミルドの額に触れ、熱があることを確認すると、急に落ち着いて誰かを探し周囲を見回した。
シエルはそんな黒髪の少年と目が合った。
カシミルドに似ているが雰囲気も目付きも全然違った。
「おっお前誰だよ? そいつの何? 頭から血、出てるぞ……」
シエルは謎の少年を指差してぎこちなく怪我を伝えた。
少年はカシミルドの頭を確認し、ホッと息をついた。
「血なんか出てねぇじゃん。カシミルドに……怪我はないな。……?ーー俺は通りすがりの少年Bだ。昨夜、ルミエルと何かあったか?」
「えっ? 何でその事……お前通りすがりの少年なんだろ?」
どう考えても目の前の少年は通りすがりの少年ではないだろう。カシミルドと名前で呼んでいるし、ルミエルの事も知っている。
やはりカシミルドの召喚した魔獣だろうか。
シエルは少年を訝しげに睨むが、少年はため息をつくとカシミルドの首元のボタンに手をかけた。
しかしボタンが上手く外せない。
「ん? 何だコレ?……なあ、コレ外してやってよ。服、弛めてやりたいから」
「え? Bがやれよ」
「ビィ?……ああ、Bか。俺の事ね。ーーあっ! カンナちゃん!」
少年Bとシエルが口論していると、馬を降りたカンナが息を切らせて走ってきた。その後ろにはルミエルもいる。
「クロゥ!? 何があったの? カシィ君は?」
「熱のせいで馬から落ちた。でも、俺様がキャッチしてやったぜ! 怪我はない筈だ。今朝カンナちゃんが言ってた通りになったな」
「やっぱり……。ねえ、クロゥ。頭から血が出てるよ。それに腕も……足も……」
クロゥはカンナに指摘され、漸く自分の怪我に気がついた。腕も足も擦過傷だらけだ。頭部は街道の端の岩にぶつけたようだ。
メイ子が素早くクロゥに向かって回復魔法をかける。
「クロゥたま。怪我に気づかないなんて馬鹿なのの」
「ケッ……いいよ。そんな痛くねぇし、すぐ治るから……それよりカシミルドを診てやってくれよ」
「じっとしててなの。カシィたまは風邪だから……メイ子には治せないなのの」
メイ子が悔しそうにカシミルドを見て言った。いつの間にか隣にいたテツが、カシミルドの額に手を触れ、脈を測る。
「疲れが出たようだな。クロゥ君は大丈夫そうだな。今日は野営なのだが……このまま馬を進めれば、日をまたぐ頃には休憩地点の小さな村には着くだろう。そこなら多少なりと薬があるだろうが、しかし夜間の移動は危険だしな……馬も持つかどうか……」
テツは顎に手を添え考え込む。
ラルムも辺りを調べるが、崖の下には森しかない。
そして左側は精霊の森だ。人里などありそうもない。
ラルムは悩むテツに尋ねた。
「この辺りは、精霊の森しかなさそうですね……」
「そうだな。やはり無理は危険だ。この辺りにテントを張って休もう」
皆もそれで納得するが、森の方をボーッと見つめていたルミエルだけは頷かなかった。
そして、森の中、道とも言えぬ方を指差し口を開いた。
「この先の森の中に、知り合いの家がありますの。五キロ程先ですし、陽が落ちる前には着くでしょう。そこに泊めてもらいましょう。野営よりはマシでしょうし」
「泊めてもらえるのは有難いが……急だが大丈夫だろうか? 中々の人数だぞ?」
「レーゼ……お兄様。先に行って挨拶して来てくださいますか?」
ルミエルは、ポケットから出した指輪をレーゼに渡した。そして道を口頭で伝えてる。
レーゼは知らない相手の様だ。
「では、私は先に……」
レーゼは先に森の中へと馬を走らせて行った。その姿は鬱蒼と繁る木々に吸い込まれ、直ぐに見えなくなった。
「本当に良いのか?」
テツがルミエルに確認する。
ルミエルは先程から浮かない顔だ。
「大丈夫ですの。私が道案内致しますわ。きっとこれは必然。誰かが呼んでいるのかもしれませんの……」
一行はルミエルの知り合いの家を目指すことになった。
◇◇◇◇
巨木が生い茂る道なき森を、ルミエルが乗る馬を先頭にゆっくりと進んでいく。
カシミルドが心配だと言って、クロゥはカシミルドを背負い、後ろから歩いて付いてきている。
その後ろにテツとカンナを乗せた馬が行く。
ルミエルはシエルの馬に乗せてもらうことになった。
シエルが不機嫌なのは、言うまでもない。
そしてラルムは……カシミルドには申し訳ないが、舞い上がっていた。森を見渡し、ルミエルに尋ねる。
「あの……ここって精霊の森ですか?」
「いいえ。今、目的としている家の付近が精霊の森の入り口ですの。ここはただの森ですわ」
ラルムはそれを聞くと眼鏡をキラキラと輝かせている。
シエルはその様子に不安を抱いた。
「ほら。見えたわ。あそこ……」
ルミエルは一軒の山小屋を指差した。森に似つかわしくない、小綺麗な二階建ての石造りの家だ。
家の横にはレーゼの馬が繋がれている。
そして家の前には人影が二つ。
一人はレーゼ、そしてもう一人もレーゼと同じ位背が高い女性が立っている。
地面に着くほどに長く真っ直ぐな銀色の髪、白いローブを羽織り、端整な顔立ちの女性だ。
ラルムはその女性を見ると、眼鏡を直し興奮した様子で声を上げた。
「レーゼさんの隣に! 精霊がいます!?」
「いや。俺にも見えるから人だろ?」
シエルがラルムに冷静に返した。
しかし、精霊と言われてもしっくりくるような美貌だ。
「え? シエルにも見えているの? おかしいわね」
◇◇◇◇
レーゼは皆を誘導し、家主を紹介した。
「こちら、この家に住むリリィさんです。リュミエ様のお姉様だそうです」
皆それを聞いて何となく納得した。確かに似ている。
リリィは優しく微笑み、深く会釈した。
「リリィと呼んでおくれ。いつもルミエルが世話になっている。二階に部屋が二つある。狭いが使ってくれ。食事は一階に。私の部屋も一階にある。何か用があれば気兼ねなく訪ねると良い」
「私は東方視察団のテツ=イリュジオンだ。急な申し出を受けていただき感謝する。リリィ殿」
リリィはテツを見て愛想よくお辞儀した。
そしてレーゼに部屋に案内するよう言付ける。
ラルムはまだリリィを精霊だと疑っている様子だが、渋々家の中へ入っていった。クロゥは皆が家に入る姿を見送っいてからリリィに挨拶をした。
「リリエル様……お邪魔します……」
「ああ。……大きくなったな。クロゥ。ここではリリィと呼んでおくれ」
リリィはクロゥの頭を優しく撫でた。クロゥは恥ずかしそうに俯き、お辞儀をすると家の中へ入っていく。
その流れに乗って、ルミエルも玄関を潜ろうとしたが、
「ルミエル。挨拶が無いぞ?」
リリィに呼び止められた。
ルミエルはぎこちなく振り向き、早口で挨拶を述べる。
「リリィさん。お邪魔しますわ。ではっ」
「お帰り。ルミエル。ーー後で私の部屋に来なさい。片割れも一緒に……」
ルミエルはリリィの言葉を背中で聞いて小さく溜め息をついた。
「……別に。帰って来た訳じゃありませんのに」
ルミエルは誰に向かって言うわけでもなく、そう呟いた。




