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天使の祝福があらんことを  作者: 春乃紅葉@コミック版『妹の~』配信中
第二章 東方への誘い 第一部 東方視察団
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第十八話 夜這い(ではありません)

 僕の隣には、大剣を抱えた赤髪の男が立っている。

 感情を殺した色の無い瞳で、彼は僕を冷たく見下ろした。


 ここは処刑台の上。


 これから僕は処刑される。


 僕の視線の先にいるのは、水の檻に閉じ込められた瑠璃色の美しい人魚。

 彼女は今まさに処刑されようとする僕を見て、酷く悲しみ、自身を泡と化し消え逝かんとしていた。


 お願いだから消えないで。


 君がいたから、僕は生きていく意味を見つけられたのに……。僕の代わりに君に生きて欲しかったのに。


 全ての魔獣を救えなくとも、君だけは守りたかった。

 でも、人間なんてとても非力な生き物だ。

 僕一人では、また何も出来なかった。


 そう……まただ。あの時と同じだ。


 また沢山の命が奪われていく。

 人間の傲り、そしてその傲慢な意識のせいで……。


 僕はあの時、天使が言った言葉を思い出した。


「世界を切り離す……我らはこの地を棄てる」


 悲哀に満ちた瞳をして、天使はそう言った。


 またあの天使に、そんな目をさせたくはないけれど……そんな事が出来るなら、魔獣達も守れるだろうか。


 ……僕がいなくなっても、君が生きられる世界。


 あの天使なら造れるだろうか。そんな世界を。



 僕の今生の最期の我儘を、聞いてくれるかな?


 また貴方に頼ってごめんなさい。

 でも、貴方の名前しか浮かんで来ないんだ。


 お願いだから魔獣達を守ってくれ。

 僕の魂でも、何でも使っていいから……。


「助けて……ヴァベル……」


 願わくば、この声が貴方に届きますように。


 僕の頬を流れる涙が、この地に落ちる前に。


 僕の首に大剣が振り下ろされた。



 ◇◇◇◇



 テツはベッドから飛び起きた。

 右手には剣を握りしめたままだ。


 これは昔からの寝る時の癖。

 額の汗を左手で拭い、心臓の辺りを撫でる。


 まだ夢の中の感覚が入り交じっていた。

 心臓をヒュッと掴まれたような、鋭い殺気と共に……途切れる意識。


 僕という自分が終わる時。


 今までも何度も見た悪夢。でもテツは知っていた。

 これは悪夢では無いということを。



「テツ様!? 大丈夫ですか。ずっとうなされていましたよ……」


 テツと同時に、カシミルドを挟んで隣のベッドで休んでいたシエルも飛び起きていた。

 しかしシエルが目覚めたのは今ではない。苦しそうな寝言を聞き、いつ声を掛けようか悩んでいた所だった。


 テツは一呼吸置くと、異変に気づきカシミルドに目を向けた。カシミルドは胸の辺りを押さえて踞っていた。

 暗くて顔色は分からないが、苦しそうに短い呼吸を何度も繰り返している。


「そうなんですよ。こいつもずっとうなされてて……」


「昨日、倒れた時と似ているな……」


「そう……ですね……誰か呼んで来ます……」


 シエルがローブを羽織ろうとした時、部屋の扉が勢いよく開いた。それと同時にランタンの灯が煌々と輝き、シエルもテツもあまりの眩しさに視界を奪われる。


「お邪魔しますわ。テツ様。シエルさん?」


 堂々とした、深夜に似つかわしくない声量でルミエルが挨拶をし、部屋に入って来た。


 二人が明るさに慣れた頃には、カシミルドの横にルミエルが立っていた。桃色の薄手のネグリジェ姿だ。


 わざわざ遠征にこんな服を持ってきているとは……。

 しかし今はそんな事を気にしている場合ではない。


 ルミエルはカシミルドを仰向けに寝かせ、服を捲り上げた。


「……おい。ルミエル?」


 シエルはルミエルの挙動に不審げに声を上げるが、ルミエルに冷たく睨まれた。


「何かしら? 別に夜這いに来た訳じゃ無いですの。何も出来ない癖に邪魔しないでくださる?」


 シエルはムッとして口を綴じだ。しかし、普段のルミエルを見ていたら疑われても仕方がないのではと思う。


 ルミエルは二人が見ていることなど気にする様子もなく、カシミルドに向き直ると、胸の辺りに右手を翳した。そして胸の小さな黒いアザを見つけた。


 小さな丸い焦げ跡の様なアザだ。


 ルミエルは、その形を確認するかの様にゆっくりと指で撫で、何度かつつき、そして顔を近づけて息を吹きかける。


 ルミエルがアザに触れる度に、カシミルドは赤い顔を反らし、吐息を漏らしながら小さく喘ぐ。

 ルミエルはカシミルドの表情に気がつくと、もう一度アザに触れた。そしてもう一度……。


「ルミエル君。何か分かったか?」


「あっ!! えっと……そうですわね。これは……」


 テツに尋ねられ、ルミエルは慌ててアザから手を離したが、何か思い出したのか急に表情を曇らせた。


 

 先程までカシミルドの反応に一喜一憂していた時とはまるで違う。目には鋭い光を宿し、それを隠すように瞳を閉じて思案する。シエルもその表情に不安が過る。


「おい。急に真面目な顔すんなよ……」


「フフフ。大丈夫ですのよ……でも、どこかで悪いことでも起きているのかしら?……苦しそうですから、アザがよくなるおまじないをしますの。ーー光の精霊よ。我が名はルミエル。彼の者に巣くいし闇を縛り光に閉ざせ。光の鎖よーー」


 ルミエルの詠唱と共にランタンの灯が点滅し、明かりが弱まる。ルミエルはそれを見ると、右手の指輪に唇を近づけ、黄色い小さな宝石に込められた光を吸い込んだ。


 そしてカシミルドのアザにそっと口づけをし、指輪の光を流し込む。すると、カシミルドのアザは、光の鎖に包まれ消えていった。

 正確には、鎖で縛られ見えなくなっただけだが、皆には消えたように見える。


 アザと共に、カシミルドの顔から苦痛が消え、呼吸が整う。ルミエルもそれを見て安堵の笑みを浮かべた。


「良かったですの。おまじないは効きましたのね。……おやすみなさい。カシミルド」


 カシミルドの頬を撫で、ルミエルはおやすみのキスをしようとした。


 それが余りにも自然すぎて、テツは危うく見過ごしそうになった。気がついた時には、口より先に体が動く。


 テツは咄嗟に、ルミエルの顔の前に剣を突き出した。

 するとルミエルは思いがけず、剣先にキスをしてしまった。鞘に入っているとはいえ、剣を向けてしまったことに、テツもハッとしてすぐに剣を納めた。


 ルミエルはゆっくりとテツを睨み付け、怒りを顕にする。


「ちょっと!  何て物騒な男ですの!! 私に剣を向けまして!?」


「しっ失礼した。手に持っていたのでつい……。本当にすまない……。しかし、団内の異性間交流は禁止だ。控えるように」


 ルミエルはテツに向かって舌打ちをすると、クルリと扉に向きを変えてズカズカと歩きだした。そして部屋を出る前に一言。


「ただの挨拶ですのよ! 勘違い甚だしいですの。では、おやすみなさいませ」


 ルミエルは銀髪を靡かせ、扉を勢いよく閉じて去っていった。ランタンの灯りがルミエルが来る前と同じ仄かな優しい明るさに落ち着いた。


 テツとシエルはお互い顔を見合わせた。


「何だったんですか? 今の奇襲は……」


「分からないが……カシミルド君の容態は落ち着いたな……」


「本当にこいつ、手のかかる奴だなぁ。あ……でも、テツ様は大丈夫ですか?」


「私か? 大丈夫だよ。よく見るんだよ。見たくない夢を……明日も早い。もう寝よう」


「はい。おやすみなさい」


 二人はそれぞれベッドに横になった。


 テツはまた剣を抱きしめるようにして眠る。

 これが一番落ち着く。


 シエルはそんなテツを不思議に思っていた。

 テツ様は剣マニアなのか?


 そして寝言も気になっていた。

 震えた絞り出すような声で言った言葉。


 「助けて」そして「ヴァベル」と言っていた。

 何処かで聞いたことがある名前だ。


 しかし、思い出せない。

 ラルムなら知っているだろうか。

 いや、ラルムが人の名前を覚えている筈がない。


 やっと静まり帰った部屋で、三人はしずかに眠りについた。



 ◇◇◇◇



 翌朝。農場の朝は清々しく、採れたての卵やミルクが食卓に並ぶ。各々身支度を済ませ、朝食にありついていた。


「へっくしゅん」


 カシミルドは朝からくしゃみばかりしていた。隣に座り、朝食を食べるルミエルが、心配そうにカシミルドにすり寄る。


「大丈夫ですの? 昨晩はあの後、よく眠れまして?」


「え? あの後? 何かあったっけ?」


 向かいに座るテツとシエルがカシミルドを見た。

 この少年は本当に鈍感なのだろう。

 昨晩のことは記憶の片鱗にも残っていないようだ。


「昨夜はうなされていたぞ? ルミエル君がおまじないをして、その後は寝れたのか? 体調が悪ければ直ぐに申し出るように。他の者もそうだぞ。それと、今日は野営になる。精霊の森に沿った街道の途中でな……」


「精霊の森!!」


 ラルムが眼鏡を光らせながら勢いよく立ち上がった。

 シエルがそんなラルムを諭すように言った。


「ラルム。森には寄らないからな」


 ラルムはため息と共に椅子に腰掛け、テツに視線を向ける。テツはその視線に答えるべく口を開いた。


「ああ。寄らない」


「……はぁ」



 ◇◇◇◇



 結局、馬の乗り合わせは出立の時と同じ組み合わせに戻った。馬に乗る前にカンナは心配そうにカシミルドの元へやって来た。


「カンナ? どうかした?」


「カシィ君。ちょっといい?」


 カンナはカシミルドの前髪を上げて、額をカシミルドの額にくっつけた。


「う~ん。顔も少し赤いし……」


 それはカンナの顔が近いからだ。カシミルドは心のなかで叫んだ。


「やっぱり少し熱いよ! 熱あるんじゃないかな? 夜更かしした? お腹出して寝てた?」


「メイ子。風邪は治せないなのの~」


 カンナの鞄からメイ子が顔を出して言った。皆の会話を聞いて、クロゥはカシミルドのフードの中で笑っている。


「どうせカンナちゃんのお顔が近かったから発情してただけだろ~。朝からお熱いねぇ」


「クロゥ! またそうやって……カンナ。僕、大丈夫だから」


「そう? 熱いと思うんだけどな……夕方には熱出すんじゃないかな?」


「そんな子供みたいなことにならないよ。ほら、テツさん待ってるよ」


「うん。具合悪くなったら言ってね!」


 カンナはそれでも心配そうにテツの所へ戻っていった。

シエルは苛立ちながら、馬上からカシミルドを急かす。


「早く乗れよ。でも、昨日みたいに魔法使うの禁止な」


「わかった。……その、落ちないように風の精霊に頼むのは……」


「それも禁止。歯止め効かなくなったら面倒だからな。俺の後ろに乗りたいなら守れよ!」


 シエルはカシミルドを指差して断言した。


「別に僕はレーゼさんとでも……」


 シエルはその言葉に顔をしかめた。

 ルミエルとは絶対に乗りたくない。


「いいから乗れよ! 減らず口ばかり叩きやがって」


「はい」


 カシミルドは渋々馬に乗った。

 でも魔法禁止なんて自分に出来るのだろうか。


 まだ、魔法か普通かの判断が自分で出来る自信はなかった。それにこの辺りは精霊が沢山いる。

 何だか魔法を使わないことが勿体なく感じる。


 第四王区の門をくぐった。この先はもう王都ではない。

 すぐ先に見えている森が精霊の森だろうか。


 横を通り過ぎるだけの森。しかしその存在は圧倒されるほどに巨大で広大でカシミルドの目を惹き付けた。

 

 森から誰かの声が聞こえる。精霊だろうか?

 それとも……。


 カシミルド達はまだ知らなかった。

 この先、何かに導かれるようにして……。


 精霊の森に足を踏み入れることになることを。

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