第三話 甘い紅茶
テツから渡された教団のローブを羽織り、カシミルドはフードで顔を隠した。
これなら黒の一族ということもバレないだろう。
教会の塔の長い階段を下り、城まで続く渡り廊下を延々と歩く。この国の王子、テツ=イリュジオンの背を見ながら。
まだ、緊張で身体が強ばっている。
彼が来てくれたお陰で、カシミルドは部屋から出られた。
しかし、リュミエの部屋を出てからも彼は道を案内するだけで、これといった会話は何もしていない。
彼は何故助けてくれたのだろう。
外は空気もよく、天気の良い昼下がりといった様子だ。
風が吹くと薔薇の香りが舞う。
ユメアが言っていた通りだ。
薔薇にはリラックス効果がありそうだ。
現実世界に帰ってきたというような安心感がある。
やっと少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
そうだ。テツさんにお礼を言わなくては。
「あの。テツさん。ありがとうございます」
テツは歩みを止めることなく、カシミルドの方に顔を少し向けると、軽く微笑んで言った。
「あの後、こちらも色々あってな……。君を探そうと思っていた。ーー君を心配している女の子が、私の部屋で待っているよ」
自分を心配する女の子。
カシミルドには、それがすぐカンナだと分かった。
カンナがテツさんに知らせてくれたんだ。
「テツさん……カンナは……」
「ああ。カンナ君から手紙を貰ってね。……君が教団の者に連れていかれたと。選定の儀のことを責められたか?」
「え……いや、そんな事はなかったような……」
そう言えば、その件には触れられなかったような気がする。
リュミエの目的は何だったんだ?
僕と話したかったとか言っていたし、最後に言っていた言葉は……今は思い出すのはよそう。
「そうなのか……。リュミエ殿は私も苦手でね。何を考えているのか、何を隠しているのか、読めない人なんだよ」
爽やかにそう話すテツを見て、それはそっくりそのままテツに返したい言葉だとカシミルドは思った。
「この先は城だ。私語厳禁で頼むよ。……どうも私には、敵が多くてね」
寂しげに笑うテツ。
会うといつも堂々としていて、相手を見透かす。
そんな彼が弱味を見せるのは初めてだ。
真っ直ぐで優しい瞳の彼の……力になりたいと思った。
城の中は緊迫した雰囲気だった。
何人か教団の制服を着た人とすれ違ったが、皆表情は重く、何かの準備に追われているようだった。
テツの表情も鋭く、誰も近づけないようなオーラを放っている。城の中にいる時はいつもこうなのだろうか。
カシミルドも緊張で顔が強張った。
その後も歩き続け、途中薔薇園を横切り、城の離れの建物に入り階段を登り廊下をひたすら歩くと、大きな扉の前でテツは漸く足を止めた。
今までの道のり、カシミルドなら間違いなく迷子になるだろう。
「ここが私の部屋だ。覚えておくといい」
「はい」
返事はしたものの、覚えられる自信はない。
カンナがいればきっと平気だろう。
テツに続いて、カシミルドも部屋に入室した。
入るとすぐに少女の声がカシミルドを出迎える。
「カシミルド君! 心配したんですよ!」
「ゆっユメア。そっか僕の心配をしてくれていたのはユメアだったんだね」
「ええ! 勿論です」
カシミルドは頼りなさげに微笑んだ。
ユメアはその笑顔を見て気付く。カシミルドは自分ではない誰かが部屋で待っていると思っていたのだと。
それはきっとあの子だろうな……と心に浮かべるも、そんな事は気のせいだと自分に言い聞かせる。
カシミルドの何気ない言葉に、表情の変化に、こんなにも自分の心が揺さぶられるとは……。
ユメアは何も気付いていないような顔をして、カシミルドに笑顔で接した。
「お茶をいれますね。休んでいてください」
「ありがとう。ユメア」
◇◇◇◇
ゆったりとしたソファーに腰かけて、三人でテーブルを囲む。カシミルドの向かいにテツが座り、隣にユメアが座った。
ユメアが入れてくれた紅茶は、ハチミツがたっぷり入っていて美味しい。身体の芯から癒される。
イチゴのパイも美味しそうだ。
テツは、カシミルドの幸せそうな顔を面白そうに見ていた。
「カシミルド君。少しは落ち着いたかい? さっきまで、中々酷い顔だったぞ」
「はい。紅茶が美味しいです」
カシミルドの隣でユメアが嬉しそうに紅茶を飲んだ。
テツもそれを見て紅茶に口をつける。
「それなら良かった。先程言った東方視察団だが。出発は明後日になる。先発隊は明日出発だ。我々は後発隊になる。しかし、合流する予定は無いと思ってくれ。ちなみにメンバーは、自分と、教団の新人と、教官が一名という予定だ」
「……? もしかして、僕もそのメンバーに入っていますか?」
「ああ。君もだ。さっき言っただろう?」
「あ、あれは部屋から出る口実かと……」
「いや。今回の遠征は、魔獣族に対する調査が主になる。魔獣に精通している君がいた方が良いと考え要請したのだが」
テツは当たり前だと言わんばかりにそう答えた。
まさか本気だったとは。
でもこれを断れば僕はどうなるんだろうか。
「もし断れば……僕はリュミエさんの所に戻らなくてはいけないですよね……」
「さあ? それは君の自由だが。先程リュミエ殿に言ったことを考えると……そうなるだろうな」
「ですよね。あの……スピラルは?」
「スピラルは教団で預かるそうだ。蜥蜴の尻尾に追われるかもしれないからな。その方が安全だろう。ただ、教団には貴族の者が多いからな。……リュミエ殿は分かっていると思うが、もし心配なら、視察団のメンバーに推薦するぞ。新人団員でもあるしな」
そういえば、スピラルは貴族の屋敷を一棟燃やした犯人だとか、チラシには書いてあったな……本当なのか分からないが、スピラルに恨みでも持った人間が教団の中にいないとも限らないのか……。
「リュミエさんも、貴族の出身なんですか?」
「彼女は違うよ。王国の近くで孤児院を開いていた女性だ。だから、スピラルのように身寄りの無い者へも分け隔てなく接してくれるだろう」
あの蛇女が孤児院? 意外すぎる。
貴族の高飛車なお嬢様かと思っていた。
カシミルドの考え込む様子を見て、テツは笑いながら言った。
「意外だろう? 民の間に生まれた子供の中に時々魔力の高い者も生まれる。民の中には、その子供の扱いに困って、山へ捨てる者もいたそうなんだ。その子供達を救い、育てていたのがリュミエ殿だ。ある程度魔法のコントロールが出来るようになった子供達を選定の儀に送り出し、王国の精霊使いは彼女の影の支えがあって栄えてきたんだ」
「……何故、影の支えでは無くなったんですか?」
「前任の教団長の死後、二十年程前かな。次の長を決める時に名家の中で揉めたそうでな。孤児院の聖女として名を馳せていた彼女が教団長に選ばれたそうだ。まあ、私も生まれていないから、詳しいことは分からないがな。何だか納得のいかない顔をしているな……」
「あ……はい。聖女とか、子供を助けたとか、想像できなくて。ただ怖いイメージしか無かったので……」
「はははっ。カシミルド君は正直だな。そうだ、今カンナ君もこちらに向かっている」
「えっ! カンナがですか? あの、カンナは視察団には?」
「彼女は部外者だ。この調査は国の機密事項に当たる。ここへ呼んだのは、カシミルド君のことを心配していたから、会わせてあげた方が良いと思ってな。話したいこともあるだろう?」
「カンナは、黒の一族の里で一緒に育った僕の幼馴染なんです。魔法は……よく分からないですが。僕より強くて頼りになるんです!」
「では、カンナ君も黒の一族の者。ということか? カシミルド君が推薦するのならよかろう。馴染みの者がいた方が、旅もより実りのあるものとなろう。ーー夕刻頃には、ラルムとこちらに着くだろう。それまで一緒にお茶でも楽しもう」
「ありがとうございます」
カシミルドはテツに礼を言うと紅茶を飲み干し、イチゴパイに手を伸ばした。
口の中にイチゴの甘酸っぱさが広がり、気持ちが和む。
ユメアと目が合うと、ニッコリ微笑んでくれた。
ユメアはカシミルドの笑顔に癒されつつ、静かに紅茶をすする。そして、自分もどうにかして視察団に入れないかと思案していた。
あの幼馴染のカンナは視察団に参加するようだし……ズルいな。
里で一緒に育った? いいなぁ。
あの子と私の立場が逆だったら良かったのに。
こうやって、毎日彼の隣で過ごせたらいいのに。
憂いを帯びたユメアの瞳がテツの目に止まる。
しかしそれとは気付かぬふりをして、テツは甘い紅茶を嗜んだ。




