第二十六話 それぞれの思惑
ビスキュイの自室にて、カンナは朝陽と共に目が覚めた。
目の上に湿ったタオルが乗っている。
カシィ君だろうか。
カンナは床に敷いた布団で眠るカシミルドを見て、昨夜の事を思い返す。
そう、昨日は派手に泣いてしまった。
恥ずかしくてタオルでゴシゴシと顔を拭いた。
しかし心はとても軽くなっていた。
カシミルドが隣にいてくれるのなら、何が起ころうと自分でいられる気がした。
それに自分も天使の祝福を受けているようだ。
それがとても嬉しく誇らしい。
あの選定の儀では驚きと恐怖でそれ以外の事は何も考えられなかったけれど、今思えばカシミルドの炎と自分の炎がうねり重なり混じり合い沸き上がったあの現象が、カンナがカシミルドと共にいて良いのだと物語っているように感じられた。
何も出来ないと思っていた自分でも、カシミルドの支えになれるかもという可能性が生まれた。
いや、彼を支えてみせるという自信が沸いてきた。
カンナの手にフワフワのワンコフが触れる。
――メイ子ちゃんは大丈夫だろうか。
明後日までに何とか情報を集めなくては。
カシミルドも目を覚まし体を起こすと、カンナと目が合った。
「んっ? あ、カンナ、おはよう。あれ? メイ子は?」
カシミルドが寝ぼけてメイ子の名前を呼ぶと、椅子の上に丸くなって座るメイ子の姿があった。
カンナは驚いてベッドから飛び降りメイ子に駆け寄る。
「メイ子ちゃん。大丈夫?」
「メイ子は大丈夫なのの。何でなのの? 姉たま。今幸せそうなのの。……もうすぐ、売り飛ばされるなのに……」
メイ子はしょんぼりと肩を落とした。
「メイ子。一緒にお姉さんを取り戻そうね。きっと上手く行くよ。急に喚んでごめん。魔獣界で休む?」
「戻りたくないなのの。ここで、姉たまの気配を感じていたいなのの。ちょっとだけ、放っといて欲しいなの」
メイ子は一度も顔を上げること無く俯いたままだ。
力のこもらない声で話し、小さな肩を震わせて静かに泣いた。
カシミルドとカンナはメイ子をシレーヌに任せ、雑貨屋へ訪ねることにした。
何か情報が掴めればよいのだが。
それに、昨日のお礼もパトにしなければ。
◇◇◇◇
朝の食堂を手伝った後、ビスキュイのサンドイッチをお土産に二人はパトの雑貨屋を目指した。
「カンナ。僕、昨日第二王区でパトさんに助けて貰ったんだけど……その。パトさんって何者?」
「何者って。あはは。パトさんはさ、叔父さんと叔母さんと知り合いだったの。私が王都に残ることにした時にビスキュイを紹介してくれたのも、パトさん。雑貨屋さんで、情報屋さん。私にとっては頼りになるお姉さんって感じかな?――あれ? 結局何者なのかな……」
「はははっ。でも、カンナがパトさんを信頼しているって事は良く分かったよ」
「うん!」
二区の大男達がパトを怖がっていた姿を思い出すと、掴み所の無い謎の女性ではあるが、カンナが信頼している人なら安心だ。そうこう話している内に雑貨屋に着いた。
「こんにちは。パトさん起きてますかぁ?」
カンナが店の奥に向けて声をかけた。
眠そうなパトがカウンターの向こうから手を振っている。
「あら。おはよう。今日は情報のお買い物かしら? ふわぁぁぁ。ごめんね。私夜行性なの」
「パトさん。起こしちゃってごめんなさい。――昨日はありがとう」
「ありがとうございました」
カシミルドも一緒に頭を下げた。
「パトさんのお蔭でカシィ君もちゃんと帰ってきました……それと、御察しの通り、今日は知りたいことがあってきたの……」
カンナはカウンターの上にチラシを置いた。
パトはチラシに目をやり少し驚くと心配そうにカンナを見た。
「どうしたの? こんな厄介な物をもってくるなんて……」
「やった! パトさん知ってるんだね。お願い教えて!」
カンナはビスキュイのサンドイッチをここぞとばかりにパトに差し出した。
パトもビスキュイのサンドイッチは大好物だ。
仕方なさそうにチラシについて話してくれた。
「うーん。これはね。貴重な物や生き物を売り買いする……いわゆる闇市よ。警備はボチボチだけど、一般の人間には無縁の場所、第一王区の地下に隠された競売場で行われるの。招待状を持った人しか入れないわ。他に知りたいことは?」
カシミルドとカンナは小声で何やら相談する。
そしてカンナが尋ねる。
「えっと。私達でも買うことは出来るかな?」
「っぷ。あはははっ。まず、入れないでしょ? それに落札額はすっごく高いと思うわよ。特に目玉商品は私でも買えないぐらい高いのよ。どんなに手を伸ばしても、まだ届かない」
パトはカンナの質問に声を出して笑った。
しかしパトも欲しいものでもあったのだろうか。
パト自身の経験を踏まえた言葉のようにカシミルドには聞こえた。
カンナはチラシに視線を落として呟く。
「ですよね……」
「浮かない顔ね。絶対に欲しいものでもあるのかしら? 私に手伝えることなら何でも言ってね。お代は頂くけど。今日はこのサンドイッチで充分よ」
そう言うとパトはサンドイッチが入った紙袋を持ってにっこりと微笑んだ。
「パトさん。ありがとうございます。また来ますね」
カンナとカシミルドはパトにお辞儀すると雑貨屋を後にした。
外ではクロゥが待っていた。
「パトって、昨日のエロい格好した姉ちゃんだったんだな。昼間は雑貨屋で、裏の顔は情報屋か。上手く化けるもんだな」
クロゥの歯に衣着せぬ物言いに、カシミルドは目を細めた。
「ちょっと。クロゥ! パトさんをそんな目で見ないでよ。もう信じられない」
「へいへい。失礼致しましたー」
クロゥはカシミルドの肩に止まると、カンナに聞こえないように呟く。
「男なんてそんなもんだよな?」
カシミルドは同意を求められたが、カンナの視線を感じクロゥの言葉に答えなかった。
選定の儀から一夜明けて、教会は普段通りの落ち着いた雰囲気を取り戻していた。
リュミエは教会の白い塔の上で水晶に手をかざし、ぶつぶつと呟いている。
リュミエは背後にレーゼの気配を感じると振り向きもせずに問う。
「報告は?」
「はい。取り逃がしました」
テーブルの上のカップが音をたてて割れた。
「知ってるわ。ねぇ。あの時の炎柱。紫の炎も混ざっていたわよね?……出生記録は調べた?」
「はい……ですが記録には、リュミエ様が仰っていたような事は……」
今度はティーポットが粉々に砕け散った。
「おかしいわね。でも、まぁいいわ。ふふふっ」
リュミエは水晶に手をかざし妖しく微笑む。
「国全体に結界を張ったの。この国から出ようとすればすぐに分かるわ。もう井の中の蛙よ」
「……リュミエ様、井の中の蛙ではなく、籠の鳥の方が宜しいかと」
「そうね。蛙より鳥の方が合ってるわ」
「あ……はい。左様でございます」
「うふふ。ふふっ。おーほっほっほ」
リュミエの高笑いが空に響く。
それは澄みきった青い空へと吸い込まれていった。
◇◇◇◇
王国直属聖魔術育成管理教団、入団初日。
シエルとラルムはリュミエの補佐官であるレーゼによって教会内を案内されていた。
二人は中庭で昼休憩を言い渡され堅苦しいレーゼからやっと解放された。
シエルが青い空を見上げながら気持ち良さそうに体を伸ばす。
しかし急に驚き身震いした。
「うわっ」
「どうしたの? ビックリするじゃない」
「いや、なんか今、女の高笑いが聞こえたような気がして……」
「何それ? 気持ち悪いなあ。聞こえなかったわよ」
「そうか? 気のせいか。ラルム。お前昨日の事、まだ考えてるだろ?」
「えっ? 別に……」
シエルに話してもどうせからかわれるだけだと思い、ラルムは口を紡ぐ。
シエルはその表情を見て確信した。
「やっぱりな。朝からずっと上の空なんだよ。レーゼさん、ずっと超怖い顔してたぞ。気づいてないだろ」
「えっ。気づかなかった……。午後はちゃんと集中するから。ありがとう。シエル」
そう言ったもののラルムはやはり上の空だ。
昼休憩だと言うのに何か食べる訳でもなく、中庭をぐるぐると散歩するだけ。
たまに立ち止まり空を見上げ。そしてまた歩く。
シエルはそんなラルムを見て苛々が募り、ラルムの前に立ち行く手を阻んだ。
「きゃっ。シエルっ」
案の定ラルムはそのままシエルにぶつかり立ち止まった。シエルは油断したラルムから教団の制服の一つである帽子を奪って言った。
「今何考えてる? 正直に答えろよ。じゃないと帽子は返さん」
「もう。子供じゃないんだから、よしてよ。――はぁ。私、昨日の少年を探しにいこうかと考えていたの」
ラルムは諦めて答えた。
そして呆れてものも言えない様子のシエルにさらに追い討ちをかける。
「明日、三区まで下りようと思ってるの。探すなら早い方がいいだろうし……」
「はぁ? あれはデモンストレーションだろ?……仮にだけどそいつが昨日の原因だったとしても、だとしたらリュミエ様達がもう見つけてるだろ。行ったって無意味だろっ。大体いつまであんな奴に……」
シエルは今にも泣き出しそうなラルムの顔を見て言葉を詰まらせた。
カッとなるといつもこうなのだ。
シエルは言い過ぎたと思い、ラルムの頭に雑に帽子を被せると笑って誤魔化すように言った。
「明日だって、教団の職務があるんだぞ。入団二日目からサボる気かよ。フォンテーヌ家の恥になっちまうぞ。ははは」
「そうだね……あはは」
ラルムも一緒になって笑ったが、秘かに心に誓う。
絶対にあの少年を探し出してシエルに参りましたと言わせてやる……と。
そして自分はあの少年を隅から隅まで調べ尽くしてやるのだと。




