第二十五話 カンナの悩み
人身売買と聞き、カンナは昔のことを思い出していた。
カシミルドを誘拐した男達もその類いの者達だろう。
思い出すだけで胸が締め付けられ心拍数が上がる。
「カンナ…顔色悪いよ……」
「あ……うん。大丈夫だよ」
カシミルドはチラシに視線を落とし、溜め息をついた。
「人身売買……この国の地下でそんな事が行われているなんて……僕が誘拐されそうになった時も……理由は一緒だよね。姉さんが言ってたから」
「そっか……カシィ君は覚えてないんだよね」
「――カンナは知ってるの? 誘拐のこと」
カンナは両手で顔を覆い俯いた。
ミラルドの言葉が頭のなかに響く。
――何てことしたのよ。この事は誰にも言っては駄目よ。里からも出ていきなさい。二度と戻ってこないで――
「私は……わからない」
カンナはカシミルドと目を合わせず俯いて言った。
カンナは嘘を吐く時の癖だ。
言った後、後ろめたそうに口を真一文字にする。
カシミルドは知っていた。
昔からそれは変わっていないようだ。
その時窓辺にクロゥが飛んできた。
静かだった部屋が急に騒がしくなる。
「おっカシミルド。無事で何よりだぜ。どうだったか? 可愛い女の子とのお茶会は? ケケケッ」
カンナが訝しげにカシミルドの目を見つめる。
カシミルドはユメアを思い出すと、左頬に手を当てた。
「ん? どした? 振られてひっぱたかれたか? それともチューでもされたか?」
カシミルドはクロゥの言葉にあからさまに反応した。
顔を赤くして言い返す。
「か、勝手なことばっかり言って。クロゥはいつもいつも……」
左手で頬をゴシゴシ擦りながら、目が泳いでいる。
それにクロゥの言葉を否定はしなかった。
カシミルドは昔から嘘が吐けない性分なのだ。
カンナはボソッと呟く。
「へぇー。されたんだ。左の頬っぺに……」
カシミルドは恥ずかしそうに困り顔でカンナの方を見た。カンナは満面の笑みで尋ねる。
「どんな女の子?」
「えっ? どんなって……何処と無くカンナに似てたんだ。笑ったところとか……そうだ」
カシミルドは何か思い出した様子で、鞄をゴソゴソと漁り始めた。
鞄から、美味しそうなピーチパイと薔薇ジュースをテーブルに出した。
「これ。その子の手作りなんだ。ピーチパイと薔薇のジュース。クロゥも好きでしょ」
「おう! 甘そうだな……大好物だぜ」
早速三人で頂くことにした。
ピーチパイは甘くて酸味もあってとても美味しかった。
思わぬライバルの出現にカンナは不満そうにピーチパイを頬張る。
そしてその美味しさに落胆した。
クロゥもカシミルドも黙々とピーチパイを食べている。
クロゥも甘いもの好きだとは意外だなとカンナは思った。
ピーチパイを一気に食べ終えると、クロゥは思い出したかのように二人に尋ねた。
「そうだ。お前ら、選定の儀で何しでかしたんだ?」
カシミルドとカンナはお互いに顔を見合わせた。
カシミルドは選定の儀で起きたことをクロゥに話した。
二本の炎柱がグラスから暴れ出た出来事を。
クロゥは窓辺で羽の手入れをしながらそれを聞いた。
テキパキと素早く羽をつつく姿を見ると、やはり鳥が本来の姿に見えるのだが、実際どちらなのだろうか。
「やっちまって、知らんぷりして掴まれてビビってあーなった訳だな。いやしかし炎柱が二本? カシミルドのグラスから黒い炎が……。それと混ざりあって巻き上がった紫の炎は……。誰のグラスからだったんだ?」
「私……だけど」
カンナが恐る恐る右手を少し挙げた。
クロゥは首を伸ばし驚く。
「お。そうか。やっぱりカンナちゃんか。――なぁ。グラスに反応が起こるってことは……カンナちゃんも何らかの魔法の力に目覚めてるってことだよな?」
「そう言われてみれば……そうだね。カンナはどんな魔法が使えるんだろう? ね?」
カシミルドが興味深そうにカンナの顔を見ると、カンナは目を丸くして驚いて固まっていた。
「私も……魔法が使えるの?……おじさんとおばさんみたいな魔法。何も使えなかったのに……。でも、私にも天使の祝福があったなんて……嬉しい」
カンナはそう言うとポロポロと大粒の涙が溢れた。
カシミルドはずっと疑問に思っていたことをカンナに尋ねた。
「カンナ……何で叔母さん達のこと、お母さんって呼ばないの? 昔は呼んでいたのに……」
「私ね……二人の本当の子供じゃないみたいなの。……でもちょっと考えたら、わかっても良かったよね。私だけ髪も目の色も違うし、魔法だって、何度やっても全然で……」
カンナは椅子の上で膝を抱え込み、顔を膝の間に埋めて涙を溢した。
「それは叔母さん達がそう言ったの? そんな事……」
「二人が話してるの……聞いちゃったの。五年前、叔母さんに子供が出来た時。願っていた我が子がついに授かったって二人が喜んでたの……出産なんて初めてだからって言ってたの……。ああ、私お母さんの子じゃ無かったんだってその時気付いた。じゃあ私は誰の子? って思ったけど、それよりも二人の子じゃ無いことが悲しくて苦しくて……お腹の中の赤ちゃんが凄く羨ましかった。二人が子育てのために郊外に移る話が出たとき、私だけここに残ることにしたの。二人は反対したけど、最後には認めてくれた。私は二人から離れることで二人の本当の子供じゃないか確かめずに済んだの。二人の子供が産まれて、やっぱり私は他人だって思い知るんじゃないかって怖かったから。私は必要のない存在だって……だから私は逃げたの……」
今日は泣いてばかりだ。
カンナは涙でカシミルドがぼやけて見えた。
こんな逃げてばかりの自分をカシミルドはどう思うだろう。
八年前だって私だけ逃げて、一番の大切だった少年を傷つけて、家族も一緒に里から追い出された。
その家族だと思っていた両親とは、いつも壁があった。
両親は何も思っていなかったようだったが、二人と同じ魔法が何一つ使えない自分が大嫌いだった。
そして自分の弱さから目を背けたくて、私は両親からも逃げたんだ。
カシミルドは震えるカンナを抱きしめ、背中を優しく擦った。
「カンナ。今まで一人にしてごめんね。一人でよく頑張ったね。――カンナは誰の子でも、どこで生きようと、ずっと僕の幼馴染みのカンナだよ。メイ子のお姉さんのことが解決したら、一緒に叔母さん達のところを訪ねよう。何が真実であっても、僕が幼馴染みだって事は変わらない。カンナが叔父さんと叔母さんと過ごした時間も変わらない。そう思えるように、隣でずっと見てるから。カンナの傍に僕がいるから……」
カンナはカシミルドの胸の中で声を上げて泣いた。
今までずっと誰にも言えずに塵積もってきた感情が涙となって一気に溢れ出ていった。
クロゥも羽で涙を拭う。
口の悪い奴ほど、正直で涙もろいものなのだ。
「いいなぁ。家族とか俺も欲しい。カシミルドォ。カンナちゃんの次は俺の事、助けてくれよ」
半分以上本気で言ったのだが、クロゥの言葉に誰も答えてはくれなかった。
◇◇◇◇
カンナはそのまま泣きつかれて眠ってしまった。
カンナをベッドに運び、カシミルドは冷たいタオルを絞りカンナの赤くなった両目の上に乗せた。
「クロゥは知ってたの? カンナの事……。なんか疑っていたよね」
「いや……ただ、黒の一族かどうかは見ればわかるからな。一族の女ではないって思っただけだよ」
クロゥはすやすやと眠るカンナを見る。
選定の儀で紫色の炎柱を出したカンナ。
黒の一族で育てられたが、一族の者ではない少女を。
「そっか。カンナの気持ちが聞けて良かったよ。――今日は色々なことがありすぎて、何から考えるべきか……頭の中がパンクしそうだよ。……そういえば、あの時どうして逃げられたんだろう。リュミエ=ブランシュ……。思い出すだけで背中がゾクゾクするよ。あの時の魔法は、クロゥじゃないって言ってたよね? じゃあ……誰が助けてくれたんだろう」
「今までは無かったか? 時間が止まるような事。まあ、止められた方は大体気づかねぇか」
「――あっあった! カンナが木から落ちてきたとき。時間が止まっているみたいだった。――あの時、カンナの瞳は魔法を使う時みたいに光ってた。深く紅い、綺麗な色だった」
カシミルドは、はっとしてクロゥを見た。
クロゥは静かに頷いた。
「あの魔法は、カンナちゃんだと思う。時の精霊の力を借りて、お前みたいに無意識のうちに魔法を使ってるんだろう。ただ、時魔法は自分の時間をその代償とする。時を進めると進めた分だけ時間を得て、時を巻き戻せば、巻き戻した分だけ、自分の時間を渡すんだ。時間を止めるとその代償は……どうなるんだろうな。俺の専門外だしよくわからん」
「カンナだったんだ。でも、時の精霊なんて聞いたことないよ。火、水、地、風、光、慈愛、命。この七つで七大精霊。それ以外にも存在するってこと?」
「いや……そうじゃなくて……まぁ俺も詳しくはわからねぇから。カンナちゃんが自分で気付くまでは黙っといた方がいいかもな。代償も気になるし。――そうだ。あのルミエルとか言う奴には絶対近づくなよ。もう目ぇつけられてるかも知れねぇけど」
「やっぱりクロゥの知り合い? それと、リュミエだと思うよ。あの人の名前」
「あ? リュミ……めんどくせぇ名前だな。あんな奴、知り合いなんかじゃねぇよ――おっ! このチラシは……なるほどな」
クロゥはリュミエを心底嫌っている様子だ。
チラシに目をやり、話題を移す。
そして、一目見てチラシの内容を察したようだ。
「あと三日しか無いんだ。明日、情報屋のパトさんって人に話を聞いてくるよ」
「パト? どんなやつだろ。明日俺もこっそり付いてくぜ」
「好きにしな。僕はもう寝るよ」
「ん。そうしろ。明日もきっと忙しい」
ランタンの灯りがフッと消え、星明かりが部屋を照らす。クロゥはカンナを見て嬉しそうに呟いた。
「きっと運命だよな。カンナちゃんがそうなんだろ? ルミエルなんかに邪魔させねぇからな。ケケケッ」
◇◇◇◇
その頃アン=フェルコルヌとスピラルは同じ牢に入れられていた。
新しく数名の子供が連れてこられスピラルが入れられていた牢には普通の子供が入れられ、化け物は化け物同士同じ牢に入れられたのだ。
子供達が連れてこられてからは、最低でも一人は部屋に見張りがつくようになり、部屋は小さな灯りが四六時中灯るようになった。
アンと二人だけの時は会話も自由に出来たのに、見張りが来てからは会話は厳禁になった。
スピラルはその事がかなり不満ではあったが、アンと体を寄せ合って過ごす時間に安らぎを覚えていた。
アンの体は柔らかくて温かい。
人では無いことは見て直ぐに分かったが、角が這えていること以外人間と何ら変わらなかった。
むしろスピラルが今まで出会ってきた人間と比べると、アンの方が人間味があり温かくスピラルと接してくれた。
スピラルは亡くなった母親とその姿を重ねて見た。
アンが深く息を吐いた。今日はいつもより溜め息が多い。
スピラルは心配して小声で尋ねた。
「アン? 大丈夫?」
「大丈夫よ。少しお腹が痛くて……でも。まだ平気。心配してくれてありがとう」
会話をしても見張りは何も言わなかった。
多分寝ているのだろう。
子供達が連れてこられてから昼夜が分かるようになった。
「なあ。俺達、これからどうなるのかな?」
「きっと。誰かに売られるんだと思うわ。いい人に買われればいいんだけど……スピラル。怖い?」
スピラルの小さな震えにアンは気付き、スピラルの肩を抱き寄せ腕を擦る。
スピラルはアンに身を委ね、心を落ち着かせて答えた。
「大丈夫。俺は、また全て焼き尽くせばいいと思ってる」
「そんな……。誰かの死の先に自由なんて無いと思うの。ずっとその事に縛られることになるわ。スピラルにそんなしがらみを、これ以上持って欲しくないわ」
「……。アンは? アンは怖くない?」
「私? 私も怖いよ。でも私はこの子が生きてくれさえすれば、自分はどうなっても構わないわ。今まで生まれた子達は生まれて直ぐに角を切られて、この世界を見ることも無く、その短い一生を終えてしまったの。次の買い主はそうしない人だといいな」
アンはそう言うと、大きく膨らんだ自分のお腹を撫でた。
スピラルも一緒にアンのお腹を擦る。
スピラルの手に何かがポコポコと当たる。
「へっ。何か動いたっ」
「ふふふ。今お腹を蹴ったわ。やんちゃな子が産まれそうね」
スピラルがもう一度お腹を撫でると、その手をまた蹴り返してきた。
本当に元気な子が産まれそうだ。
「この子は、俺が守るよ」
「あら。頼もしい。頼りにしてるね。スピラル……うっ」
アンが苦しそうにお腹を抱えて踞った。
「どうしたの? アンっ苦しいの?」
「そろそろみたい……んっ」
「えっちょっと待って」
スピラルは牢の柵をガチャガチャと揺らし、見張りの男に向かって叫んだ。
「おいっ! そこの見張り! 起きろって。なぁおいってばっ」
「うるせぇなクソガキっ」
「なあ、アンが苦しがってるんだよ! 産婆さん呼んでよ。赤ちゃんが産まれるって……」
「はぁ? 犬が子供産むときにそんなの呼ぶか? 放っておけばいいんだよ。んな事で起こすんじゃねぇよ」
「お前っ」
スピラルの眼光が怒りと共に光を帯びる。それをアンが制止する。
「止めてっ。一人で大丈夫だからっ」
「そんな訳無いだろ」
アンが苦しそうにスピラルに手を伸ばした。スピラルはアンの手を強く握り締めた。
するとアンはにっこりと微笑んだ。
その日の明け方、アンの二十九人目の子供が産まれた。
暗く冷たい牢屋の中で。




