第四十八話 カシミルドの決意
崖上からクロゥは慌てて下を覗き込んだ。
そして慌てすぎて崖から落ちかけた。
「うおっとと。おー。無事だな……カシミルド……自分で出来たんだな……」
クロゥと共に隣でレーゼラもホッと胸を撫で下ろした。
テツもクロゥの隣に立ち、崖下を覗き込む。そしてカシミルドを見て腕を組み、何処か納得のいかない表情で首をかしげた。
「クロゥ君? カシミルド君は、羽を象り自分で空を飛べるのか?」
「あっ…………とー? 何つーかそのー……」
クロゥは返答に困り瞳を泳がせた。やはりテツは苦手だ。
さらっと一番突っ込まれたくない所をついてくる。
クロゥがテツの問いに本気で答える気が無いことを悟ると、テツは寂しげに、呟くように言った。
「天使の祝福を受けた者でも……空は飛べない。そう言っていたのだがな……」
「は? それって誰が……」
「レーゼラ。何がありましたの?」
その時、三人の後ろから声がした。
ネグリジェ姿のルミエルだ。
「ケッ。うるさいやつが来たぜ……」
クロゥはルミエルの登場にあからさまに嫌な顔をした。
どうせルミエルなら、何だかんだはしゃいで騒ぐに決まっている。しかしルミエルの反応は思っていたのと違った。
「へぇー……あ…………れは……」
ルミエルはそう呟き、黒い翼を広げ皆の頭上よりも高く飛翔したカシミルドを見て、両の眼を見開き、呆然とそれを眺めていた。そして瞳に涙を浮かべ、それが今にも溢れそうだった。
カシミルドはクロゥに気付くと、ゆっくりと地面に降り立った。その顔は険しく、不安に満ちている。
「クロゥ! カンナが……怪我しててっ……」
「なっ……見せてみろっ」
カンナはぐったりし、顔色が悪い。
地面に寝かせると、テツがカンナの傷の具合を確認した。
そして、その横に、カンナが抱えていた少年も寝かされた。
カシミルドは気が気じゃない様子でそれを見守り、急に顔を上げると「メイ子」と叫んだ。
「どうしたなのの? かっカンナ?」
メイ子も驚きカンナを診る。
しかし隣の少年を見ると小さく悲鳴を上げた。
「むぅ!? こっちの方が酷いなのの!!」
「そうだな。カンナ君は大丈夫だ。傷は……深いが、メイ子君ならすぐ治せる。先にルナールの少年を診てやってくれ」
テツが冷静に判断してメイ子に指示を出した。
メイ子もそれに従い直ぐに回復魔法をかける。
「取り敢えず、出血が続いている傷だけ塞いで、後はテントに運んでからにしよう。メイ子君、次はカンナ君をお願いできるか? この少年は私が運ぼう……」
「はいなのの!」
メイ子が手をかざすとカンナの傷はみるみる癒えていった。
頬に紅みがさし、呼吸も落ち着いた。
クロゥはカシミルドの肩に手を置き呟く。
「カンナちゃんは俺が運ぶから、カシミルド、翼、消しとけよ……」
「あ……うん……」
カシミルドは少年を抱き上げたテツと目が合った。
「話は後で、今は治療だ」
「はい…………うわぁっ」
カシミルドは背中にドンッと衝撃を受けて、前に倒れかけた。背中から白く細い腕が伸び、カシミルドを抱きしめる。
後ろから掠れた少女の声がした。
「……ル様……」
「るっルミエル!? どうしたの、急に……」
カシミルドは背中から伝わるルミエルの震えに気付くと言葉をつぐんだ。
「ルミエル……泣いてるの?」
「…………」
ルミエルは何も言わなかった。おでこを背中に擦り付け、首を横に振った様な感覚を背中に感じた。
「ごめん。早くテントに戻らないと……」
カシミルドは胸に回されたルミエルの手を外し、クロゥを追って駆けていった。黒い翼は光の粒子となり、風に流れて消えていく。
いつの間にか、レーゼラもテントの方へ歩きだしている。
ルミエルは、一人その場に残された。
「良かった……今度は……戻ってきてくれて……」
ルミエルはしゃがみこみ、涙を拭って空を仰いだ。真っ暗だった空は所々雲が切れ、ルミエルを慰めるように星が瞬いた。
◇◇◇◇
スピラルが眠るテントにて、メイ子はカンナと少年に回復魔法をかけている。
レーゼラとクロゥは外の獣を片付けに行った。
カシミルドは、心配そうにカンナの手を握り、その隣にテツが腰かけていた。
メイ子が大きく息を吐いた。その顔には疲労の色が窺える。
「むぅー。カンナはもう大丈夫なのの! こっちの男の子は……腕が折れてて、傷だらけで、もう少し時間がかかるなの」
「ありがとう。メイ子。その男の子は……?」
「彼はルナールの少年だな。理由は分からないが、野犬に追われていた。怪我のせいで、狙われたのかもしれないな……」
「ルナール。里から……逃げてきたのですかね……もしかして、誰かに襲われたんじゃ……」
カシミルドは瞳を曇らせ、不安そうにカンナの手を握る。
「どう……だろうか。少年が目覚めたら聞いてみよう」
「はい……」
「すまないな……カンナ君に怪我をさせて……」
「……」
カシミルドは何も言わなかった。
メイ子はカシミルドの顔色を伺うように横目で見た。
とても苦しそうで、険しいカシミルドの横顔。
いつもだったら「大丈夫です」「そんなことないです」なんて笑って言いそうなのに。
メイ子はカシミルドと心の深い部分で繋がっている。
そっと目を閉じカシミルドの心に協調させる。
カシミルドから伝わる感情は。
微かな安堵と、苛立ちと、後悔。
「カシィたま……自分を責めてるなのの? カンナは無事だったなのの……だから……」
「でも……もしも、僕が来るのが遅かったら? 誰も、カンナが落ちても気づかなかったら……?」
声を絞り出すような、掠れた声でカシミルドは問う。
「むぅ……なんかカシィたまらしくないなのの」
メイ子はテツに助けを求めるように目を向けた。
テツも自分の責任と思っているのだろう、浮かない顔をしている。
駄目だ。この人達。メイ子はそう思った。
「か、カンナなら、自分の身ぐらい自分で守れるなのの……そんなにウジウジしてても意味無いなのの!」
「自分の身……?」
カシミルドは落下中の出来事を思い出した。
時縛り。
カンナ自身も知らない、クロゥもよく分からないと言っていた魔法。あの時、カンナは魔法を使っていた。
確かにあの力があれば、カンナは自分を守れるかもしれない。でも、代償が伴うかもしれないって……クロゥは言ってたんだ。
時魔法は自分の時間を使うらしい。
時縛りもカンナの時間を使うとしたら、カンナの命は短くなってしまうのかもしれない。
カンナだったら、自分の力を知ったら、誰のためでも魔法を迷わず使うだろう。
伝えるべきか、このまま隠しておくべきか。
その時、カシミルドの頭の中にシレーヌの声が聞こえた。
「シレーヌ?」
カシミルドがその名を呼ぶと、シレーヌは水泡と共に現れた。カシミルドの瞳を数秒見つめると、深々と頭を下げた。
「すみません。私がお守りすると約束しましたのにっ」
「えっ? シレーヌ。君のせいじゃないよ。シレーヌは僕を守るって約束してくれただけでしょ」
「ですが……」
「ごめん。もう大丈夫だから。メイ子の言う通り。カンナは自分の身は自分で守れる……多分そうなんだ……でも。もう絶対に怪我なんてさせない……」
カンナが寝込む姿をカシミルドは初めて見た。
大切な人が苦しむ姿を見ることが、こんなに辛いなんて知らなかった。カンナをもし、失ってしまったらと思ったら、何も考えられない。
誰かの命の為でも……自分の命だけは、差し出さないで欲しい。そんな事になったら……また一緒に……。
また、一緒に?
カシミルドは、自分で紡いだ言葉の、その続きがが分からず、首を捻る。
でも、カンナと……ずっとそばに居たい。
カンナが傷つく姿はもう見たくない。
カンナが無茶しないように、僕がそばで守るんだ。
カシミルドはそう胸に決意し、眠るカンナの頬を撫でた。