第四十七話 飛翔
「数えるよ……三・二・一、走ってっ」
カンナはそう言うと、右へ跳んだ。しかし足がもつれその場に崩れた。右足が熱く感覚が鈍い。獣に噛まれた箇所が腫れ上がり、上手く立てなかった。
「いったぁ……」
しかし大丈夫。
カンナは腰に差したパトの短刀に手を触れた。
これがあれば獣になんか負けない。
怪我ならすぐメイ子ちゃんが治してくれる。きっとあの少年がすぐにテツさんを呼んできてくれるだろう。
ちょっと痛いのぐらい、我慢!
飛びかかってきた三匹の獣を睨み、カンナは短刀を抜きかけた……その時少年の叫び声がした。
「何だよっ。自分から言っておいてっ」
カンナは驚いて左を見る。すると飛びかかってきた獣に向かって少年が体当たりをする姿が視界に飛び込んできた。
カンナを庇うように。
そして、少年は爪を倍以上に大きく鋭くさせ、獣の首を掻き切った。しかし少年は空中でバランスを崩し、生き残った獣と一緒に地面に叩きつけられる。
カンナは受け止めようとしたが、肩の痛みで手を伸ばすことが出来なかった。足を引きずり、少年の元まで這い進み、彼を抱き起こそうとした、その瞬間。
少年の体は空高く打ち上げられた。
「かはっ……」
少年は口から吐血し崖のその先へと弾き飛ばされた。
「……っ!」
カンナは少年の名を呼ぼうとしたが、名前は知らない、ただ何の言葉にもならず、息だけが漏れた。
崖の先端まで足を引きずって急いだが、伸ばした手は少年の体の何処を掠めることすら出来ずに空を握った。
少年は顔を歪め空を仰ぐ。
少年の伸ばした手も風を切るだけだった。
カンナは目に涙を浮かべ視界が歪む。
その歪みの中にある映像が一瞬だけ甦った。
それはほんの一瞬で何が見えたのか理解する間もなく消えていく。ただ心をキュッと締め付けられ、頬を涙が伝う。
少年もカンナに手を伸ばしていたのに。
カンナに助けを求めるようにして。
何故届かなかったのだろう。
あの時と違い。私は動けるのに。
また、ただ見ているだけなのだろうか。
でもーー
「まだ。間に合う……」
カンナは勢いをつけて崖から飛び降りた。
少年目掛けて真っ逆さまに。
あの時がどの時なのか、自分でも分からなかった。
でも、少年の手を握れたら、私の中の底知れぬ罪悪感が、少しだけ私を許してくれる気がした。
少年と目があった。
少年に追いつき抱き寄せると、彼は酷く驚いた顔をした。
「なっ何でいるんだよっ」
そう聞かれてカンナは戸惑った。
「わ、わかんない……」
「飛べるのか?」
「飛べないっ」
そうだ。掴むだけじゃ駄目なんだ。
カンナは自分が飛べないことに気がついた。
それに魔法も使えない。
そうだロープ……。ロープはさっき使ってしまった。
じゃあ、どうすればいい?
こんな時カシィ君なら……カシィ君なら空を飛べる。
黒く大きな翼で……カシィ君なら、きっと助けてくれる。
少年を抱きしめる手に力がこもる。
怖い。このままもし、カシィ君が来なかったら……。
すると少年が叫んだ。上空に向かって。
「上! 何か落ちてくる! でも、追い付く前に……落ちるよな……」
カンナは落下の勢いで振り返れなかった。
でも分かるカシィ君だ。
カンナは祈った。
「どうかカシィ君が来てくれるまで……」
◇◇◇◇
カシミルドは息を切らせ、やっとカンナの所に辿り着いた。カンナは崖下を見下ろし、その後ろから一匹の獣が襲いかかろうとしている時だった。
「燃えよ!」
カシミルドは獣の頭と手足に炎を灯し、獣は驚いてのたうち回り崖を転がり落ちていった。カシミルドはホッと一息つき、カンナ名を呼ぼうとした……その時。
カンナは崖から飛び降りた。
カシミルドは一瞬何が起きたのか理解できなかった。
他にも野犬がいた? それとも滑った?
いや、カンナは勢いをつけて崖に飛び込んでいった様に見えた。何か魔法を……と思うが何も浮かばない。
もう少し早く追い付いていたら……そんな事を思いながら、カシミルドは迷うことなく崖の先端まで走り、そのままの勢いで飛び降りた。でもーー。
高いし、怖い。
心臓が風に押されて飛び出してしまうのではないかと思うぐらい、全身を煽られ、鳥肌が立つ。
身体中がこれは危険だと警鐘を鳴らしている。
しかし、自分より十数メートル先をカンナが落下していく姿が見えた。
カンナを受け止めなくちゃ。
大丈夫。自分は飛べる。飛べる。
そう自分に言い聞かせるが、カンナとの距離が縮まらない。
カンナに追い付かなくては。
そう思い、カシミルドは呪文を唱える。
「風の精霊よーー」
自身の周りに風の精霊を感じた時ーーカンナが白い光に包まれた。そして……カンナは空中で止まった。
カシミルドが驚いたのも束の間、白い光に包まれたカンナはすぐに目の前に迫って来た。風の精霊の力を借り、カシミルドはカンナの隣に体を浮かせた。
カンナは見知らぬ子供を抱きしめ、瞳に淡く赤い光を宿して固まっていた。
これはもしかしたら……カンナの魔法? 確か、時縛り。
カシミルドが頭の中にそんな言葉が浮かんだ。カンナと子供の周りだけ、精霊の気配すら感じない不思議な空間の様に見えた。
だが、よく見ると、カンナは肩、そして足から血を流していた。カシミルドの顔からサッと血の気が引く。
「カンナ……怪我して……」
カシミルドは労るように優しくカンナに触れた瞬間。
ーー白い光は消え、カンナの時間が動き出した。
「へっ?」
カシミルドは慌ててカンナを抱き寄せ、三人ひと塊となって下へと落ちていく。
カシミルドは視界がグラッと歪む様な感覚に囚われた。地表は森なのに、一瞬真っ青な海が見えた。海はもっと森の先だ。空と見間違えたのだろうか。
カンナはカシミルドに抱かれていることに気が付くと、ハッと顔を上げだ。カシミルドの顔がすぐ近くに見える。
胸がキュッと暖かくなるのを感じた。
そして、カシミルドを見上げ歓喜の声を漏らした。
「かっカシィ君!? 良かっ……た……」
カンナは安心したのか、そのまま意識を失った。
少年も気絶しているようだ。
カシミルド一人でこの状況を打開しなくてはならない。
しかし、カシミルドは少々パニック状態だった。
カンナは傷だらけで容態が心配だ。
それに、飛ぼうにも、何処に何をしてどんな魔法をすれば良いのか分からなくなっていた。
後、数秒で大木に突っ込む。
それまでに何とかしなくては……。
「えと……風の……いや……そうだ。翼だ!」
カシミルドは背中に翼をイメージした。
クロゥに教えてもらった魔法。
絵本で見た白くて美しい天使の翼……。
しかし上手く形が定まらない。
あの時はクロゥが作ってくれたんだ……。
クロゥみたいな……クロゥみたいな……。
「ああ! もう何でもいいや! 黒くても良いから、翼よっ生えろっ!!」
カシミルドは半ば自棄糞になってそう叫んだ。
するとカシミルドから黒い金色の粒子を含んだ魔力が溢れ、背中に翼が形成されていく。そして余剰魔力は疾風となり、森の木々に波紋を描き辺りに広がった。
カシミルドの背中に生えるは一対の漆黒の翼、それを横目で見やると、やはり黒か……と、ちょっと残念がるカシミルド。
でも、自分一人で出来た。
それはカシミルドの大きな自信に繋がった。
自分は飛べる。前も飛んだじゃないか。
空高く、上へーー。
自分の体の一部である翼を大きくはためかせて、カシミルドは飛翔した。
崖の岩肌をなぞるようにして飛び、崖上を目指す。
「カンナ。直ぐに治してあげるからね……」
カシミルドは胸の中でぐったりと項垂れるカンナにそっと囁いた。




