たまには狼さんになったっていいよね!
「新婚さんごっこがしたい」
「は?」
毎度おなじみ、声優の白石悠です、こんにちは。もしかしてこの入りが定着するんじゃなかろうかと、ちょっと危惧しているところだよ。まぁ、しょっぱなから意味不明なことを土下座でお願いしてくるその姿勢が、相変わらずのようで安心しております、彼女さんや。
そんなわけで、今日も今日とて、彼女の無茶ぶりに付き合わされている。まぁ、まんざらでもないんだろうと言われれば、そうだと肯定するしかないというのが惚れた弱みというやつ。まわりから見れば結局のところ、すこし変わったやり取りを楽しむただのバカップルにしか見えないのだろうけど。
「突然、どうしたの」
新婚さんごっこがしたい、とな?
ついに同棲を始めて約数年、新婚さんごっこがしたいと言われたのは初めてだ。というか、俺としては、逆に飽きもせず毎日新婚さんのような甘い生活を送っていたつもりだったけど、彼女にとってはそうでもなかったらしい。俺の力不足だったらとても悔しいから、今日は、いや今日も寝かさない覚悟でいこう、そうしよう。
新たな決意を胸に、強引に起き上がらせて彼女を俺の腕の中におさめる。後ろから抱きしめるのってなんか落ちつくんだよね。ついでと言わんばかりに、彼女の剥きだしの首筋をぺろりと舐めてみせた。「ぎゃっ、て、敵襲じゃ!」うん、そういう反応がくることは分かっていたよ。期待どおりの反応をありがとう。
もうちょっと甘い展開にならないかなぁとおもっていたけれど、あいかわらずのようなのでそこは諦めている。
彼女は“声フェチ”だから、単に行動で示すだけだと甘い雰囲気には持っていけないんだよね。とはいっても、オタクだからね。シチュエーションにはとにかく弱いから、彼女の憧れや萌えポイントに持っていけばちょちょいのちょいなのですよ。あ、彼女に試したりしないでね!? だめだからね!
さて、突然新婚さんごっこがしたいと言ってきた彼女の真意を探るために、「それで?」と先を促す。当然どうしたのかという質問に答えてもらうためだ。
「あ、うん、あのねあのね!」
「ん」
彼女は俺から離れて(ちょっとさびしいとかおもってないからね!)、まっすぐに俺を見つめる。四つん這いの状態で、俺の手に自分の手を重ねて上目づかいをしてくるあたりがあざとい。くそ、あざといぞ! ついでに胸の谷間が見えるというラッキーハプニングもついていて、しあわせですありがとう。
おっと、ガッツポーズしている場合じゃない。
いったいどういう経緯で、なにを目的にしてそのような言葉が出てきたのか。一言一句聞き逃さないためにも、俺も彼女をしっかり見つめ返す。新婚さんごっこするのはいいんだけど、それだけだとどうしたらいいかわからないし、突然どうしてそう言い始めたのか、ちょっと勘ぐっちゃうのもしかたないとおもう。
け、けけけけ結婚とか!? 考えてないわけじゃないし!?
「新婚さんごっこがしたい!」
「……それはさっき聞いた」
「うん!」
きらきら、目を輝かせて「うん!」と元気よく返事をしてくれたところ悪いけど、全然質問の答えになっていないってことに、はやく気が付いてね? かわいいからいいけど。ちょっとあたまがよわいんだよなぁ。かわいいからいいけど。
「そうじゃなくて」
「うん?」
「なんで新婚さんごっこがしたいって思っ――、あ、やっぱいいや」
「へ?」
ちらりと見えた、乙女ゲームのタイトル『スウィート・ウエディング』。机の上にイケメンパラダイスなゲームパッケージがていねいに置かれている。
そう、俺が攻略対象キャラクターの一人を演じさせて頂いた作品でもあった。例によって例のごとく、俺の彼女はこのゲームを隅々まであますことなく楽しんだことだろう。お買い上げありがとうございます。楽しんで頂けてなによりです。
そして、ぞんぶんに楽しんだからこその、この言葉だということはいま、しっかり理解できた。悲しいほどに、俺は彼女の性格と思考(嗜好)をよく把握している。彼氏としては当然かもしれないが、彼氏としては思うところもある。
うん、憧れていることやして欲しいことを、口できちんと言ってくれる点は助かっているけどさ。やるこっちもけっこう恥ずかしいんだよ、わかって!
「はぁ、それが原因ね」
「うっ」
ゲームを指さしながら言えば図星だったようで、すこし頬を染めながら顔をうつむかせた。いや、いまさら恥ずかしがられても、もはや日常茶飯事すぎてアレですわ。とは言っても、りんごのように顔を赤くしている姿は、何度見てもかわいいんだけどね。うん、ベタ惚れですまん、ほんとうにすまん。
『スウィート・ウエディング』。
大学の友人(攻略対象キャラは6人)の様々な事情に巻きこまれ、偽装結婚・偽装恋愛をすることになったヒロイン。相手を助けるつもりで、または、半ば強制的に恋愛関係をもったというのに、だんだん彼に惹かれていってしまった。徐々に心を開きあっていく2人は、そのうち甘い生活を送るようになる。
18禁ラブストーリーなだけあって、体の関係を持つのは非常に早い。中には、本気でくっつくまで一切体を重ね合わせない硬派なキャラクターもいたのだが、俺の演じたキャラクターは、よくありがちな爽やか仮面を被った俺様男。そして、偽装結婚で初めてヒロインとの関係をもった財閥の御曹司という設定だった。
彼は「新婚なんだから」を盾に、ヒロインの体を弄ぶ。一見して「ヤりたいだけだろ、お前」と思われがちで、実際に最初はただヤりたいだけだった。しかし、ヒロインと様々な苦難を乗り越え、生活を共にしていくうちに、心から「触れたい」「自分のものにしたい」「欲しい」と思うようになったのだ。
不器用ゆえに、どのように愛したら良いのかわからないソイツは、それでも精いっぱい“新婚”を再現しようと努め始める。それが自分と彼女にゆるされる甘い時間だと思っていた。案外照れやすい彼は、主人公にみっともない姿を見せる自分を恥じながらも、笑顔で相手をしてくれる彼女のやさしさに惚れてこんでいく。
自然と甘さある“新婚生活”を送るようになる2人は、そうして徐々に距離を縮めていき――というのが、俺が担当したキャラクターでのストーリーである。ありがちな設定ではあるものの、そのストーリーの深さと完成度、さらには美麗なイラストと豪華声優陣により、爆発的人気を誇った。
「で、……コイツのキャラを演じろ、と」
毎度おなじみ、なのでもう慣れた。このキャラクターを演じろ、ということだろう。彼女はМっ気が強いため、強引に迫られることを好む。その点、このキャラクターの強引さと、ちょっとした冷酷さは、彼女にとっては“良い餌”だとわかる。なんか悔しいけど、うん、悔しいけど!
「ちがうの!」
は?
「は、……なに、どういうこと」
と思っていたら、彼女に思いっきり否定されてしまった。あれ、おかしいなぁ。このキャラクターを演じてみせろ、というお願いではなかったのだろうか。どういうことだろうか。不思議に思いながら彼女を見つめれば、何かを決意したかのような面持ちでこちらを見てきた。んんん?
「そうじゃなくてね、あのね」
彼女は俺の目の前までちょこちょこと、座ったままの状態で膝を移動させながらやってきた。そうして、ちょんちょんと服の端をつかむ。
「ゆ、ゆーちゃんと、新婚さんごっこ、した、い」
なにそれかわいい。
なにそれかわいいよ! どうしたの!
……と叫びたい気持ちを必死に抑えこみ、理性を総動員させて「なんじゃそりゃ」と冷静な、「さも呆れていますよ」とでもいうような口調で返しておいた。内心、お祭り騒ぎだ。どうかな、と上目づかいでこちらを見つめる彼女は、どうにも本気の本気らしい。かわいい、とってもかわいい!
でも、問題がある。
新婚さんごっこをするのはいい。けれど、どのようなシチュエーションを新婚さんというのだろうか。彼女はそのシチュエーションがきちんとわかって言っているのだろうか。というかそもそも何度も言うように、毎日新婚さんに負けない程度に甘い生活を送っている自分たちに、気付いているのだろうか。
「具体的には?」
「えっ」
目を見開いて、ぼぼぼっという音までつきそうな勢いでまた頬を染める。そういう顔、かわいいんだよなぁ。「……えっと」すこし眉を寄せて、必死に答えを探している彼女。彼女自身も、新婚さんがどのような感じなのか、どうにも想像がつかないようだった。そりゃそうだ。
「おかえりなさい、あなた! とか、言いたい……」
「……それって、俺へのご褒美じゃないの」
「えっ、……わ、わたしがしたいんだから、わたしへのご褒美、だよ!」
「……そうかぁ?」
おかえりなさい、あなた。おかえりなさい、あなた。おかえりなさい、あなた。
……言われてえぇぇえええ! エプロン姿の彼女が、パタパタと玄関までやってきて、「おかえりなさい、あなた」だろ。なにこれ、萌えすぎて禿げる。禿げた、ハイ俺いま禿げたよー! 脳内パレード実施中の俺は妄想に酔いしれながら、やはり冷静を装って「他は」と問いかけた。
彼女は恥ずかしさが限界に達してきているのだろう。俺から離れて、机の上のポットを傾け、コップにお茶を注ぎ始めた。別の行動に転換して羞恥から逃避することは彼女のクセだ。かわいいなぁ。実感しつつ、「ね、他はないの」と再度口を開いた。
「ほっ、他は、例えば、その、いってらっしゃいのチューとか、ただいまのチューとか、なんかそういうの」
最後の方はえらく小さな声だった。
ああ、そう言えば、いってらっしゃいとかそういう時のキス、していなかったな。普段の自分たちを振り返って、明日からするか、と決心ひとつ。しかし、そんなものでいいのだろうか。うーん、なんだか納得いかない。
「あ」
「ん?」
いいこと思いついた。
「一緒にお風呂入ろうか」
「ブフゥッ!」
彼女がお茶を噴き出す。きったね。ゲホッゲホッとむせている彼女に、少し笑いがこみあげてくるのを感じながら、タオルを差し出した。奪い去る勢いで受け取った彼女の様子からして、恥ずかしさに耐えられないようだ。あー、かわいい。
そして、追い打ちをかけるように、「『新婚』なんだから、一緒に入ろうぜ」とストレートに投げかけた。彼女は相変わらずゴホゴホと咳をしながら、なに言ってるの、とでも言いたげな視線を俺に寄越す。顔、真っ赤だよ。
「今さら恥ずかしがることでもないだろ。お互い見慣れ――」
「お風呂とそれはちがうでしょ!」
「『それ』ってなに?」
「えっ」
「ね、なあに?」
にっこりとした笑顔でそう言い放てば、彼女は泣きそうに潤んだ目をしながら睨んできた。本当にイジメ甲斐があるよね、こいつは。くすくすとこらえ切れない笑みをこぼしながら、俺は彼女の耳元に口を近づけた。
「――じゃあ、初夜の練習でもしよっか」
ぼぼぼ、と顔を染め上げた彼女が、「ばかあああ!」と言いながら俺の腹に見事なまでの右ストレートを決めるまで、あと3秒。