勇者が馴染みの場所を訪れる
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第五章
眠りは、静かに訪れた。
言葉も、思考も、現実も。
すべてが薄れていく中で、
カイトは、いつもの場所にいた。
――柔らかい。
感覚が、先にあった。
形はない。
境界もない。
ただ、触れれば変わる。
意志を向ければ、応じる。
(……ああ)
理解していた。
ここは、夢だ。
そして――
自分は、粘土だった。
新しく、湿っていて、まだ何にもなっていない塊。
カイトは、この夢を何度も見ていた。
そして、これが一番好きだった。
なぜなら。
(何にでもなれる)
それだけで、十分だった。
過去の夢が、断片として浮かぶ。
翼。
巨大な身体。
空を裂き、風を従え、大地を越える。
彼は竜だった。
南へ。
大陸を越え、海を渡り、侵略の艦隊へと向かう。
鉄と火を吐き出す存在に対し、
ただ一つの意思として、立ちはだかった。
焼き払う。
押し返す。
守る。
その全てが、当然のことだった。
次の断片。
重力。
崩壊。
中心。
彼は、意識を持ったブラックホール
だった。
惑星。
彗星。
小惑星。
それらを“味わう”。
砕け、引き裂かれ、飲み込まれていく天体を、
まるで精緻な料理のように、選び、楽しむ。
質量の違い。
構造の違い。
すべてが、味として理解できた。
また、別の断片。
音。
弦。
声。
彼は吟遊詩人だった。
古びた部屋。
壁に掛けられた一枚の絵。
そこに描かれた、美しい女性。
返事はない。
動きもしない。
それでも、歌い続けた。
愛を。
言葉を。
存在しない相手へと、注ぎ続けた。
さらに。
言葉。
形を持たない存在。
彼は、一つの単語になっていた。
詩の中を流れる。
行と行の間をすり抜ける。
意味と意味の間に沈み込む。
広がる詩の中で、漂い続ける。
まだ、ある。
旋律。
人の形をした音。
彼は作曲家だった。
そして、一夜。
意識を持った旋律と出会う。
触れ合い。
混ざり合い。
やがて、残されたもの。
半分が人間で、半分が音楽の存在。
理解できないが、確かに存在する子供たち。
その全てが、夢だった。
だが、どれも“本物”だった。
カイトは、粘土のまま、その記憶を眺めた。
(……ここでは)
制限はない。
現実とは違う。
学校。
日常。
繰り返し。
巨大な時計。
その中の、交換可能な歯車。
(俺は、特別じゃない)
それは、今も変わらない。
現実の中では。
だが。
(ここでは違う)
粘土は、ゆっくりと形を変える。
何かになる。
あるいは、何にもならない。
選べる。
その時。
現実の断片が、混じる。
三人の少女。
アリア。
ミカサ。
ソフィア。
それぞれが語った、過去。
恋人。
あり得ない一致。
イセカイズム。
聖典。
既知の神、キチ。
そして――
ゼンタイ。
「来る」と言った存在。
白と黒の、二色のデーヴァ。
さらに。
三人が辿り着いた結論。
自分は、混ざり合った存在。
複数の魂の集合体。
(……ありえない)
粘土は、一瞬だけ硬くなる。
否定。
それは、自然な反応だった。
自分は、普通だ。
ただの歯車。
それ以上でも、それ以下でもない。
そんな自分が、特別な存在であるはずがない。
(考えるまでもない)
だが。
粘土は、再び柔らかくなる。
(別に)
信じる必要はない。
その結論が、正しいかどうか。
自分が、本当に“それ”なのかどうか。
重要ではない。
(関係ない)
道は、すでに現れている。
ゼンタイ。
聖典。
デーヴァ。
すべてが、繋がり始めている。
(俺じゃなくてもいい)
適任である必要はない。
選ばれた存在である必要もない。
ただ、そこにあるから、進む。
それだけでいい。
夢の中で、彼は何度もそうしてきた。
竜になった時も。
特異点になった時も。
言葉になった時も。
理由はなかった。
ただ、面白そうだったから。
ただ、気になったから。
それだけで、進んできた。
(なら)
今も、同じだ。
現実でも。
どれだけ不釣り合いでも。
どれだけ間違っていても。
(行くか)
粘土が、わずかに形を持つ。
決意という、曖昧な輪郭。
その瞬間。
夢が、崩れた。
――目が覚める。
天井。
見慣れた部屋。
朝の光。
カイトは、ゆっくりと瞬きをした。
数秒の沈黙。
そして。
小さく、息を吐く。
口元が、わずかに緩んでいた。
理由は、はっきりしない。
だが。
確かに、そこにあった。
――笑みが。
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