来訪者
「おい、こっちにも酒をくれ!」
その日、酒場『デフ』はかつてない程の賑わいを見せていた。
店内はほぼ満席状態で、ホールの至る所から給仕を呼びつける声が響いている。
あまりの注文の多さに厨房もホールもてんやわんやだった。
その様子を感慨深い眼差しで眺める中年男性が一人。
デフの店長兼、料理長を務めるロッケン・バーグだ。
三年前に家族経営で始めた大衆居酒屋。
まさか、ここまで繁盛するとは思わなかった。
半年前までは客が全く入らず閑古鳥が鳴いている状態だったのだ。
それが今では休む暇も無い程の大盛況だ。
(それもこれも彼女のお陰だな……)
ロッケンの視線の先には、こちらに背を向けてテーブルを拭く一人の女性がいた。
他の給仕達と同様に青と白のレースがあしらわれたエプロンを纏い、仕事に励んでいる。
唯一彼女が他の給仕達と違うのはエプロンの下にスカートではなくズボンを履いていること。
そして、口元に薄いフェイスベールをしていること。
彼女はそれまで家族のみで居酒屋を運営していたロッケンが初めて外から雇った人物だ。
半年前、街で偶然見かけて声を掛けた。
花も恥じらう美人。
彼女を店先に立たせれば客が入ると思ったのだ。
ロッケンの思惑は功を奏し、店の経営は好転した。
今では誰もが気軽に足を運べる居酒屋として親しまれている。
(あとはもう少し愛想が良ければ完璧なんだがなぁ)
小さく溜息を吐くロッケンの前で、女性がテーブルを拭き終わる。
「エリス、氷が無くなったから離れの倉庫から作り置きのを持ってきてくれ」
そのタイミングでロッケンが話しかけると、女性が心底嫌そうな表情で顔を上げた。
「了解です。店長」
◇◆
「くそ。私は何をやっているんだ……」
じめっとした薄暗い路地裏。
両手に空桶を持ったエリスが店の裏口から屋外に出ると、物陰に潜むネズミ達が多方に散って行った。
それを横目に壁際から生えた蛇口の前にドカリと桶を置く。
ここは王都から大きく西に外れた町、クロワッツ。
暖かい風土と穏やかな気風が特徴ののんびりとした街だ。
エリスが満身創痍で王城を抜け出してから既に丸一年が経とうとしている。
あの日、命辛々聖騎士の追っ手を振り切ったエリスは、『入らずの森』の奥でじっとほとぼりが冷めるのを待っていた。
再び日の光を浴びたのはそれから半年後の事だ。
何もない森の中は時の流れが遅く、悠久に近い感覚を味わった。
そんな中、心身共に疲れ果てたエリスを厳しい自己鍛錬に向かわせたのは自身が常に狙われているという強烈な恐怖だった。
しかし、それも繰り返す鍛錬の中で自身が満足できるだけの力を身につけた時には綺麗さっぱり消えていた。
代わりに湧き上がったのは透き通った憎悪と強い義務感。
ー 魔女を殺さなければ ー
その一心に突き動かされるようにして森を出ると、世間はとっくにエリスの事を忘れていた。
それからはただ只管に魔女の影を追う日々だ。
今現在、エリスが酒場で働いているのも情報収集の一環である。
クロワッツには地方聖騎士の駐屯地があり、下位の聖騎士達が頻繁に客として訪れるのだ。
給仕として接客をしつつ、彼らの会話に耳をそばだてている。
しかし、半年ほど粘っているが、今のところ有益な情報は得られていない。
独自に魔女の調査を始めてみて王城聖騎士をサポートする諜報部の優秀さを痛感する。
「あいつら、よくもまぁ、ああポンポンと魔女の居所を掴めたものだな……。やはり、魔物退治を主に行う下位騎士からでは有益な情報は得られないか?」
魔女狩りを主とする上位騎士は皆王城住まいだ。
任務がない限り王都を離れることはない。
かと言って、エリスから王都に近づくこともできない。
王都に近づけば近づくほどエリスの顔を知る者が増えるのだ。それだけ、正体がバレるリスクが上がる。
そんな危険は犯せない。
「さて、これからどうしたものか……」
途方にくれたエリスが無気力に蛇口をひねっていると、ちょうどそのタイミングで店内から店長の声が聞こえてきた。
「おーい!エリス!氷はまだか?急いでくれ!大切なお客様がいらした!」
その切羽詰ったような声音に苛立ちを覚えつつ、桶一杯に張った水の表面に手をかざす。
(全く。人が考え事をしている時に何だ?)
作り置きの氷が置かれている離れは遠く、とてもじゃないけど取りに行けない。
「……凍れ」
エリスが静かに呟くと、桶の中身がパキリと固まった。
◇◆◇◆
魔術とは形の変容する器である。
それに気づいたのは森に逃げ込んですぐのことだった。
何とは無しに触った川の水が凍った。
既に自身の中に『氷の器』は存在しないのに。
とても不思議な気分だった。
『時空の器』から魔力を引っ張りだし、『氷の器』を象るようにして氷魔術を再現する。
二度の悪魔惚れが生んだ神の御業だ。
普通、二つも魔術の使用感覚を得られない。
ゼロから魔術を生み出すのは雲を掴むような行為に等しいだろう。
『僕の魔力はそんな使い方をする為にあるんじゃないんだ!』
氷魔術を使用する度に青肌の悪魔が怒ったが気にしなかった。
この先に誰も見たことのない極地があるという確信があったから――。
◇
「おお!エリス、やっと来てくれたか!」
重い足取りのエリスが厨房に戻ると、店長のロッケンが安心したような笑顔を浮かべた。
「店長……急にデカい声を出して何ですか?」
エリスの質問にロッケンがホールを指差しながら答える。
「ちょうど今、団体のお客様がいらしてな。急遽大量の氷が必要になったんだ」
ロッケンの言葉を受け、カウンター裏からホール側を覗くと、店の入口付近のテーブルに赤白の派手な鎧の一団が座っているのが見えた。
その胸元にリーン王国を象徴する妖精のエンブレムが描かれている。
(あれはまさか……王城聖騎士か⁉︎ )
一団の正体を瞬時に悟ったエリスは奪い取るようにしてロッケンの手からペンとメモ帳を掴んだ。
「彼らの接客、私にさせて下さい!」
そのまま、興奮気味に叫ぶと、カウンターを回り込んでホールに向かう。
「あ、ああ。元々そのつもりだが……そんな慌ててどうしたんだ?」
驚いた声を上げるロッケンを無視して聖騎士達の待つテーブルへと大股で足を運ぶ。
ずっと、ずっと、この時を待っていた――王城聖騎士が王都を離れ、自らの眼前に現れるその時を。
荒い息のエリスがテーブルの前へと立つと、リーダーらしき男が顔を上げた。
キツネを思わせる逆三角形の顔立ちに燃えるような赤髪。
テーブルの上で足を組み、気怠げな視線を向けてくる。
彼が従えている聖騎士の数は十人ほどで見覚えのある顔はなかった。
(ああ、最高だな……)
その胸元に輝く虎型の記章を見て恍惚の表情を浮かべる。
彼らはさながら幸せを運ぶ青い鳥だ。
エリスの元に恋い焦がれた魔女の首を運んでくれる。
しかも、今回の鳥は超大型だ。
(パラディンが直々に出向いてくる程の相手か。討伐対象は余程強力な魔女なのだろうな)
そう考えただけで自然と口元が綻ぶというものだろう。
機嫌良く目を細めたエリスは、柔らかな笑顔を浮かべて尋ねた。
「いらっしゃいませ。お客様、ご注文は如何なさいますか?」




