カミングアウト
「陛下のお怒りは既にピークに達しておられる。しかし、未だに魔女に繋がる手がかりは一つも見つかっていない。さて、どうしたものか……」
書斎の最奥に佇んだ聖騎士長が、窓の外を見ながら呟いた。
ここは彼の自室だ。
白を基調とした明るい雰囲気のインテリアで統一されている。
「我々の力が至らないばかりに、聖騎士長様に心労をかけ、申し訳ありません」
深く頭を下げたマイクが謝罪の言葉を口にすると、
「ハハッ。マイク、お前が謝る必要はないさ。捜査が進まないのは、ただ単に私が力不足だからだ」
疲れきった顔の聖騎士長がこちらを振り向いた。
魔物被害が出始めてもうすぐ一週間になる。
その間、捜査全体の指揮をとるゾイ聖騎士長はずっと働き詰めだ。
早くに両親を亡くしたマイクにとって彼は父親代わりでもある。
まだ幼かったマイクを孤児院から引き取り、育ててくれた恩師。
彼にだけは正直に生きようとマイクは胸に誓っていた。
しかし、エリスが魔女であるという事実だけは未だに伝えられていない。
(俺は弱い人間だな……)
天井を仰ぎ見て深々と溜息を吐く。
すると、聖騎士長が驚いたように片眉を上げた。
「マイク、お前が溜息を吐くなんて珍しいな。何か心配事か?」
「いえ、少し気が緩んだだけです」
聖騎士長からの質問にマイクが答えると、何かを察したように聖騎士長が頷いた。
「ああ、ナナトスのことか。あいつなら心配要らんよ。そう簡単にくたばる玉じゃないからな」
そう言って自らの顎髭を撫でる。
4日前に意識を失ったエリスは未だに目覚めていない。
原因はベネット様にも分からず、軽い微熱状態が続いていた。
「別にあいつの心配をしている訳では……」
「ハハッ。今更、隠さないでもいいさ。お前がナナトスに惚れていることはとっくにお見通しだからな」
マイクの言葉を遮って聖騎士長が豪快に笑う。
彼は何故かマイクがエリスに惚れていると思っている。
これはマイクが訓練生の時から続いており、何度否定しても全く聞き入れてくれなかった。
(これさえなければ、完璧な人なんだがな……)
そう思ったマイクがいつも通り、反論の弁を口にしようとしたその時、
バン!
突然、背後の扉が物凄い音を立てて開いた。
それと同時に切羽詰まった顔の兵士が一人、書斎の中に駆け込んでくる。
「聖騎士長様!大変です!」
その真っ青な顔を見て、ゾイ聖騎士長が一気に険しい表情になった。
「そんなに慌てて何事だ?」
息絶え絶えの兵士に向かって低い声で短く尋ねる。
すると、目を見開いた兵士が舌が噛み切れんばかりの勢いで答えた。
「そ、その王城の中庭に……アビスマルオーガが現れました!!!」
◇◆◇◆
王城の中庭は日頃、兵士達の訓練に使われる円形の広場だ。
今現在、その中央に一体の魔物が佇んでいる。
「……なんだこのサイズは?」
援護要請を受け、広場に駆けつけたマイクは、その余りの大きさに言葉を失った。
体調5メートル超の黒水晶を固めたような巨人。
伝説上の怪物、アビスマルオーガだ。
その足元には、既に多くの兵士達が倒れ込んでいる。
(これ以上、死傷者を増やす訳にはいかないな)
そう思ったマイクが広場の中央に進み出ようとしたその時、それより一瞬早く一人の女性がアビスマルオーガの正面に躍り出た。
癖のある桃髪をツインテールにした面長の少女。
「こいつがあの死の速達人?思ったよりも弱そうね」
そのど迫力の三白眼で漆黒の巨人を睨み付けると、気怠げに呟いた。
直後に低く重々しい声が広場内に木霊する。
『そなたの名を問おう』
アビスマルオーガの代名詞とも言える質問だ。
その問いに桃髪の少女が間髪入れずに答えた。
「私の名前はラナ・ティーンよ!」
その堂々たる振る舞いは彼女の自信の表れか。
天才、ラナ・ティーン。
僅か18歳にしてパラディンの称号を得た異例の存在。
その余りの強さに聖騎士長によって本気を出すことを禁じられているという新世代のカリスマだ。
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと掛かって来なさいよ」
漆黒の巨人を挑発するように腕を組む。
『氏からば、死あるのみだ』
直後に無感情のまま呟いたアビスマルオーガが、右手を大きく振り上げた。
しかし、
「……遅い」
その拳が振り下ろされる前にラナが攻撃に転じる。
胸一杯に息を吸い込むと、声にならない声を吐き出した。
「キァァァァァ!!!」
高周波の音を発する事で相手の内臓を共振させ、内側から破壊する音波攻撃。
ラナは身体強化によって自らの喉を超高性能の音響兵器として活用することができるのだ。
『グカァァァ!!!』
次の瞬間、拳を振り上げたままの状態でアビスマルオーガが内側から爆発した。
体表面の黒結晶が弾け飛び、身体中から大量の血飛沫が噴き出す。
(流石だな……)
一瞬で瀕死状態に陥った敵の姿を見て、兵士達が息を飲んだ。
しかし、その数秒後に更に驚くべき事態が起こる。
瀕死状態の漆黒の巨人が何事もなかったかのように右腕を振り下ろしたのだ。
ズドン!
巨大な拳が真っ直ぐにラナの頭上に落ちる。
気づくと、瀕死状態だった巨人の傷が綺麗さっぱり消えていた。
「おい、ラナ!大丈夫か!」
拳の下敷きになったラナを心配したマイクが駆け寄ると、
「うっさいわねぇ。大丈夫に決まってんでしょ」
無傷のラナが拳の下から這い出てきた。
そのまま、煩わしそうに軽鎧についた土埃を払う。
その隙を見計らってアビスマルオーガが大きく口を開いた。
その口元に煌びやかな光が収束していく。
(これはやばい……)
そう思ったマイクが退避を促そうとした瞬間、
『グガァァァ!!!』
巨人の口元から青白い極光のビームが放たれた。
「身体強化!」
それを仁王立ちのまま正面から受け止める。
やがて、極大のビームで真っ白に染まった視界が元に戻ると、周囲の様子が惨憺たる有様になっていた。
近くの建物が焼け落ち、背後に控えていた兵士達が地面をのたうち回っている。
全員が全員、大火傷を負っているようだ。
「これは酷いわね……」
その有様を見て、流石のラナも顔を引きつらせた。
身体強化で身を守ったのか、彼女自身は一切の怪我を負っていない。
よく見ると、彼女の体全体が小刻みに震えていた。
バイブレーションシールド。
自身の細胞の振動数を極限まで高め、全身を超振動させるという身体強化の応用技。
この状態のラナは凡ゆる物を一瞬で切り裂く攻撃力と、全ての外力を跳ね返す防御力を同時に兼ね備える事になる。
(正に……天才、ラナ・ティーンだな)
彼女はパラディンの中で唯一二つ名を持たない。
敢えて言うなら、
《天才、ラナ・ティーン》。
天才を冠したその名前自体が彼女の通り名だ。
「次、来るわよ!」
ラナの声を聞き、マイクが正面に向き直ると、再びアビスマルオーガ口元に光が収束しているのが見えた。
今度はそれと同時に両手の指先も輝き出している。
どうやら、同時に10本以上のビームを撃つつもりのようだ。
(これを撃たせたら、背後の部下達が確実に死んでしまう……)
ビームの発射までもう一刻の猶予もない。
静かに目を細めたマイクは、鞘の剣柄に手を掛けると、居合斬りの要領で手前の空間を切りつけた。
直後に巻き起こる爆風。
超神速の斬撃が遠く離れたアビスマルオーガの首元を強襲する。
ズパンッ。
その頭がド派手な音と共に宙を舞った。
二度、三度と返す刀で両腕も纏めて吹き飛ばす。
(何とかビームの発射は阻止できたか……)
その行き先を見て安心したのも束の間、体から切り離された両腕と頭が地面に落ちると同時に大爆発した。
それまで収縮されていたエネルギーが解き放たれ、視界を真っ白に染める。
(しまった……!)
自らの考えの甘さを後悔するが、時既に遅し。
気づくと、先程の十倍以上のエネルギーを持った青白い光が四方の景色を塗り潰していた。
「ぐおぉぉぉ!」
エネルギーが身体を駆け抜ける感覚に思わず声を上げる。
眼前で両腕をクロスしたマイクがゆっくりと顔を上げると、辺り一帯の建物が崩れ落ちていた。
主に使用人や低位騎士の宿舎が大破している。
この分だと、援軍に駆け付ける為に待機していた別部隊も全滅だろう。
住居人の避難が完了していたとは言え、その被害は計り知れない。
(どうしてこうなった……)
背後で焼け焦げた部下達の死体を見て、喉の奥が乾きつくのを感じた。
言葉を失い、立ち尽くすマイクの頬に数滴の雨粒が落ちる。
上空に放たれた高出力のエネルギーのせいか、気づくと周囲には大粒の雨が降っていた。
肉の焼けた匂いと雨の湿った匂いが静かに鼻をつく。
そんな中、隣に立つラナが鋭い眼光で呟いた。
「ピアス……次、来るわよ!」
その言葉に従い、ゆらりと背後を振り返る。
すると、漆黒の巨人の指先に青白い光が収束しているのが見えた。
落とした頭も、両腕もすっかり完治している。
無限に極大のビームを撃ち続ける不死身の要塞。
「こんなやつ、どうやって止めればいいのよ……」
アビスマルオーガの首元は人間の腕では到底掴めない程に太い。
これを絞め落とすのは不可能だろう。
膨れ上がる青白い極光。
その全てが今正に解き放たれるという瞬間、覚悟を込めたマイクは掠れる声で呟いた。
「エリス・ナナトス……」
直後にアビスマルオーガの手元の光が僅かに弱まる。
「ちょっ、あんた何言ってるの!?︎ 」
怪訝な顔で目を丸くするラナを横目に漆黒の巨人の前に進み出ると、その真紅の瞳が真っ直ぐにこちらを見据えてきた。
それを真正面から見返す。
一瞬の沈黙の後に、漆黒の巨人がゆっくりと口を開いた。
『そなたの名を問おう』
焼け野原と化した中庭に響く重低音。
深く息を吸ったマイクは、その質問にはっきりと答えた。
「俺は……エリス・ナナトスだ」
背後でラナが息を飲むのが分かる。
次第に色を失う真紅の眼光。
次の瞬間、雨の中に佇むアビスマルオーガの動きがピタリと停止した。
◇◆◇◆
「うっ……」
その日、自室のベッドに横たわったエリスは4日ぶりに目を覚ました。
窓から差し込む強い日差しに思わず目を細める。
(カーテンを勝手に開けたのは誰だ?)
静かに上体を起こしたエリスがベッド脇に立つと、頭がクラクラした。
どうやら、まだ微熱が残っているようだ。
「流石にこのままでは寒いな……」
身に纏っている軍服は意識を失った時のままだった。
熱で汗をかいたせいか、インナーがびっしょりと濡れている。
タンスから替えの下着を取り出したエリスが、外から視線を遮るため、カーテンを閉めようと窓際へ移動すると、
(これは……何だ?)
予想外の景色が目の中に飛び込んできた。
窓から見える王城の中庭。
その東側に立ち並ぶ建物が完全に焼け落ちている。
丁度、訓練兵や小間使い達の居住区に当たる部分だ。
その中央広場に人型の巨大なシルエットが佇んでいるのが見えた。
「あれは……魔物か?」
窓を開け、身を乗り出す。
冬の凍える風を頬に受けたエリスが、遠くの景色に目を凝らしていると、
ドタドタ。
不意に廊下が騒がしくなった。
(外がやけに騒がしいな。何か事件か?)
不思議に思ったエリスが眉をひそめていると、複数の足音がこちらに近づいてくるのが分かる。
数秒後、派手な音と共に部屋のドアが蹴破られた。
そのまま、長剣を手にした鎧騎士達がぞろぞろと部屋に入ってくる。
「な、何事だ!?︎ 」
驚いたエリスが上ずった声で尋ねると、先頭の騎士が長剣の切っ先をこちらに向けて叫んだ。
「大罪人、エリス・ナナトス!これより貴様を処刑する!」