9.図書館にて
フェルメラン王国の六大領とは、金蓮、白狼、黒蝶、銀柳、紅輝、青嵐。このうち紅輝領は原則として国王が領主を兼任し、青嵐領は世襲領主ではなくバンデリカ騎士団が統治している。
初代の王が自らの武勇と知略で国を建てたとき、その領土は現在の王都周辺のわずかな地域だけであった。その後、紅輝領と青嵐領が加わった。王が死ぬころには、さらに二つの名が地図に書き加えられていた。
それから代を重ねるうちにフェルメラン王国は、六つの大領と三つの国王直轄領で構成される、大陸の東半分を占める大国となっていた――。
と、まあ。これが図書室に案内してくれている途中のトランくんによる一般的なフェルメランの歴史でした。六大領というのは有名だから外国人で民間人の私でも聞いたことはあったけれど、国王領が三つ。で、青嵐領はアレクさんのところ、と。ふむふむ。
実家の商会ではたいていハベルス経由の商売だったので、フェルメランと直接やり取りしたことはなかった。それに我が家はあくまで商人、しかも政治にかかわるような豪商でもなかったから、ちゃんと知る機会がなかったんである。一般人でも政治に参加することが当然で、かつ地球の裏側で起きたことでも一瞬で伝わってしまう前世と一緒にしちゃいけない。
……いやその、実を言いますと、例のノートに設定のきれっぱしは書いてあったのですが。白狼とか青嵐とかいかにも十代オタク娘の自作ファンタジーに書いてありそうでしょ?
その通りだよちくしょう……!
あんな粋がった子供の妄想を採用してくれてありがとう創造神GM。なんかいろいろ痛いけど我慢する。ホントにきれっぱしだった設定がちゃんと国の歴史になってるし。痛いけど!
「こちらが図書室です。……あの?」
トランくんがとても不思議そうな目をしている。内心の悶絶が表情に出てしまっていたようだ。あわてて笑顔を作る。
「え、ええ。ありがとう」
「いいえ。どうぞごゆっくり。中には管理人もいますので、ご用がありましたらその者にお申し付けください」」
まだ少年ながらなかなか堂に入ったエスコートぶりで彼はドアを開けてくれた。もう一度お礼を言って別れる。さて、夕食まで二時間くらいかな? 少しでも仕上げておかないと。管理人に声をかけて仕切りの付いた机に案内してもらうと、持ってきた文箱を開けた。
大きさは前世のB5とA4の中間くらいだろうか。かぶせの蓋を開けると中は二重になっている。上の段のトレイにペンや、こぼれないように布に包んで別の小箱にしまった何色かの小さめのインク瓶、吸い取り紙などが入れてある。トレイを外した下の段には紙類と革製の下敷きが納めてあった。あの火災を逃れた数少ない私物のひとつだ。帳簿類のそばに置いてあったので一緒に運び出してもらえたのだ。
案内してもらった机は書き物に使うことを想定してあるようで、天板に革が張ってあった。……下敷きの下にあのノートを隠してある(トランクの中だとうっかりポーリンさんの目に触れてしまいそうだったので)ので動かさずに済むのは有難い。利用させてもらうことにして、下書き用の反故紙を何枚かと、本来なら仕事で使うはずだった白紙を一束、そして昔リュナが魔法を習ったときに使っていたノートを取り出し、ペンやインク瓶を使いやすいように配置する。
……ところで、この世界では植物パルプの紙が割と一般的に普及している。植物自体が貴重な乾燥地帯では羊皮紙なんかの獣皮の紙が多少は作られているが、植物パルプ紙の製法自体は世界中の色々な場所で同時多発的に発明されて知られているし、紙をおもな輸出品にしている国もある。まあ、ギルドだの専売制だのといろいろあって、誰でも自由に生産できるわけでは必ずしもないけれど。
地域にもよるのだろうが、ナジェドやハベルス、フェルメランでは、庶民でも紙を普通に買って使う。もちろん前世でのOA用紙のような大量消費ができるほどには安くはないが。そうねえ……向こうが透けそうなレポート用紙一枚が漫画原稿用紙……あ、かえってわかりにくいか。ごめんね例えが古いオタクで……まあ、庶民でも特にビビらずに購入できるお値段ではあるが、無駄遣いしたら親や上司に怒られるくらいには高価。それくらいの価値だと思ってくれればいい。
ちょっとしたメモとか子供の字のお稽古なんかには、石板と蝋石とか、木の板に木炭といったものが使われている。閑話休題。
講義ノートを開く。そこにはリュナが師匠から習った(もちろん実際にはそれ以上にいろいろ知っているわけだが)呪文が書いてあるが、呪文の文句以外にも、師匠の話に出てきた色々なことが整理未整理いろいろに書きつけてある。この呪文をいつ誰から聞いた、この呪文はどこそこの魔術師がよく使う、云々、といった情報だ。適性というルールそのものでないにしても、それを考えるヒントになる。
呪文の一覧を反故紙に書き出す。魔法の分類は本当は八種類だが、ここにあるのは六種類だ。残り二種類に属する呪文は師匠は知る機会に巡りあわなかったようだ。呪文を誰から知ったかの情報を追加していくと、師匠に呪文を教えた人たちの持つ適性がおおむね推測できた。身体強化と物質変換の人が多いかな。まあ、このあたりは低レベルでも重宝する呪文が多いので覚えたがる人も多いし学ぶ機会も得やすい。
ルール上の「適性」は自分で作っておいてなんだがとても面倒くさい上に、この世界ではレベルが数値で見えるわけではないので検証も難しいと思う。ただ、人によって使える呪文のレパートリーが異なるのは、魔法には何らかの系統のようなものがあるからだろうとは昔から言われている。どの呪文がどの系統かといったことを本格的に研究している人はまだいないだろうが、魔法使いなら「自分と似たようなレパートリーの人の使える呪文なら、自分も使えるようになるケースが多い」ということはみんな経験的に知っている。
適性を持たない呪文は何年修行しても身に付かない可能性がある。なんだかんだ言っても冒険者は肉体が資本なので、現役最前線で活動できる期間は長くはない。時間を無駄にはできないよね。
反故紙の一覧をきれいな白紙に丁寧に清書していく。ポーリンさんもこれを見れば、『爆熱弾』と『炎の矢』は系統が違うようだと気付いてくれる、はずだ。……ベニートさんたちにもこっそり事情話しておこうかな。
後で、この一覧を一ページ目にした冊子に仕立てようと思う。二ページ目以降には各呪文の清書。ページ番号を振って一覧を目次がわりにもすればいいわね。
清書した一ページ目(予定)に吸い取り紙をあてたところで、図書室の入り口付近に私は人の気配を感じた。管理人さんではない。視線を向けるとドアが開いて、アレクさんの黒髪と紺青の制服が見えた。とりあえず立ち上がる。
それに続いて入ってくる――というか、アレクさんはそのエスコートだったようだ――人は。
「ヴィオーラ様」
立っておいてよかった! ええ、フェルメランで上から数えて十番以内に入るくらい偉い人を座ったまま出迎えなんかあり得ませんともさ!