13.花の翼
「魔法の紋でもよろしいですよ」
穏やかな表情のままヴィオーラ様が私の申し出を肯定する。
「フェルメランの個人紋の習慣も、元は魔法の紋からきたものですから」
「そうなのですか?」
「ええ、フェルメランの最初の王と二つの大領の領主は魔法使いでした。彼ら自身がおのれの魔力で描いた紋が、国章と各領の紋のはじまりです――もちろん、二代目以降のものは初代に似ている別物になっていますが」
十代の私が考え、先生の目を盗んで授業中にノートに書きつけた魔法はすべて、いくつかの適性ごとに分類できる。自分の適性と合致していない魔法は習得することができないのがルールだ。
ただ、創造の呪文の中にひとつだけ、「分類:創造」の適性を持つキャラクター以外にも習得可能なものがある。それが、魔力によって自分だけの紋章を刻むというものだ。
これで描かれた紋は、通常の手段では消すことができない。手で模様を書き加えようとしても不可能だ。そして、他の誰かが真似て描こうとしても――魔法でも手で複製するのであっても――必ずどこか違いが出てしまう。究極の個人識別法だ。
……もちろん、当時の若かった私はそこまで考えておらず、ただ自分だけの刻印ってカッコいいよねと思っていただけだ。年齢が上がるにつれて本人確認というものの大事さと煩雑さ、どうやっても完全なものにならない難しさを思い知るようになると、これ完全に反則の便利さだよねと思うようになったけれど。
「じゃあ……」
私が視線を動かすと、部屋の隅に控えていた警備の人が、預けてあった剣帯を持ってきてくれた。礼を言ってホルスターから魔法の杖を引き抜く。本来ならば護身用の短剣も一緒に下がっているが、今日は剣は持ってきていない。魔法使いの正装の意味合いで杖は持ってきたけれど、そもそも武器を代官屋敷に持ち込む必要なんかないからね。
杖を握りなおす。杖と言ったが、私のは指輪物語のガンダルフの持っているようなスタッフでも魔法少女のステッキ的なものでもなく、細くて軽い、タクトみたいなものだ。まあ、ハリー・ポッターの映画のビジュアルを思い浮かべてくれればいい。磨いた木製で、持ち手の部分は滑り止めの何か――たぶん鮫革が巻いてあり、お尻の部分にムーンストーンのような白っぽい石がはまっている。
原則として、こういった杖などの媒体がない場合、魔法の行使にいろいろな不都合が発生する。特に、とっさに素早く呪文を唱える必要のある冒険者にとっては媒体は必需品だ。……機会があれば指輪とか、手に持たなくていい媒体が欲しいね。行使中はどちらにしろ媒体以外のものを持ったりはできないのだけど、例えば魔法を撃ったあとすぐ走らないといけない、なんてときにいちいちホルスターにしまったりするのが煩わしい。
「『我の描くは我が名、鏡像、もしくは肉の身を除くすべて』」
杖の先端でサインの横を指す。少し集中すると自然に口が動いて、呪文の文句が声になって流れ出した。
この呪文で描かれる紋は、自分で決められるわけじゃない。魂の本質というか、その人の持つ資質のようなものを象徴した絵柄がおのずから描き出されるのだ。ゲーム上はプレイヤーの提案を、GMがそのキャラのデータ上の特徴やそれまでのセッションでの行動を考慮して許可する形になるが、今の私にはリュナの魔法が描き出す模様を知るすべはない。
私の――リュナの本質は何だろう? キャラメイク時に取得した呪文なので使えるのは間違いないが、どんな紋が出るかはまだ私も知らない。
「『我は万物に存在し、しかし我が身はひとつ』」
港街の商家の一人娘で、ちょっと気取り屋で。都市の生活になじんでいるくせに、野営も旅も苦にしないところがある。野生動物じみたカンを備えているくせに普段は妙に分別臭くて、人間社会のややこしいやり取りも嫌いじゃない。……こうしてみると我ながらめんどくさいなおい。
「『今ここに』」
周囲の視線が私と、私の杖の先端に集まっているのを感じる。ああ、本当のことを言うとこういうのは割と好きかもしれない。前世でも、人前でプレゼンとか緊張しつつも結構張り切る方だったっけ――。
「『刻もう我の分け身を――魔法の紋』」
杖の先端がくるりと円を描くと、紙の上に、薄緑がかって白く輝く、同じ大きさの円が描かれた。インクでも絵具でもなく、紙に乗った魔力自体が光を放っているみたいだ。円は一瞬輝きを増したかと思うと、瞬きする間に形を定めてサインのわきに落ち着いた。どんな絵柄か、思わずじっと見る。ヴィオーラ様や番頭さん、アレクさんも興味津々という様子で視線を注いでいた。
「花でしょうか?」
ヴィオーラ様の声がした。確かに花のようではあったが、ひとめ見て何とすぐ分かる絵柄ではなかった。
私自身の第一印象は、日本の家紋の藤の図案に似ている、というものだった。ただ、確かに藤のように小さな花が房のようになっているけれど、藤とは花の形が違う。藤は花の根元は上にあってそこから下がるものだが、こっちは根元が下にある。第一、根元にあるのは葉っぱや茎じゃないようだ。
「鳥……?」
紋全体は円形で、左下に鳥の顔がある。翼を開いた鳥を上から見るとこんな感じだろう。だが、その下半身は花だ。翼の先端と体の下半分、そして長い尾羽の部分が、羽毛の代わりに小さな花でできているのだ。それが全体として円形にまとまった図案になっている。
「これはまた……複雑な紋ですね」
「自分でも驚きです……」
女性の紋が花になる、というのはまあよくありそうな気がするが、複数の生き物が混ざるのは珍しいんじゃないだろうか。それに、日本の家紋のように図案化されているけれどとても細かい絵柄で、かなり凝ったデザインになっている。うーむ。リュナの人生ってここまで複雑だったっけ? いや、これから複雑になる運命ってこと?
「模様だけではありませんよ。色もです。ごらんなさい」
契約書を手にとって見ていたヴィオーラ様が、契約書を私たちの方に向けてそう言った。うわあ。グラデーションになってる。
鳥の部分は渋めの金色で、花の方に行くにつれてだんだん黄色みが抜けて銀っぽくなっている。そして花びらの先端はよく見るとほんのりうすーい紅色に染まっている。
凝りすぎだよGM神様。綺麗だけど。私は気に入ったけど。ああなんか周囲の視線が痛い。お前何もんだって顔に書いてあるようだ。
聞かれてもわかりませんけどね! っていうか、ただの商人の娘です。前世は地球人でしたけど、ちゃんとこの世界のルールの範囲内の、プレイヤーキャラクター用のデータしか持ってないよ、たぶん。……ないよね? GM。破壊の女神の生まれ変わりとかそんな設定は盛ってないですよね? 呪われた島で女神とタイマンとかしませんからね?
「いや、これは美しいものですな。よい土産になりそうです」
番頭さんが上機嫌で契約書を文箱に収納した。控えの方を私に渡してくる。それを受け取って私も箱にしまうと、代わりに商業権証書をテーブルの中央に差し出した。
「では……どうぞ」
「ええ」
番頭さんは丁寧なしぐさで証書を受け取り、礼儀正しく文面を改めると、やはり文箱にしまいこんだ。これで商業権は私の手を離れ、ハベルスの商会のものになった。ある意味、これで私とナジェドの縁も切れた……といえるのかもしれない。
生まれ故郷には変わりないけれど、いつでも帰れるという土地ではなくなった。もちろん、納得の上での決断だから誰に文句を言うつもりもないけれど。




