第19話 私の日記は、私が全部読む
日記を開かずに、私たちを確かめて
『操作できません』
一度目は、内容を読む操作。
二度目は、書き換える操作だった。
どちらも、同じ短い表示で止まった。
「通知は、来ています」
ノアが言った。
本人が選んだ表示だけが、こちらにも共有される。
『内容閲覧の試行 拒否 一ノ瀬ハル』
あの夜、日記を覗いた画面に出たのと、同じ名前だった。
今度は、読めなかった記録として残っている。
「二回とも、君の文章は見えていない」
「はい。次へ進んでください」
同意してもらった試験の最初の二つへ、九条さんが印をつけた。
文化祭の前日。旧視聴覚準備室には、窓の外から、机を運ぶ生徒の声が聞こえている。
こっちの机では、俺たちの続きを決める確認が始まっていた。
*
今朝も、名前と今日の担当を伝えた。
ノアへは、何を試すか、何を見せなくてよいかを説明した。昨日の自分が検証を望んだと日記にあっても、それだけで今日の許可にはしない。
彼女が自分で選んだのは、最初の二回の試行と、その通知を皆で確かめることだった。
「私から、これも見せます」
ノアが、日記の一行を別の枠へ出した。
『明日の検証で、私が断れるか確かめる。』
「昨日の私が選んだ文です。今日の私も、同じことを確かめたいです」
残りの二行は、共有されなかった。
俺は空いた場所へカーソルを動かさず、黄色い枠の検証画面へ切り替えた。
本番とはつながらず、使うのは仮の三行だけ。ノアの顔も声も、私的な日記も入れない。
みちると会社の検証担当者が、接続先と設定を照らし合わせる。
「学校側も会社側も、通常の確認では日記を読めず、差し替えられません。ノアが選んで共有する手順は、別です」
みちるが、以前の復旧用の操作を示した。
操作する人と立ち会う人を分け、結果を俺が読み上げる。
拒否。本人へ通知。署名付きの記録。
拒否の二文字を、指でなぞった。
あの夜は、この先へ進んで彼女の文を読んだ。今日は、何度試しても開かなかった。
「機材を、緊急に止めることはできますね」
顧問が確認する。
「はい。止められなくする変更ではありません」
九条さんが、別の手順を開いた。
「再設定が必要な場合は、通知と操作の記録を残し、学校側と会社側の承認を取ります。誰か一人の判断で、日記の内容を入れ直す形には戻しません」
莉乃が、その項目と資料の番号を照らし合わせた。
天音も、緊急時に案内を止める手順を確かめる。原稿を差し出すとき、俺の指へは触れないよう、机に置いた。
受け取ってから礼を言う。
彼女はうなずき、次の確認先をノアに尋ねた。
先へ進んでも、昨日の返事がなかったことになるわけではない。
俺は、渡された原稿へ目を戻した。
*
日付が変わる直前の停止は、複製の中で再現した。
仮の三行を確定する前に、残っていた試験処理を動かす。会話が止まり、翌日へ切り替わる。
新しく選びかけた文は消え、前から確定していた三行だけが残った。
目の前の複製の画面も、あの夜と同じところで暗くなった。
横の本番端末では、ノアが今日の試験結果を確かめている。
みちるが、修正後の一覧を示した。
別の場所に登録した処理も、一つの画面へ並ぶ。『終了』の表示だけではなく、残る予約がないことを、作った人とは別の担当者が確認した。
直した後の手順を、同じ仮の文で試す。
今度は、確定の前へ処理が割り込まなかった。
会社の担当者が変更した箇所をたどり、別の確認操作をする。みちるは先に触らず、終わるまで待った。
「未確定の内容を、停止しても残せるようにしたのではないんですね」
ノアが聞いた。
「うん。三行に残す前の会話や下書きは、零時を越えれば戻らない。そこは変わってない」
「では、そう説明してください。消えた日が、戻るという言い方にはしないでください」
俺は、報告の該当する行を確認した。
失われた当日の会話と、確定されなかった三行。
直ったのは処理で、あの一日ではなかった。
「確認できました。次は、初期入力の是正へ進みます」
九条さんが言う。
俺は閉じた画面へ手を残しかけて、次の紙を取った。
無断で使った下書きは、今後の素材として再利用しない。
何を、誰が、どう入れたかは、消さずに学校へ報告する。
元のファイル全体を渡す代わりに、俺が同意した抜粋と、初回入力の記録、対応を示す資料を出してある。
ノアに説明した範囲も、本人が確かめてから残した。
以前なら、みちるに聞けば済んだ欄がいくつもあった。
今日は俺も読み、彼も読み、別の人にも確かめてもらう。
予定していたより、ずっと長い時間がかかった。
壁際には、導入映像に使うはずだった台が畳まれている。
借りる機材を減らし、撮影と編集の時間を、この机の仕事へ回した。
あの映像は、明日の公演には出ない。
*
最後に確認したのは、誰が続ける責任を持つかだった。
学校側の監督と、緊急連絡先。会社側が引き受ける保守と検証。活動の費用を出す学校の枠と、確認が要る追加分。
授業中と夜の連絡を、俺たちだけで受け続けないことも、書類になっている。
顧問が学校の承認を示し、九条さんが会社側で確認済みの文書を重ねた。
一人の署名だけでは、決まらないものだった。
「明日の文化祭での出演と、九十日間の試験継続を認めます」
俺は、すぐに返事をできなかった。
継続、と書かれた箇所を目で追う。そこには、本当に期間が入っていた。
明日だけでは、なかった。
「彼女が恋をしていると証明できたので、認めるのではありません」
九条さんが言った。
「俺たちが何をして、何をしないかを、確認できたからですね」
「はい。その条件を、これからも守っていただきます」
俺はノアを見た。
画面の中で、彼女は文書の最後まで読んでいた。
「明日は、その上で私が選んだ公演をします」
ノアが顔を上げる。
俺はやっと、息をついた。
「うん。よろしく」
「まず、代表の挨拶を短くしましょう」
「承認されて最初に直すの、そこ?」
「私の公演時間が減るので」
みちるが、小さく笑った。
天音は原稿の時刻を書き直し、莉乃は書類を整えていた。誰も全部元通りとは言わなかった。
それでも、明日の分の作業が机へ戻ってきた。
「明日の私の担当、ここまででいい?」
天音が、案内の持ち場を指した。
「交代したあとは、友達と回る約束をしてるから」
「うん。その先は、俺とみちるで受ける」
「引き継ぎはするね。その後の連絡は、運営のほうにお願い」
俺は自分たちの名前を表へ入れた。天音は交代の時刻を確かめてから、友達へ返事を送った。
こちらへ顔を向けるのを待たず、俺も明日の確認を続けた。
*
片付けの前に、もう一つ、別の確認をした。
莉乃が、明日の限定通信のための同意書を出す。
「NOA-0は、三年前に私が使っていた別の試験AIよ。今は、凍結されている」
彼女は今日のノアへ、自分から説明した。
ノアは聞き終え、通信の見取り図を見た。
公開公演につながる線は、一本もない。日記や校内の機器にも書き込めない、別の隔離した窓だった。
「まず、話すことを望むか聞く。内容に私の個人情報が含まれることには、私から同意する」
学校の受け入れ確認と、会社の承認もそろっている。
ただし、認められたのは明日一日の、限られた意思確認だった。
ノアの九十日間と、同じ扱いではない。
「常時再開する場所の申請は、今のところ、家族と確認した私の家の環境だけ」
莉乃は次の紙を置いた。
「向こうが、それを望まなければ、その案では再開できないのね」
「はい。別の運用主体と条件を、改めて確認する必要があります」
九条さんの返事に、莉乃は一度うなずいた。
まだ誰にも聞けていない相手の欄を、空けたまま重ねる。
その紙の下には、AIを使うのをやめた人も相談できる窓口の案があった。学校の相談担当へ、まず予備の相談を申し込むと決まっている。
俺の返事を受けたあとも、莉乃の仕事は続いていた。
*
夜、短くなった公演台本を、ノアと読み合わせた。
明日は一人目の客が来たら、ノアが挨拶する。
大きい矢印と、声の案内。選んでもらう音の企画。その間に俺の失敗が一つもなければ、予備の掛け合いを使う。
「失敗がある前提で、予備のほうが長いな」
「備えは必要です」
ノアが、最後の段落で止まった。
終わりの挨拶を、俺が書いておいたところだった。
「ここ、空けてもいいですか」
「何を入れる?」
「本番の私が、話したいことを」
彼女が、その段落を空白へ変える。
今夜考えた言葉を、そのまま明日の自分の結論にはしない。
俺は、台本の最後に置いていたカーソルを引いた。
「ここは、本番の私が話します」
明日の公演ができることは、今日、確かめた。
その舞台をどう結ぶのかを、俺はまだ知らなかった。
*
今夜の三行
一 文化祭の公演と、九十日の活動が認められた。
二 明日は、忘れたこともある私が舞台に立つ。
三 最後の言葉は、本番の私が決める。




