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ステラ・ニードルの記憶 〜完璧な魔法を失った天才魔導師は、真鍮の義手で不完全な世界を継ぎ接ぎする〜  作者: 紡木 綸


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【第91話】完璧を穿つ、泥臭きノイズ

『神耳の落ちこぼれ』


世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

音の消えた純白の領域に、ポタ、ポタと。 極めて異物的な、粘り気のある液体の滴る音が響いた。

吹き飛ばされた純白のシルエットが、自らの左腕をゆっくりと持ち上げる。 一切の汚れを許さないその完璧な無機質の表面に、ルカの振り抜いた鉄の柄から付着した『黒い機械油オイル』と『赤い血』が、べっとりと醜い染みを作っていた。

『……不純物。論理式に存在しない、エラーの蓄積』

シルエットが、その染みを消去しようと微かに光を瞬かせる。 しかし、瞬時に漂白されるはずのその泥臭い汚れは、チリチリと嫌なノイズを立てるだけで、完全な無へと還元されるまでに数秒の「遅れ」を生じさせた。

魔法の光や、純度の高い魔力であれば、この使徒は一瞬で消去できる。 だが、ルカの血と機械油には、鉄の錆、土くれ、大地の摩擦、そして何より、過酷な生存本能から生み出された「極めて密度の高い、物理的なエントロピー(熱量の乱れ)」がゴチャゴチャと混ざり込んでいるのだ。

完璧すぎるがゆえに、あまりにも低俗で泥臭い物理現象ノイズを処理するための回路(免疫)を、この虚無の使徒は持ち合わせていなかったのである。

「……ハァッ、ハァッ……。どうしたのよ。あんたの嫌いな『汚れ』よ」

ルカは、ひしげた外骨格を半ば引きずるようにして、生身の左手で『折れた巨針の柄』を右手の装甲ごと固く握り締め、雪を踏み締めた。 背中のボイラーは完全に沈黙し、もはや一ミクロンの蒸気の補助もない。数十キロの鉄の塊を片手で扱うことなど、本来の彼女の筋力では絶対に不可能だ。

だが、ルカは、大地の引力と、自身の体幹をコマのように捻る『遠心力』を利用して、その重たい鉄の塊を引きずり回していた。

「いくわよ……ッ!!」

ルカが、血みどろの足で氷の岩盤を蹴り飛ばし、純白の使徒に向かって突進する。 右の鎖骨は折れ、呼吸をするだけで肺が焼けるように痛む。だが、その激痛すらも、今のルカにとっては自らの意識を繋ぎ止めるための極上のスパイス(熱)だった。

『……理解不能。すでに肉体は崩壊の限界値を超えている。なぜ、その苦痛エラーを抱えたまま稼働を続けられる?』

使徒が、ルカに向かって右手をスッと水平に薙いだ。 その動作だけで、ルカの目の前の空間が『絶対零度の真空』へと変貌し、見えない断頭台の刃となって迫り来る。

「痛いからよッ!!」

ルカは、突進の勢いを殺さず、自らの身体を雪面に擦り付けるようにして強引にスライディングした。 頭上を、無音の真空刃が通り過ぎ、ルカの銀色の髪の毛先を数センチだけ音もなく消し飛ばす。

「痛いから……自分が生きてるって、分かるんじゃない!!」

ルカは、雪面に倒れ込んだ勢いそのままに、自身の身体を支点にして『折れた巨針の柄』を横薙ぎに全力でぶん回した。

『無駄だ。同じエラーは二度――』

使徒が、足元から迫る鉄の柄を消去しようと、絶対的な「無の結界」を展開する。

だが、ルカの狙いは使徒の身体ではなかった。

ズガァァァァァァンッ!!!!

ルカの振り回した数十キロの鉄の柄は、使徒の足元の『氷の岩盤』を、爆発的な物理エネルギーをもって粉砕したのだ。

「……ッ!?」

結界の下から大地そのものを破壊され、重力を無視して浮遊していた使徒の姿勢が、激しく舞い上がった大量の氷の破片と岩の欠片ノイズによって初めて大きく崩れた。 完璧な無の結界も、全方位から散弾銃のように降り注ぐ無数の物理的な「泥と石」を、一瞬ですべて消去することはできない。

「計算通りにいかないのが、生きるってことよ!!」

ルカは、岩を砕いた反動を利用して跳ね起きると同時に、ひしげた外骨格の『死んだ右腕の鉄の肩』を、使徒の無防備な胸元に向かって、自らの全体重を乗せて力任せに叩き込んだ。

ゴガァァァァァァンッ!!!!!

強烈なショルダータックル。 何の魔法の恩恵も持たない、ただの鉄の塊と、人間の捨て身の体重移動。 だが、それは間違いなく、純白の使徒の完璧な身体を「物理的に殴り飛ばし」、カルデラの雪面へと無様に転がした。

「ハァッ……、ガハッ……!」

タックルの反動で、ルカ自身の折れた鎖骨と肋骨にも凄まじい激痛が走り、彼女は激しく咳き込んで血の塊を吐き出した。

『……エラー。エラー。論理法則の崩壊。物理的エントロピーの異常増大』

雪面に倒れ込んだ使徒が、初めて、明らかな「バグ」を起こしたように、その輪郭をチカチカと不気味に明滅させた。 彼らにとって、魔法で攻撃されることは「数式の書き換え」に過ぎないため、簡単に無効化できる。 だが、ルカのやっていることは、精密なコンピュータの基盤を、泥だらけのハンマーで直接物理的に叩き割るような行為なのだ。

『……なぜ。なぜ、そこまでして……このノイズだらけの世界に執着する?』

使徒が、ゆっくりと立ち上がりながら、一切の抑揚のない声でルカの脳内に問いかけた。

『お前は、かつて完璧を望んだはずだ。痛みを嫌い、他者の不完全さを嫌い、塔の上に引きこもった。……我らがもたらす無の世界こそが、お前の求めた究極の救済ではないのか』

その言葉は、ルカの心の最も脆い過去の古傷を、鋭く抉るものであった。 確かに、かつての彼女なら。自分の完璧な魔法の論理が、愚かな人間たちに理解されないことに絶望していた、あの頃の彼女なら。

「……そうね。昔の私は、本当に馬鹿で、臆病な子供だったわ」

ルカは、痙攣する左手で、自身の胸元――雪の上に倒れ伏している、冷たくなっている小さなノアの背中を、そっと、愛おしそうに撫でた。

「痛いのが嫌で、傷つくのが怖くて。……誰かとぶつかって、自分が『不完全な存在』だって思い知らされるのが、死ぬほど怖かった」

ルカは、顔を上げ、ドロドロに汚れた自身の身体と、右半身にぶら下がる醜い鉄のゴミ(外骨格)を見下ろした。 そして、その泥だらけの顔に、この世界で一番美しく、力強い『笑顔』を咲かせたのだ。

「でも、お父様が遺した狂気を知って。ガリィたちの不格好な意地に殴られて。エイル村のみんなの、泥臭い命の足掻きを見て。……そして、この小さな家族ノアの熱に触れて」

ルカは、左手で再び『折れた巨針の柄』をガシッと掴み、ゆっくりと、しかし巨木が根を張るような圧倒的な力強さで立ち上がった。

「やっと分かったのよ。……不完全だから、傷つくの。欠けているから、痛いの。……でもね」

ルカの青い瞳に、もはや一切の迷いはない。

「その『痛い傷跡』こそが、他者だれかと手を繋ぐための、大切な『結び目』になるのよ!!」

ルカの魂の咆哮が、音の消えたカルデラに、目に見えるほどの熱波となって響き渡った。

「ノイズのない完璧な世界なんて、ただの巨大な棺桶よ! 私は、そんな世界で一人ぼっちで綺麗な神様になるくらいなら……みんなと泥だらけになって、毎日泣いて、笑って、喧嘩して、痛い思いをしながら生きていく『ただの継ぎ接ぎ屋』でいい!!」

ルカは、鉄の柄を引きずりながら、純白の使徒に向かって最後の一歩を力強く踏み出した。

『……完全な、論理の破綻。理解不能。……対象を、最優先のバグとして、絶対消去する』

使徒の身体が、これまでで最も眩い、目を開けていられないほどの純白の閃光を放った。 周囲の空間の概念そのものを一瞬で「無」に書き換える、世界崩壊の最後の一撃。 それが、圧倒的な密度の光の津波となって、ルカの小柄な身体を飲み込もうと襲い掛かる。

だが。

「……消させやしないわよ。私の中にある、みんなから貰った『大切なノイズ』を!!」

ルカは、逃げなかった。 彼女は、自身の身体の奥底、魔力回路の最後の一滴までを絞り尽くし、それをすべて『純粋な熱量エントロピー』へと変換して、左手の指から鉄の柄へと一気に流し込んだ。

ルカの生体魔力。ノアの獣の熱。ガリィの不純物だらけの鉄。お父様の折れない論理の残骸。エイル村の祈り。 それらすべての「不完全なノイズ」が、ルカの握るただの鉄の柄に、巨大な太陽のプロミネンスのような赤黒い炎となって極限まで圧縮されていく。

「これで……」

ルカは、迫り来る絶対消去の純白の波に向かって、その赤黒く燃え盛る泥臭い鉄の槌を、命を懸けて真っ向から振り下ろした。

「縫い、終わりよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」

ズガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!

純白の「絶対的な無」と、赤黒い「極限のノイズ」。 相反する二つの力が、スノー・ホワイトの頂で正面から激突した。

音も、光も、時間すらもが、その圧倒的なエネルギーの衝突によって完全に飽和し、崩壊する。 世界からすべての色彩が消え去り、極端なコントラストの反転が起きたかのような、白と黒だけの視界が数秒間続いた。

そして。

パリンッ……。

という、極めて小さな、ガラスが割れるような音が、静寂の空間に響いた。 光が収まり、カルデラの景色が徐々に色彩を取り戻していく。

「……ハァッ……、ハァッ……」

ルカは、両膝を雪の上に突き、右半身の鉄の装具から黒い煙を上げながら、荒い息を吐いていた。 彼女の握りしめていた『折れた巨針の柄』は、最後の激突の熱に耐えきれず、完全にドロドロに溶け落ち、ただの熱い鉄の塊となって雪の上に転がっている。

そして。 ルカの数メートル先。

そこには、もはや「完璧な純白のシルエット」は存在していなかった。 使徒の顔があったはずの空間には、ルカの叩き込んだ泥臭い鉄槌によって、クモの巣のような無数の「ひび割れ(亀裂)」が刻み込まれていたのだ。

『……エ、ラー。……私、は……完璧、な、はず……。なぜ、このような……ノイズ、に……』

ノイズの混じった、ひどく掠れた声。 使徒の純白の身体が、そのひび割れからボロボロと、まるで灰のように崩れ落ちていく。

「……完璧なものなんて、この世界のどこにもないのよ。……あんた自身も含めてね」

ルカは、溶けた鉄から生身の左手を離し、ゆっくりとその場で仰向けに倒れ込んだ。

バシャァァァァッ……!!

使徒の身体が完全に崩壊し、虚無の風に吹かれて消滅した瞬間。 スノー・ホワイトの頂を覆っていた「音の消去」の結界が打ち破られ、外界から、猛烈な吹雪の音と、岩が転がる音、そして遠く麓の村から微かに届く、大自然の様々な『ノイズ』が一斉にカルデラへと流れ込んできた。

うるさくて、冷たくて、痛々しい、いつもの現実の世界の音。

「……あはっ。……うるさい……。でも……いい音ね……」

ルカは、雪の冷たさを背中に感じながら、薄れゆく意識の中で、分厚い灰色の雲の隙間から差し込む、暖かな陽の光を見上げた。 黒い太陽は、完全に消滅した。 引力異常も、絶対零度の呪いも、もう何もない。 ただの、厳しくも美しい、自然の雪山がそこにあるだけだ。

「……クゥン……」

ルカの胸元で、気絶していたノアが小さく鳴き声を上げ、そのザラリとした温かい舌で、ルカの泥だらけの頬を優しく舐めた。

「……お疲れ様、ノア。……私たち、やり遂げたわよ」

ルカは、痙攣する左手で、ノアの小さな身体をそっと抱きしめた。 全身の骨は砕け、肉は裂け、魔力も底を突き、一歩も動くことはできない。 だが、その心は、かつてないほどの温かな充足感と、泥臭い命の喜びに満たされていた。

完璧な神様には、なれなかった。 でも、誰よりも傷だらけで、誰よりも不格好な、最高の『継ぎ接ぎ屋』には、なれた気がする。

「……少しだけ、眠るわね……」

ルカは、ノアの温かい獣の体温に包まれながら、ゆっくりとその深く澄み切った青い瞳を閉じた。 万人のノイズを繋ぎ合わせ、絶望の空を縫い止めた少女の、静かで、安らかな眠りであった。

全てが終わった後、彼女はどのような日常へと帰っていくのだろうか――。


【第86話】エピローグ:継ぎ接ぎの穏やかな日々(最終話)

エピローグ:継ぎ接ぎの穏やかな日々

アイアン・ヘイヴンの空から、いつしか重苦しい煤煙の雲が晴れ、高く澄んだ秋の青空が覗くようになっていた。 あの日、霊峰スノー・ホワイトの頂で「黒い太陽」が完全に縫い潰された後。 世界は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで「明日」への修復を始めていた。

狂った引力や異常気象は収まり、各地で途絶えていた物流が再開した。 破壊された街や村の再建は、今頃、力ある騎士たちや、魔法の才に恵まれた『英雄』と呼ばれる若者たちが、それぞれの場所で汗を流して進めていることだろう。

そんな、活気に満ちた世界の喧騒から遠く離れた、アイアン・ヘイヴンのはずれ。 日当たりの良い小さな工房の窓辺で、ルカは静かに息を吐き、手元の作業に没頭していた。

「……よし。ここのステッチは、これでいいわね」

ルカの膝の上には、美しくなめされた上質な牛革のバッグが乗せられていた。 彼女は今、生身の左手で革の端をしっかりと押さえながら、右手の指先で二本の小さな縫い針を交差させ、太い麻糸をひと針ひと針、均等な力で縫い合わせている。

その縫い針を握っている右腕は、かつて世界を繋ぎ止めた、あの無骨で巨大な蒸気シリンダーの装甲ではない。

カルデラで意識を失ったルカを、迎えに来た父アルベルトが背負ってこの街へ連れ帰った後。ガリィが、数ヶ月間工房にこもりきりになってルカのために打ち上げてくれた、新しい『日常のための義手』であった。

装甲板も、重たいボイラーもついていない。 細い真鍮のワイヤーと、小指の先ほどの極小の歯車が無数に組み合わされた、ひどく繊細な作りの鉄の腕。 重い物を持ち上げる力や、何かを破壊するような出力は一切ないが、その代わり、ルカの左手の指の動きと魔力波長に寸分の狂いもなく連動し、縫い針の穴に糸を通すことすら可能な『極限の器用さ』を備えていた。

チキッ、チキチキッ。

ルカが指を動かすたびに、右腕から心地よい、微かな時計の秒針のような音が鳴る。

「クゥン……」

足元の暖かい日だまりでは、すっかり元の美しい銀色の毛皮を取り戻したノアが、気持ちよさそうに丸くなって微睡まどろんでいた。 時折、ルカの足首に鼻先を擦り付け、安心したように寝息を立てている。

あの死闘の果てに、ルカは生体魔力のほとんどを喪失し、重い荷物一つ満足に持てないほどに非力な身体となってしまった。 けれど、もう戦う必要はないのだ。 魔力も力もない彼女は、世界の表舞台から静かに降り、こうしてノアと共に、隠居のような穏やかで地味な毎日を送っていた。

「おい、ルカ。右手の薬指のワイヤー、少し遊びを持たせすぎたかもしれねえ。ちょっと見せろ」

工房の奥から、油まみれのエプロンを揺らしてガリィが歩いてきた。彼はぶっきらぼうな口調で言いながらも、手には精密な調整用の工具を握っている。

「そう? 私はこれくらいがちょうどいいわ。厚手の革を縫う時、少しだけ『タメ』があった方が、縫い目がしっかり締まるのよ」

ルカは、縫いかけの鞄を置きながら笑って答えた。

「ちっ、相変わらず注文の多い継ぎ接ぎ屋だぜ。……まあ、お前が使いやすいならそれが一番だがな」

ガリィは悪態をつきながらも、ルカの右腕の関節に工具を当て、丁寧に微調整を施していく。 命を削り合った戦友であり、最高の職人同士。二人の間には、言葉以上の深い信頼が結ばれていた。

そこへ、工房の木製のドアがカラン、と控えめな音を立てて開いた。

「ルカ。……邪魔するよ」

少しだけ背中の丸くなった初老の男――アルベルトが、大きな紙袋を抱えて入ってきた。 かつて塔の頂上で狂気的な論理に憑りつかれていた「天才魔道具師」の面影はない。そこにいるのは、娘の無事を何よりも案じ、その日常を不器用に支えようとする、一人のただの父親だった。

「お父様。いらっしゃい」

ルカは立ち上がり、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。

「ああ。……その、街の市場で、美味そうなリンゴが手に入ったからね。君が昨日、アップルパイを焼きたいと言っていたのを思い出して……」

アルベルトが少し照れくさそうに紙袋を差し出すと、ルカは嬉しそうにそれを受け取った。

「ありがとう! ちょうど今朝、ガリィのためにパンの生地を仕込んだところだったの。一緒にアップルパイも焼くわ。……お父様も、食べていくでしょう?」 「あ、ああ。……よければ、ご相伴にあずかろう」

アルベルトが目を細めて頷く。

ストーブの上では、ルカが仕込んだパンの生地がふっくらと膨らみ始め、工房の中に香ばしく、甘い酵母の匂いが漂い始めていた。 その匂いに釣られたのか、足元で眠っていたノアがパチリと目を覚まし、尻尾を振りながらルカとアルベルトの足元を回り始める。

「こらノア、まだ焼けてないわよ」

ルカはくすくすと笑いながら、ノアの頭を撫でた。

世界を縫い合わせた不格好な巨大な針は、もうない。 今の彼女の右腕と、左手の指先にあるのは、丈夫で美しい革の鞄を仕立てたり、大切な人たちのために温かいパンやパイを焼いたりするための、ささやかで優しい『日常のノイズ』だけだ。

それは、かつて彼女が求めていた「ノイズのない完璧な世界」とは、正反対の景色。 右腕の機械は定期的に油を差さなければ軋むし、パンの焼き加減に失敗することもある。ガリィとは相変わらず口喧嘩ばかりだし、お父様との会話はまだ少しだけ不器用だ。

でも、ルカはその「完璧じゃない、温かな日々」を、心の底から愛していた。

「……さあ、お茶にしましょうか」

ルカは、縫い上がったばかりの頑丈な革鞄のステッチを誇らしげに指先でなぞると、愛する家族と友人が待つテーブルへと、静かで、確かな足取りで歩き出した。

窓の外では、澄み切った秋の風が吹き抜け、アイアン・ヘイヴンの街のざわめき――生きている人間たちの泥臭くも力強いノイズが、穏やかな子守唄のように響いていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

全91話で完結となります。

最後までセレンたちの物語をお読みいただきありがとうございました。

もし本作を少しでも「面白い」「ルカの泥臭い生き様を応援したい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価(★)、応援コメントなどをいただけますと、何よりの励みになります。

本作以外の作品も是非お楽しみください。


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