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べからずさま  作者: 長月 ざらめ
1章 口紅編
22/38

7話の2 じゃれるふたり

※未成年の飲酒表現あり。

 コンビニから離れたガードレール。

 そこに腰掛けるだけでも絵になる男が実在するんだなぁ、と空は彼を眺める。


 黒いロングコートが揺れる。マフラーはしていないが、ホワイトカラーのパーカーに着いたフードがその役目を果たしているのだろう。不思議と寒そうには見えなかった。

 黒のスキニーパンツがスラリとしており、彼の足の長さを強調してくれる。

 全体的にモノトーンでシンプルな色調のため、着るものを選ぶだろう。しかし、それを着こなす美貌を彼は持っていた。

 端的に言えば、よく似合っていたし、実年齢よりも大人びて見える。


「これ、ルージュさんが買ったやつです」

「ン。ありがと。いくら?」

「このくらい別にいいですよ。はした金なんで」

「アハ。うつぼチャンお口悪いねェ?」

「幻滅しました?」

「まさか。最高」


 空はコンビニで彼が買ったものを渡した。

 紅朱は早速肉まんにかぶりつく。


「ン~最高ォ~っ」

「それは何よりです」


 空は紅朱の隣で街灯に背中を預けて寄りかかった。

 華金酔の酒缶のプルタブに指をかけて引く。「プシュッ」とガスの抜ける小気味良い音がした。

 それを1口、2口と煽り、コンビニのカウンターにあるホットショーケースで売られていた、ブラックペッパー味のチキンを口に放り込んだ。

 唐揚げのピリピリと辛い味付けでいっぱいになった口内を、チューハイのオレンジの爽やかな甘さでリセットする。熱さと辛さでヒリつく舌を、冷えた炭酸が刺激していく被虐的な美味さが病みつきになる。

 「うま」と空が呟くくらいには、爽やかに甘い×辛いは相性が良くて、好きな組み合わせだった。


「そういえばさァ」

「はい?」

「よく来るの? 夢見通り」

「いえ。今日は依頼人がこの辺りが職場みたいで」

「ン~? こんな真夜中にお仕事してるの?」

「珍しいことではないですよ。霊は夜の方が活発になりますし、私はキャバ嬢とかホストとか、そういう方を取り扱うことがありますので」

「へーえ。つまり仕事帰りに一杯やろうって?」

「そういうことです」


 空は缶チューハイを飲む。


 今日は依頼人がホストで、仕事が終わった後に除霊をお願いされた。

 今日の朝9時頃のことである。

 昼間では駄目なのか、と確認してみたが、既に予定が入っており、断ることが難しいらしい。仕事も忙しく、休みを取れるのはもう少し先になる。だが、それまでずっと霊が取り憑いたままなのは嫌なので、今日除霊してほしいと頼まれたのだ。


「それで、除霊が済んだので後払いの40万を頂こうとしたら、『仕事終わった後でそんな大金は持っていないからまた後日支払う』と言われまして。帰宅前に酒でも飲もうと思っていたらルージュさんと出会(でくわ)しました」

「……ソレ、40万踏み倒されたンじゃない?」

「そうですね」


 紅朱は空を見遣る。

 彼女の表情はおろか、声色すら変わらないのが少し気になったからだ。報酬を支払われていないのだから、言葉に苛立ちを含ませたり、舌打ちしたり、愚痴や恨み言の1つでも吐いても良さそうなのに。

 空が本当に全く気にしていないのか、それともこういうことが日常茶飯事的によくあるせいで感覚が麻痺しているのか、紅朱では判断がつかなかった。


 というか、彼女は今食べているキューブ状のチョコレートの方が気になるようで、チョコを1つ囓って、その断面を見ていた。

 中に見える赤紫の何か。ドライベリーが入っているようだ。酸味のあるドライベリーと表面のほろ苦いダークチョコレート。

 酒に合うなぁ、とリピートを決めた空は、口を開いた。


「まあ別に、必ずしも報酬はお金である必要は無いと思うので」

「……体で支払えってコト? うつぼチャン、えっちィね?」

「ルージュさんの方がえっちですよ。今日は昼間よりえっちなオーラが強いです」

「うつぼチャン、常日頃るークンのことえっちだと思ってンの?」

「はい」

「そっかァ~~」


 迷うこと無く頷かれて、紅朱は喉で笑った。


「ルージュさんは、よく来るんですか。夢見通り」

「ウン。……るークンがいつもナニしてるか、知りたい?」

「ある程度予想はついてます。ルージュさんがいた辺りは、休憩所(・・・)が多いので」


 ラブホテルだと言わない辺り、空からの配慮を感じた。気づかない人の多い、細やかな気遣いだった。

 その気遣いができるクセに、「いや、別に」と首を横に振らないのが彼女らしい。「話したくないなら話さなくてもいいです」だとか「でも話すと楽になると思いますよ」だとか、興味・好奇心を濁しながら傾聴の姿勢も取らないところも。

 呼吸が少し、楽になった。


「お金が入り用なんですか?」

「いンやァ? ただの趣味」

「しゅみ」


 空の視線がはじめて紅朱に向いた。すぐに剃らされたが。


「それはまた……退廃的な趣味をお持ちで」

「でしょ」


 紅朱は食べ終わった肉まんの包装紙をぐしゃりと握り潰して丸めた。


「人肌が恋しくなるとここについ来ちゃうンだよね。今日は一段と寒い夜になるってお天気おねぇサンが言ってたし」

「寒いの苦手なんですか?」

「嫌いだねェ。それにさ」


 紅朱はぼんやりと人の少なくなった通りを眺める。


「独りってなんか嫌じゃない?」


 理解を求めている訳ではない。理解されなくてもいいと思っているし、1人でも特段問題ないとも思っている。ほんの数人、同じ空間で共通の話題について駄弁っているだけでも充分だ。それで満足している。


 ただ時折、どうしようもなく独りが不安で、恐ろしくなる時がある。体のそこかしこにぽっかりと穴が空いて、冷たい隙間風が通る感覚。

 その穴を埋めるために、同じホモ・サピエンスから肉を貰い隙間に詰めていくように。お互いを(わか)つ境界が分からなくなって失くなって、遂には融け合うくらい、肌を擦り合わせて熱を通わせたくなる。

 それでもひび割れから大切なものが漏れ出ていくような、何をしても満ちない感じがした。寒いのが嫌いだった。渇いていくのが嫌いだった。でもどうしようもなくて、寒くて飢えて仕方がなかった。肌をこそぎ落とさんばかりに摩擦しても、喉を鷲掴んで喘いでも、どうしようもないこの辛さを。自分じゃどうにもできないこの寒さと飢えを誰かになんとかしてほしかった。

 だから、ベッドの上で他人に全身を撫でて、擦りつけて、暖めて貰うのだ。ぬるい吐息を交換して。お互いの唾液を飲み下して、喉が潤うまで。お互いに貪って、腹が満ちるまで。

 繰り返し繰り返し、これまでずっとそうして凌いできた。

 セックスがコミュニケーションであるとはよく言ったものだ、と紅朱は口の端を歪めて自嘲する。


「まだ寒いですか?」

「ン~」


 問いかけてきた本人に目もくれず、紅朱は考える。

 ……正直なところ、全然物足りなかった。こういう心の渇きは次から次にやって来る。1人と事が終わっても、また次の人、更に次の人、と。体がギシギシになって使い物にならなくなるくらい痛めつけて快楽に溺れても、満ちるのは絶頂に達したほんの刹那の時間だけ。次の瞬間には心が乾上がる。次が欲しくなる。悪循環なループ現象。

 何せ、心の欠けから零れていくのだ。いくら水を注いでも満たされない、ヒビの入ったコップのように。

 何度も「お前の心に欠けはない」と教えて貰っても、一夜限りの他人の言葉は脳に上手く浸透しないのだ。


 不毛すぎるそれを伝えたところで、彼女を困らせるだけだと思っていたので、紅朱は言葉に嘘を混ぜることにした。


「ちょっとだけ」

「そうですか」


 隣の気配が動いた。

 そして、紅朱の腰掛けているガードレールに新たな重みが加わったのが臀部から伝わってきた。

 紅朱が目線を隣に向ける。

 思ったよりも近い位置に、彼女がいた。ガードレールに足を揃えて座った状態で、上半身だけを紅朱に向けて手を緩く広げている。


「はいどうぞ」

「ごめんナニが?」


 「ほらばっちこいよ」と言いたげなどや(澄まし)顔をする空に、紅朱は首を傾ける。

 脳内ははてなマークで埋め尽くされていた。


「クレバーに抱いてやるって話ですよ」

「うつぼチャン酔っても顔に出ないタイプ?」

「酔った感覚味わったことないし、記憶もきっちり残るタイプです。問題ありません。完全に素面(シラフ)の状態です」

「酔ってる人間の言葉なんだよなァ~」


 紅朱は空の顔をまじまじと見る。

 確かに顔は赤くないし、彼女が飲んだのは缶チューハイ1本だけでそこまで酒臭くもない。酒に弱くないというのは本当なのだろう。先程「焼酎瓶1本飲み干してもなんともなかった」とも言っていたし。

 素面(シラフ)でもやろうと思えばやりそうなことではあるが……いや、やるか? むしろ酔っているから人との接触が激しくなったり、パーソナルスペースがガバガバになったりする感じなのか?


 紅朱が考察を進めていると、空が息を吐いた。


「あのね、ルージュさん」

「ウン?」

「友人が寒いって言っているのに対して、どうにかしてやりたいなって思うのは友人として至極一般的な思考だと思うんですよ」

「ンェ?」

「だからクレバーに抱いてやるって言ってるんですよ。分かります? それと」


 空は催促するように両手をもう少しだけ広げた。


「私もルージュさんみたいに寂しくなった(・・・・・・)時は、祖父にねだってハグしてもらってました」

「――」


 内情をピタリと言い当てられて、紅朱は目を見開いた。

 少しだけ空いた、真っ赤に塗られた唇から白い吐息が漏れる。


 欲情もしておらず、畏怖も抱いていない。嫌悪も侮蔑も嘲笑もない。

 ただ、ひた、と見据えられている。

 自身を真正面から見つめてくれる青い目が。過大にも過小にも評価しない、等身大の自分の存在を認める青い瞳が。


 ――好きだなァ、と。


 以前、暁美と灯子と空が話していた時に妙に苛立った理由が、今、ようやく理解できた。

 空の目が好きだ。その目が自分に向けられていないのが嫌だったのだ。

 今まで感じたことのない、他者へと向かう感情。一般的に“独占欲”と呼ばれるものが、紅朱の中に生まれていた。


 空のことが好きだ。


 これが友情なのか、恋愛感情なのか、それとも興味のつきない彼女への好奇心なのかは……まだ、自分の中で結論は出ていない。


 だが、少なくとも自分が好意を抱く彼女との抱擁はきっと――日光を受けて木漏れ日を生み出す葉のような、己を優しく包むベールのような。きっとそんな風に、優しく受け止められるようなものになるだろうと思った。


 ――欲しい。


 紅朱の体は己の欲に忠実に動く。

 彼の上半身が空に向き合う。ガードレールに乗ってバランスを取っていた腕が彼女の腰を回り、背中を引き寄せた。

 紅朱自身も腰を上げて空との距離を詰める。が、面倒臭いし体勢が少しきつかったので、空を持ち上げて横抱きにした。「ぅわ」という少し驚いた声が彼女から漏れて鼻で笑う。


 紅朱の太股に空の臀部が乗る。紅朱の左腕が空の背中を、右腕が空の両太股の裏を回り、しっかりと彼女を支えていた。


 紅朱は顔を空の首元に埋めた。

 首に顔を埋めたのは、そこに僅かな肌の露出があったからだった。折り返されたタートルネックが首の半分を覆っている。それを下へずり下ろして、代わりにピタリと頬を密着させた。「つめたっ」という声と共に空の体が跳ね上がるように震えたが、すぐに落ち着いた。

 酒を飲んで体温が上がっているからか、冷えた頬には熱くて心地よかった。


「ハァー……」

「……落ち着きます?」

「ン」


 素肌の触れ合いがあるのは首だけで、それ以外は服越し。肌の直接的な接触面積はとてつもなく狭い。だが、それでも十分、満たされる。

 心の欠けが修復されて、嬉しいとか心地好いとか、そういう暖かい感情がちゃんと溜まっていく感覚。

 ぽかぽかした。心が。

 ずっとこうしていたいなと思うくらい。

 紅朱は目を閉じて、ぬるくなった頬の温度にうっとりとしながら、ゆっくりと息を吐き出す。


「……ねーえ、うつぼチャン」

「はい? なんですか?」

「敬語やめて。さん付けもナシで。あと背中に手ェ回して。頭も撫でて」

「要求多くないですか??」


 「敬語。ヤ」と紅朱が空を抱え込む。

 その様子に空は「赤ちゃん返りですか?」と言いたくなったが、すんでのところで口を閉ざす。これ以上抱き締める力を入れられると流石にきつい。だから、彼の言葉に「はいはい」と雑に応えて、紅朱の体に手を回した。そして、「おお」と目を見張る。

 細身に見えるが思いの外、身体は筋肉質でがっしりとしている。細マッチョというものかもしれない。

 見た目通り、がっしりとした筋骨隆々とした肉体を持つ祖父とは大違いだ。

 空は新しい発見をした気分になった。


「ルージュって鍛えてる?」

「ンーン。喧嘩とセックスだけ」

「両極端な2つが出ちゃったな」


 筋肉トレーニングとは言い難いその2つでバルクアップしてたら、真面目に体を鍛えている祖父が可哀想だ。


 空が遠い目をしている一方で、紅朱は、彼女は敬語を外すと呼び捨てになることを知った。


「頭に触っても?」

「ン」


 許可が出たので、空は紅朱の頭に手を伸ばす。

 少ししっとりと濡れていて、冷たかった。見ていた感じはそこまでなかったのだが、所謂(いわゆる)生乾きだったのだろう。


「ルージュ。私と会う前にお風呂入った?」

「ンー……男に抱かれると抱く時より汚れるからさァ、ラブホにあるシャワー浴びたァ」

「あぁ、そう。男に抱かれ……抱か……なんて???」

「ン~?」


 空の頭を撫でる手がとまる。

 ……え、そっちなの??? と空は目をぱちくりさせて背後に宇宙を背負った。

 紅朱は固まった空に半笑いで伝える。


「うつぼチャァン。るークンね、バイよ? バイセクシャルなの」

「ばいせくしゃる」

「ンー、まあ、両性愛というよりは両刀の方が意味合い強めかなァ? オトコノコもオンナノコも抱けるし抱かれちゃえるの。受け攻め、ネコタチどっちも可。リバもイケる。オーケー?」

「はぁ……」


 紅朱がベッドに女性を押し倒していたイメージがガラガラと崩れた。代わりに汚いモブおじに押し倒される紅朱のイメージが浮かび上がる。


「……アヤメさんが好きそうだ……」

「あやめェ?」

「うん、先輩……」


 空は生暖かい目をしながら、せっせと紅朱の頭を撫でていた。

 次の投稿は8月26日、火曜日、0:00です。

 よろしくお願いします。

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