旅人、聖都を訪れ活況に驚嘆す
聖都と南方領を南北に繋ぐ密林の街道を、一人の男が北上していた。垢擦れたマントと動きやすい布衣に身を包んだ旅装束の男は、茫洋とした視線を真っすぐに向け、さりげなく周囲を観察している。足取りはしっかりとしており、いかにも旅慣れた風情が男にはあった。
土を固め、平らな石を敷き詰めた街道は歩きやすく、時折通り過ぎる馬車や荷車も、騒音を感じさせない。聖都へ向かうにつれ、褐色肌の逞しい荷役夫が男の眼を引いた。
街道の側には、無数のヒマワリが咲いている。ぎらぎらと照りつける陽光の下、見た目も鮮やかに揺れる大輪は、不思議な木々の生えた森からくるねっとりとした熱風を涼やかに受け流してくれるようだった。
石畳に整えられた街道に沿って、悠々と歩を進めた男は密林を抜ける。曲がりくねった木々から開けた視界に、男は驚嘆の息を漏らした。
無数に、しかし整然と並ぶ小屋は木造で、屋根には密林でよく見かけた樹木の葉が用いられている。家屋自体の出来は、石造りの街並みである王都に大きく劣るものだ。しかし、家々の並び方、埃一つ落ちていないと思われる張り巡らされた街路、そして何より、白く荘厳な大聖堂の存在が男の眼を強く惹きつけてくる。材質はともあれ、それは大都市の片鱗を持つ、辺境の秘境にはそぐわない町割りだった。
街の中央には小高い丘があり、その頂点に眼を向ければ男の驚きはますます大きくなった。白くなだらかな大階段が設えられ、その頂点にあるものは白亜の大神殿。王城に比べれば規模は小さいものの、神の座する場のような、シンプルな造りの中に圧倒してくる何かを感じずにはいられない。
呆けたように立ち尽くしていた男は、やがて気を取り直して街路を進む。この街には関所などは無く、男の他にも大きな馬車などが出入りをしていた。
「よう、兄さん。あんた、旅人かい?」
側を徐行していた馬車から、男に声がかけられる。見れば、馬車の後部の幌を開いて風を通していたらしい商人がにこにことした顔を向けていた。
「はい。最近、王都へ流れてきた奇妙な果実に興味が湧きましてね。トマの実、というのですが」
男の言葉に、商人が大仰にうなずいて見せる。
「ああ、トマの実かい。酸味があって、水気たっぷりの美味しいやつだね。野菜なのか果物なのか、判らないけれども。中々、眼の付け所が良いね、あんた。私も、トマの実目当てなのさ。南の大河で筏に乗せれば、儲けの機会が掴めそうだ。そう考えてる同士らは、他にも沢山いるよ」
そう言って商人が、元来た密林へ続く街道を見やる。男も振り返って見ると、ぽつんぽつんと大きな馬車がいくつか見えた。
「商人の皆が皆、あの果実を求めている、ということですか」
男の問いに、商人が首を横へ振る。
「他にも、見るべきものはあるんだ。私も商人だから、商売のタネは明かせないがね。それに、こちらへは南で採れた魚を塩漬けにしたものが、良く売れる。売ったものを銭に替えて、秘境の地の秘蔵の品を得る。大抵皆、それが目的だろうね」
商人が取り出して見せるのは、布の銭袋だ。ちゃりちゃりと金属のぶつかり合う音の代わりに、軽い石の音がする。開いた中身を覗きこむと、石で出来た通貨が少量入っていた。
「王国通貨とは、違うようですね」
男の感想に商人がひとつうなずき、袋の口を締めて大事そうに懐へそれを仕舞う。
「ここらへんで、主に使われている石貨だよ。南の大河の根元の辺りでも、交換出来るんだ。ただの石のようだけれど、特別な仕掛けがあるらしくってね。同じように石を削っても、こうはならないんだ。だから、偽造は出来ない。もし出来るだけの技術があっても、しない方がいいだろうね。この土地の、法に引っかかってしまうから」
「土地の、法?」
「そうさ。確か、『不当に他者の財を奪った者には、その倍の財をもって償うべし』だったかな。腹黒い連中が色々と試したらしいけれど、皆痛い目を見せられたらしいよ。私は、真っ当な商人だから、縁の無い話だけれどもね」
カラカラと商人が笑う。二、三の世間話をしてから、男は商人と別れた。市場で商売をするには、大聖堂へ行き手続きをしなければならないのだという。
「……これは、辺境の街ではないな。最早、一つの国といっても、差支えは無いだろう」
一人になった男は、ぶらぶらと街路を歩きつつ胸の中だけで呟く。すれ違う住民たちの姿は、肌の大部分を露出した褐色肌の女が多い。市場通りでは姦しく陽気な声が、あちこちから聞こえてくる。畑のある郊外でも、歌を歌いながら女が働いている。時折見かける男たちは子供か、あるいは髪に白いものの混じった老人か、そのどちらかだった。
「もし、旅の御方とお見受けするが」
学問所の前を通りかかった男へ、老人の声がかけられる。
「王都より、参りました。ここは、学問所ですか」
俯かせていた顔を上げて、男は老人に向き直る。肌の黄ばんだ、布衣を身に付けた老人だった。
「なるほど、王都の方でございまするか。小生は、オウギと申しまする。この地で、学問を教えて暮らしておりまする。もし、よろしければ王都の話などを、聞かせてくださりませんかな?」
オウギ、と名乗った老人が、男に学問所の中へと手招きをする。男は軽く息を吐いて、その誘いに乗った。
内部の構造は単純で、大きな集会所のような屋敷をそのまま使っているようだった。大部屋にひと声かけてから、オウギが奥へと進んでゆく。屋内にある納屋のような場所が、彼の私室になっているらしかった。オウギの後へ続き、大部屋に男は視線をちらと向ける。子供から大人まで、様々な年齢の男女が机に向かい、竹簡にしたためられた書を黙読している。皆、例外なく褐色の肌をしていた。
「こちらへ、お座りくださいまするか」
机と椅子、そして簡素な寝台の置かれた私室へ通され、オウギが促してくる。言われるままに、男は椅子へ腰掛けた。オウギも机の向こうで、椅子を引いて座る。
「ここへ来て、驚くことばかりです」
じっと、男はオウギの眼を見据えて言った。
「旅人殿は、この国を、どのように見ますかな?」
嗤っているのか、真剣なのか、今一つ解らない表情でオウギが問うてくる。
「一つの、国家です。独自の風土に結び付いた、王都と異なる文化を持っている」
異なる、を強調して男は答えた。眼の前の老人の瞼が、ぴくりと動いた。
「確かに、風土が違えば、文化は異なりまする。ですが、それは王都にとっては望ましいことと、小生は考えるのでございまする」
皺だらけの手が、机の上に小瓶を置く。ごく自然な動きで、男は小瓶を取って懐へと収めた。
「まさに別天地、王国法から外れたこの地は、楽園となる可能性を秘めているのでしょうね」
今度は、可能性、の部分を強調する。
「その通りにございまする。小生も、秘めたる可能性を信じ、この地に学問を広めておるのでございまする。未だ、道は半ばにして遠くありまするが……ところで」
一瞬だけ、オウギの眼が炯々とした光を放った。思わず男は居住まいを正し、オウギを見つめ返す。
「旅人殿には言うまでも無きことではございましょうが、水が変われば病も変わる、と申しまする。この地にも、王都には無い病が潜んでおることも、あるやも知れませぬ。お気をつけて、過ごされよ」
オウギの言葉にはそれだけで、背筋に悪寒を覚えるような迫力があった。
「……心して、おきます」
「おや、顔色が、あまり優れぬようでございまするな。旅の疲れもありましょうが、明日あたりに、医師に診てもらったほうが、よろしいかも知れませぬな。幸いこの地には、稀代の名医がおられまするゆえ」
じっとりと冷や汗をかいた男に、オウギが黄色い歯を見せて笑う。
「稀代の、名医?」
「左様。街の中央にあるヒマワリ大聖堂のすぐ隣に、小さな診療所がありまする。明日そこへ行けば、オウガ、という名の医師に会えまする。鍼と調薬にかけては、まず、王国で右に出る者はおりますまいて」
「明日、なのですか」
「オウガ様は、常に詰めておられるわけではござりませぬ。ふらりと、気まぐれにやって来られるのでございまする。しかし、名医でございまする」
「……解りました。明日、そちらへ伺うことにいたします」
オウギにうなずきを返し、男は立ち上がる。
「それがよろしいでしょうな。今宵は大人しく、酒でも呑んで寝てしまうのが、最上でございましょう」
くい、とオウギが口の前で杯を傾けるように手を動かした。男は拱手して、踵を返す。そうして早足で、学問所を後にした。
街は十六の街区に分かれており、宿のある場所は中央より遠くにあった。緩やかに物見遊山の体を保ちつつ、男は歩いてゆく。大きな通りの交差する場所には、案内の看板が立てられていて、迷うことは無かった。
「大きくなる、可能性を秘めた地、か」
懐に手をやり、小瓶を軽く撫でつつ男は呟く。街路の脇のそこかしこに、黄色い大輪が揺れている。鮮やかな色合いのその花から、男は努めて視線を逸らす。
「……危険な芽は、芽のうちに摘み取らなければならない。次の千年の、その礎となるために」
どこか遠くを見据えた男の微かな声は、風に乗ることもなく霧散してゆく。歩み去る男の背後で、大輪の花たちが散り、種を零す。ぬるく緩やかな風が、街路に吹き抜けていった。




