のほほん州吏、臣らの願いを束ね道を定める
少し長いですが、結婚披露宴の続きをどうぞ。
麓の集落に、火が灯されてゆく。夕闇に沈む聖都の其処彼処から、太陽神殿を囲うように円を描くのは民たちの祈りの灯火である。
夜を徹しての祭りを眼下に、前庭の宴もゆるゆると盛り上がっていた。次々に料理と酒が運ばれて、それらは宴の主役であるファンオウと白雪、そして集った臣下らの腹の中へと消えてゆく。楽団の者たちにも振る舞われている為、楽の音は止み代わりに笑い声がこだまする。
「御領主様、小生の杯、受けていただけますかな?」
鼻の頭を赤くした老学者、オウギがファンオウに徳利を向ける。
「うむ。頂こうかのお」
差し出した杯に、オウギがなみなみと酒を注ぐ。口を寄せ、ファンオウはゆるゆると舌の上で酒を転がし、呑み干した。
「では、返杯じゃ、オウギよ」
今度はファンオウが、オウギの杯へ酒を注ぐ。
「光栄の至りにございまする、御領主様」
にんまりと歯の抜けた顔を笑みに歪ませ、オウギが杯を呷る。
「お主も、随分と、わしの領に、慣れてきた、ようじゃのお」
のんびりとした、なんとも長閑な口調でファンオウはオウギに言った。
「小生のような者を受け容れてくださった、御領主様の威徳の賜物にございまする」
ほっほっほ、と低い笑い声を立てて、オウギが顔じゅうの皺と一体となったような細い眼をファンオウへ向ける。
「わしは、何も、してはおらぬ。領地を、より良くしようと、お主が精いっぱい、働いてくれた、その、成果じゃ」
ゆるゆると酒を舐めつつ言うファンオウに、オウギが浅く一礼をする。
「有り難いお言葉にございまするな、領主様。しかし、小生、まだまだ働きは不足と考えておりまする」
「学問所を、作って民らに、様々なものを、教えておるではないか、のお?」
オウギの言葉にファンオウはそう返し、首を傾げる。
「はい。それも小生の為すべきことのひとつではありまするが、まだ、入口なのでございまする。酒の席の上ではございまするが、どうか、お聞き願えまするか、領主様?」
「聞こう」
うむとうなずき、ファンオウは椅子の上でわずかに居住まいを正す。オウギが口を開き始めると、周囲の宴会の音が、どこか遠くから聞こえてくるような、そんな不思議な感覚がファンオウを包み始めていた。
「学問所で小生が教えましたるは、文字に数学、いずれも学問の道へ通じる門の入口にござりまする。新たなことを学び、活かすための素地、と申してもよい。そして次の段階、小生が教え子たる領民らに伝授するべきは、この地の律令、すなわち法律にございまする」
「ふむ、法、のお」
「はい。とはいえ王都を中心に流布されておりまする律令は、複雑にして無駄の多い悪法でございまする。この地の、領主様の民らには馴染み難いと思われまする。ゆえに小生は、この地に独特の、律令を定められるが最上と奏上いたしまする」
「なんと……法を、勝手に、作ると」
オウギの大胆な言葉に、ファンオウはあんぐりと口を開けた。
「正しい律令があらば、民らを守り、育むことに大変お役に立ちまする。王都の今の法は、さる御方が重い税を搾り取るために改められた、歪んだ法でございまする。なれば、新たな律令を作られたほうが、よろしいかと。そして、法が正しく運用されるよう、裁判所を建てるのでございまする」
「ふむ、裁判所……のお。王都にも、あったかのお」
王都の古びた官舎の一区画を思い浮かべ、ファンオウは顎に指を当てる。その前でオウギが、首を横へ振った。
「今の王都の裁判所は形骸化され、貴族どもの私刑場として誤った使い方をされておりまする。今より五百年は昔、王国中興の光法王陛下が建てられたものにございまするが……本来は、王であれ貴族であれ、法を犯せば裁かれる。そのような場でございまする。王都にて忘れ去られた正しき法の執行を、領主様が取り戻す。さすれば、多くの罪なき罪を抱え死んでいった者らの魂も、救われましょう」
オウギの眼が、ファンオウの奥底を覗き込むように鋭く光る。オウギの眼と、そして言葉の中に、ファンオウの脳裏に浮かぶのは王都のとある屋敷だった。罪なき罪を抱え、死んでいった者。小さく繰り返したファンオウの呟きに、オウギがしっかりとうなずいた。
「……どのような、法を作るというのじゃ」
短い沈黙の後、ぽつりと言ったファンオウにオウギがにんまりと笑う。
「腹案は無数にござりますれど、大まかにまずは三つを、と考えておりまする。ひとつ、理由なく人を殺めたるは、これを死罪とする。ひとつ、他者の財貨を盗んだ者は、その倍額を返還するべし。ひとつ、他者の尊厳を強引に奪いし者は、死罪とする。この、三つでございまする」
一本一本指を立ててオウギが示した草案に、ファンオウはうんうんとうなずいた。
「どれも、わしの領の民らならば、破ることも、無いじゃろうがのお」
「はい、勿論にございまする。ではございまするが、領主様の御許へは、これより大量の流民が来ることになりましょう。外より来る新たな民らへ向けて、解りやすく厳しい法は、必要なのでございまする」
ゆるりと拱手を見せて、オウギが言った。
「うむ。よう、解った。お主の、思うとおりに、進めると、良い。民らに、法を広めるに、当たっては……」
「神官長ランダ様と、協議を重ねてゆく所存にございまする。この朽ちかけた老人の身に余る信頼に応え、手抜かりなく進めさせていただきまする、領主様」
黄色い歯を見せるオウギに笑みを返し、ファンオウはランダの姿を視線で探す。ほどなく見つかった神官長の姿は、涼やかな顔で杯を重ねるエリックの傍らにあった。
オウギが、ファンオウを害するつもりは、今のところは無いようだ。聞き耳を立てていたエリックは、この場でのオウギへの警戒を、一段下げる。そもそも、ファンオウの伴侶となった白雪が側にいるのだ。危険なことなど、何一つ無い。あの龍神を斬ることは、エリック自身でさえ難しい。
小さく息を吐いて、エリックは杯を空けた。そうして眉間に微かに皺を寄せ、見つめるのは眼の前でだらしの無い笑みを浮かべている腐った神官長、ランダの顔だ。
「……結婚したからといって、そちらの虫が治まることは無いのですわ。幼い妻、しかも身籠っているとなれば、若いファンオウ様にはお辛いことでしょう。眠れぬ夜、寝所を離れたファンオウ様の元へ、やって来るのはもちろんエリック様……ぐふふ」
「おい」
薄気味悪い妄言を垂れ流すランダに、堪らなくなったエリックは低い声で呼びかける。
「あら、冷たいお声ですわね、エリック様。丁度、頭の中ではファンオウ様への甘い睦言を囁いて頂いている最中ですのに」
思わず向けた殺気を、臆面もなくランダが受け流す。
「気色の悪い妄想を、今すぐやめろ。殿への俺の忠義を、穢すことは許さん」
「むしろ私は礼讃しているのですが……あ、ハイ、大人しくしますので、剣を鳴らすのはやめていただけますでしょうか」
かちん、と鍔鳴りを響かせれば、ようやくランダが青い顔になって土下座した。
「まったく、悍ましい限りだな、お前は」
「それが私の生き様ですので。理解を得ようとは思いませんわ。これは、貴腐人のみに許された嗜みでございますもの。それで、神将軍様。私を、側へお呼びになった理由をお聞きしても? あ、杯が空ですわね。お酌いたしましょうか?」
「いらん。お前の酌でなど、酒が不味くなる。お前を呼んだのは、確認のためだ」
手酌で酒を注ぎ、エリックは言った。眼の前で、すっとランダの顔から邪悪な影が消えた。
「では、お答えいたしますわ。聖都ファンオウの戦士二百五十、そこへ加えて南方領にて徴兵可能な兵は五百。これが、神将軍エリック様が即座に率いられる兵力の、現状ですわ」
声を潜めようとするランダを手で制し、エリックは風の精霊の力を行使して音の結界を小さく張る。周囲のざわめきの中に、声は意味を持たぬ音として、溶けてゆく。
「糧食は」
「今の規模のままでしたら、一年。領から出ずに、立て籠るだけなら、何の問題もありませんわ」
「武具は」
「ギョジン様の領との商いの規模を大きくすれば、ほどなくまかなえることでしょう。レンガ様の協力は、必要不可欠ですけれど」
打てば響く、といった調子でエリックの問いにランダがすらすらと答える。妙な趣味さえなければ、優秀な女だった。
「五千にまで、増やしたい」
杯に口をつけ、エリックは言った。
「……一年後の崩御に、付けこむことは不可能だと、言わせていただきますわ」
短いエリックの言葉の意味を察したランダが、首を横へ振った。
「殿の躍進の機会を、みすみす逃したくは無い。混乱に乗じれば、五千で済む」
「エリック様の率いる兵が、ですわね。他領を頼っては、意味が無い。それは承知してますけれど、政の世界は戦争のように、短い時間で決着するものではありませんわ。ちなみに、真正面から仕掛ける場合は、如何ほどになりますの?」
問われて、エリックは少し考える。王都の兵の質、そして同胞らの存在を浮かべ、具体的な作戦行動を頭の中で繰り返してゆく。
「……二万、だ」
「王国兵八十万と言われる相手に、それだけで勝つおつもりですのね」
呆れと驚きの同居した表情になるランダに、エリックは口角を少しだけ吊り上げる。
「兵法と、武勇が全てだ。抑えるところを抑えられれば、兵の多寡は覆すことなど容易だ。それで、二万ならば」
問いかけに、ランダの顔が元へと戻る。
「十年、ですわ。南方領がファンオウ様の手元にあり、ギョジン様とも良い関係を続けられるなら、二万の兵団に充分な兵站と武具を用意できますわ」
南方領は、五年を経れば王国直轄の領地として召し上げられる。それまで預けておく、というのが王都からの命令だ。くだらん、とエリックは頭の中で王都官僚の身勝手な考えを蹴散らした。
「南方領を王国へくれてやる心算は、俺にもフェイにも無い。殿は、俺が必ず説き伏せる。だが……十年は、長いな」
「五年、と申し上げたいところではありますけれど、中央から離れた地では、限度があるのですわ。民に負担をかけるのは、ファンオウ様のお望みでは無いでしょうし」
「無論のことだ。殿の覇道は、殿のご意志に沿ったものでなければならん。では、北の山脈を越え、豊かな穀倉地帯を手にすることが出来れば、どうだ」
「確か、公爵領でしたかしら。王国の西の果て、砂漠の部族の領域に繋がる領ですけれど……そこをファンオウ様が手にすることが出来れば、民政を安定させるだけで七年は、計画を前倒しに出来ますわ。聖都と南方領を合わせたよりも、広い土地ですもの。けれど……」
「今のところは、絵空事に過ぎん。砂漠の部族に備え、王都に次いで兵力が集まる土地だ。しかし、最近砂漠の部族の動きが、活発になっているという情報もある。こちらから派兵出来れば、やりようはいくらでもある、ということだ。有事に備え、人と財は常に確保しておけ」
「……了解いたしましたわ。本当は、男たちの半数は兵としてではなく、森を拓く開拓民として、役に立てたいところですが」
うなずいたランダが付け加えた言葉に、エリックは苦い顔になる。
「それは、出来ん。弛まぬ訓練あってこそ、兵は兵たり得る。俺の兵は、常に研ぎ澄ませておきたい。殿の、躍進の機会を逃さぬためにもな」
「勿論、承知の上ですわ。ですので、こちらもギリギリでやっている、とはお伝えしておきますわね。『愛しい殿の御為に、戦が必要なのだ』と皆に言っていただければ、民たちの意欲はさらにいや増すのですけれど……如何ですか、エリック様?」
凛としていたランダの表情が、ぐにゃりと崩れる。
「……お前の趣味は、最低だ。そんなものに付き合う趣味は、俺には無い」
にべもなく断り、エリックは風の精霊の結界を解いた。
「それは残念ですわね。けれど、そういう訳ですので、せめて個人の頭の中の妄想は、許してやって下さいませ」
「……せめて、俺の居ない所でやってくれ」
ニチャリと微笑むランダに、エリックはげんなりとした声を上げた。
夜を迎えて、宴はさらに続いていた。裾野を照らす篝火の周囲では、領民たちが舞い踊っている。太陽神殿の前庭でも、楽の音は陽気に紡がれ続けていた。火を囲い、舞い踊る妖しくも美しい、一人の鬼がいた。ソテツである。エリックの弟子として鍛えられた足さばきは、舞踊の道にも通じているのか。それとも、鬼の持つ独特の拍子があるのか。その舞いは、集った人々の眼を奪うほどの見事なものだった。
舞い踊る鬼を、輪の中でそっと誇らしげに見つめるのは、イファである。愛らしい少女の瞳の中には、周囲の称賛の眼差しよりも強く、優しい光があった。時折、イファに視線を流すソテツの顔に、ふっと微笑が浮かぶ。場所は離れ、間に幾人も人を挟んでなお、それは二人の世界であるといえた。
ソテツは、ファンオウの警護を担当とする庭師である。しかし、今宵ばかりは、その任に休暇を与えられていた。エリック、白雪、そして意気消沈したままとはいえレンガと、ソテツよりも強い者らが集っている。この太陽神殿に、何が襲ってきたとてどうにでもなる。だから、ソテツは舞っていられる。一人の、少女の為に。
ソテツは深い感謝を捧げるべく、敬愛する主の姿を眼で探す。だが、いつの間にか主は消えていた。その気配は、太陽神殿の中庭にあった。共にある気配を察して、ソテツは思考を切り替えた。姿は見えずとも、心配はいらない。だから今は、己の為に、時間を使う。雄々しく身振りを加え、イファと見つめ合ったままソテツは舞いを続けた。
中庭へ出れば、楽の音が遠くなった。揺れるヒマワリに囲まれている妻の姿を見つけ、ファンオウはその傍らへと腰を下ろす。
「良い、月夜じゃのお、白雪や」
傍らへやってきたファンオウを一瞥し、白雪がふわりと微笑む。童女の顔には似合わぬそれは、艶めいた大人の表情だった。しばしファンオウは時を忘れ、白雪に魅入ってしまう。
「月を褒めるは、愛しき女人に愛を語ることじゃと異国では言うが、そなたもそのクチかの、ファンオウ?」
手にした杯をファンオウの口に当てて、悪戯っぽく白雪が言う。流れ込んでくる酒は、殊更に甘露を味あわせる。
「愛を、のお? それは、面白そうな風習じゃが、月見の宴の上で、月を褒めることが、出来なくなりそうじゃのお」
ファンオウの答えに、白雪がくっくと低く笑う。
「男の、つまらぬ照れ隠しじゃそうな。そなたには、関係無いようじゃの。好きなものを好きと言い、愛の言葉を飾らぬ。素直であるのは、そなたの美徳よの」
艶めいた赤い唇へ杯を運びつつ、白雪が言う。
「わしは、わしの思うたことを、言うておる。それだけじゃ。思案が、足らぬと、言われることも、あるでのお」
「何、そなたは、正しい。ゆえに、そなたの周りには、善きものが集うておる。あの、光もそうじゃて」
すっと白雪の細い指が差すのは、中庭から遠く眼下に見える祭りの火だった。幾人もの民が、踊り楽しんでいる。それを感じられて、ファンオウの胸の中に新たな熱が生まれてくる。
「皆が、笑うておる。今宵、この領だけでも、わしの夢は、叶うたのじゃ、のお」
「うむ。そなたの道は、正しかった。それはこれまでも、そしてこれからも、じゃ。何しろ、そなたの側には、妾が付いておる。ぴったりと、片時も離れず、の?」
ぎゅっと身を寄せしなだれかかってくる白雪の肩を、ファンオウはそっと抱いた。
「心強い、限りじゃのお。お主にとっても、わしは、良い夫でありたいと、思う。何かを手にすれば、手にするほどに、欲が強くなって、ゆくようじゃ。これは、人間の、業というもの、なのかのお?」
さらりとした白雪の黒髪に、ファンオウは頬を埋める。清廉とした、香とは違う心地よい薫りが、白雪の身体から立ち昇っているようだった。
「人の為にならば、欲深くなってゆけば良い。そなたの気性はどうしても、我欲には収まらぬ器じゃ。も少し、己の為の欲でも、増やしてみたほうが良いくらいじゃて」
するりと、白雪の手がファンオウの布衣の襟を割って中へと滑り込んでくる。
「己の、為……のお」
しっとりとした柔らかな指遣いを感じながら、ファンオウは白雪の首筋で小さく言った。
「天下を手中におさめ、より多くの民を救うのじゃ、ファンオウ。男子として生まれたからには、それくらいの大望は持っても良い。無力な民が言えば阿呆の戯言じゃが、そなたには、それを行う力がある。今宵、民らより捧げられた喜びを、もっと大きくしてみたい。そう、思うておるじゃろう?」
ファンオウの膝の上へ乗った白雪が、熱く囁き耳朶を甘く噛んだ。
「天下を、のお」
「妾が、そなたを天下人へと成り上がらせてくれようぞ。そなたの元で、民は苦しみより解き放たれ、皆が笑顔になる。今宵、この領限りで、などというケチくさいことは、言わずとも良い……きゃっ」
睦言めいた声音で囁く白雪を、ファンオウは強く抱き締める。短く悲鳴を上げた小さな身体を、逃すことなく、力強く抱いて小さな耳に口を寄せる。
「それも、良いが……今宵は、お主と、民らの喜びで、充分じゃ。もう少し、ゆっくりと、味あわせては、くれぬかのお?」
布衣の中で蠢いていた白雪の手が止まり、ゆっくりとファンオウの背へと回される。
「そなたは、ほんに……愛い奴じゃの」
白雪の小さな声が、風に乗って飛んでゆく。ゆらゆらと揺れる大輪の花に囲まれ、ゆったりとした時間が流れてゆく。白雪の横顔、眼下の民たちの騒ぎ、満天の星空。飽くことなく、ファンオウは白雪を抱き締め続けた。
「……天下、のお」
ヒマワリの葉のざわめきの中で、ファンオウの小さな、しかし熱の篭った声は溶けてゆく。
「今ではなく、いずれ……かのお」
眼を閉じたファンオウの唇に、柔らかなものがゆっくりと触れてくる。身を任せれば、己の中に熱がまた、生まれ始めていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次回は内政パートを挟み、そこから物語は大きな動きを迎えます。どうぞ、お楽しみに。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




