表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
81/103

のほほん州吏、聖都へ帰還し凱歌を捧げられる

遅くなりまして申し訳ありません。続きでございます。

 王都での生活は、ぬるま湯に浸かっているようなものだった。一介の民百姓から税を逃れるために兵卒となり、調練と雑務に追われる日々を過ごしていたスンは、そう思う。とくに、調練などは子供の遊びに等しいほどに、緩かった。地方領主ファンオウの配下となり、エリックの調練を受けた後、スンの人生観は大きく変化を遂げていた。

 別段、王都の調練が易しいものだった訳では無い。人並みに駆け、武器を振り、土にまみれて身を削る。農地を耕す者よりも、身体を虐めている、そんな感覚はあった。

 だが、エリックの課す調練は桁違いであった。駆けられる限界を超えて駆け、休む間もなく重しをつけた棒を振る。王都の調練に耐えて来た程度の肉体では、話にならぬほどの厳しい調練であった。

 調練の名を借りて、自分たちを虐め殺そうとしているのではないか。そう、思ったことは幾度もあった。十日程度の旅程であってさえ、幾度もである。だが、エリックの苛烈な調練に、褐色の肌をした半裸の戦士たちは、黙々と堪え続けていた。なればそれは、人間には可能な調練なのだ。辺境領主の兵に出来て、最精鋭である王都の兵卒に出来ぬ筈は無い。負けん気でもって、スンは調練に耐え続けることが出来た。

 限界まで身体を虐め抜く上で、怪我を負う者も少なくはなかった。関節の不気味な軋む音を、自身も同僚も、頻繁に聞いていた。厳しすぎる調練によって負った怪我はしかし、意外な人物によって的確に癒され、怪我人が翌日にはもう動き回ることが出来るようになっていた。

 領主の、ファンオウによる治療である。イファ、という見習いの少女とともに、ファンオウは怪我人が出ればいかなる時でも丁寧に対処をした。その鍼と薬学の知識、そして全てを包み赦すような微笑みは、調練で荒れた心と体によく効いた。スンも、治療を受けたことは一度や二度では無い。

 どこまでも広がる荒野に見つけた一輪の花のように、ファンオウの行為は輝いて見えた。この御方を、守るために鍛えられている。そう思えば、少しの痛みなどは吹き飛んでゆく。旅程が終わり南方領から聖都へ近づくころには、スンも同僚たちも、自然にそう思えるようになっていた。

 若き将軍イグルの家族を処刑し、その死体を見せしめの晒しものにするために警備を続けていた日々を思えば、ファンオウへ従い辺境へ下る旅路は苛烈であったが、生きている実感を味わえるものだった。だからこそ、スンは思わずにはいられない。王都での日々は、ぬるま湯であったのだ、と。厳しい環境へ身を置いてこそ、得られるものは多くある。いつまでも、ぬるま湯の心地よさに浸っていてはいけないのだ。己を戒める気持ちを高め、スンは同僚たちと共に密林を行く。身体のあちこちは悲鳴を上げていたが、心の中には爽やかな風が吹いていた。


 ファンオウを乗せた馬車が、密林を抜ける。整えられた大通りは、王都のそれに何ら劣るものは無く、エリックの巧みな操縦もあり馬車の揺れはほとんど無い。ゆるやかに馬車が、停止した。

「どうか、したのかのお、エリックよ」

 幌の中から、ファンオウののんびりとした声が届いてくる。南方領から乗り継いだ馬車には、幌のついた車体に窓が拵えられている。ために、馬車の停止は車内からでも解るのだ。

「それが……太陽神殿の前に部隊が展開しているのです、殿」

「ふむう」

 ファンオウが幌から首を出し、前方へと眼を向ける。密林から出て聖都の大通りを辿れば、小高い丘へと視線はたどり着く。丘の上にある白亜の神殿の下に、人の集まりが小さな粒のように見えた。

「人が、おるのはなんとなく見えるが、あれは、留守居の戦士たちなのか、のお?」

 ファンオウの問いに、片手を丸くして遠眼鏡にしたエリックがうなずく。

「そのようですな。皆、煌びやかな武具を身に着け、旗を提げているようです。そして、あの陣形は……おお!」

「そんなところまで、見えておるのか。して、何か、あったのかのお」

「殿、レンガが思ったよりも、気の利いた歓待を用意したようです。こちらも、それに応えてやるとします」

 そう言って、エリックが馬車から横へ身を乗り出し、手振りで後方へと伝達をする。幌の後ろから見てみれば、馬車の後ろへ続いていた戦士たちの列が横へ広がり、ファンオウの乗る馬車を先頭とした楔型の陣形になった。

「気の利いた歓待、のお?」

 陣形が整い、再び進み始めた馬車の中でファンオウは首を小さく傾げる。

「はい。あの陣形は、王の凱旋、と呼ばれるものです。王国の初代国王が外征に出た際、大敗を喫したことがありました。その折に、あの陣形でもって国王は王都へ凱旋した、と伝えられているのです」

「古い、故事があったのじゃのお」

「俺も、部族の老人に伝え聞いたに過ぎませんが、当時の国王はあの陣形をもって、敵の奇襲を打ち破り、堂々と凱旋を遂げたとか。何の変哲もない兵の並びではありますが、敵国の将が病死をしたり、偶然に地形が味方となり奇襲を防いだ、といったものが重なった結果、あの陣形は縁起の良いものとして王国に伝わっていたようなのです。今代では、廃れてしまっているようですが……あれは、凱旋する王の軍勢を迎え入れるための、陣形なのです」

「ふうむ、なるほどのお」

 熱く語るエリックの横で、ファンオウは生返事をする。ファンオウから見ればその王の凱旋とやらはまだ小さく、ゴマ粒のように見えるのみである。

「近くへ寄れば、殿にもご理解いただけるかと思います」

「わしには、陣のことについては、よくは解らぬが……お主がそのように驚くところを見れば、余程のことなのじゃのお」

「王の凱旋に限らず、陣を組むということは兵たち一人一人の、陣に対する理解が必要なのです。ましてや、あの陣は方陣と円陣を組み合わせ、無尽に動く鶴翼陣の一種です。レンガ一人で構築出来るものではありません。とすると、ラドウの配下たちの力も使ってのことなのでしょうが……それだけではありません。あの陣からは、兵たち全員の、はっきりとした気迫を感じるのです。俺が指揮を執ってすら、これは難しいことなのです、殿」

 興奮しきりに話すエリックへ、ファンオウはうむうむと何度もうなずく。王都からの帰路についてから、それはエリックが初めて見せる明るい顔だった。

「では、早う見に行ってやらねば、ならぬのお」

「はい。ですが、慌ててはいけません。初代国王は、あの陣へゆるりと合流し、悠々敵の追撃を振り切ったそうです。事を急くのは、王者の為すことでは無い。そのように伝えられておりますれば……御前失礼」

 馬車を緩やかに進めつつ語っていたエリックが、背後の戦士たちへと首を向けた。

「後列! 軍気が乱れているぞ! しっかりと、前を見て進め!」

 どうやら、最後列の戦士たちの行進に僅かな乱れがあったようで、それを修復したようだった。怒鳴り声を聞きながらファンオウは、王都の近衛軍を辞めて付いて来たスンという兵卒の顔を、何となく思い出した。怪我が多く、旅路の初めの頃は暗い顔をしていたが、船を降りて行軍する頃には、憑き物が落ちたように溌剌と生気の満ちた顔になっていた。

「きっと、太陽神殿が、珍しかったのじゃろうのお」

 緩い笑みを浮かべるファンオウの顔に、王都を出た時の陰はもう無くなっていた。エリックやイファ、ソテツにオネたちといった、聖都から付いて来てくれた者たちと、スンたち王都から追従してくれている者らの心遣いを思えば、いつまでも沈んではいられない。心構えを固くし直して、ファンオウは努めて笑みを浮かべるようになっていた。そしていつしか、それは自然な笑みへと変わっていたのである。

 緩やかに進んだ馬車が、やがて太陽神殿の麓の大階段の下へとたどり着く。ここまで来れば、ファンオウにも陣を組む煌びやかな鎧姿の戦士たちを眼にすることが出来た。

「ここより先は、御輿へお乗り換えを」

 促されるままに、ファンオウは馬車から四人担ぎの輿へと乗り移る。輿が大きく担ぎ上げられ、階段を登る。その後を、エリックを先頭とした戦士たちの一団が続く。大階段を登り切り、太陽神殿の前庭へやってきた輿の上で、ファンオウは瞠目する。

 天高く鳴り響いた銅鑼の音を皮切りに、神殿前にいた戦士たちが旗を振り上げ、回しつつ動く。

「おおっ」

 輿の背後で、エリックが感嘆の声を上げた。淡い黄色に染め上げられた旗と、橙色に染め上げられた旗が交錯し、それは咲き誇るヒマワリのように風に揺らめく。

「おお、美しい、光景じゃのお……」

 筋骨逞しい褐色の戦士たちが美麗な武具に身を包み、一糸乱れぬ行進で旗を振る。それは一つの生き物のように、ファンオウの眼を奪った。銅鑼と笛、獣の革を張った打楽器といった鳴り物が、賑々しく心を陽気に導いてゆく。前庭の両端にいる神官たちが、高く美しい声を重ねて歌い上げるのは、凱歌である。歌詞は無く、音の連なりだけで表現されるそれは荘厳であり、そして陽気でもあった。

 さっと、輿の前で部隊が割れて、一筋の道が出来る。輿がゆっくりとその間を進めば、脇の戦士たちが順に旗を捧げ、ファンオウの行く道へ旗のヒマワリを咲かせてゆく。

 戦士たちの道の終点、太陽神殿の入口に、三人の男女が立っていた。ファンオウから向かって右側にいるのは、大神官の僧衣を纏ったランダである。小柄なランダが着れば、僧衣は一層大きく見え、ために滑稽味を感じさせる。そんな彼女が、祈るように両手を組み合わせ、深々とファンオウへ頭を下げる。

「お帰りを、お待ちしておりました。我らが主、至高の太陽神ファンオウ様」

 張りのある声音で祝詞が告げられ、ファンオウは内心で少し苦笑をする。神と呼ばれるには、いまだに慣れることは出来ないでいた。

 次いで、右側の男が動く。質素だが形式に則った、学士の正装をした老人だった。両袖を揃えて前に捧げ、学帽を傾けて一礼する。

「領主ファンオウ様のご帰還、お慶び申し上げまする」

 皺枯れたその声は、不思議とよくその場へ響いてゆく。オウギ、と名乗ったこの老人のことを、ファンオウはよくは知らない。だが、この場にあって礼を捧げることの出来るほどには、領に溶け込めたということなのかも知れない。うなずきを、ファンオウはオウギへと返した。

 かつん、と真ん中の女性が、手にした白銀の槍斧の柄を地に突いた。大の大人が両手で振るってなお手に余るそれを、片手で軽々と操る。小柄な少女のようにしか見えないその人物は、女ドワーフのレンガである。レンガがはちきれんばかりの笑顔を団子鼻の幼貌に乗せて、ファンオウを見上げる。

「お帰りなさい、ファンオウさん!」

 これまでの形式ばった挨拶から、唐突に飛び出した割りない言葉にファンオウはほっと胸の中で息を吐く。その背後で、エリックを中心とした戦士たちが皆、脱力したようにがくりと身体を傾けた。

「うむ。ただいま、レンガどの。留守居、ご苦労じゃったのお」

 輿を降りて言ったファンオウへ、レンガが飛びついてゆく。

「寂しかったんだよ、ファンオウさん!」

 綺麗な弧を描き、宙を泳ぐレンガの身体はしかし、ファンオウに触れる直前に叩き落された。

「……最後の最後で、台無しだ。土ミミズが」

 手刀を振り下ろしたままの姿勢で、割り入ったエリックが言う。

「むー。あんた、そういうとこは相変わらずだね、エリック……」

 不満そうに呻きつつ、レンガが何事も無かったかのように身を起こす。かなりの勢いで地面に叩きつけられたものの、ドワーフは頑丈なのである。

「レンガどのも、変わりが無いようで、何よりじゃのお」

 カラカラと、ファンオウは笑う。故事にある陣形がどうあれ、皆の変わらぬ姿を眼にすることが出来るだけで、ファンオウは満足なのであった。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ