のほほん州吏、墓前の霊に友との再会を誓う
お待たせいたしました。
千年の時をかけて、王国は強く、そして巨きくなっていた。多種多様な民族、種族を抱えるその全土に、あまねく威光をもたらし続けることは、難しい。民族同士のぶつかり合いや、環境の違いによって、やがて小さな軋轢が生まれ、大きな乱へと育ってゆく。
乱を鎮めるのは、王国軍の重大な役目のひとつである。武力においても頂点であることを示し続けられなければ、王国は崩壊してしまう。ゆえに、敗北、そして逃亡などは許されない。たとえ、それがどのような過酷な戦場であっても、である。
敗戦の将に、王国は厳しい罰を与える。そうした恐怖を伴う規律も、長い歴史を守るためには、必要なものなのであった。
馬車を用いず、ファンオウは街路をひた走っていた。ジュンサイの館へ招かれてより、翌日のことである。側にはエリックと、ソテツのみが伴われている。僅かな供回りしか引き連れていないのには、訳があった。
ジュンサイがファンオウの懐柔を試みている以上、派手なことはしないであろう、というエリックの読みと、ファンオウの突発的な行動のため、王都に溶け込める戦士たちを用意することが出来なかった為であった。
周囲を置いてまで、駆けねばならぬ情動がファンオウを衝き動かしていた。息を乱し、走るファンオウの横をエリックが、背後をソテツが軽々とついてゆく。
「殿、どうか、足を緩めて下さい。このままでは、御身体に障ります」
駆けながら、エリックが言った。
「それは、出来ぬ。わしが、この眼で、確かめるまでは」
途切れ途切れに言うファンオウの口調には、普段ののんびりとした様子は微塵も無い。焦燥ばかりが、尖った気配を見せている。
「殿……」
「フェイに、おおよそのことは、聞いた。じゃからとて、わしには、信じられぬのじゃ。イグルが、異郷の地にて、敵に降り、その罪を、一族の処刑にて、贖うこととなった、などとは……」
ファンオウが言うのは、親友であるイグルのことである。最年少の将軍として、西北の砂漠の地に住まう異民族の乱の鎮圧に向かった彼の、伝え聞いた消息である。新宰相の着任と同時に刑は行われ、消息を絶ったイグルの家族は皆、首を落とされてしまったのだという。
「しかしながら、殿。刑は、もう執行されてしまったのです。俺や殿がいくら急いだところで、イグルの家族は、もう」
「イグルの家は、賑やかじゃった。主人も、使用人も、皆、同じ場所で、飯を食うような、わりのない、家じゃった。貧乏な医師見習いのわしも、風来の徒であったお主も、分け隔てなく、迎え入れてくれた、温かな家じゃった」
人気の無い路地を曲がり、ファンオウたちは王都の一角にある将校の屋敷の建ち並ぶ区域へと入る。兵を鍛える必要性から、将校の住居は練兵所のある城外へつながる城門近くに固められている。イグルの屋敷も、そこにあった。
「殿、俺も、信じたくはありません。ですが」
「まだ、誰ぞ、残っておるやも、知れぬ。イグルは、近所の子供らにも、よう懐かれておった。じゃから……」
通りを行き、ファンオウはようやく足を止める。エリックもファンオウの傍らに立って、ソテツへ目配せを送る。もう、走る必要は、無かった。目指した場所は、すぐ、目前にあった。
「むう……」
肩を大きく上下させ、乱れた呼吸を整えたファンオウは、眼前にある屋敷を見やり小さく唸る。
「……どうやら、王都の民は、残らず愚か者のようですな」
ぽつりと、エリックが落ち着いた声音で言った。静かな声だったが、その中には、激しい怒りが込められている。ファンオウには、それを感じ取ることが出来た。屋敷を見た瞬間、ファンオウも、同じ気持ちを抱いてしまったからだ。
「これは……なんと、酷い」
屋敷の塀に、荒縄でぶら下げられているものがあった。その周囲には、いくつもの小石が落ちている。周辺には異臭が漂い、ために、人も近づかないのであろう。カラスの群れが、屋敷を覆うように群がっている。
「……晒した後に、獣に食わせる。これが人間の、千年続いた王国の、民のすることか」
ぎりり、と拳を握りしめ、エリックが掠れた声を絞り出す。
「……せめて、土の下へ、葬ってやらねば、のお」
ファンオウの言葉に、エリックがうなずく。そして、二人が屋敷へ向けて足を踏み出そうとした、その時である。
「待て。そこな屋敷は、反逆者イグルのものである。みだりに、近づくことは許されぬ」
言葉と共に、二人組の兵士が行く手を遮った。駆けつけてきた兵士たちに驚いてか、塀にぶら下げられた白骨を突いていたカラスたちが、一斉に飛び立ってゆく。
「ソテツ」
対するエリックが、ソテツへ短く声をかける。背後にいたソテツが、たちまちにファンオウの前へと回り込み、二人の兵士をあっという間にねじ伏せた。
「な、何をする……」
「それは、こちらの台詞だ。国のために働いた将軍の家族への、この仕打ちは何だ。これが、勇士に対しての、王の態度か」
うつ伏せに重なり倒れ、ソテツに押さえつけさせた兵士へ、エリックが平淡な声で問う。
「し、知らぬ。我らは、ただ……反逆者となった、イグル将軍の家族の首を、屋敷の塀に晒し、見せしめのために、誰にも触らせぬようにと、命を……」
「誰の命令だ。よもや、国王ではあるまいな?」
エリックの質問に合わせ、押さえつけるソテツの力が強まる。くぐもった兵士たちの呻きが、大きくなった。
「だ、第一王子の、命令、だ……従わぬ者は、同罪として、同じく一族郎党を……だ、誰も、逆らえなかったんだ……だから」
「……そうか。ならば、お前たちは、ここで終わりだ。ソテツ、この者らを、離すなよ」
言って、エリックは剣を抜く。二人の兵士の顔に、怯えの色が走った。
「エリック」
「御心配は、ありません。殿の、思召すままに」
不穏な気配に声をかけたファンオウに、エリックは微笑をもって応える。そして、そのままエリックは跳躍し、二人の兵士を置き去りに屋敷の塀の前へと着地した。
「はあっ!」
エリックの剣が一閃し、荒縄が切り裂かれる。ことり、と落ちてくる頭蓋骨が、エリックの手によって優しく受け止められる。
「もう、大丈夫だ。今、ここから解き放ってやる」
エリックのそれは、塀にぶら下げられた骸へ向けられた言葉であった。ひとつひとつの荒縄を、鮮やかな剣捌きで斬り落とし、骨を受け止め地面へ下ろす。うむ、とうなずき、ファンオウは下ろされた骨を丁寧に、持っていた布で包んでいった。
「皆、一緒くたにしてしもうて、すまぬのお。じゃが、墓にも一緒に入れるので、どうか、勘弁してくれるかのお。そのほうが、寂しくは、無いじゃろうから、のお」
家族のみ、というには、多すぎる骨の数だった。使用人なども、一緒に晒されていたのかも知れない。一人一人に手を合わせ、ファンオウは微笑みかける。死者への慰めに、涙は不要である。だからこそ、ファンオウは努めて微笑を作った。
「あ、ああ……晒しておくよう、命じられていた、首が……」
呻く兵士が、声を上げる。その声音には、どこか安堵したような、そんな感傷が込められている。ファンオウには、そう感じられた。
「ふむ。エリックの言う通り、お主らは、もう、終わりじゃのお。命に背けば、このように、惨たらしいことに、なってしまうのじゃから、のお」
向き直り、声をかけたファンオウに二人の兵士はぐったりとうなだれる。もう、押さえておく必要がなくなったのか、ソテツがそっと拘束を解いた。
「……これから、その骨を、どうなさるのでしょうか」
拘束を解かれ、折り重なった身体を離しつつ兵士の一人が問いかけてくる。妙な動きがあれば、ソテツがすぐさま再び押さえつけることになる。だが、その心配は無さそうだった。二人の兵士の顔には、深い諦観が浮かんでいる。最早、手出しをする気力は無いようだった。
「イグルの、先祖の墓に、埋めにゆくのじゃ。お主らも、付いて来るかのお?」
「我らも……共に?」
のろのろと顔を上げた兵士たちに、ファンオウはこっくりとうなずく。
「命を受けておったのであれば、行く末は、きっちりと、見届けておかねば、ならぬじゃろう? 墓所は、屋敷の裏庭じゃ。そう、暇もかからぬ。お主ら自身の行く末は、それから、ゆっくりと、考えるとすれば、良いじゃろう」
ファンオウの言葉を受けて、兵士たちは少しの間、黙り込んでいたが、やがてうなずいて立ち上がった。
「このまま報告へ戻れば、死ぬだけの命です。元将軍閣下の御家族の遺骸に働いた無礼を、謝罪させていただける機会を与えてくださるならば、どうぞ、我らをお連れください」
兵士たちの答えに、ファンオウはこっくりと、うなずいた。ふん、と兵士たちへ向けて鼻を鳴らしつつ、エリックも異議は挟まず、ファンオウたちは二人の兵士も連れて、荒れた屋敷の裏庭へと回った。
祭壇と、石の棺が置かれた簡素な墓所だった。エリックが棺の蓋を開け、側の壁へと立てかける。その中には、骨の入った壺が、いくつか並んでいた。
「殿、骨をこちらへ」
「うむ」
言われるままに、ファンオウはエリックへ遺骨の入った包みを渡す。受け取ったエリックは、手慣れた様子で棺の中へ新たな壺を置き、包みを開く。
「北の辺境の、作法です。祈りを込めて骨を砕き、壺へ入れてゆきます。本来は、家族の者がするのですが」
ぱきり、と乾いた音を立てて、エリックの手で骨が砕かれてゆく。差し出された骨の粉を一掴み取り、ファンオウはゆっくりと壺の中へと流し込む。眼を閉じたその顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「少しばかり、賑やかに、なるがのお。外で晒され、朽ち果てるよりは、そう思うてのことじゃ。何卒、寛容にして、くれるかのお?」
朋友の祖先の霊へ向けて、ファンオウは問いかける。答えは、返ってはこない。死者は、語ることは無い。だが、身の回りに、温かな風がそっと吹き抜けた。そう、感じることはできた。
「エリック、お主も」
「はい」
促すと、エリックも骨の粉を壺へと注ぎ始める。言葉は無く、静かな横顔だけが、そこにあった。
「ソテツ」
エリックが呼びかければ、ソテツも見様見真似で骨を掴み、壺へと入れた。武骨でいて、静かな動作だった。ソテツには、見知らぬ人々の遺骨である。だが、感じやすい、若い鬼の感性は、神妙な師の態度に感化されているのかも知れない。死を悼むような、表情があった。
「残りは、殿がお入れください」
「いや、その前に……お主らもどうかのお?」
骨の粉を差し出すエリックを前に、ファンオウは首を横へ振り、付いて来た二人の兵士へ顔を向ける。
「我らも、良いのでしょうか」
言外に含まれる意味は、重たい。だが、ファンオウは微笑みのままにこっくりとうなずいて見せる。
「お主らは、命に従ったまでのこと。門前で口にしたことが、本心で無いのであれば、共に、弔ってやってはくれぬかのお?」
言われて、兵士らは震える指先で骨の粉を摘まみ、壺へと振りかけてゆく。兵士たちの頬を、涙が伝っていた。それは、惜別のものか、後悔のものか。深くは、問うつもりは、ファンオウには無い。ただ、イグルの親族の前で、泣いている。それだけで、充分だった。
「……蝋燭を、灯します。祖先の霊に新たな霊を託し、残る者の平穏を、祈るのです」
骨の粉を入れ終えて、静かにエリックが言った。
「よう知っておるのお、エリック」
「旅をすれば、様々なことを目にする。それだけのことです、殿」
エリックの手によって、祭壇の蝋燭へと火が灯される。エリックも、ソテツも、そして二人の兵士も、思い思いに礼の形を取り、祈りを捧げる。ファンオウもまた、瞑目して拱手する。
「イグルの、ご先祖様……遠き地にて、きっと生きているであろう、イグルをどうか、御守りくだされ……そして願わくば、いつの日にかの再会を……わしと、エリックと、イグルの三人で、再びここへ訪れ、墓前にて、こうして、手を合わせるその日まで、どうか、見守っていて、くだされ」
はたはたと、蝋燭の火が小さく揺れる。温かな風に包まれて、一同はしばし黙祷した。やがて蝋燭が燃え尽き、周囲がふっと暗くなる。黙したまま、エリックが棺の蓋を閉じた。
「さて、これからのことじゃが……」
墓所を後にして、屋敷の門前へ戻ったファンオウは二人の兵士を前に口を開いた。
「もう、思い残すことは、ありません。我らはこのまま軍営に戻り、ありのままを報告いたします」
神妙な様子で、兵士たちはうなずき合う。
「じゃが、それではお主らは、刑に処されて、しまうのではないかのお?」
「国を想い戦った勇士の家族へ、あのような仕打ちをしたのです。命とはいえ……誰に裁かれなくとも、我らは自らを裁くことでしか、罪を償えぬのです」
「ふむう……」
顎に手を当てて、ファンオウは思案する。その仕草を見せるだけで、動く者がいた。
「命を捨てるというのであれば、勝手にせよ。だが、その程度で、お前たちの為したことは、消えて無くなりはしない」
冷たく、厳しい声音でエリックが言った。
「なれば、我らに、償いの道が他にあると」
「生きるということは、死よりも安寧から遠ざかることだ。もしも、お前たちにその覚悟があらば、任に就いていた同僚全員を説き伏せ、殿の館まで来い。そこで、俺が、罪を償わせてやろう」
言葉と同時に、エリックが威圧の気を放つ。
「……エリック様自らの手で、我らを誅されるおつもりでしょうか」
「お前たちが、殿のお役に立たなければ、そうするまでだ。だが無為に死すよりも、命の使い処はある。殿も、それを求めておいでだ」
「わ、我らを、ファンオウ様が……」
「この場にての、返答は無用。行動で、お前たちの意思を、示して見せよ」
「必ずや、ファンオウ様のお屋敷へ、馳せ参じます。罪に手を染めた、我らが同僚と共に」
一礼を残し、二人の兵士が駆け去ってゆく。
「……これで、よろしかったでしょうか、殿?」
「ふむ。助けられる命であれば、助けてやりたい。そう、思うたのじゃが……」
「なれば、ああするより他にはございませんでした。あの二人だけが戻らなければ、同僚の兵士たちが、刑に処されるでしょう。それらを助けるには、全員を引き抜くより他は、ありません」
「陛下の、不興を買わぬかのお」
「第一王子の、いえ宰相の動きは国王の、望むところではありますまい。殿が仕えておられるは、国王唯一人でございましょう。なればその息子などに、気遣いは無用です」
きっぱりと言い切られると、本当にそんな気がしてくる。エリックの言葉には、そんな力があった。元より、親友の家族を皆殺しにされては、温厚なファンオウとて思うところはある。湧き上がってくる黒い怒りを、ファンオウは必死に抑えているのだ。それを面に出してしまえば、エリックは動き出してしまうことだろう。惨劇は、ファンオウの望まぬことである。
だが、ファンオウのそんな努力は、意味を為さないものである。イグルの屋敷の惨事を眼にして、すでにエリックは心中で、王国打倒を強く誓っていたのである。そしてそれは、ファンオウの慕う国王の、崩御を鍵として行う心づもりがあった。王国の法に基づき実行された刑罰が、その後の王国の命運そのものを傾けることとなる。皮肉な運命の流れを知る者は、このとき誰も、いなかったのである。
「領に、帰るとするかのお」
ぽつりと、ファンオウが言えば、エリックが傍らでうなずく。
「屋敷へ戻り、準備をさせましょう。大義名分はありますゆえ、引き留められることも、ございますまい」
エリックとソテツを伴い歩き出したファンオウが、イグルの屋敷であった場所を振り返る。その細い双眸にあるのは、過去を想い、悼む光であった。
「イグル……お主は、無事で、いてくれるかのお……」
ファンオウの呟きが、温い風にふわりと乗って、掻き消えていった。
しばらく、甲信速度が下がるかも知れません。どうぞのんびりと、お付き合いください。




