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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
67/103

のほほん州吏、南方領にて大河の氾濫に遭う

 整然と均された石畳の道を、馬車が進んでゆく。聖都ファンオウより旧ブゼン領、今は南方領と呼ばれる地方へとつながる街道である。密林の只中の領地であるファンオウ領からの珍しい物産を運び、南方領から麦などの食料や衣料を運ぶ交易が盛んに行われており、街道は活気に満ちていた。


 荷を満載した商人たちの馬車が行き交う街道であるが、それを狙う賊徒はこの近辺には存在しない。南方領は税が免除されていることもあり、危険な盗賊稼業をするよりも普通に働いたほうが、安全な上に実入りも良い。定期的にファンオウ領の屈強な戦士団が、巡回を行っていることもあり治安は極めて安定している。そして、ファンオウを神と崇める密林の民たちの中からは、賊徒などは生まれようはずもないのである。


 商人たちの馬車に混じり、ひときわ大きく頑健な馬車が一台、街道を進んでいた。馬車や周囲の騎兵の掲げるヒマワリが染め抜かれた旗印を見れば、それは領主ファンオウの馬車であると一目で解る。半裸に褐色肌の騎兵たちを率いるのは、背筋をぴんと伸ばした長身痩躯の鬼、ソテツであった。


 ソテツは油断なく、周囲を警戒しつつ馬を進めていた。平和そのものの街道ではあったが、剣の師匠であるエリックより常在戦場の心を刻み込まれているのだ。騎兵たちはソテツの指揮により、ゆったりとした隊列を組んで馬車を護衛している。自在に駆ける騎兵たちの群れは、さながら一匹の獣のようで、道行く商人たちはその動きの見事さに見惚れていた。


 強固な警備の中、ガラガラと馬車は牧歌的な音色を奏でて進んでゆく。その内部では、のんびりと外の景色を眺めるファンオウ、そして隣にはエリックの姿があった。


「殿。まもなく、南方領の役所へ到着します」


 前方の御者台の隙間から見える風景に、エリックがファンオウへと呼びかける。


「ふむ。もう、着くのじゃのお。アクタは、元気にしておるか、のお?」


 南方領の村落を束ね治める立場となった小人族の男の顔を思い浮かべ、ファンオウは言った。


「竹簡での報告によれば、体調には変わりないようですね。大河までの案内も、問題無く出せるそうです」


「大河を下り、中ほどで、馬へ乗り換え、十日ばかりで、王都に着くのじゃったかのお。してみれば、王都も、随分と近くに、感じられるものじゃのお」


 のんびりと、感慨深げに言うファンオウにエリックがうなずいた。


「大河を下る船は、この国の王族たちのみがその利用を許されております。ですが此度、殿のお手元にある札にて、我らも船を使うことが出来るのです」


 エリックが指すのは、ファンオウが首から提げた布袋の中にある木札である。


「うむ。国王陛下には、感謝をせねば、のお」


 布袋を撫でつつ言うファンオウに、エリックが微笑する。表情の乏しいエリックにとって、それは満面の笑みと言っても過言ではない。


「そうですな。王国と、事を構えるという状況になれば、大河を下り一気に軍勢を王都へ攻め込ませることが上策です。此度の殿の行幸は、またとない視察の機会でもありますな」


「エリックよ……わしは、国王陛下とは、そのような関係になるつもりは、無いのじゃがのお」


「万が一、ということもあります。あくまで、万が一、でございますよ、殿……今は」


 低い声で、エリックが言う。


「……エリックよ、わしは、王になるつもりは……」


「殿。役所に着いたようです。降車の準備を」


 馬車が停まり、エリックが扉を開ける。騎兵たちが下馬し、額を地に着け後頭部をずらりと並べて見せる中へ、ファンオウはエリックの先導で降り立った。


「皆、ご苦労じゃのお」


 労う言葉を口にして、早足でファンオウは騎兵たちの間を歩く。向かう先には、一軒の小さな館があった。


「領主様、道中、ご無事で何よりでございます」


 館の前で、小柄な子供のような男が布衣の前で手を組み合わせて一礼する。


「お主も、元気そうで、何よりじゃのお、アクタや。細かい挨拶は、無しで構わぬから、早う中に入れては、もらえぬかのお?」


「はい、はい。領主様の言われることでしたら、すぐにでも。むさ苦しい所で恐縮ですが、ずずっと中へお入りください」


 如才のない笑みを見せて、アクタが玄関の戸を開けて中に入る。エリックがそれに続き、そしてファンオウも館に入り、ソテツが戸を閉める。

 くるりとソテツが向き直れば、首を垂れていた戦士たちが一糸乱れぬ動作で起き上がり、馬に飛び乗り哨戒を始めてゆく。南方領の中心にある小さな館は、瞬く間に厳重な警備体制の中に置かれた。




 館の中に入り、四人も人が入れば手狭に感じられるくらいの応接間へファンオウたちはやってきた。旧領主であるブゼンの広い館は取り壊され、一階建ての平屋として建て直された。再建にあたり、アクタが色々と口を出して作らせたのが、この狭い館なのである。


「どうぞ、領主様。こちらが、南方領で作らせていただいた、ヒマワリ茶です」


 机の上へ、アクタの手によりファンオウ、エリックの前に茶碗が置かれた。盆を抱えたまま、アクタが狭い応接室へとするりと身を滑り込ませてくる。小人族にとっては、館の広さは丁度良いのである。

 出された茶を、ファンオウは一口すする。


「ふむう。こちらのものより、少し味が薄く、感じられるかのお」


「そうでございますか? さっぱりとして、良い味だと領民たちには好評なのですが」


 ファンオウに答えながら、アクタも茶を喫している。


「……邪気の、影響なのかも知れませぬな」


 一息に茶碗の中身を呷り、エリックが言った。


「なるほどのお。ヒマワリには、邪気を糧として、育つ性質が、あるからのお」


「確かに、エリック様の仰る通りかも知れません。この辺りは、邪神スイレンの棲み処であった魔法陣周辺以外では、ヒマワリの異常な成長はあまり見られません。ここの地下の魔法陣跡でも、一年前に領主様が浄化を施してくださって以来、ヒマワリは緩やかに育っておりますし」


 ファンオウとアクタが、顔を見合わせうんうんとうなずき合う。


「してみれば、この地は、邪気の影響を、ほとんど脱しておる、ということじゃな?」


「はい。それも、領主様の威徳の成せる技であるかと。おまけに、しがない小人族である私に、領主代行の任をお与え下さり、潤沢な資金までご提供いただけるとは……やはり、こちらにも領主様を祀る神殿のひとつでも、造ったほうがよろしいでしょうか」


「それは、大丈夫じゃ。わしの方で、間に合うておる。じゃから、普通にしておれば、良い。のお、エリック?」


 アクタの提案に、ファンオウは慌てて首を横へ振りエリックへと質問を投げた。


「殿の仰る通りだ。アクタよ、小さな祠や像などは構わぬが、本山は聖都の大聖堂だ。信仰を深めたければ、聖都まで来れば良いことなのだ」


 大真面目な顔で、エリックがアクタに答える。


「それも、何か、違わぬか、のお……」


 口の中でもごもごと言いつつ、ファンオウは茶をすする。


「左様でございますか。それならば、その件は無しということで。ですが、領民一同、領主様の行いには心より、感謝の念を捧げている、ということだけは心の隅にでも覚えていてくだされば。それから……領主様は、此度、大河を船で下られる、ということでございますが」


 ほんわかとしていたアクタの表情が、不意に引き締まったものになる。


「うむ。国王陛下に、ちと、呼ばれておってのお」


 穏やかにうなずいて、ファンオウは言った。


「なんと、国王陛下に……さすがは、徳高き領主様でございます。ファンオウ様を重用してゆくようでありましたら、この国も安寧でございましょう……ですが」


 ぽん、と感心をして手を打ったアクタが、声をひそめて顔を寄せる。


「ですが、とは、どうしたのじゃ? 何ぞ、問題でも、あったのかのお?」


 向かい合うファンオウも、つられて身を乗り出す。エリックの長い耳が、ぴくりと動いた。


「今、大河を船で下ることは出来ません。数日前、王都の使者がお帰りになった直後より、大河の上流から中流にかけて、氾濫が起きているのです」


「なんと……大河に、氾濫? ここのところ、大雨などは、降ってはおらぬようじゃったが、のお」


 首を傾げるファンオウに、エリックがうなずく。


「それどころか、百年以上、かの大河は氾濫などは起こしてはおりませぬ。アクタよ、大河が氾濫しているというのは、本当のことか?」


 鋭い視線で、エリックがアクタを睨み付ける。


「はい。この眼で、しかと確かめて参りましたから。間違いはございません。河の水かさは増え、流れは急になり、艀などは小枝のように流され、河岸に打ち付けられて砕け散るといった有様でございます。このまま、船を使い河を下るのは、危険を通り越して無謀、というものでございます」


 訴えかけるアクタの表情には、嘘をついているような気配は見られない。また、アクタが嘘をつかねばならない理由も、どこにもない。そう判断を下してか、エリックがむむと唸る。


「艀? 大河は、王族のみが、通行を、許されておるのでは、なかったのかのお?」


 ファンオウは、首の角度を深くして問う。


「領主様。それは、あくまで()を使った通行に限られた話にございます。大河は、王国南部を東西で繋ぐ交易の要路でございますれば、小さく櫓を用いて進む艀であれば、その通行は許されているのでございます」


 アクタの説明に、ファンオウは深くうなずいた。


「なるほど、のお……じゃが、大河の氾濫ともなれば、その、艀を使う民たちは、困っておるのであろうのお」


「もちろん、それを生業としております者たちは、日々の稼ぎを絶たれることになりますので。このまま氾濫が続けば、暮らしの立ち行かなくなる者も、大勢出ることでしょう」


「どうにか、出来ぬものかのお……じゃが、天然自然のことならば、人の手には、余るのやも知れぬし、のお」


「俺の魔法をもってすれば、河の流れを一時的に鎮めることは、可能です、殿」


 エリックの言葉に、ファンオウは首を横へ振る。


「じゃが、それでは、艀を使う民たちの、困窮は無くならぬやも、知れぬ。わしだけが、河を使えれば、良いということでは、無いのじゃ」


「さすがは、領主様です。我々民草のことに、いちいち心を砕かれる。そんな御方であればこそ、天は救いの手を伸ばされるということなのでしょう」


 うんうん、とうなずきながら、アクタがそんなことを言い始める。


「救いの、手? どういう、ことかのお?」


 怪訝な表情で、ファンオウはアクタに問うた。


「はい。古来より、大河のことは龍神様に治めていただくという決まりが、この地にはございます。もし、領主様が望まれるのでございましたら、私が、龍神様の居所まで、ご案内してもよろしいのですが、如何されましょうか?」


 立ち上がり、指を一本立てつつ言うアクタからは、陽気で小狡い小人族の気配は消えていた。かわりに感じられるのは、重厚な、年経た樹木のような趣である。


「龍神……?」


「アクタ、お前は一体、何者だ」


 前のめりになっていたファンオウを押さえ、後ろへ引いて庇いつつエリックが問う。


「私は……龍神様の、使徒なのですよ、領主ファンオウ様、神将軍エリック様」


 不敵な笑みを浮かべて、アクタはそう言った。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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