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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
65/103

神将軍、胡乱なる老学者に疑念を抱きのほほん州吏これをとりなす

 老人の名を耳にした瞬間、エリックは動いていた。王都のラドウより、報告が上がっていた。宰相ジュンサイが、放ったファンオウへの刺客の名前。それが、オウギという名であったのだ。


 穏やかに笑い合うファンオウと、オウギの間へ吹き抜ける風のように入り込む。抜き放った剣が鞘走り、鋭い切っ先がオウギの咽喉元へと迫ってゆく。首を落とすには、一呼吸の時間があれば充分であった。


「エリック?」


 小さな、驚きの声がエリックの動きを止める。ファンオウの言葉の一を聞けば、十を慮ることの出来るエリックであればこそ、身体がひとりでに停止したのだ。


「殿。この老人は、刺客です」


 ファンオウを後ろ手に庇いつつ、エリックは言った。


「突然何を仰いますか、エリック様?」


「ふむう、刺客、のお?」


「黙れっ! 貴様がジュンサイの手の者であることは既に知れている。指一本、動かしてみろ。貴様の首と胴が分かたれることになるぞ」


 エリックの背後で、ファンオウが眼をぱちぱちと瞬かせる。ぴたりと寸分の狂いも無く剣先を突き付けるエリックへ、オウギが静かな視線を向けた。


「どうぞ、落ち着いてください、エリック様。何ゆえに、小生を刺客と断じられまする」


「……その、落ち着き払った態度。死を前に、敵ながら肝の据わった男だと褒めてやろう。だが、貴様の名はすでに俺の知るところにあるぞ、ジュンサイの手先よ」


「なるほど、エリック様は何処からか、オウギ、という名を持つ刺客のことを知られた訳でございまするか。そして、同じ名を持つ小生を、刺客である、と。となれば小生の弁論に、納得がゆかず首を落とすという訳ではなさそうですな」


 オウギの言葉に、エリックは呆れてふんと鼻を鳴らす。


「まだ、その遊びを続けるつもりか。貴様の言葉など、聞く価値も無い。刺客が学問所などと、聞いて呆れる」


「オウギなど、この世にありふれた名を恐れての所業にございまするな。ですが……そのような短慮を知らずしてこの場に臨んだ、小生の運が無かったというだけのことにございまする。刺客と、同じ名であるというだけで、首を、刎ねようなどと……」


「戯言を。貴様の首を王都のジュンサイへ送り返し、二度と刺客を使うなどと考えぬようにしてやろう」


「ま、待て、待つのじゃ、エリックよ」


 オウギと数語を交わしたところで、ようやく事態に追いついたらしいファンオウが声を上げる。


「殿、これは殿の身の、安全の為なのです」


「わしには、オウギ殿が、刺客とは、見えぬのじゃがのお?」


「暗殺の業を為す者は、気配を殺すことに長けているのです。見た目に、騙されてはなりません、殿」


「じゃが……のお、オウギ殿。お主は、今まさに、殺されようと、しておるというのに、何故、そのように澄んだ眼をして、おるのかのお?」


 オウギの一挙手一投足から眼を離さず、ファンオウに振り向くこともできないエリックは微かに顔を歪める。


「死を覚悟して、この場に臨んでいる。小生の言葉に、嘘偽りはございませぬ。そして、小生は論により死を賜るのではなく、名をもって死を賜るのでございまする。なれば、小生の論に誤りは無く、これ即ち正論であった、ということになりまする。なれば、生い先の見えておる小生が人生、最後に正論で締めくくられた、と言えまする。それで、小生は満足なのでございまするよ」


 ファンオウの問いに、オウギがふわりと満足そうに微笑んだ。


「のお、エリックよ。わしは、オウギ殿の言葉が、嘘じゃとは、どうしても思えぬのじゃがのお」


「確かに、嘘は吐いておらぬようですが。殿、刺客という輩は、常に本心を隠し偽りごとを真と信じさせる術に長けた者です。君子であれば、あえて針を飲むようなことは、されてはなりません」


 ファンオウの言葉に、それでもエリックは揺らがない。オウギという老人は、隙だらけであった。突き付けられた剣に咽喉元を晒し、なお平然と穏やかな視線を向けて来る。それが死を受け入れた老人の意地であるのか、それとも奥の手を隠し持つ刺客の余裕であるのか、エリックは判断できずにいた。


「エリックよ、ここは、わしの顔に免じて、剣を下ろしては、くれぬかのお」


 そっと、エリックの袖をファンオウが引く。それはほんの小さな力である。武芸百般を極めるエリックには、何の障碍にも成り得ない程のものだ。だが、忠臣であるエリックを動かすのに、それは充分な力であった。


「殿が、そこまで仰られるのでしたら」


 剣を引き、ひゅんと風切り音を立てて鞘に納める。


「小生は、信を得て命を拾った、ということになりますかな?」


「貴様の実力は、知れた。妙な動きを見せれば、殿に害を為す間もなく斬り捨てられる。それが解ったゆえ、今は手を下さんというだけのことだ」


 エリックの背後で、ほうっとファンオウが息を漏らす。玉座へ戻ったファンオウへ、エリックは向き直った。


「殿、この者と会う時は、俺かソテツを必ず伴うようにお願いします。決して、心をお許しになられませんように」


「うむ。お主が、それで満足するのであれば、のお。オウギ殿と会う際には、必ずお主か、ソテツを伴うことにする。約束じゃ」


 明るく笑いかけてくるファンオウに、御意とエリックはうなずいた。


 学問所設立の話を詰めるべく、オウギがソテツに連れられて退出する。それを見届け、一礼してファンオウの御前を辞そうとエリックは背を向ける。


「のお、エリックよ」


 背中に、ファンオウの声がかかる。すぐさま振り向くエリックの眼に、すまなそうな顔をしたファンオウが映る。


「どうかされたのでしょうか、殿」


「お主を、信用しておらぬわけでは、ないのじゃ。じゃが、わしは……できれば、オウギ殿と、共に歩んでゆきたいと、思うておる。オウギ殿の言うことは、いちいち尤もじゃし、民たちの、為にもなるのでのお。じゃから……」


「心配は、無用です、殿。何があろうと、殿は俺がお守りいたします。それが、俺の役目ですから」


 微笑を以て、エリックはファンオウに相対する。


「すまぬ、のお」


「いえ、俺こそ、殿の御心を乱してしまいました。どうぞ、お許しを」


 笑みを交わし合い、エリックは再びファンオウに背を向けた。ひとつの気配が、近づいてきている。それは、女ドワーフのレンガのものだ。それを感じたエリックは、憂いの無い足取りで広間を去った。しばらくは、ファンオウが一人になることは無い。確信を得たエリックは、太陽神殿の自室へと入った。


「フェイよ、聞こえるか」


 寝台と机の置かれただけの、簡素な自室でエリックは虚空へと呼びかける。エリックの右手にはめられた指輪が、声に反応をして仄かに光った。


『はい、聞こえております、エリック様。このような時分にご連絡とは、何かございましたでしょうか?』


 指輪を通じて、快活な老人の声が聞こえてくる。王都にいる、老家令のフェイの声だ。魔道具の力で、遠く離れた王都のフェイと会話をしているのである。


「早急に、調査すべきことがある。王都に、宰相ジュンサイの手下、オウギがいるかどうか、ということだ」


『ラドウから報告のありました、ジュンサイの暗部を担う男ですな。所在を知るのは、少し難しいかも知れません。何しろ、暗部の人間ですからな』


「王都にいるか、いないかだけで良い。出来るだけ、早くだ」


『……もしや、オウギがそちらに?』


「同じ名の老人が、殿の元へとやって来た。学者を名乗って、殿に取り入り学問所を任されることとなった。念のために斬り捨てようとしたのだが」


『ファンオウ様に、止められてしまった、というわけですな。畏まりました。早急に、調べましょう。どのような小さな情報でも、送るようにいたします』


「当然だ。殿の命が、懸かっているのだからな」


『はい』


 フェイの返事で、通信を切った。次の定時連絡の時には、何らかの情報が手に入る。あとは、それをもとにどう動くか。指針を定め、エリックは部屋を出る。靴音を響かせながら、太陽神殿の出口へと向かう。蜥蜴族たちの、調練の時間が近づいていた。


「殿の元へは、清濁併せて様々な存在が訪れる。陽の光に焦がれる者も、嫌う者も。なればこそ、俺が篩にかけねばならぬ。ただ、殿の御為に」


 自分へ言い聞かせるように呟いて、エリックは外から太陽神殿を仰ぎ見る。空気の流れに乗って、中からはカラカラとファンオウの朗らかな笑い声が聞こえてくる。ぐっと拳を握りしめ、決意を胸にエリックは麓への階段を降りていった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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